第二十四話【砂藤総理、無双する】
〝核の傘は機能不全など起こしていない〟国務長官が怒鳴り気味の声を上げる。
「もし『核の傘』を〝ミサイル防衛システム〟と言い換えるつもりならそれを信じろと言うのは無理です。百発百中が無理なのですから」砂藤首相が返す。
〝疑うのか?〟
「敵核ミサイルの百発百中が可能ならアメリカ合衆国が核武装している理由が無くなります」
〝……〟
「多弾頭の核ミサイルにも完全対応し百発百中で当たる迎撃ミサイルが開発できたという話しは聞きません。弾頭が核である以上は一発でも撃ち漏らしたら一つの都市が壊滅します」
〝もういい〟
「では今度はこちらから良いですか?」
〝何が言いたい?〟
「私はあなた方の持つ懸念について説明をしました。今度は我々日本側の持つ懸念について説明を求めたい」
〝話しだけは聞こう〟
「核戦力の運用を統括するのがアメリカ戦略軍ですね?」
〝そうだ〟
「その元司令官が上院外交委員会の場で『大統領から核攻撃の命令があったとしても軍が違法と判断した場合には拒否することができる』との認識を示しました」
〝それがどうしたという?〟
「さらにその元司令官はこうも言いました。『大統領から核攻撃の命令があったとしても、軍の指揮系統を通じて軍事的な必要性や攻撃に対する比例性などから命令が適法かどうかを判断する』として『米軍はやみくもに命令に従うわけではない』と強調しました。委員会に提出した準備書面でもこのアメリカ戦略軍の元司令官は『軍として違法な命令や適切な機関から出されていない命令については疑義を呈し究極的には拒絶する』と指摘しました」
〝どこが問題なのだ?〟
「ええ、これだけならあくまで退役軍人がそう言っているだけの話しでした。しかしながら現役のアメリカ戦略軍司令官の方も同じ事を言っていたのです。こうなると『特定の個人』とというパーソナリティーの問題ではなくアメリカ戦略軍という組織そのものに懐疑的目を向けざるを得ません。上院の公聴会から4日後、この現役の司令官はカナダでの国際安全保障フォーラムで、『大統領が核攻撃を命令しても違法と判断すれば従わず別の選択肢を提案する』という考えを明らかにしました。これは米メディアが報じたものです。彼もまた『核攻撃の命令を受けた場合に、もし違法なら「大統領、それは違法です」と告げる』と話しました。大統領から違法な命令を受けた場合『状況に応じた代替案を提案する』んだそうです」
〝では問題ないではないか〟
「この現役のアメリカ戦略軍司令官は『違法な命令が出た場合に備えた対応策の訓練も実施している』と明らかにしました」
〝益々問題がない〟
「そうでしょうか? 私には『違法な命令が出た場合に備えた対応策の訓練』というのは『クーデターの準備をしている』としか聞こえないのですが。確かアメリカ戦略軍というのは空軍でしたよね? 核兵器を扱う軍がクーデターを匂わせるというのは脅威以外の何ものでもない」
〝なにを言っているのか解っているのか⁉〟
「では『違法な命令が出た場合』にアメリカ空軍は何をするのですか? お答え頂きたい」
同時通訳の音声が途切れた。なにやら揉めているのかもしれない。
〝話しを聞こう〟
再び声はそう言った。説明の意志は無いようだった。
(説明などできないのかもしれない)砂藤首相は思った。
砂藤首相は敢えて深くは突っ込まず話しを続ける。
「アメリカ戦略軍司令官は大統領からの核攻撃命令に従わない場合『状況に応じた代替案を提案する』とのことですが、その代替案をご説明頂きたい」
ここでまた同時通訳の音声が途切れた。砂藤首相には聞こえないところで自分に対して悪口雑言を飛ばされているような気がしていた。
〝なぜそんなことを説明しなければならない?〟
(こっちの説明には答えないつもりか)と砂藤首相は思う。
(だがこっちも国民の命を預かっている身なのだ)
「核の傘を貴国(アメリカ)から提供されていると、そういうことになっているからです」砂藤首相は言った。
〝日本は安全保障にタダ乗りしている。アメリカ国民の不満も相当なものだ〟そう国務長官が返した。
(なぜこんな関係のないことを言っている? 話しを逸らされてはこっちとしてもかなわない)
「タダ乗りと言いますが、こと対核兵器対策についてはその言い分は間違いです。日本核武装を容認しないのはアメリカ合衆国とアメリカ国民です。故に日本に向けられた核兵器対策についてはアメリカ合衆国に対応する義務があります。もし本当に『タダ乗りが許せない』と考えているならば、あなたは今この場で『日本の核武装を支持する』と言えるはずです。そんなことが言えますか?」
ここでまたまたまた同時通訳の音声が途切れた。いったいこの国務長官はどういう人物なのだろう?
〝だがワシントンにも多様な意見がある〟
(多様?)
