第27話:はじめまして
信愛たちが病院につき、祖父の入院している病棟へ移動する。
廊下を看護師が行きかう中、彼女は静流に問う。
「お祖父ちゃん。シアのこと、なんか言われるかな?」
「大丈夫よ。お姉ちゃんはそういう不安もありそうだけど、今さらお父さんが何か言うことなんてないもの。貴方も孫のひとり。安心して、顔を見せてあげて」
「正直、親戚に会うのは初めての経験なのでドキドキしてるの」
「信愛さんにはいずれ、私の子供たちにもあってほしいわ」
「うん。会ってみたいな」
那智が水瀬家と決別してから十数年の月日が流れている。
――シアのお祖父ちゃん、お祖母ちゃん。どんな人なんだろう?
初対面の祖父母に会うのは彼女なりに緊張していた。
「少し待っていてね。中で話をしてくるから」
病室の前で信愛を待たせて静流は中へと入る。
ドアの中から話し声だけが聞こえてきた。
「お父さん、具合はどう?」
「……もう大事はない。来週には退院のめども付いた」
「そう。よかった。これで一安心だね」
「これからは術後経過をみて通院することになる。静流にも迷惑をかけたな」
苦笑気味に「もういい年なんだから気を付けないと」と言われた。
「人を年寄り扱いするな。まだそんな年ではない」
「お医者さんも続けるの?」
「当然だ、まだ引退はしない。死ぬまで現役でい続けたいものだ」
「頑張るね。体調にだけは気を付けて」
タイミングを見計らい静流は話題を変える。
「……ねぇ、ふたりに会わせたい人がいるの」
「会わせたい相手だと?」
「うん。私たちが会わなきゃいけない相手。信愛さん、入ってくれる?」
合図されて彼女は控えめにノックをして「失礼します」と病室に顔をのぞかせた。
ベッドに座る白髪交じりの男性の姿。
――この人がシアのお祖父ちゃんなんだ。
隣にいた祖母は信愛の顔を見るなり、「なっちゃん?」と名前を呼ぶ。
「お父さん、お母さん。この子はお姉ちゃんの子供なの」
「なっちゃんの? あの子にそっくりだわ。でも、なっちゃんは……」
「ずっと行方が分からなかったけど、ようやく居場所を知れて、さっき会ってきたんだ。お姉ちゃんは事情的にふたりに会えないって断られたんだけど、この子だけは会わせたくて連れてきたの。昔のお姉ちゃんによく似てるわよね」
「は、はじめまして、水瀬信愛です」
信愛の存在を受け止めてもらえるか。
「えっと、その……」
信愛が緊張気味に挨拶をすると、祖母はすぐさま近づいて、
「まぁまぁ、なんて可愛らしい」
「にゃっ」
彼女にぎゅっと抱きしめられる。
「昔のなっちゃんによく似てるわぁ。来てくれたのね、ありがとう。……なっちゃんの子供がこんなにも大きくなってたなんて」
「あ、あの……?」
「信愛ちゃん。貴方の事は私の母から聞いていたのよ」
祖母が語るのは信愛の知らない事実。
那智が妊娠して実家を出た後に、頼りにしたのは母方の祖父母であった。
彼らは孫娘の事情を知り、彼女を快く受け入れてくれた。
田舎で暮らしていた彼らのもとで暮らし、やがて無事に信愛が生まれた。
信愛自身には記憶はないものの、二歳になるまでは曽祖父の家で面倒を見てもらい、すくすくと育っていたのであった。
その後、仕事が決まり、那智は再び、こちらへ戻ってきた。
「そーなんだ。全然、知らなかった」
「信愛さんが物心がつく前の話だものね。そっか、お母さんは聞いてたんだ?」
静流も初めて聞く話らしい。
「えぇ。亡くなる前に話をしてくれたのよ。私たちに内緒で、なっちゃんを受け入れてくれてたみたい」
「そうだったんだ」
「私たちも事情を知ったのは十年ほど前になるわ」
既に亡くなった曾祖父たちに信愛は心の中で感謝する。
――シアは知らないところで守られてきたんだなぁ。
決して、那智一人の家族ではなかった。
「できれば、お姉ちゃんも連れてきたかったんだけどね」
「あの子にしたことを思えば、私たちに会いたくないのも当然でしょう」
「……ねぇ、お祖母ちゃん?」
「何かしら、信愛ちゃん?」
「シアはふたりに会いたくてきたの。名前も顔も知らない孫がいきなり訪ねてきて、変な気持ちになるかもしれないけど、シアは会いたかったの」
それはシアの偽りのない気持ちだった。
親戚に会いたい。
どんな風に思われても、彼女は自分の知らない親戚の存在に触れたかった。
「――信愛」
それまで黙っていた祖父が口を開く。
静かなその声は彼女の名前を呼び、近くに来るように促した。
「は、はひ?」
