第32話:好きだったから言えなかった


 和奏の策により、ついに彩萌と那智の関係の破綻する。

 ショックのあまり逃げ出す彼女を追いかけた先は中庭だった。


「……彩萌」


 静かに声をかけると彼女は八雲に振り向く。

 その瞳は冷たい涙で濡れている。


「やっくん。追いかけてきてくれたんだ?」

「まぁな。アイツがどういう人間かようやく理解しただろう?」

「理解なんてできてない。ただ、なっちゃんが私を愛してくれていなかったことがすごくショックだったの。遊ばれてたなんて思わなかった」

「那智はお前のことを好きじゃなかったんだ。遊び相手としてかみてなかった」



 異性であろうと同性であろうと、恋愛である以上は想いが大事だ。

 二人は両想いなどではなかった。

 同性の壁を越えての恋愛関係でもなかった。

 その現実こそが彩萌を深く傷つけたのである。


「あのね。アヤはなっちゃんが好きだったの」

「本気で?」

「本気で好きだったよ。でも、なっちゃんは違ったんだね」


 那智の告白を受けて彼女はひどく動揺している。

 信じられない、信じたくない。


「これが現実なの? アヤは騙されただけなの?」

「都合の悪い現実だろうが、これが現実さ」

「……ひっく、アヤは信じてたんだよ。それなのにどうして……ぅっ……」


 自分の信じてきたものを否定されることほど悲しいことはない。

 ベンチに座りながらポロポロと涙を零す。

 思わず肩でも抱きそうになるが、その触れそうになる手を八雲は止めた。


――今の俺じゃ抱きしめて慰めてやることはできない。


 できるのは、ひとしきり泣いて落ち着くのを待ってやることだけだ。

 それが今のふたりの関係なのだから。






 しばらくして、彩萌は泣き終えると落ち着き始めた。

 涙をハンカチでぬぐいながら、消えりそうな小さな声で、


「……昨日はごめんなさい」

「え?」

「やっくんが色々と心配してくれてたのに。アヤ、ひどいことを言ったから」

「今さら気にしてないよ」

「ごめんね。そういってくれると思ってた。やっくんに甘えてるなぁ」


 昨日時点では彩萌自身、こうなるとは想像すらしていなかったはずだ。

 那智もボロを出したのは和奏の挑発に乗ったからであり、八雲ひとりだけならば、この結末を迎えさせることはできなかったはずである。


――和奏じゃなければ、あそこまでのことはできなかった。


 八雲は女性に甘いところがある。

 あれだけ好き放題に言われた那智を相手でも非道な真似はできなかった。

 那智を罠に陥れて、彩萌との関係を解消させたのだからすごいものだ。


「和奏ちゃんの言うとおりだ。アヤは自分のことしか考えてなかった」


 八雲との関係を解消したのは那智にそそのかされたから。

 自分は悪くないのだと、そう言う言い訳しかできなかった。


「……アヤが悪いんだよね。やっくんを裏切って、なっちゃんに乗り換えて。アヤが自分勝手なことをしたんだと思うの。反省してます、ごめんなさい」

「どうした、彩萌? いつものお前らしくないな」

「うぅ、反省してるから許してよ」

「イジメられて喜ぶ性癖らしいからな。ちょっと意地悪してみた」

「こういう時にイジメられると本気で嫌だからやめて?」


 いくらドMでもフラれた直後に意地悪されるのはごめんである。

 苦笑いをする彩萌は「ホントにごめん」と何度目かの謝罪をした。


「なっちゃんが本気じゃなかったなんて思いもしなかったな。アヤの身体をめちゃめちゃにしてくれてたり、逆にチューした時とか見せる恥ずかしそうな顔も全部が演技だったのかな……アヤ、何を信じていいのか分からない」

「俺はお前たちが何をしていたのか分かりたくない」

「とてもいやらしい関係でした。えへへ」

「笑って誤魔化されてよかったよ。事細かに説明されると本気でキレそうだ」


 八雲の知らない、知りたくない世界である。

 そんな生々しい話をされても聞きたくない。


「女子高生の恋愛事情、もとい情事の話はどうでもいいさ」

「あーあ。アヤはバカだから、なっちゃんがどういう考えをしていたのかなんて思いもしなかった。ただ弄ばれてただけなんてなぁ」

「あんな性悪の女にほいほいと付いて行ったお前が悪い」


 八雲も那智の本性など知らなかったのだから言える立場ではない。


「返す言葉もないや。でもね、アヤはなっちゃんを好きになった思いは否定したくないの。女の子相手でも、好きになった気持ちは本物だったから」

「あれを人生で恋愛の数にカウントするつもりかよ」

「やっくんも一ヵ月ちょっとで別れちゃった彼女もカウントしてるじゃない」

「……そうっすね。二回しかデートもしてない相手も交際人数にカウントしてますね。そういうものだと思うんですよ、恋愛って」


 自分の痛いところをつかれると、逃げたくなる八雲だった。

 恋愛なんて、自分の思い通りにいかないことがほとんどだ。


「アヤはさぁ、ずっと自分の中に満たされない空白みたいなものがあったの。それはやっくんじゃ埋めてくれないものだった。だけど、なっちゃんは違った」

「心の隙間に入り込んできた?」

「そうだね。あっさりとなっちゃんの存在がアヤの中で収まった感じ。適度に意地悪で、アヤの望む通りにしてくれる。その甘さがクセになるっていうか。甘えちゃったんだよ。気づいたらドハマりしてた」


