クリスマスソング宅配サービス

水円 岳

第一話 クリスマスイブ

「とりあえず、雪の心配はしなくても良さそうだな」


 内外の温度差で窓が曇ることもなく、上空に薄雲がかかっているけれど日差しはある。冬にしては高めの気温だ。


 今日はクリスマスイブ。きんきんに冷え込んで雪が舞うホワイトクリスマスは、雰囲気としては最高なんだろうけど俺には嬉しくない。そういう意味じゃ、寒が緩んでしのぎやすい今日は絶好の配達日和ということになる。


「さて、と。忘れ物はないかな?」


 きっちりサンタ服を着込み、ギターケースと楽譜の入ったショルダーバッグの中身をもう一度確認する。まあ、何か足りなければ部屋に戻ってくればいいだけの話なんだが、その部屋がすごいことになっているからな。


 楽譜と衣装、その他もろもろのガラクタでごった返している独身オヤジの部屋は、それでなくとも惨めったらしい中年の悲哀をさらに増幅していた。だが、それはこの部屋の中だけのこと。ここを一歩出れば、俺はサンタ服を着た配達人になる。俺が宅配をするのは、一年のうちのたった一日。その一日のために一年間ずっと練習を重ねてきて。クリスマスイブの今日が、大事な本番だ。


 俺がお客さんに届けるのは、荷物やプレゼントではない。歌だ。

 ああ、そうさ。俺が何かしなくたって、クリスマスが近づけばそこかしこでクリスマスソングが流れる。それは、スーパーマーケットの店内に流れるBGMと同じで、聞こえてはいても誰にも意識されない。クリスマスであるという雰囲気を醸成するためのものであって、歌そのものに何か大きな意義があるっていうわけじゃないんだ。


 でもそれは……おかしくないか? 誰かの心に届けようとして歌われ、聞いた者はそれを心に刻み込む。俺は、それが歌ってものの本質だと思うんだよ。もちろん、それはあくまでも理想であって、実際のところは多くの歌が使い捨て娯楽パーツになってる。それが現実だってことは、もちろん嫌ってほど理解してるけどさ。それでも……ね。


 ともかくも。俺は六年前に、突然ぽんと思い立ったわけだ。聞くだけでなくて、自分で歌いたいな、と。カラオケで歌う趣味があるとか、若い頃にバンド組んでたとか、音楽に没頭する趣味が俺にあったわけじゃない。きっかけは些細なことだった。


 俺のアパートの近くにでかい総合病院があって、その近くの教会の信者さんとちびっこたちが、クリスマスイブにクリスマスソングや聖歌を歌いに来るんだよ。それがキャロリングというものだということを、後で知った。

 明日が見えない自分にくじけそうになっている多くの入院患者さんに、希望を。苦痛からの解放を。明日を望む力を。どんなにわずかな時間であっても、どんなに拙い歌であっても、その歌は使い捨てられない。心に残る。俺は風にちぎれて流れてくる歌の響きに、心臓が破裂しそうなくらい感動したんだよ。


 その頃。俺自身も行き詰まってたんだ。身体は健康だったが、心がひどく病んでいた。俺は……どうしようもなく孤独だったんだ。まじめに仕事を続けてきたが、いつまでもうだつの上がらない下っ端事務員で、ロマンスもなければ人生を輝かせる成功もなく。ひとりぼっちのままで、気がつけばもう五十手前。肩叩きがすぐ目前に迫っていた。

 長い間生きてきたことが、自分に何を残したか。自分は何を楽しみにして生きてきたのか。足跡そくせきがあまりに希薄で、目の前が真っ暗になったんだ。


 だから、俺は歌うことにした。歌で自分を造形して、それを誰かに受け取ってもらいたいなと思ってね。俺は見返りは要らない。俺の歌には、金を取れるようなエネルギーもクオリティもないから。その代わり、それでもいいよって言ってくれる人には心を込めて歌いたいなと思ったんだ。


 そうは言っても、ど素人がいきなりなんでも歌える器用で上手なシンガーになれるわけはない。歌とギターの演奏を誰かに習わないことには、どうにもならない。それで近くの楽器店の音楽教室に入会して、五十の手習いでフォークギターと歌の練習を始めた。歌は全てクリスマスソング。誰もが口ずさめて、誰もが楽しい気分になれる歌だ。そして、俺の拙い歌でもクリスマスだったらきっと受け取ってもらえるだろうと思ってね。


