第三話 ホワイトクリスマス
二軒目。金指さんのお宅が和風だとすれば、
正直、俺はその状況で能天気なクリスマスソングなんざ歌いたくなかった。そりゃそうだろうさ。仏壇に置かれた真新しい遺影は、どう見ても俺よりずっと若い二十代くらいの若者。それがこの家の息子だってことはすぐに分かる。息子を失って悲嘆にくれているご夫婦の前で、楽しげにクリスマスソングを歌うなんてことが出来ると思うか? 無理だよ、そんなの。
でもご夫婦は、非常識を承知の上で俺を呼んだんだろう。請け負った以上は、なんとかこなさないとならない。気は進まなかったけど、歌を届けることにした。ただ……。
金指さんのところではリクエストを聞いたんだけど、木塚さんのところでは俺が歌を選んだ。申し訳ないけど、仏間で陽気なクリソンはどうしても歌いたくなかったんだ。長調で、しかも派手さのない曲を。俺はホワイトクリスマスを歌うことにした。それなら、なくなったお子さんにも残されたご夫婦にもなんとか受け取ってもらえるだろうと思ってね。ご夫婦がどう受け取ったのかは分からないが、俺はものすごく緊張したし、声の大きさやトーンにものすごく気を使った。派手にしないで、でも辛気臭くもないように、と。まだビギナー未満の腕しかなかった俺にとっては、とんでもない難題だったよ。
からっ下手な俺の歌をじっと聞いてくれたご夫婦は、歌が終わると同時に仏壇に向かって手を合わせ、目をつぶった。とてもメリークリスマスと言えるような雰囲気ではなく、俺もギターを傍らに置いて手を合わせた。
正直、すぐにその家から逃げ出したかった。俺が望んでいるのは届けた歌で元気になってもらうことであり、決して弔いをすることではない。だから、俺の態度はものすごく素っ気なかったかもしれない。
金指さんと同じで謝礼をと言われたが、あくまでもサービスなのでそれはいただけませんとお断りした。そして、金指さんのところでは確認した来年以降の話を、俺は切り出さなかった。予約を切り出したのは木塚さんの奥さんだったんだ。
「また、来年も来ていただけますか?」
行きたくはなかった。だけどサービスをうたっている以上、断ることは出来ない。また来年も伺いますと……答えざるを得なかった。
そして二年目。俺は、昨年再訪を約したことを思い切り後悔した。仏間の遺影が、一つから二つに増えていたからだ。でも、俺には覚悟が出来た。歌を届けるということは、受け手が満足しない限り迷惑な押し付けに過ぎなくなる。俺が心を込めて歌を歌うには、お客さんの背景をちゃんと受け止める必要があるんだろうと。
最初の年よりは少しだけましになったホワイトクリスマスを二人の霊前で披露し、その後黙祷を捧げた。ただ、俺はその後すぐに席を立たなかった。
クリスマスに歌を贈ることは、希望を贈ること。夢を贈ること。私はそういう意図で歌の宅配サービスをやってます。少しでも、聞く人が喜んでくれる力を自分の歌に乗せたい。それに協力してくださいませんか……と。そう振った。
俺の言葉を寂しそうに聞いていた木塚さんの奥さんは、ずっと溜め込んでいたものをどこかに吐き出したかったんだろう。静かな口調で、でもどこまでも不幸で苦い話を紡ぎ始めた。
◇ ◇ ◇
「主人は……昨年村野さんに来ていただいた時点で、もう余命が分かっていたんです」
「ご病気だったんですか?」
「そう。自分がしんどいのに、残されるわたしを本当に心配してくれてね。まあ、息子がいるし、なんとかなるわって答えてたんだけど」
「じゃあ……」
「交通事故で。あっさり」
深い深い溜息。そこに涙が伴わないことで、もう涙すら絞り出せないほどの深い嘆きと絶望が連なってきたのは分かった。
「息子は遅くに出来た子供だったから、わたしたちの老後のことで面倒かけるかなあと思ってね。あんたは好きにしなさいって言い聞かせてたの。でも、優しい子でね。ずっとわたしたちのことを気にしてくれて」
奥さんは、すっと目を細めて息子さんの遺影を見つめた。
「まさか。まさか主人よりも先に神に召されると思ってなかったわ。クリスマスイブに、酔っ払い運転の車に轢かれて」
あっ!!!
