第4話:恋に不安になる年ごろですから
昼休みのことである。
信愛はのんびりとした時間を総司と過ごしていた。
「信愛ちゃん。ご相談があるのだけど」
「あー、梨奈ちゃんだ。どうしたの?」
それは友人からの一言がきっかけだった。
友人である梨奈(りな)から相談を持ち掛けられた。
「学校内でも屈指のラブカップルのおふたりに尋ねたいの」
「何でも聞いてよ、梨奈ちゃん。夜の生活でも、何でもお答えします」
「そこは言うな。お前、もう少し恥じらいを持て」
総司が飽きれて夜の生活を暴露しそうになる信愛の口をふさぐ。
「冗談だけど。で、どうしたの?なんか深刻な問題でもあった?」
「あのね、倦怠期ってどう乗り越えた?」
ため息がちに梨奈は信愛に対して相談する。
「け、倦怠期ですと?」
「そうなの。付き合って3ヵ月めの彼氏がいるんだけど。どうにも、お互いに初めの頃のようにうまくいかなくてさぁ」
それは付き合う恋人同士の多くが経験する問題である。
“倦怠期”。
交際3年目の総司と信愛にも当然、その問題があったのである。
「あー、倦怠期か。シアたちにもあったよねぇ」
「……ありましたね。って、痛いから頬をつねるな」
「思い返すと、つい……」
言葉にならない不満をぶつけながら、信愛は梨奈に言うのだ。
「シアたちも倦怠期がありました。具体的に言うと数ヵ月前にね」
「そうなの? ラブラブなふたりに事件が?」
「そうです。総ちゃんに散々、意地悪されて、シアだって怒ったんだから」
「そのせいで俺もひどい目にあったぞ。思い返すのも悲しい事件が!」
「つーん。全部、自業自得だと思うの」
苦い顔をする恋人の抗議を無視する。
総司にとってはプライドも何もかもを傷つけられた事件であった。
「梨奈ちゃんが苦しんでる気持ち、よく分かるよ。すれ違いっていうか、うまくいかないのも仕方ないの。それが倦怠期だから」
「うん。私って、今の彼氏との相性が悪いのかって悩んじゃってさぁ」
「シアも同じ気持ちでした。でもね、倦怠期を乗り越えたら、再び元の関係に戻れるんだよ。ラブラブに戻るためには必要な事でもあります」
「必要悪みたいな言い方するな。俺の夏休み前の屈辱を忘れるな」
「……などと、被害者が出たのも確かだけど」
犠牲となった総司にとっては非常に悲しい現実であった。
不安そうな顔をする梨奈に信愛は励ますように、
「不安になるのは当然だし、怖いよね。それが倦怠期ってやつだもの。そうだ、参考になるか分からないけどさぁ。シアたちの倦怠期の話をしてあげよっか」
「うん。どんなことがあったの?」
「それはね……」
それは数ヶ月前、夏休みに入る前の時期に起きた事件である――。
本格的な夏の到来を前にして、蒸し暑さを感じる教室。
夏の予定を話し合ったりしている声があちらこちらで聞こえる。
自分の席に座りながら、信愛は最近感じていたことを洩らす。
「最近、シアは思うの。総ちゃんの愛が足りてないんじゃないかって」
「は?」
「例えば総ちゃんがキスしてくる時、あいさつ程度にするのと変わりなくない?」
「そんなことはないぞ」
「なんか、おざなりな感じがしない? 昔を思い出して。中学時代にキスをしたとき、はじめてのキスに眠れなかったあの夜の記憶を思い出してくださいっ」
信愛にとって総司の愛情表現が昔に比べて慣れすぎて、おざなり感がある。
付き合い始めて三年という月日は大いなる慣れも生んだ。
キスひとつにしても、簡単に済ませてしまうのが信愛には不評なのだ。
「……初めてのキスねぇ?」
そんな昔のことを思い出させられても、と困惑する総司であった。
「総ちゃんの部屋でしたファーストキスをシアの唇はまだ覚えてるよ」
「お前とあれから何度キスしてるんだよ。ホントに覚えてるのか」
「最初のキスは失敗したからねぇ……痛かったです」
まだキスという行為に慣れておらず、どちらも勢い良すぎて唇がぶつかってしまい、痛い思いをしたのも今となっては良い記憶である。
「あの時のドキドキ感が最近、足りてないの。愛情が不足してるのでは?」
「ドキドキ感ねぇ?」
「キス一つで興奮して悶々としたあの日々を思い出してぇ」
信愛の我が侭な要求に総司が出した答えは、
「そこまで言うならキスをしばらくやめてもいい」
「えー。やだぁ」
「意思弱いな! ドキドキ感が欲しいんじゃないのか」
「そこは総ちゃんの愛情表現の問題であって、行為の問題ではないと思うの」
呆れる総司は「しばらくやめたらドキドキもするようになるのでは?」と提案する。
人は慣れるものだ。
新鮮さを失いつつある行為に対して、再び、ときめきを取り戻すのは難しい。
「シアはいつだって愛情をこめてるからドキドキしてますぅ」
「……そうですね」
