第六話 おれ

 さすがに驚いた。

 朝、教室のドアを開くと聡子は登校していた。強姦された次の日は学校を休まねばならないという校則はない。ないが、普通の女だったら休むか、永久に登校しないだろう。当事者であるおれもそのつもりでいた。にも関わらず、聡子はいつも通り、自分の席でロシア文学を読み耽っている。

 俄然、興味が沸いてくる。山上聡子は、弄んで捨てるには勿体無い女なのではないか。おれは聡子の席に近付いていく。

「よお」

 当然、返答はない。こうなると男のさがとして、なんとかして振り向かせたくなる。この鉄面皮、ちょっと揺さぶってみるか。

後、2組の松村美緒まつむらみおに電話で聞いたが、おまえの母親、自殺だったらしいな」

 松村は聡子と同じ公営住宅に住んでおり、幼い頃から聡子のことを知っていた。親友などではなかったが、公営住宅という狭い社会では噂も広がるのが早い。松村は自分の親から、聡子の母が自殺したことを聞かされていた。

 聡子がおれの言葉に反応して、こちらを一瞥する。さて、どちらに反応したのか考えなければならない。のどちらかだ──。強姦された翌日に登校してくるような女だ。他人からの評判など気にかけまい。ならば、のほうか。

「池に身投げしたんだって?ゴシューショーサマだな」

 聡子は本を閉じた。だった。おれはこの手の推測を外したことがない。

「なにか言いたいことがあるの?」

 重い口が開かれた。声はか細く、震えていた。これは良い玩具おもちゃになりそうだ。目を伏せながらも、なけなしの勇気を振り絞って出したであろうこの一言が、おれの嗜虐心に火をつけた。

「いや、別に。おまえの身の上があまりに憐れだと思ってな」本心だった。母が自殺して、娘は強姦されるとは。憐れ過ぎて笑う他ない。

「津村くん」

 相変わらず聡子は目を伏せている。

「まるで人が変わったみたい。だけど本当は、の方が素なんでしょ」

「そうかもな」良い勘だ。

「おまえはチクる友達もいないんだろ。なら、こっちの方が楽ってだけさ」

「それで、なんの用?わたしの母親が自殺してたとしたら、津村くんになにか不都合なことがあるの?」面白い女だ。普通の女はこんな切り返し方はすまい。

「いやいや、おまえに興味が湧いただけだよ。母親は自殺、おまえは強姦、それでもおまえという人間は折れない。普通の女だったらとっくに首をくくってる」

 聡子は顔を上げた。相変わらず目を合わせようとはしないが、明らかにさきほどとは雰囲気が違う。黒い髪が揺れている。怒りだろうか、はたまた怯えだろうか。斜視の視床の奥で、洞察し難い感情が渦巻いているのは確かだった。

「わたしは、普通に生きたかった」

 呻くように聡子は呟いた。声もそうだが、聡子の存在ごと消え入りそうな告白だった。

 そして、静寂を許さぬように予鈴が鳴った。

「やっぱり、おまえは面白いよ。普通じゃない。どこかが破綻してる。それはおれも同じだろうがな」

 言い終えて気付いたが、聡子はまた顔を伏せていた。この女、まだなにかを隠している。いや、本心を見せていないという方が正しいか。

 席に戻る。隣の女子がなにか話しかけてくるが、おれの意識に残ることはなかった。

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