第21話:弱虫の恋、優しさの罪
八雲を見下す那智はテーブルに座ったまま足を組みなおす。
「質問です。どうして、人は浮気をするのでしょうか?」
「……したことねぇから分かんねぇよ」
「人間ってさぁ、手に入れたらそれで満足しちゃう生き物なんだよねぇ。欲しいものでも、手に入れる前には必死に苦労するくせに。欲しくて、しょうがないって思っていても、手に入れてしまうとどうでもよくなる」
似たような経験は八雲にもある。
欲しいと思って買ったゲームや漫画。
必要だと思い買ったはずなのに、つい積みがちになってしまう。
「自分のモノにしたという満足感。それだけでどうでもよくなってしまう。それは人間関係も同じ。付き合ううちに、満足しちゃうから相手に対する興味も薄れる」
「それがお前の言う心の隙間か」
「そうよ。人の心には絶対に満たされない隙間があるの。どんなに幸せでも、どんなに満たされていると思っていても、わずかな隙間が必ずある」
彩萌と付き合っていた頃の八雲はその隙間に気付いていなかった。
幸せな日常を送っていたと思っていたし、すれ違いも感じていなかった。
だが、隙間は二人の間にあったのだ。
「私は過去にどうしようもないバカ男に浮気されたわ。それは私自身も責任があると思うの。油断というか、浮気する隙を与えてしまったのは自分でしょう?」
「……浮気はされる方が悪いって考えに賛同はしない」
「そう? 人は常に刺激を求めていないといけない。同じ相手では満足もできなくなる。それが人の性ならば、こうなってしまったのも必然だとは思わない?」
「俺と彩萌の関係が壊れたのも、しょうがなかったと?」
関係を壊した張本人がよく言うと睨みつける。
言い争う二人。
那智はくすっと意地悪く笑いながら、
「そもそも、アンタは本気で彩萌が好きだったのかしらぁ?」
「どういう意味だ?」
「神原は自分が彼女を愛してるって思ってたみたいだけど、その愛には疑問を抱かざるを得ない。どうしても、本気さを感じないのよねぇ」
「なんでそう言い切れる」
八雲を嘲笑う那智がゆっくりと人差し指を突き付けて、
「――だって、アンタは彩萌の事を引き留めなかったでしょ?」
別れ話になった時、八雲は必死になってまで彼女を引き留めなかった。
驚き、動揺したにもかかわらず、相手が女と言う予測不能な事態で混乱した。
それだけではなかったのかもしれない。
彩萌が相手を本気で好きならば、止められないと思った。
――俺は、彩萌の事を……諦めた?
ダメだと思った瞬間に、彼女を掴む手を離した。
――女なんて他にでもいると、彩萌との交際を終わらせたのは誰だ?
強引にでも引き留めることをしなかった時点で彼には反論する言葉がないのだ。
「彩萌の事を愛してるのなら引き留めたはずよね」
「だけど、俺は……」
「アンタにはそれができなかった。優しいから? ヘタレだから? 違うね。アンタはそこまで本気じゃなかったの。奪われても、心に痛みを抱いても、悲しみの涙を浮かべることもなく、己の無力さに嘆くこともなく。彩萌への心を自分から切り離した」
那智のいう事は正しい。
八雲だって、本音を言えばそうするつもりだった。
同性の相手ならば、必死になって取り返したはずだった。
「彩萌を一番弄んでたのは私かしらぁ? それともアンタぁ?」
「……くっ」
「言い返せない時点で答えは出てるんじゃない? 人に対して弄ぶなと言うくせに、自分はどうだったのかなぁ? 彩萌を想って身を引いた? あははっ、そんなわけないよね。そんな言葉は自分に都合のいい言い訳だわぁ」
言いたい放題に言われまくる八雲は唇をかみしめて悔しい思いをする。
――ちくしょう。何一つ、反論できやしねぇよ。
彩萌との交際において、自分に落ち度があったことを否定できず。
あの時そうしなかったことへの後悔の念だけが渦巻く。
「私はあの子をオモチャとして遊んでる。アンタはそれをやめろと言うけども、それを止める権利はないわけよぉ。分かるでしょ?」
「これ以上、彩萌を傷つける真似はするな」