「近くに来てくれるか。その顔を見せてくれ」
信愛が近づくと、彼は穏やかな表情を見せる。
「よく来てくれたな、信愛。あぁ、嬉しいよ」
笑みを浮かべながら喜んでその手を取ると彼は呟くのだ。
「孫娘がいるのは知っていた。でも、会えるとは思っていなかった」
「お祖父ちゃん」
「まさか生きているうちに会えるとは思わなかったぞ」
「えへへ」
ようやく彼女も緊張から解き放たれる。
なんだかんだと言いながらも拒絶されるのが怖かったのだ。
「今、何歳になった?」
「16歳だよ。高校一年生なの」
「もう、そんなになるのか。……那智は元気にしているか?」
「ママは元気だよ。あのね、お祖父ちゃん。ママはずっとシアのこと、頑張って育ててくれたの。とっても素敵で良いママだよ」
「そうか。そうか……」
自らが突き放した娘に対しての想い。
祖父は複雑な心境があるのか、言葉に詰まりながら、
「あの子に『すまなかった』とだけ伝えておいてくれ。僕らはあの子に対して何もしてやれなかった。それだけを後悔していた」
「うん。そう言っておく」
「信愛が来てくれただけでも幸いだ。可愛い孫娘が見舞いにきてくれるとはな」
「ほら、信愛ちゃん。座って。私たちとお話をさせて」
「うんっ」
祖父母に囲まれて信愛は祖父母との対面を楽しむのだった。
ほんのひと時でも、大事な人と触れ合えること。
それは信愛にとってのいい経験となった。
「ただいま、ママぁ」
家に帰ると、一枚の写真を眺める那智が出迎える。
「おかえりなさい。信愛、何かひどい目にあわされたりしなかった?」
「開口一番の言葉がそれってどうなの?」
「ひどい目にあわされたらどうしてくれようか、と心配だったのよ」
「何もされてません。お話もしたけど、良いお祖父ちゃんたちだったよ」
信愛にとっては満足の行く時間だった。
また今度、会う約束も交わして。
今回だけではなく、関係を継続できるように願っている。
「信愛がいいならそれでいいけど。私はあの人が嫌いよ」
「ママ……」
「ここまでこじれなきゃ、もっと早くに信愛にも会わせてあげられたのかもね」
「お祖父ちゃんからの伝言です。すまなかった、とだけ伝えておいてって」
「今さらね。向こうは時が解決して怒りも収まり反省もしているんでしょうけど、私は違うわ。彼らを許せないでいる。これも私の意地のようなものだわ」
そこまで根深い問題なのだと、信愛もこれ以上は言葉をかけるのを諦めた。
――ママとお祖父ちゃんたちの関係が直るのは無理なのかな。
自分の出生が関わる問題だけに、どちらの味方もできない。
「ところで、何の写真を見ていたの?」
「んー? これは信愛が赤ちゃんの頃の写真よ。見る?」
那智から渡された写真には可愛らしい無垢な寝顔を見せる幼い頃の信愛の姿が写る。
「ふふっ、信愛は昔から可愛かった」
「何でこの写真を見てたわけ?」
「……私がシアのママになった記念の写真なのよ。母親になった、と実感した大事な瞬間。この時まで、正直に言えば不安も多かったわ」
未婚の母として娘を育てると決めた。
妊娠して、生まれてきた子供の顔を見て、母親としての自覚を持った。
「それまで誰も信じられなくなっていた私だけど、この子だけには信じてもらえるようになりたいって思えたの。前にもそう話したでしょう」
「シアの名前の由来だよね。愛を信じられるようにって」
「私は信愛の母としてちゃんとしていられたかなぁ」
この16年の歳月は信愛と共に歩んできたものだった。
那智にとって、彼女は希望そのもの。
そんな母に信愛は感謝している。
「シアはママが大好きだよ」
「ありがと。この頃はそんな将来のことに不安を抱いてた時期だった。いいことも悪いことも含めて、信愛の成長が私の人生だったんだ」
彼女はそっと額を信愛にくっつけて、
「私の愛する娘がこんなにも成長してくれたのが何よりも嬉しい」
「んぅっ、くすぐったい」
「いいじゃない。もう少しこうさせてよ」
仲のいい親子として、彼女たちの関係はこれからも変わらない。
人生にはいろんな生き方が人の数だけある。
選択肢の連続で、選んだことを後悔することもあるだろう。
こうでありたい、と望んだ通りに生きられるとは限らない。
だけど。
過去の那智が、将来に不安を抱きながらも突き進んだ道は正しかった。
その証明として、今の幸せがあるのだから――。
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