第二十五話【オフショア・バランシング論】

 砂藤首相は今回の行動に関し、かなりの覚悟をしていた。

 凄まじい日本バッシングが来る。そうなるだろうとの覚悟をしていた。

 しかしその一方で世界をより真剣に北朝鮮核問題、そして核兵器そのものの問題について向き合わせることができるとの目算があった。


 言わば、〝肉を切らせて骨を断つ〟。


 だがこの世界は驚くほど静かで、国際情勢に波風一つ日本は立ててはいないようだった。

 まったくの拍子抜け、宙に浮いてしまったかのような状態。


(あるいはこれは嵐の前の静けさか)砂藤首相はそうも思った。




 そんな中アメリカ合衆国大統領・ジョンストンから電話が掛かってきた。


〝プライムミニスター・サトー、ずいぶんらしくない様子だったと聞いているが〟

 ジョンストン大統領は電話口に出るなりそう言った。


「今回私がロシアや中国にした提案が原因で日米同盟が危うくなった、と言うつもりでしょうか」


〝いや、別にそう言うつもりは無いな。この私が大統領をやっている間は万全だ〟


「なにやら不安を煽るような言い方ですな」


〝時になぜ合衆国があなたがロシアや中国にした『思い切った提案』の中身を知るところになったか興味はないか?〟


 砂藤首相は緊張する。


〝中国からの密告だ〟

 実にあっさりとジョンストン大統領は内情をバラした。


(アメリカ合衆国による盗聴のセンも残ってはいるが……)と思いつつ、砂藤首相は別のことが気になり始めた。


「中国は国連安保理に訴えると言っていましたが」


〝結局北京ダックのチキンだったということじゃないか。『貨物船水爆テロ』はかなり効いたな。そんなことを大っぴらに語りたくないのだ、中国のヤツらは。それでいて『日本が世界不安を煽らないようアメリカが圧力をかけるべき』とか裏で私に言ってきた。語るべき事は自分の口で語れと言いたいが〟


「もう一方の国、ロシアからは何も言ってこなかったのですか?」


〝いや、別に。むしろ私がプゥチャーチンを問い詰めた。そしたらヤツは何と言ったと思う?〟


「想像できませんが」


〝すっとぼけたよ。あれほど厚かましくすっとぼけるとは本当にロシア人は油断できない。ヤツらなら本当に北朝鮮を自国領にしかねないんじゃないか〟


「まさか」


〝『まさか』はない。あなたが提案したんだろう?〟


「厳密に言うと『北朝鮮に進駐したロシア軍と中国軍を国連軍として認めさせ、北朝鮮という国を国連管理下に置こう』と、こう提案したのですが」


〝うん。我々にとって名分は何よりも必要だ〟


「本当にそう考えていますか?」


〝まあ半ば冗談だ。ところで、本当のところあの『ロシアと中国が北朝鮮を占領してしまえ』、じゃなかった『国連公認の管理人として北朝鮮を管理しろ』という提案の目的はなんなんだ? ロシアや中国が『動け』と言って言われたとおり動く連中じゃないのは先刻承知のはずだろう〟


「目的はいろいろ、複数ありますが、最大の目的は『核テロの危険性の流布』ですか。どうもロシアと中国は北朝鮮核問題に関して当事者意識が低いようなので」


〝うん、そういう効果は確かにあった。もちろん合衆国にも効いた。効き過ぎてこっちじゃ『日本をとっちめろ』なんて動きすら見当たらない〟


「どういう意味でしょうか?」

 砂藤首相はジョンストン大統領のことばの意味を考えあぐねた。


〝嫌なことからは目を背けたがる人間がいる。割といる。中国人とかアメリカ人とか国籍など関係ない。事を荒立てれば「『貨物船水爆テロ』からどう身を護るか真剣に考えろ」、と自らが追い込まれる事態になるからな〟

