第13話:人を好きになる理由なんて単純な事が多い
駅前のファミレスはこの時間帯は若者のたまり場だった。
高校生や大学生がテーブル席で談笑する中で、
「よぅ、待たせたな」
「別にいいさ。こっちも食事を終えたところだ」
「浩太に聞きたいことがあってな。話代としてドリンクバー代くらいはだすぞ」
二人分のドリンクバーを追加注文して、八雲は浩太と話をする。
ファミレス店内の適度な賑わいがちょうどいい。
「……スト子の事なんだけどな」
「スト子? ストッキング女子? お前、脚フェチだったっけ?」
「ちげぇよ。そっちの意味じゃない。ストーキング女子。和奏の事だ」
「あー。なるほど、って人の妹をスト子扱いするなよ」
浩太は否定するが、されてた方はたまったものではない。
気付いていなかったとはいえ、この何ヵ月かはすぐ傍までいたのだ。
「毎朝、同じ時間にバスに乗ってくる女子がいたんだ。それが和奏だった」
「アイツなりに頑張って時間調べて、一緒のバスに乗ってたんだろ。俺が朝起きてくる頃にはいつも出かけていたんだ。お前に会うためだったわけだな」
「知らなかったのか?」
「それは初耳。さすがに妹の事を何でも知ってるわけじゃないさ」
まったく気づいていないわけではない。
ただ、同じバスに毎日乗っていたという事実を知らなかっただけで、何かしらの行動はしているのだと浩太は思っていた。
妹は一途で行動的な女だと言う認識がある。
「うちの妹が一途で可愛いと分かっただろ」
「うるせ、シスコン」
「シスコンじゃない。ただの妹想いのいい兄貴なだけだし」
「……まぁ、何でもいいや。で、スト子がデートをしたがってるわけなのだが」
例の動画の件で脅されたのをきっかけに約束してしまったのだ。
それはいい、問題は彼女自身のことだ。
八雲は「アイツの過去が知りたい」と本題を切り出す。
「過去?」
「相手を知るにはそれが一番なのだとさ」
人間はどれだけ相手の事を知っていても、本人以上の事は知ることができない。
それは家族であっても、恋人であっても。
相手の事を知るために必要なのは過去を紐解くことである。
「お前をなぜ妹は好きになったのか。知りたいのか?」
「好きになるには理由がある。理由もないのにスト子になったりしないだろ」
「なるほどなぁ。言いたいことは理解した」
その前に、と浩太はドリンクバーのドリンクを淹れてくる。
彼のドリンクは見るも無残な色合いに染まっていた。
「何それ?」
「噂で聞いた通り、コーラとメロンソーダを混ぜると結構うまい」
「……リアルにそれやってる奴を初めてみたわ」
「引くな。お前だってカルピスとメロンソーダ―を混ぜてるだろうが」
「こっちは正統派だからいいんだよ。お前のは邪道だ。ユーチューバ―とかが無謀な挑戦をやってるのと同じレベルだ。全部混ぜて楽しむとか、ジュースに謝れ」
お互いに好みの問題である。
アレンジドリンクを試してお気に入りの味を見つけるのもドリンクバーの醍醐味だとしても、当たりはずれはある。
……それが他人にしてみれば許容できないものもあるのだが。
「それより、スト子の過去。さっさと話してくれ」
「本人に聞かなかったのか?」
「恥ずかしい過去だから話したくないって。妙に真面目な顔をされて言うから何も聞けなかった。強引に口を割らせる問題でもないだろう」
「……そうか。別に恥ずかしいってわけでもないんだがな。本人にとって忘れたい思いが今もあるのかもしれない。んー、これ結構いけるって」
「マジでありえん。ドン引きだ」
メロンコーラをストローで混ぜてダブル炭酸を味わう。
満足した浩太はようやく重い口を開いた。
「和奏は小学校時代にちょっとしたトラウマがあってな。クラスに馴染めず、不登校になった時期があったんだよ。小学校3年生くらいだったかな」
「……イジメか?」
「イジメとか陰湿な類ではない。当時、和奏は転んで怪我をしたんだ。幸いにも怪我は大したことがなかったんだが、片目を腫らしてしまって。痛々しかった」
和奏の怪我自体はひと月も立たずに完治した。
だが、当時の彼女は怪我をしていた間、片目に眼帯をつけていた。
それが子供たちの間でホラー的な扱いをされたと浩太は話す。
「髪も長くて、地味な印象を受けがちな和奏の容姿が子供たちにとってはちょっとしたホラーに思えたんだろう。アイツが怖い、近づきたくないって男子に言われたりしてさ。ちょうど、そういうアニメが流行っていてな」
「十分にいじめじゃないか?」
「この程度はよくある事だろ。怪我の方もすぐに腫れも引いて、眼帯も外したら何も言われることもなくなった。ただ、人から言われた言葉って時々重く感じるものだ。些細な事でもさ」
他人にしてみれば大したことのない言葉が自分のプライドを傷つけることもあり、ずっと忘れられない言葉ってのは人間誰しもあるものだ。
――俺だって彩萌に満足させられなかったと言われた言葉が重い。
嫌な思い出、辛い記憶ならば尚更のこと。
どうしようもない心の傷として残り続けることもある。
可愛くない、気持ち悪い、近づきたくない。
いわれのない悪意の言葉は耳に残り続けてしまうもの。
「和奏は自分に自信がなくなったんだろうな。元から地味な子だったけど、それから更にその傾向が強くなっていった。ある日を境に不登校気味になるくらいにな」
