第二話 諸人こぞりて
一番最初に俺が出向いたのは、
だけど……俺が最初にサンタ服を着てお邪魔した時、玄関口に出てきた金指さんの表情を忘れる事は出来ない。冬山でずっと救助を待っていた遭難者のような、安堵と弱気。かつてヤクザだったということが信じられないほど心身が萎み切っていて、俺は思わず救急車を呼ぼうとすら思ったんだよな。
それでもヤクザはヤクザだ。ぶっきらぼうな態度と、言葉の節々から滲み出る暴力性。怯えた俺は、玄関口で歌って終わりにしようと思ったんだけど、上がってくれって言われて……。あの時は、運を天に任せるっていう感じだったよなあ。
お湯を沸かし、お茶をいれてくれた金指さんは、俺をじろじろ睨み回した後で、どすの利いた声で言ったんだ。俺が怖くねえか……ってね。だから正直に答えた。そりゃあ怖いですよって。でも、お客さんに歌を届けると決めたのは俺自身だ。お客さんの態度でその節を曲げたら、一年間準備してきたことが全部ぱあになる。俺は肝を据えた。
「金指さんが、私のお客さん第一号です。まだ下手くそですけど、精一杯歌をお届けいたしますので、よろしく」
自分が第一号の客だということを聞いて、金指さんが相好を崩した。
「はっはっは! 俺が第一号か! そらあ、縁起がいいや。なんでも一番てえのは気分がいい」
怖い顔がしわくちゃになって。そこには最初に見た時の威圧感が何も残っていなかった。俺はそれを見てほっとしたんだよな。
ソングリストを渡して、どの曲にするか選んでもらった。まだレパートリーが全然少なくて申し訳なかったんだけど、曲の出だしのところをこんな歌ですと口ずさんでいたら、金指さんが選んだのは諸人こぞりてだった。いや、正直意外だったよな。
「できるだけでけえ声で、景気良く歌ってくれや」
それが、金指さんのリクエスト。まあ、クリスマスなのに辛気臭く歌ってもしょうがない。調子っぱずれの歌を半ばやけ気味にでかい声で歌った。まあ……今から思えばほとんど騒音と変わらなかったと思う。でも、金指さんはすごく喜んでくれた。
歌い終わったあとで、古びた財布を持ってきた金指さんに聞かれた。
「カネは?」
「いりませんよ。チラシに書いた通りで、あくまでもサービスです」
「あんたも変わってんな」
「そうかもしれません。でも……」
「うん?」
「こうやって誰かの前で歌ってると、生きてるーって感じがするんですよね」
クサいことを言って笑われるかと思った。でも金指さんは、すんと俯いて小声で答えた。
「分かるよ」
それは、せいぜい十分かそこらの滞在。俺が家をお邪魔する時に、すがるような目つきの金指さんに問われた。
「もう……これっきりか?」
「いいえ、また来年のクリスマスイブにやります」
「来年の分、予約していいか?」
「はい! 喜んで。また一番にお邪魔しますよ」
「はっはっは! そらあ、ありがてえ!」
ぐんと顔を上げた金指さんが、笑顔で俺を送り出してくれた。
「まだ後があるんだろ? がんばれや!」
「はい!」
◇ ◇ ◇
それから五年。金指さんの顔は少しずつ年を重ねてしわの中に埋まっていく。でもイブにお邪魔するたびに、最初の時には剥き出しになっていた敵意や暴力性が薄まっていくのを感じていた。年をとって、体力や気力を失ったということではないと思う。なんといったらいいか……片付けが進んだ……そんな感じで。
ヤクザとしての猛々しさをきちんと制御するっていう意味では、それは歓迎すべきことなんだろう。でも、俺は逆のことを危惧していた。生きようとするエネルギーの枯渇の表れじゃないかってね。
少しだけもやもやしたものを抱えながら、いつものように金指さんの玄関先に立って、でかい声を張り上げる。
「メリークリスマス! 歌を届けにサンタがお伺いしましたー!」
どたどたと走り寄る音が聞こえて、玄関の引き戸が勢いよく開かれた。
「おう! おめっとさん! 待ってたぜ。一番だろ?」
「もちろんです」
「はっはっは! この日はあんたのツラぁ見ねえと始まんねえ。まあ、上がってくれ」
「お邪魔します」
これまで金指さんの部屋の中は、はっきり言ってひどく荒んでいた。やる気のない生き方をしている老人のだらしなさが、そのまま剥き出しになっている印象だった。それが、嘘のようにすっきり片付いてる。いや、違うな。物が……ほとんどなくなっていた。
「あの、金指さん。引っ越されるんですか?」
