第3話:揉めば育つという都市伝説

 

 八雲は浩太の妹、和奏に押し倒されている。


「くっ、こんなピンチに陥るとは……」


 何でこうなったのか、と彼は思案する。


――和奏は俺に好意を抱いてた?


 こちらにとっては初対面のようなものなのに、名前を知っていた。

 知っているだけではなく、一定以上の好意があるようなのは間違いない。


――こんな女に好かれるような真似をした覚えはないが。


 どちらにしても、このままではいけない関係になってしまう。


――どうする、どうすればいい?


 押し倒されて何もできないまま。

 最後の抵抗とばかりに八雲は彼女に言う。


「よく聞け、俺は……巨乳派なんだ」

「はい?」

「率直に言おう。大きなおっぱいではない貧乳少女とやる気はない」


 あえて相手をドン引きさせるような発言をする。

 それしか方法はなかった。

 

――そこまで貧乳でもないけどな。うん。


 スタイルは良い方だが適当な言い訳が思いつかなかった。


「……先輩の好みですか?」

「誰だって好みくらいあるだろう」

「なるほど、こだわりというのは人間誰しもありますし」

「そうだろう? よし、分かったのならどいてくれ」


 そんな情けない言い分をせざるを得ない自分を恥じる。

 こんな話を女子の前でするなんて、男のプライドも何もない。


「でも、私も自慢ではありませんが成長途中ながらDカップはあります。ご満足いただけないのなら、先輩がこれから毎日揉んで育ててくれればいいだけのこと」

「全然諦めてねぇ!?」

「ふふっ。この程度で諦めるわけないじゃないですか」


 柔らかそうな胸に手を当てて、和奏は八雲を誘惑する。

 

「それに、よく聞くでしょう?」

「何を?」

「おっぱいは揉めば育つという必勝法あることを……さぁ、実践しましょう!」

「それはただの都市伝説だ!」


 大きな胸を隠す下着、その見事な谷間が眼前に迫る。


「触ってみます? 柔らかさには自信があります」


 たゆんっと揺れる立派な胸。

 これがこんな状況でなければ迷わず手を伸ばしていたであろう。


「か、顔に近づけようとするな!」

「先輩に気に入ってもらえるのなら、私は何でもしますよ」


 迫る膨らみから目をそらしたのはせめてもの抵抗だ。


――ちくしょう。男の欲望に負けそうです。


 本当は間近でもっと見たい男の性。

 しかし、今、ガン見するとバッドエンド直行ルートなので全力回避だ。


「ならばどいてくれ。そうすれば、話くらいは聞いてやる」

「それは嫌ですよぉ。だって、千載一遇の大チャンスですもの」


 まるで譲歩という言葉を知らないらしい。

 まったく交渉の余地すらない。


「今の私には先輩を好きにしちゃえますね?」


 彼女の指が八雲の鎖骨に触れる。

 指先で撫でられるとくすぐったさを感じてしまう。


「……お、お前。俺に何をする気だ?」

「可愛い反応。素敵ですよ、先輩♪ 何をする気と言われたら……」

「言われたら?」

「先輩たちがよく読んでる薄い本のような展開でしょうかねぇ?」


 完全に弄ばれていた。

 捕らわれたヒロインが汚いおっさんに色々と言葉にできない真似をされる。

 そんな光景が八雲の脳裏によぎった。


――ちくしょう、あの逆をされるとは人生で思わなかったぜ。


 ベッドの上の攻防戦の最終局面。

 これ以上、続けていると一線を越えてしまいそうになる。

 強引な和奏に抵抗を続けていた八雲は隣の部屋にいる浩太の名前を呼ぶ。


「――浩太ぁ! 助けてくれぇ」


 友人の名前を叫んで現状打破をしようとくわだてる。


――もう、お前しか助けを呼べない。


 情けなさすぎるが、友に助けを呼ぶことしか彼にはできなかった。

 すると、隣の部屋から返事代わりとばかりに、大音量の音楽をかけはじめた。


『俺の事など気にせず、お好きにどうぞ?』


 そんな浩太の心の声が聞こえた気がした。


「――そんな配慮いらんわぁ!?」


 よくある、隣の部屋に兄妹が恋人を連れ込んで、“こと”を始めた時の配慮だった。

 ものすごく微妙すぎる心境にさせられる。


「見捨ててんじゃねぇ! さっさと助けやがれ! いえ、助けてください」

「見苦しいですよ、先輩。服を脱がせてあげます」

「やめてぇ。俺の服に触るなぁ。ちくしょー、浩太の馬鹿野郎」


 浩太の無駄な気遣いに八雲は悲しい叫びをあげた。

 ドンっと隣の部屋へ壁を叩いて抵抗する。


「あれ?」

「……あっ」


 壁を叩くことができたのは、和奏の手が離れていたからだ。

 服を脱がせようとしていたので、力を緩めていたようだ。

 ついに八雲は両腕が自由になる。


――これがラストチャンス!