「他人の目を気にする、大人しい性格だったんだろうな」
「そういうわけで、めっちゃ凹んでた時期に現れたのがお前だよ」
彼自身は覚えていないが、ふたりは会っていた。
八雲が浩太の家に遊びに来ていたときのこと。
引きこもりがちで、大人しい人形のような彼女に彼は声をかけた。
実際には二言程度の短い会話だった。
挨拶を返す程度の簡単なものだ。
「和奏と話していた八雲が俺に言ったんだよ。『お前の妹って可愛いな』って」
「……言ったっけ?」
「言いました。本人を目の前に可愛いって言われた妹はすごく喜んでた。自分にはそんな言葉を言われることがないと思ってたんだろうさ」
自分にとっては何でもない言葉が印象に残る言葉もある。
和奏にとってはそれが救いでもあったのだ。
些細な一言であっても、相手に与える影響が大きい事がある。
「和奏がお前に興味を持ったのはそれからだよ。何度か遊びに来るたび、少しだけ会話して楽しんでいた。お前には記憶にすら残ってないだろう?」
「……まぁ、覚えてると言うのは何度か浩太の妹と話をした程度だな」
「その些細な程度でも妹は幸せだったに違いない。おかげで地味ながらも多少の自信を持てた和奏は前向きになることもできた。不登校気味だったのも改善して、休むこともなくなったからな。八雲は和奏にとって救いの恩人ってわけだ」
そう浩太から聞かされても、大した実感がわくものではない。
自分が何かをしたという記憶がないためだ。
「その程度で、とか思ってるだろ? お前にも経験がないか?」
「ないわけではない。中学の頃、じいちゃんが入院してさ。俺一人で見舞いに行ったんだよ。その時、花屋で花を買って持って行ったんだけど、看護師の姉ちゃんに『綺麗な花ね。貴方はロマンチストだわ』と言われた事が嬉しかった記憶がある」
「……八雲がロマンチスト? ふははっ、面白いな」
「笑うなよ。ただ、女の人にロマンチストなんて言われたこともなかったからずっと覚えてるよ。和奏もそういう事だって言いたいんだろう?」
すっかりと氷の解けてしまったカルピスを飲み干す。
過去を紐解き、真実を知る。
この過去こそが、和奏が八雲を好きになった動機――。
――他人にとっては些細な一言でも本人にとっては大きな一言ってある。
優しい言葉を言われて、自分の中に自信を取り戻せた。
その小さな優しさこそが、今の彼女の恋心のきっかけとなっている。
「人が人を好きになるのって、単純なことが多いだろ。顔がいい、スタイルがいい、頼りがいがある、お金持ちである。相手の良いところを好きになるものだ」
「そうだな。複雑じゃなくても、年月を重ねなくても人は簡単に好きになれる」
「正直、お前はどうなんだよ? 和奏をどう想ってる?」
毎度、付きまとわれて、脅されて、良い思いもしていない。
ただ、一緒にいても不思議と本気で嫌ではなかった気がする。
「分からん」
自分の気持ちが分からない。
気付けていないだけなのかもしれないが、それでも彼は自分で答えを出せない。
「即答で嫌いじゃないだけマシか。まだ妹にも可能性は残されてるわけだ」
「と言うか、たった二日程度で相手の何を知れるのやら」
「そうか? 人の印象は一瞬で決まる。好きな奴も、嫌いな奴も。お前にとってそれだけいろいろとされた和奏を“嫌いだって”言わなかった」
「……嫌悪感は不思議とないかもしれん。言いようのない恐怖感は味わったが」
相手を好きな人だと思うのも、嫌いな奴だと思うのも一瞬だろう。
そして、嫌いな奴とは一緒にいたくない。
今の八雲は和奏と一緒にいることを口では何だかんだと言いつつも、たいして苦痛だと思ってはいなかった。
「八雲は優しくて面倒見のいい奴だと俺は思ってる」
「何だよ、いきなり褒めるな」
「時々、流されやすくて、甘っちょろい所もあるけどな。信頼しているんだよ」
浩太は笑いながら、親友に自分の妹を任せたいと本音で語る。
「和奏のこと、少しで良いから前向きに考えてやってくれよ」
「……約束はできない」
「お前らの恋愛だ。他人の俺が口出すことではないだろうが、上手くいくことを望んでる。俺から見てるとお前ら二人は相性がいいように思えるよ。お似合いだ」
「そうかよ」
いつのまに客の少なくなった店内で、空になったコップを見つめながら、
「スト子の過去は知れた。俺の知りたかったことだ」
彼女の過去を知れたことで想いにある程度の納得もできた。
八雲を慕う想いの理由は少女の純粋な想いだったのだ、と。
――和奏にとってこの何年間はどんな想いで過ごしていたんだろうな。
些細な想いから始まった恋心、今も継続する胸に秘めた想い。
――あまりにも些細すぎる言葉を信じて、俺を好きになって。
今日という日まで、何年も思い続けてきた。
――本当に一途な女だってことなんだよな。。
そんな一途さに触れたこともなく、八雲は戸惑うこともある。
「週末のデートまで時間はあるんだ。少しでも今の話で和奏に優しくしてやってくれたら、兄としては嬉しいんだがな」
八雲は小さく頷いて「善処はするさ」と苦笑いを浮かべつつ言った。
最後に浩太の言うメロンコーラを試飲してみたが、彼には合わず吹き出した。
やはり、ジュースは”混ぜるな危険”だった。
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