「私はあの子を傷つけてると思う? 私との関係を聞いて、ひとつでも悪口を言ってたかしらぁ? あのおバカさんは自分が弄ばれてるのにも気づいてない。頭が幸せなの。自分を『アヤはぁ』っていう頭緩い系の子だからしょうがないけど」
「那智ぃ!!」
それはかつての恋人をバカにされた怒りか。
「あらぁ、怒った? ふふっ。さぁ、どうする? 私を殴る? 無理やりどうにかしてしまう? 彩萌を守るために、私に手を出すのもありかもねぇ?」
挑発的な物言いで役物怒りを煽ろうとする。
「彩萌は……お前を愛してるんだぞ。本気で好きになってるんだ」
「だからぁ? 私は愛してないって言った。本気で女を好きになるわけないじゃない。女同士で愛情を深め合うなんて気持ち悪い。あの子は私にとってペットかおもちゃ程度の存在なの」
これほど八雲が怒りを抱いているのはなぜなのか。
過去の自分の行いからくる後悔と未練か。
幸せそうな顔をする彩萌が思い浮かび、平然と裏切っているのを許せなかった。
――こいつだけは許せそうにない。
つい勢いで彼女に掴みかかりそうになると、隣にいた和奏が手を止める。
それまではずっと二人のやり取りを黙ってみていただけだった。
「……やめてください、先輩。暴力はいけませんね」
「離せ、和奏」
「ダメですよ。ここで手を出すような真似をしてはいけません」
「だからと言って……あ、あぁ!?」
彼女は冗談ではなく、八雲を軽くひねり倒すと激痛が腕に走る。
「い、痛い!? マジで痛いっす。ぎ、ギブ、ギブです!?」
浩太の二の舞になる八雲の悲痛な叫び。
――す、スト子のくせに、何しやがる!?
文字通り力づくで、冷静に対処する和奏は静かな声で尋ねる。
「少しは頭が冷えましたか?」
「……は、はひ」
普段は暴走気味な和奏が実力行使で逆に八雲を黙らせる。
ようやく手を離すと、少しながらも彼は冷静さを取り戻せていた。
「まったく、元カノ相手が弄ばれた程度で本気で怒らないでください」
「すまん。ついカッとなった」
「先輩が熱くなる気持ちもわかりますけどねぇ。この人、性格が最悪ですし」
「……大倉和奏だっけぇ? アンタはあの大倉の妹よねぇ」
「そうですよ。そして、現在の先輩の恋人でもあります」
――いつから恋人になったんだよ。
堂々と言い切る和奏は那智に真正面から向き合う。
「恋人ねぇ。神原はこうやって、怒るくせにもうすでに別の子に手を出してるじゃない。次の恋に進んでるじゃない。そんな相手が私を責められるとでも?」
「……それは違いますよ、那智先輩」
「は? アンタには聞いてないんだけどぉ?」
「彼はただ優しい人なんです。優しすぎて、時に相手の心を思うがゆえに行動ができなくなる弱い心を持っている。優しさがすべて正しいわけではないんです」
八雲をずっと見てきた和奏は彼の本質を知り尽くしている――。
どういう男なのか、誰よりもよく知っているのだ。
「八雲先輩は確かに自分の気持ちに素直になれないダメな人かもしれません」
彼が今苦しんでいる理由にも気づいている。
「大切な想いがあるのに、それを言葉にできない弱虫なのかもしれません」
弱虫の恋、優しさの罪。
それは彩萌を大切に思っていたからこそ、別れても離れても捨てきれない想い。
「失ってから初めて大事なものに気付く、愚かで可哀想な人かもしれません」
その心の弱さが痛いほどに彼女にはわかるのだ。
八雲という男を心の底から愛しているからこそ分かる。
「おい、さり気に俺をディスってるんじゃない」
「失礼。つい言いたいことを言いすぎました」
味方のはずなのに、言葉を選んでいないので地味にダメージを受ける。
「ですが、その優しさは八雲先輩らしさでもあります。それに彼は私にとってのただひとり、愛すべき人です。これ以上、先輩の悪口を言われると私が黙っていませんよ?」
那智相手に怯むこともなく、彼女は言い放った。
彼女もまた好きな相手を傷つけられて平気でいられるはずもなかったのだ――。
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