 アヤは誰かに愛されていなければ不安になるタイプだ。

 家族や友人、誰であってもとことん甘やかされて育ってきた。

 愛されることは彼女にとって至極当たり前のことなのだから。


「ずっと誰かに愛されてなきゃ嫌なんだろ?」

「うん。アヤのそーいう所がなっちゃんのいう”ちょろい”所なのかもしれないね」


 那智という悪女に魅入られた。

 それは彩萌の性格ゆえにだったのかもしれない。


「やっくんと別れて一ヵ月と少し。アヤとなっちゃんが付き合ってた時間ってホントにわずかだったけども、騙されたと知った今でもアヤは不幸じゃなかったの」

「……アイツ自身も言ってたな。彩萌を不幸にしてた覚えはないって」

「なっちゃんにとっては最初は嫌がらせみたいなものだったのかもしれない。でも、アヤには忘れちゃいたいほど辛い思い出はなかった」

「お幸せなことで。騙されて弄ばれても、思い出に残るならまだマシだろ」


 二度と恋愛したくないほどのトラウマを与えるような出来事ではなかった。

 それだけでも救いなのかもしれない。


「これからも同性愛に目覚めて、違う女の子を狙うようなら困るがな」

「うぅっ。つ、次は普通の男の子を好きになりたいと思います。はい」


 今はまだ次を考えるのには心の整理も必要になるだろう。


「あのな、彩萌。俺もお前には謝っておかなくちゃいけないことがある」

「……なぁに?」

「お前が那智に惹かれて、別れを切り出したとき、カッコ悪さを気にして強く引き止めなかった。ホントは手放したくなかったくせに、終わってしまう恋愛に未練があったのに。泥沼の恋愛にしたくなくてあっさりと終わらせたからさ」


 それが八雲にとっての未練とも言える行為だ。


「強く引き止めなかったのはお前に対して未練がなかったわけでもなく、好きじゃなかったわけでもない。それだけを言っておきたくてな」

「やっくん……」


 きょとんとした顔をする彩萌はやがて小さく吹き出す。


「アヤのことを大事にしてくれたのは分かってたよ? アヤはそう言うやっくんの不器用な優しさも大好きだったから。うん、それが聞けて嬉しかったかも」

「付き合っていたころには言えなかったこともある。許せ」

「本音で語るのって難しいよね。好きだった頃は、こう言ったら相手がどう思うだろうなって考えちゃったりして。アヤもやっくんに嫌われたくなくて、もっと激しくエッチにしてほしかったりとか言えなかったもん」

「……この淫乱ドMっ娘め」

「い、言い方に気を付けて!? 淫乱じゃなーい。そこは違います」


 付き合っていた頃には、お互いに言えなかったこともある。

 別れた今だからこそ、言える本音もあるのだ。

 そういう複雑な気持ちは、恋愛ならば普通によくある。

 彩萌は少し顔を俯かせながら、


「アヤはちょっと後悔してます」

「女同士の不埒な蜜月関係に?」

「そこじゃないってば。……やっくんみたいな男の子と別れたことに」


 それは和奏に言われたあの一言。


「和奏ちゃんが言ってたでしょ。後悔しても遅いんだって」


 数日前、初めて彩萌と和奏が会った日のこと。

 去り際に残した彼女の言葉が印象に残っていた。


『彩萌先輩が女の方に乗り換えたのは恋愛の自由なので否定はしません。ですが、逃した相手はとても大きいものだったと後悔する日が来ると断言しておきます』


 付き合った相手と別れて後悔することも少なくない。


「……あの子は強いねぇ?」

「そうか?」

「やっくんを好きって気持ちに溢れてるんだもん。アヤみたいにフラフラなんてしないんだろうなぁ。すごく真っすぐで素敵な子だよ」

「一途すぎて時々怖いんだけどな。だが、いい女だということは認めている」

「ふふっ。やっくんは素直じゃないなぁ?」


 軽く笑いあいながら彩萌は「ありがとう」とお礼を言う。


「やっくんと話をしていて、少しは落ち着けた。なっちゃんとの関係が終わっちゃったのは残念だけど、アヤもいろいろと考えてみる」

「はぁ。未だにそこで残念って言葉が出るのがな」

「……ホントに好きだったんだからしょうがないでしょ?」

「好きなものは好きだから、か。そうかもしれないな」


 他人にどう思われても、自分の気持ちは自分だけのものだ。

 たとえ失敗したとしても、その恋で得たものは多いはずだ。

 過ごした思い出、恋愛の痛み、その失恋の経験すらも――。


「もうちょっとだけ元気になったら、アヤはなっちゃんとお話をしてみようと思うの。復縁とかじゃないよ? うん、それは無理だって分かってるけど。でも、話をしないとダメなことってあると思うの。こうして、やっくんと話してよかったと思えたように」

「お前の好きにしたらいいさ」

「うん。やっくんも、和奏ちゃんのことを大事にしてあげてね?」

「そうだな。嫌われないように努力はするさ」


 実際はまだ付き合ってすらもいない関係だが。

 それでも、八雲は自信を持っていえる言葉がある。


「――好きな女を手放す真似はもう二度としないつもりだ」


 彩萌との関係を過去に変えて、新しい恋をする。


――今の俺に必要な女になってるんだよ、あのスト子が……。


 八雲にとっての和奏はすでに恋愛対象になっていた。


「お前も、今回の反省を踏まえて前に進め」

「はい。やっくんに負けないようにアヤも恋愛を頑張ります。ふふっ」


 ふたりは最後に軽く手を握り合うのだった。

 過去の想いにケリをつける、それが八雲の目的だった。

 初夏の夕焼け空の下で。

 元恋人たちは本当の意味で“決別”したのだった――。

 

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