 実にさらっと、ジョンストン大統領は言った。


(『事なかれ主義』が万国共通だとは。こっちは騒ぎが起こることを大前提としていたのに——)と、砂藤首相は思う。


 さらにジョンストン大統領は内情をあけすけに語り始める。


〝それに加え『サトー』という男に対する警戒感がある。この男と公開の場で議論してはただでは済まないと、だから『無視するに限る』ってな〟


「警戒されているのですか?」


 こうなるとこの思い切った外交も〝空振り〟ということで幕が下りてしまう。一気に脱力感と無力感が押し寄せて来る。


〝ま、今回のあなたの提案とは関係なしに元々合衆国国内では日本に対する警戒感がある。気に病む必要も無いんじゃないか〟


(元々って——)


「『私の提案』と関係ないということは日米貿易摩擦ですか?」


〝いや、割と普段忘れてるんじゃないか、それ。政治家が言ったときだけ思い出すっていう。私の言う警戒感っていうのは戦争だ。とは言っても真珠湾を奇襲してくるとかそういう類の警戒感じゃない〟


「ではどのような?」


〝結局は『核の傘』に繋がっているということだ〟


「『核の傘』ですか?」


〝合衆国は『核の傘』をも含む軍事的抑止力を日本やヨーロッパの同盟国に提供している、と、そのおかげで『核兵器禁止条約』に同盟国は賛成しないわけだ〟


「あまりハッキリと言われるとどう相づちを打っていいか分からなくなりますが」


〝しかし近頃国内において、合衆国の軍事的抑止力をあまり当てにされると『合衆国が戦争に巻き込まれるではないか』という考え方が台頭してきた〟


「そういうことを言われると日米安全保障条約はどうなるのかという話しになってしまいますが」


〝そう。あまり露骨に『戦争に巻き込まれたくない』と言ってしまうと恐怖という感情に取り憑かれたチキン野郎だと思われる。『ヤツは危なくなったら蒼い顔して尻尾を巻いて逃げるヤツだ』、とな。だからそう思われないためにもっともらしいことを言って、あくまで『これは知的な戦略なのだ』と偽装する必要が出てきた〟


「『もっともらしいこと』ってなんです?」


〝オフショア・バランシングだ〟


「それはどういう考え方ですか?」


〝まず合衆国の核心的利益は南北アメリカ大陸と定義する〟


「ええ」


〝アジアやヨーロッパとは適当に距離をとる〟


「その先はどうなります?」


〝合衆国が引いてしまえば当然地域覇権国が台頭する〟


「それはアメリカ合衆国にとっても良くないことなのでは?」


〝そう。良くないな。だからその地域覇権国には当該地域の地域大国に頑張って貰ってなんとかしてもらう。合衆国は戦争の危機から距離をとり力を温存する〟


「それはアメリカ合衆国において定期的に噴出する『孤立主義への誘惑』という考え方では?」


〝よく知ってるじゃないか。これは合衆国の病だな。もう不治の病レベルだろうな〟


「だいたい覇権国に対抗できる力がその地元の大国にあるのなら、どっちが覇権国が分からなくなります。常識的に考えて覇権を持つような国に対抗できる国は存在しないのでは?」


〝むろん存在しない。当該地域の地域大国が地域覇権国に対抗できなくなった時、初めて合衆国は軍事介入する〟


「その時に介入しようとしても既に手遅れではないですか。そもそもその論は核兵器の存在を忘れている。この時代、地域覇権国となるような国は間違いなく核保有国です。北朝鮮の核兵器でさえ手を焼いている現状でアジアやヨーロッパのほぼ全体を支配し、しかも核兵器を持った地域覇権国にアメリカ合衆国がどう対抗するんですか? むしろ『もはや対抗できない』と考えるのが自然では? 仮にこの状態になってしまった後無理矢理対抗し介入しようとすると、とてつもない大戦争になってしまう。それこそ『第三次世界大戦』ではないですか」


