第四話 ジングルベル
三軒目。木塚さんのところでケーキをごちそうになったから、身も心も温まった。さあ、気合い入れて行こう!
次は、大井さん。今日は、わざわざ俺が来るからと、仕事休んでくれたそうだ。シンママで生活が大変なのに、とても申し訳ないなと思う。
最初に来た時のことを思い出す。その時大井さんが住んでいたのは、俺が住んでいるところとそれほど変わらないくすんだ安アパートの一室で、見るからに建てつけがちゃちだった。それじゃ音が周りに漏れて、大きな声では歌えない。どうしようかと思ったんだよな。
戸口のところで立ったまま弾き語りしようと思ったんだけど、それすら出来そうな気配じゃなかったんだ。戸口のところでサンタ服来たおっさんがうろちょろ。それを第三者が見たら、気味悪いを通り越して不審者そのものだっただろう。事実、俺はどやされたんだ。他室の住人にではなく、大井さんの息子にね。
「おまえ、なにやってんだ! キモ!」
最初の年にはまだ小学生だった大井さんの息子、純くん。俺に対して敵意剥き出しで、少しでも俺が不審な行動や言動を見せたら、掴みかかってきたかもしれない。でも、俺はギターを掲げて穏やかに諭した。
「君のママから、歌の宅配をお願いしますって言われたの。一曲届けたら、すぐに帰るよ」
「サンタ?」
「格好はね。中身はおっさん」
「家に入るの?」
「中にいるのはお母さんだけだろ?」
「……うん」
「それなら入りたくないなあ。ここで歌いたいけど」
そんなん絶対ダメ。嫌悪感を剥き出しにした純くんは、俺を全く信用していなかった。いや、それが当たり前だと思う。見たことも聞いたこともない男が、変な服着て家の前にいたら。俺でも、そいつは不審者だと思うだろう。
純くんは、俺から目を離さず睨みつけたまま、アパートの部屋の鍵を回して家の中に入り、お母さんに伺いを立てに行ったみたいだ。
俺は、物音がしなくなった室内に不安を覚えつつ、でもそのまま帰ることも出来ずに、しばらく所在無く立ち尽くしていた。
「申し訳ありません」
そろそろ離脱しようかと考え始めた矢先、少しだけドアが開いて、目を真っ赤に泣き腫らした四十絡みの女性がこそっと顔を出した。
「お待たせしました。村野さんですね。どうぞお入りください」
「ここでなくていいですか?」
「ここで歌うと、周り中に響いてしまいますから……」
やっぱりなあ。相手が男性ならともかく、初対面の女性の部屋に上り込むのは気が引けたけど、さっきの子もいることだし。割り切って、でも渋々部屋に入った。
いくら同居人が子供だとはいえ、二人で住むには狭すぎるだろうと思える1DKの部屋。そこに俺がギター込みで入り込むと、もう身動きするスペースもない。こらあ……どうにもならん。歌ってすぐに離脱しよう。俺は即座にそう判断したんだが、事態はそれとは逆方向に動いていってしまった。
木塚さんのところでは、木塚さんの抱えていた事情を聞き出すのに一年かかったんだが、大井さんは俺の歌なんかどうでもよくて、とにかく身の上を愚痴りたかったんだ。俺が空きスペースに腰を下ろすのを待っていたかのように、息急き切ってだあっとそれをげろり始めた。
◇ ◇ ◇
まあ……世間的にはよくあるシンママの話なんだろう。浮気性で甲斐性もなく、そのくせ気に入らないとすぐに暴力を振るうダンナ。横暴に耐え切れず、息子を連れて家を飛び出したものの、女一人では稼ぎも知れてる。
世間の逆風になにくそと顔を向けられる気概がある女性ならともかく、大井さんは線が細かった。食べていくのもぎりぎりの生活が続くと、孤独に蝕まれて精神が保たなくなる。俺の怪しげな張り紙にすらすぐ食いついてしまうくらい、どうしようもなくきつかったらしい。
もっとも、大井さんの身の上を聞いたところで俺に何が出来るわけでもない。俺自身が、決して人様に誇れるような生き方をしているわけじゃないんだ。まじめに勤めていると言っても、何か目標があるとか、自慢できることがあるとか、そういうキラピカしたものは何一つない。クリスマスツリーの安っぽいオーナメントほども、人生が光りゃしない。そんな俺には、アドバイスも励ましも何一つ出来なかった。
ひとしきり愚痴を聞いたあとで。俺は大井さんにではなく、息子の純くんに聞いた。
「なあ、息子さん。ママは、いいママだろ?」
「うん!」
これ以上はないってくらいに、ぐんと大きくかぶりを振った純くん。
俺は、それを見て大井さんに答えた。
「それでいいじゃないですか。私はずっと独り身なんで、それしか言えません」
赤くなった目をしきりに擦った大井さんが、諦めたように何度か頷いた。
「さて。曲は何がいいですか?」
俺がソングリストを差し出すと、ママではなく、純くんがそれをさっとかっさらった。
「ジングルベルがいい!」
「どして?」
「おれ、歌えるもん!」
「ようしっ! それが一番だよな」
「へへへっ!」
得意げに胸を張った純くんが、まだ前奏も終わってないのに、朗々とジングルベルを歌い始めた。
「じんぐるべー、じんぐるべー、すずがーなるー!」
ああ。俺の出る幕なんざないよ。大はしゃぎでエンドレスにジングルベルを歌う純くんに、時々俺が応援をして、隣の部屋の人にうるさいと文句を言われるまで歌い続けた。はははっ。
俺が大井さんの家をあとにする時には、来た時とは状況がまるで逆になっていた。純くんは、俺を信頼出来るおっさんとして位置付けたらしく、俺が次の客が待ってるから帰ると言った時には泣きそうな顔をした。ううう、そういうのを見ちまうとキツいよなあ。