 もっとも、誰にも存在を知られていない俺が、しかも度胸も腕もないのに人が大勢いる場所で歌えるはずもなく。それなら宅配にすればいいかなと考えたんだ。世の中には、物好きなやつもいるもんだと声をかけてくれる人が一人くらいはいるんじゃないかと期待して。もしそれがたった一人であっても、俺にとっては大事なお客様だからな。


 五年前の12月23日の朝。どきどきしながら、アパート近くの電柱に何枚かの張り紙をした。


『クリスマスイブ。あなたのお宅に、サンタがクリスマスソングをお届けに伺います。無料です。村野惣一郎。電話090−XXXX−XXXXまで』


 一応クリスマスらしいイラストを配して華やかさを演出したつもりだったが、電柱に乗っかったそれは、どう見ても携帯金融の怪しげな張り紙と区別が付かなかった。


「誰も見てくれんかもな……」


 我ながら、思い込みばかりが先走ってへまをこいたかなあと落ち込みながら、それでもクリスマスイブの夜までは申し込みがあるかどうかを待とうと思っていた。


 ところが予想外のことが起こって、俺はえらく驚いた。張り紙を出していくらもしないうちに、次々に申し込みの電話がかかってきたんだ。最初の電話は、一人暮らしのおじいさんからかかってきた。次いで年配のご夫婦、シンママ、俺と同じシングルのおっさん、俺が歌を習っている音楽教室の先生、そして最後に俺がずっと世話になっているアパートの大家のおばさんから。まさかそんなに申し込みがあると思っていなかったから、六人の申し込みがあったところで、慌てて張り紙を剥がして回った。

 得体の知れないおっさんのサービスを、それでも受けようと申し出てくれたこと。俺は嬉しかった反面、ものすごく怖かったんだよ。俺と同じ病にかかってるやつが、そんなにいっぱいいるのかなと思ってね。


 さすがに、中年のおっさん丸出しの格好でお客さんのところに行くのは気が引けた。急いで近くのスーパーに走って、パーティーグッズのコーナーでサンタ服一式を揃えた。だぶだぶの服と帽子。白い付けひげ。どんなに俺がくたびれたオヤジでも、サンタ服がそれを隠してくれる。ついでに、ヘマや素人臭さもね。


 それでも、いっちゃん最初は悲惨だったなあ。緊張のあまり、声は上ずる、裏返る。コードはめちゃくちゃ。ギターと歌が合ってない。まあ自分でも、こんなんじゃ歌の押し付けで届ける意味なんかないかもってがっくり落ち込んだ。でも、お客さんはみんな喜んでくれた。歌を届けるっていうアイデアはいいよなって。

 だから、俺はその翌年も続ける事にしたんだ。張り紙にはしないで、去年申し込んでくれた人たちに今年はどうしますかと聞いて。もし、もう要らないと言われたら、その分だけ追加募集しようかな、と。でも、六人のお客さんは毎年俺を招いてくれた。


 年にたった一日だけ。それも限られた時間だけど。俺が歌うクリスマスソングでハッピーな気分になってくれればうれしいなと。そういう願いを込めて、これまでずっと歌を届けてきた。お客さんが、俺の届けた歌を本当に喜んでくれているかどうかは分からない。でも届けている俺は、間違いなく幸せになれたんだよ。


 一年にたった一日。俺が歌を届けて歩く、その日だけはね。


「さて」


 アパートのドアに鍵をかけて、周囲の家並みを見回す。街中ならともかく、真昼間の住宅街じゃクリスマスの盛り上がりは乏しい。ムードを出すなら夜に届けた方がいいんだが、そうすると六人のところを回り切れなくなるんだ。年配のお客さんは早くに寝ちまうしな。

 能天気なおっさんが、真昼間から調子っぱずれのクリスマスソングを歌う。我ながらおいおいという感じだが、それを許してくれるのがクリスマスってやつなんだろう。はははっ。


「待たせてもあれだ。ぼつぼつ出よう!」




BGM:Christmas Eve (Pentatonix)

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