「それに最近、淡泊だし! 昨日だって、総ちゃんがひとりで満足したらシアを放って寝ちゃったでしょ! ひどいよ、やることだけやってシアを放置するなんて」
「お、お前、ここが教室だってわかって叫んでる? 俺の立場をなくす気かぁ!」
恋人同士の夜のトラブルを教室で暴露されて、すでに総司も立場がない。
いくら二人の仲が周知の事実だとしても、濃密な関係を知られるのは別だ。
「片桐くん、独りよがりのプレイってのはよろしくないんじゃないか?」
「ちゃんと女の子も満足させてあげての“愛情”ってものだと思うわよ?」
「ていうか、早いの? 片桐君、あっさり派なの?」
「まぁ、顔的にねちっこいタイプではなさそうな。淡泊すぎても問題ねぇ」
クラスメイトからの羞恥プレイに耐えられず、総司は「うるさいっ」と拗ねた。
「……男としての尊厳を失いそうになるからもう黙ってください」
何もしてないのにこの扱いはひどすぎる。
「片桐。てめぇ、アレだけ可愛い信愛ちゃんに好き放題できて羨ましいのに」
「文句を言える立場だというのが腹立たしい」
「いろいろと言葉にできないプレイをやっちゃってるのかよ」
「……お前らも、収まりつかなくなるから、湧いて出てくるんじゃねぇ」
信愛の男子ファンからの苦情を受けて、さらに立場を失いつつある。
「別に何でもないって。ただの錯覚というか誤解みたいなものだ」
「そうかなぁ。シア、ホントに総ちゃんがつれなくなった気がするの」
「あれじゃないの? 片桐君たちって“倦怠期”ってやつじゃない?」
「シアと総ちゃんが付き合い始めて3年目。ま、まさか、シアに飽きたの!?」
危機感に顔を青ざめさせる信愛。
思わぬ結論に総司は嘆きたくなる気持ちをぐっと抑え込みながら、
「言ってないし。飽きてなんておりません」
「なら、ポイ捨て寸前? ぐすっ。他の誰かに乗り換える予定が?」
「それもないってば」
「倦怠期とマンネリ化。破局って人の心が離れていくところから始まるものよね」
ボソッと女子生徒の一人が信愛に悪魔の囁きをする。
「が、ガーン!? 総ちゃん、やだよぉ。シアを捨てないでぇー」
「そうだ、そうだ。信愛ちゃんがいて何が不満だ!」
「そういえば、この前、見知らぬ女性と片桐君が一緒に談笑してたような……」
「お、お前ら、面白がって信愛の不安を煽るんじゃねぇよ!?」
嘆き悲しむ総司を嘲笑うかのように周囲は適当に煽ってくる。
不安になる信愛は総司に抱きついてくる。
「シアのこと、嫌いになったの?」
「好きだけど」
「でも、他に気になる子ができたりするんでしょ! 新鮮さがなくなって、シアのことがどーでもよく感じたりするんでしょ? うわぁーん」
ついには泣きそうになる始末。
冷や汗をかく総司はこんなはずではなかった、と悔やみながら、
「こいつらが勝手に言ってるだけだろ。俺は別に信愛に飽きてないし」
「ホントにぃ? 嘘ついてない?」
「甘いわよ、信愛ちゃん。男っていうのは浮気していても絶対に口を割るはずがないじゃない。男の態度がつれなくなったら、他の女の影を感じるものです」
「そ、総ちゃん!?」
「……頼むから話を進めさせてくれよ。俺たちのことはもう放っておいてくれ」
外野の声を無視して、信愛の手を引いて教室の外に出ることにした。
とりあえず、中庭に出ると、総司はため息をつきながら、
「あのなぁ、信愛。何が不満なんだよ」
「チューしても、全然照れてくれない」
「慣れたからな。別にそれは普通のことだろ。いちいち照れていられますか」
「だ、だったら、シアのことをぎゅってしても、反応がいまいちだし」
「それも慣れだってば。人は慣れるの、どんな事でも慣れて普通になっていくんだ。3年も付き合って今さらキス程度で顔を赤らめるほどのピュアの関係でもあるまいて」
長く付き合えば付き合うほどに。
人の関係は当然のように慣れていくものだ。
想いにも、行為にも、自然と適応して当然のようになってしまう。
それはマンネリ化や倦怠期と呼ばれるものとの紙一重の差でもある。
「……シアが嫌いになったわけじゃない?」
「不安に思われることも、俺には理解できない。嫌いな奴とデートなんてするか」
「今のシアとの関係、嫌気がさしてるとか?」
「それもない。恋人としては変わらず好きだし。お前だって、キスくらいで照れたりしないだろ?つまりはそういうことだ」
話を強引にまとめて、この話を終わらせようとする。
「最後に聞いていい? 総ちゃん、他に好きな子とかいないよね?」
「……いないよ。信愛以外に親しい女の子も俺にはいないしな」
「分かった。それじゃ、信じることにする」
愛とは相手を信じること。
だが、どんなに信じても、時にそれが壊れてしまうこともあるのだ。
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