〝まったくその通りだ。チキン野郎どもが『オフショア・バランシング論』なんて名付けてさも新しいことを考え出したように言っているが、その中身は負けそうな方に肩入れしてパワーバランスをとるという、かつての大英帝国が採っていた『バランス・オブ・パワー』という古い政策の焼き直しに過ぎない。大陸ヨーロッパに覇権国が誕生しないよう弱そうな方をイギリス人が支援してバランスをとり、覇権国を誕生させないようにするという戦略だ。これが第二次大戦で見事に失敗したな。イギリス人の連中は地域大国と見込んだフランスを支援していたが連中があまりに弱すぎてナチスドイツに見事に負けてダンケルクというオチだ。結局その政策の失敗の尻ぬぐいをしたのは合衆国だったがあの時点でナチスの野郎どもが核武装していたらさすがの合衆国もチェックメイトだったな。私にすらその程度の歴史の教養はあるんだがな〟


「『オフショア・バランシング』を唱えている方々にも教養はあるはずでしょう?」


〝あるように見えるか?〟


「敢えて反応しませんが具体的にはロシアにはドイツを対抗させ、中国には日本を対抗させるということになりますか?」


〝露骨なほどにハッキリ言うがその通りだろう〟


「やはり核兵器という存在を忘れている。ロシアは核保有国でありドイツは非核保有国です。中国は核保有国であり日本は非核保有国です。非核保有国に『核保有国と対抗しろ』と言うのは無理筋では? それとも『オフショア・バランシング論者』はドイツ核武装、日本核武装を唱えているんですか?」


〝正にそこだ〟


「なるほど、『かつての枢軸国に核武装を勧める危険人物達』と言われて大ダメージですか」


〝エッジが効いているな〟


「なんと返してよいのか」


〝さて、プライムミニスター・サトー、私が『オフショア・バランシング論』なるものについて長々と語ってきたことには意味がある〟


「どのような意味でしょう?」


〝あなたの行動はこの『オフショア・バランシング論』を粉砕した。今論者が絶賛内輪もめの最中だ。やはり合衆国は逃げてはならない。私は再び自信を得た〟


「さて? 自分ではなんとも」


〝彼らは考え得る可能性をシミュレートしきれなかった、ということだな〟


「というと?」


〝今回日本は独自外交を展開しロシアや中国に接近しただろう?〟


「まあ〝接近〟と言われると引っ掛かりはありますが、少なくとも事前にアメリカの了解は取っていません」


〝それが良かった〟


「良かったのですか? 悪かったと言われると思ってましたが」


〝合衆国大統領としての建前では悪かったと言うべきだろうが、個人的には良かったんだな〟


「よく言っている意味が解りませんが」


〝『オフショア・バランシング論』ってのは地域覇権国と地域大国が対立するという前提で成り立っている。だが地域覇権国と地域大国が手を結んでしまうという可能性を全く考慮していなかった。これで合衆国が自発的に南北アメリカ大陸に引っ込んでしまったら戦わずどころか自分たちの判断が原因で衰退国家となるところだ。今回のあなたの行動はその可能性を目に見える形で連中に見せつけてやったというわけだ〟


「私はロシアや中国と結んだとは思っていませんが」


〝こちらから見るとそう見える。合衆国が引いた途端にドイツがロシアと手を握り、日本が中国と手を握るってことだ。そうなったらこの時代のアメリカ人は後世とんだ物笑いの種だな〟


「もしそうなった場合原因は核兵器にあるのでしょうな」

 だがジョンストン大統領は砂藤首相のそのことばに直接反応せず、


〝私はこの一件に可能性を見た〟と言った。


 さらにジョンストン大統領は続ける。


〝あなたの提唱した『北朝鮮をロシアと中国に占領させる』という提案な、この私、合衆国大統領ジョンストンが継承していいか?〟


「は?」





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