 八雲はわずかな隙を逃さずに和奏の身体をベッドの端へと転がす。


「今しかない。とりゃっ」

「きゃんっ。あー、逃げないでください」

「逃げるわ。なんだよ、お前。むちゃくちゃしやがって!」

「やだぁ、逃げないでぇ」


 すぐさま立ち上がり、暴れる和奏の手を今度は逆に押さえつける。

 手荒な真似だが、形勢逆転に成功した。


「大人しくしろ。メルヘン女」


 彼には合気道の覚えなどないので今度は力づくだ。


「やぁんっ」


 先ほどの逆で、八雲が和奏を押し倒す格好になってしまった。

 女に暴力行為をした真似など一度たりともない。

 だが、今日という今日は手荒な真似をせざるを得ない。


――ちくしょう。こんな女に関わったせいで俺のプライドはボロボロだぜ。


 嘆き悲しむのはすべてこの家から逃げ出してからにしよう。

 八雲はそう心に決めて、わざとらしい怖い顔をしながら、


「いい加減にしろよ、和奏。俺を怒らせるな」

「怒った顔も素敵ですね」

「ちょっとは怖がれ。お前、今、自分が何をされてるのかわかるか?」


 息遣いを荒くさせ、和奏はドキドキと頬を紅潮させる。

 

「先輩に今、犯されそうになってます」

「……は?」

「このまま私は先輩に乱暴な真似をされてしまうのでしょうか、ドキドキ」


 両手を押さえられて、顔を赤らめる美少女に襲い掛かってる男。

 掴んだ腕は少し赤くなっている。

 いつしか彼女の上着は床に落ちて、上半身は下着しか身に着けていないというあられもない姿になっていた。

 乱れた着衣、互いの吐息だけが聞こえる雰囲気。


――あれ、どう考えても俺の方が悪人っぽい!?


 現状を打破したはずが逆に窮地に陥っていた。

 八雲はハッとするが、手を離すに離せない状況だ。

 自分が犯罪行為をしているような錯覚さえ抱く。


「いいんですよ? 先輩の望むままに、私を自由にしてくれても……」

「なっ、こんなつもりでは……」

「貴方の欲望を解放してください。受け止めるだけの覚悟はあります」


 無抵抗の和奏は「先輩」と情熱的な瞳で見つめてくる。


――違う、こうしたいんじゃなくて。俺がされてたはずで。どうしてこうなった?


 混乱する八雲にトドメを刺すように和奏は微笑と共に、


「先輩に押し倒されて、今まさに私の処女を奪われそうになっています。このまま、無理やり先輩に抱かれて女にされてしまうんですね」

「しないっての」

「我慢しないでいいんですよ。ほら、私の胸に触ってみてください」


 和奏の魅惑的な誘惑。

 胸を触らせようとしてくる彼女の手を乱暴に払う。


「やめーい」


 いくら八雲でも、誘惑されるとうっかりと手を出しそうになる。

 あまりにも魅力的な体つきだった。


「私は初めてで、経験もなくて、思わず泣いてしまうかもしれません。思わず泣きわめく私を強引に自分のものにするような先輩の男気を見せてくださいませ」

「俺はそんな鬼畜野郎じぇねぇし!?」

「では、優しくしてくれると? 愛を込めて抱いてください」

「それもしないっ。お前はホントに何なんだよ」


 あまりにも非常識な存在過ぎて頭を抱えたくなる。

 和奏は懲りずに、恍惚の表情のまま愛を囁く。


「貴方を好きで好きでたまらない女の子です」

「あのなぁ……俺はお前とはほぼ初対面のはずなんだが」


 そういって、彼女に問いただそうとした時だった。

 無情にもガチャッという音が響く。


「え?」


 八雲が視線をドアの方に向けたのだがすでに時遅し。


「――和奏、悪いんだけどお使いに行ってきてくれない?」


 閉まっていた扉が開いて顔をのぞかせたのは和奏の母、美冬だった。


「クリームシチューにしようと思ってたのに、牛乳が切れちゃって……」


 思わぬ来訪者に誰もが沈黙する。

 目の前には娘をベッドに押し倒し、今にも襲い掛かろうとする息子の友人。

 どう考えても、誰が見ても、この光景は犯罪行為にしか見えない。


「こ、これは……えっと」


 戸惑う美冬が何と声をかければいいのか悩んでいると、


「あんっ」


 なぜか色っぽい声を無駄にあげる和奏。

 最悪の構図を前に八雲は意識を失いそうになった。


――終わった……俺の人生、終わったぜ。


 もう何もかもおしまいだと頭が真っ白になる。


――短い十六年の人生でした。ここで終わってしまうのか。


 このまま犯罪者として警察に連行され、冤罪事件ながらも「わいせつ行為」を行った罪で捕まることになるのだろう。

 どうしようもなく、人生を絶望する八雲に反して美冬は、


「や、八雲君が和奏とそんな関係だったなんて……」

「あの?」

「そうよね。あんなに辛い思いをしたんだし、人並み程度の性欲があれば無防備な女の子を襲っちゃうこともあるでしょう。うん、しょうがない」

「違いますから!? 襲ってませんから!?」

「娘でいいなら、せめて可愛がりながら優しく愛してあげてちょうだい」

「やーめーてー。ホントに何もしてないですから!」


 慌てて言葉を投げかけるも、聞く耳を持ってもらえず。

 性犯罪の容疑者。

 神原八雲に不名誉な肩書がつきそうなのは避けられそうではなかった。

 

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