「ああ、その話は後でしよう」
表情を見る限り、夜逃げとかそういう事態ではなさそうだな。きっと、歌の後に何か報告があるだろう。そう思って、まず歌を届けることにした。
「いつもの、ですね?」
「ああ。頼む」
さすがに五年間ずっと練習を続ければ、いくら俺の腕前がかすかすでも歌うことに慣れてくる。最初のぼろっかすの時よりはまともな歌が、俺の喉の奥からするすると出てきた。大きな声で朗々と。そのリクエストは最初からずっと変わらない。いつものように満足そうに聞き入っていた金指さんは、俺がギターのアルペジオで曲を締めると、ぱちぱちと拍手をしてくれた。
「いやあ、腕ぇ上げたな」
「ううう、すいません。最初なんか聞けたもんじゃなかったですよね?」
「いや、歌ってえのは心で聞かすもんだ。あんたのは、いつ聞いてもぐっと来る」
いや……そんな嬉しいことを言われて、ぐっと来るのは俺の方だよ。俺が拳で目を擦ったのを見た金指さんが、居住まいを正した。
「なあ、村野さん。あんたには、五年、本当に世話になった」
「はい」
「だが、ここであんたの歌を聞くのは、今年で終いだ」
「どこかに越されるんですか?」
「ああ」
そうか……。
金指さんは、ほとんどがらんどうになっていた居間をゆっくり見回す。
「荒れて荒れて、極道の世界に入って、あらゆるろくでもねえことに手ぇ出して。ムショとの間を行き来して。それでも、そいつが俺の生き様だった」
「ええ」
「だから俺は、最後までどぶの中にいる覚悟だったさ。この家はそのための根城だ。ここからどくなんてえことは絶対に考えんかった」
古びた座卓の上で、金指さんが握っていた拳をゆっくり緩めた。
「でもな。人ってぇのは一人で生きてくようには出来てねえ。いかに俺がど腐れでも、やっぱ一人はしんどいんだ」
「そりゃそうですよ」
「ああ」
すっと顔を上げた金指さんが、俺を正面から見据える。
「ここを畳む」
「その後、どちらへ?」
「聞いてどうする?」
「来年、また歌をお届けに行かなければなりませんから」
金指さんは、破顔一笑。全身を揺すって、大笑した。
「わあっはっはっはあ! これだ、これだよ」
そして……その笑顔は、すぐに泣き顔に崩れた。
「ひっぐ。これ……だ……よ」
泣きむせぶ金指さん。俺は、金指さんがこれまでどれほど果てしない孤独の中に埋もれてきたのかを思い知る。
ひとしきり泣いた金指さんは、鼻をすすりながら顔を上げた。
「なあ、村野さん」
「はい」
「俺ぁ、あんたが住んでるアパートの大家さんに頼み込んで、そこに住まわせてもらうことにしたんだ」
「おっ! うちに来られるんですね」
「いかんか?」
「大歓迎ですよ」
ほっとしたように、小さく金指さんが頷いた。
「ここには、最後まで俺の置き場がなかった」
「置き場、ですか」
「ああ。ここは俺がいるだけで、あたぁ空っぽだ。何の意味もねえ。今まで空意地だけでずっと暮らしてきたけど、もう限界だ」
「そうですね」
「人の……人の気配のあるとこで暮らしてえ」
「分かります。私もそうですから」
「ああ、あんたも独りだったな」
「こんな妙ちきりんなことを始めようと思ったきっかけが、それですから」
「だな。繋がりが欲しいよな」
「そうです」
「ちぃと遅かったが、俺もそうすることにした。よろしく頼むわ」
正座した金指さんに深々と頭を下げられる。
「こちらこそ、よろしくです。あの……」
ここへの宅配が最後になるなら、どうしても聞いておきたかった。
「うん?」
「金指さん、なんで諸人こぞりてがいいと思ったんですか?」
「はっはっは!」
さっきまで漂っていた湿っぽさを振り捨てるようにして、金指さんがぐいっと背筋を伸ばした。
「一番演歌っぽいなあと思ったんさ。コブシを回せるなあと」
「わははははっ! そうだったんですか」
「これまでは聞くだけだったが、来年は一緒に歌えるかもな」
「そうしましょうよ。楽しいですよ」
「だな」
さて……。
「次のお宅に伺うので、これで失礼いたします」
「ああ。引っ越した時にまた挨拶に行くわ」
「お待ちしてます。一緒に飯でも食いに行きましょう」
「そうだな。楽しみだ」
「じゃあ!」
「おう。がんばれや」
「はい!」
BGM:Joy To The World (Train)
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