「ねえ、おじさん、もう来ないの?」
「次は来年だなあ。サンタさんはイブにしか来れないからね」
「そっかあ……」
「来年の予約なら、今から受け付けるよ」
「予約っ!」
ママの意向なんか、どうでもいいらしい。まあ……ママが身を粉にして働いているのを見てるから、普段から自分のわがままは押さえ込んでいるんだろう。それを堂々とぶちかませるのが嬉しくてしょうがない。俺には、そんな風に見えたんだ。
「大井さん、それでよろしいですか?」
まだ意気消沈していた大井さんだったけど、仕方ないと思ったんだろう。弱々しく頷いた。
「あの……お代金は?」
「ああ、これは私のサービスです。腕前的にお金なんかいただけるレベルじゃないですし、最初からそういう意図はないので」
「そうなんですか?」
俺は、くすんだ鉛色の空を見上げた。
「一年に一日くらいは、自分にも何か出来るんじゃないかなと思いたい。それだけなんですよ」
「ええ」
「しょうもない自己満足ですけど、そこに目標を置けますから」
ひらひらっと大井さん、純くんに手を振って。俺は安アパートの階段を降りた。
◇ ◇ ◇
それから五年。純くんのリクエストは途絶えずに続いた。小学生だった純くんも、来年は高校受験。頑張り屋の純くんはとても成績優秀で、内申の点数もいい。背伸びしなくても志望校に入れるだろうと、先生から合格間違いなしの太鼓判を押されているようだ。それでも純くんは油断せず、本番に向けてしっかり勉強をしていると聞いた。なので、今年は滞在時間を短くしようと思っていた。
がちゃがちゃわいわい話をしてると、あっという間に時間だけが過ぎていってしまう。最後に慌てて取ってつけたように歌うんじゃ、本末転倒だからな。
「メリークリスマス! サンタが歌をお届けにまいりました!」
ドアの前で大声を張り上げたら、トーンが一オクターブ下がった純くんの声が返ってきた。
「今、開けます」
うーん。声変わりしたし、背も伸びたし、すっかりオトナになったよなあ。来年はもう高校生か。俺が年取るはずだよ。とほほ。
毎日会っているならともかく年に一度しか顔を合わせないと、見るたびにどんどん姿形が変わっていく。なんだかすごくフクザツな気分になる。
だいぶくたびれてきたサンタ服姿の俺を見て、にやっと笑った純ちゃんが俺を招き入れた。
「うっす」
「でかくなったなあ」
「一気に伸びたっすよ」
「ちぇー。こっちは縮んでくのに」
「ぎゃははっ!」
屈託無く笑った純ちゃんにぐいっと腕を引っ張られた。まだ小学生のうちならともかく、思春期に入る純ちゃんとずっと同室はまずいと思ったんだろう。大井さんは、一昨年アパートを二部屋あるところに住み替えた。作りも前のところよりはしっかりしているので、よほど大騒ぎしない限り隣人から怒鳴り込まれることはないだろう。
「済みません。わがまま言って」
「いえいえ、毎度おなじみ下手くそサンタが参上しました」
そう。変わったと言えば、一、二年目には途切れず垂れ流されていた大井さんの愚痴が、三年目からぴたりと止まった。前のダンナとのことがきちんと清算出来たのか、それとも仕事が軌道に乗ったからなのか。俺が詮索することじゃないから、理由は分からない。でも明らかに落ち着いた。それ以降は、とても楽しい一時を過ごせるようになってるんだよね。だから、どうしても長居になっちゃうんだ。
「さて。今年は純くんの受験のこともあるから、短時間でね」
「ええー?」
純くんが不満そう。
「ははは。まあ、他にも私の方にちょい事情があって、今年は押してるんです。申し訳ない」
「ちぇー」
「まあ、そういう年もあるってことで」
「あの……」
大井さんが、不安そうに首を傾げた。
「事情って、何か体を壊された、とかですか?」
「いいえ」
あらら。心配させちゃったかな。
「肩叩きですよ。もう五十五ですから」
「あ!」
「居残れば窓際、出向すれば給料と生活水準が下がる。世知辛いですけど、それが現実です。職探しも含めていろいろ動かないとならないので」
「そうですか……」
「でも、すぐに無職になるわけじゃないし、私は独り身なので、それほど給料の高い低いは影響しません。モチベーションだけですね」
ふうっと吐息を漏らした大井さんが、力なく頷く。
「いいことばかりじゃ……ないですね」
「ええ。でも、今年もこうやって歌をお届け出来そうですし、それなら満足です。出来ないことを望むより、出来ることを組み立てる。お客さんに歌をお届けするようになって、私が得た教訓ですね」
「なるほど……」
「始めようよー!」
もうすぐ高校生と言っても、まだまだ子供の部分は残っている。純くんに急かされるようにして席に着いた私は、いつもより賑やかにジングルベルを奏で、三人でわいわいと歌った。
じゃん!
最後に力一杯弦を弾いた私は、すぐに席を立った。
「さて。じゃあ、また来年ね。よいクリスマスを!」
「あっ!」
さっと立ち上がった純くんが、大慌てで俺の腕を掴んで引き止めた。
「あ、あの」
「うん? なんだい?」
「おじさんに、一つお願いがあるんだけど」
「なんだろ? 来年から曲を変えてくれ、とか?」
「ううん」
神妙な表情で俺と大井さんを見比べていた純くんが、いきなりとんでもないことを口走った。
「ねえ、おじさん。俺、親父が欲しい。親父になってくれ!」
はああっ!?
BGM:Jingle Bells (Yello)
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