俺は、思わず立ち上がってしまった。
「それで!」
「そう。みなさんが楽しそうに過ごすクリスマスの夜。それが息子の命日よ。クリスマスって言っても、いろんな意味がある。わたしたちのは決して明るくはならない。楽しく過ごす気にはならない。でも……」
「ええ」
「クリスマスをずっと恨んでいたくはないの。それは、亡くなった息子も主人も望まないでしょう」
奥さんは、ゆっくりと目をつぶった。
「村野さんの張り紙。あれを見て、天の啓示だと思ったわ。決して祝う気にはなれなくても、心穏やかにこの日を過ごしたい。それなら……何かきっかけが要るの。それに、ぴったりだと思ったの」
「そうだったんですか」
とても残酷な運命。でも、すでに起こってしまったことを逆回ししてリセットすることはどうしても出来ない。それなら、ゆっくりと時間をかけて、運命を静かに受け入れていくしかないんだろう。
「じゃあ……今年もホワイトクリスマスで」
「お願いしますね」
俺は仏間の遺影に向かってではなく、奥さんの方を向いて歌った。今俺の歌を聴けるのは亡くなった人ではなく、今を懸命に生きている奥さんなんだ。毎年来る悲しい日に全てを持って行かれるのではなく。一つだけでいい。楽しいこと、嬉しいことをご主人と息子さんに報告出来るように。それが、俺の拙い歌だったらいいなあと、ほんの少しの願いを込めて。
俺は……精魂込めて、ホワイトクリスマスを歌った。
◇ ◇ ◇
そして、今年で五年目。いつものように、奥さんが玄関口で俺を出迎えてくれた。
「メリークリスマス! サンタが、今年も歌をお届けにまいりました」
「おつかれさま、村野さん。今年も楽しみにしてましたよ」
にこやかに答えた奥さんは、俺を仏間ではなくリビングに案内してくれた。
「向こうでなくていいんですか?」
「主人と息子には、もう聞かせてくれる人がいっぱいいるでしょう。クリスマスだからね」
奥さんは、ぱちんとウインク。
「ははは。そうですね」
「歌っていただく前に、ちょっと腹ごしらえなさってください」
「うわ、いいんですか?」
「この後も宅配に行かれるんでしょう?」
「はい。あと四軒」
「どこのお宅でも、楽しみにしてくださっているのね」
「そうだといいんですけどね。私の腕前じゃ、まだ耳栓がいるから」
「あら、そんなことはないわよ」
ふと真顔になった奥さんは、ケーキの乗ったお皿を俺の目の前に置くと、そのケーキを指差した。
「出来合いのケーキなら、もっとおいしいものはいっぱいある。でも、わたしが作ったのは世界でもそれしかないの」
「わ! 手作りですか。すごいなあ」
「ほほほ。そう言って喜んでくださる方がいれば、わたしには張り合いが出来るの。あなたの歌と同じよ」
うん。そう思ってくれたなら嬉しいなあ。
「そうですね! がんばります」
「お花を贈ってくださる方はおられても、歌を贈ってくださる方はいないわよ。わたしはとても恵まれてるわ」
おいしいケーキと、暖かい励ましの言葉。お腹ではなく心を満たして、俺は気合いを入れ直してギターを構えた。
「それでは、今年もホワイトクリスマスを!」
「はい。よろしくお願いいたします」
薄暗い仏間ではなく、明るいリビングで。
諦めと絶望の支配する床を見下ろすのではなく、光を見つめるように顔を上げて。
これまでよりもはっきりと。楽しげに。歌の輪郭をはっきりさせて。歌い出しにあるように、雪景色の中の温かいクリスマスを夢見るようにして。
俺は、たっぷり情を乗せてホワイトクリスマスを歌い上げた。
ああ。奥さんだけではなく、俺も。今年は死者の呪縛から少しだけ逃れることが出来たんだろう。
俺のギターの反響版の奥。わずかに残った弦の響きが静かに消えて。小さな拍手の音で我に返った。
「うん。とてもよかったわ。これまでで一番!」
「なかなか腕が上がってくれなくて。恥ずかしいです」
「いいえ」
奥さんが、俺のカップに紅茶を注いで。穏やかな笑顔を向けた。
「これまでで一番温かかったわ。それが一番よ」
BGM:White Christmas (Keith Urban)
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