「それはもしかして日本と韓国の核武装容認論ではありませんか?」
〝そうだ〟
「無意味です」
〝そういう意見が実際にあるのだぞ〟
「それを言った人間の肩書きが重要です。大して責任の無い下院議員の方に言われてもその方はアメリカ政府の人間ではありません。上院でも同じです。また元国防次官補とか辺りでも説得力はありません。元国防長官とか元国務長官でも同じです。責任ある立場にある現役の政府の方は『日本と韓国の核武装を容認する』とは言いません。以前大統領選挙の時、『日本と韓国の核武装を容認する』と言った候補者が大統領に就任したことがありますが大統領になったらその発言を撤回しています」
〝解った。そんな意見は無いのと同じだと言いたいわけだな〟
「あくまで責任ある地位にある人物の意見でないと説得力はありません」
〝時に、アメリカの対日貿易赤字は相当なものだ〟
は?
「長官、今は核兵器の話しをしているのですが」
〝日本は合衆国を信用しないと言うことか⁉〟
(だんだん話しにならなくなってきたが、今ここでこの電話を切るわけにもいかん)話しの通じない相手と話しをしている気分に砂藤首相はなっていた。
「有り体に言ってその通りです」
〝そこまで放言するとはな。これを知ったら我が国のマスコミ(米マスコミ)が黙っていないぞ。世論を舐めない方が身のためだ〟
「では問いますが、貴国のマスコミ(米マスコミ)はシビリアンコントロールを否定するのですか?」
〝なにを言ってる?〟
直後またも通話が途切れる。
〝——するわけがなかろう!〟
少し間を開け不機嫌な色の付いた声が戻ってくる。
「しかしながら選挙で選ばれた政治のトップ、大統領の命令を軍人さんが拒否したとすれば文民統制が崩壊していることになります」
〝あなたは核戦争をやって欲しいのか⁉〟
「それは市民レベルの台詞です。私は一国を代表する政治家だ。政治家である以上交渉相手は同じ政治家である大統領になります。改めてここは強調しておきたいのですが、その大統領からどんなに力強い言葉を頂いても彼に権限が無いというなら、私は安全保障、要するに核の傘について誰と協議すればいいんです?」
〝権限はあるに決まってる〟
「しかし大統領の核攻撃命令を軍人さんが『従う必要は無い』と言っているのですが」
〝そんなに核戦争を欲しているのか⁉ 正に狂人と言って差し支えない。我が国のマスコミを甘く見るなよ〟
「ならば言いましょう。私が求める『核には核を』という『相互確証破壊』はあくまで『国家VS国家』の場合のみ有効な戦略です。『テロリストVS国家』だと話しは違ってくる。テロリストがサンフランシスコでもロサンゼルスでもニューヨークでもどこで核テロを実行したとしても、テロリストが潜伏しているという理由で核兵器を使用し返すことは許されません。それは明らかな戦争犯罪だ」
〝なんだと⁉〟
「例えばです、アフガニスタン政府が何もしていないのにテロリストが潜んでいるというだけでよもやアフガニスタンという国を核攻撃するつもりじゃないでしょうね? そんなことは通じませんよ。だから私はテロリストの手に核兵器が渡らないよう北朝鮮を管理すべきと言っているんだ!」
その砂藤首相の剣幕に国務長官が黙り込む。
「狂人にされてはかなわないので何度でも繰り返しますよ。『核には核で対抗する』という戦略はあくまで『国家VS国家』の場合にのみ有効だ、私はそう限定している。もうそろそろ話しを戻してもよろしいか? 核の傘の話しをするのに『報復核攻撃』の話しを避けるというのもおかしなことです」
〝状況に応じた代替案を提案する〟
「それはミサイル防衛ですか?」
〝そうなる〟
「今一度繰り返しますが、誰も百発百中だとは考えていません」
〝……〟
「そのような状況下において『相互確証破壊』を否定して、核の傘は核の傘たり得るのでしょうか?」
また途切れた。よく途切れる。
「もしもし、いいですか?」
電話の向こうから低い声が聞こえてくる。
〝アメリカ国民を地獄へ引きずり込むつもりか⁉〟
(ならば広島、長崎への核攻撃はなんだったのだ⁉)と瞬間的に怒りが涌くが砂藤首相はかろうじて我慢をする。
「アメリカを地獄へ引きずり込むのはアメリカ人自身です。どうしてアメリカ人は地獄への蓋を自分で開けてしまうのか」
〝ごまかさないで答えるべきだ〟
「長官、それが地獄への蓋を自分で開ける行為だと言うのです。その台詞はごまかしのない答えを常に用意している者のみが言えることだ」
〝フン、ならば私には問題がないな〟
「ではアメリカ合衆国の提供する『核の傘』について、具体的に何を日本のためにしてくれるのかごまかさないで言えますか? 我々としては敵国から核攻撃を受けた場合は速やかに報復核攻撃をして欲しいのですが」
〝アメリカに任せておけば安全は保証される〟
「具体性のカケラもありませんが」
〝……〟
「もしもし?」
〝日本がアメリカを怒らせても良いことはないぞ〟
「私はアメリカ合衆国を心配して言っているのに理解をしてもらえないわけですか?」
〝ではどのように心配していると言うのか?〟
「アメリカの軍人さんは『違法な核攻撃がある』と言いました。つまり裏を返せば『合法な核攻撃もある』と言っているのです。アメリカの軍人さんは大統領の命令をきかない場合があると公言した上に司法判断までするのですか? ここまで軍部に権力が集中してしまっては軍事独裁政権そのものです。あなた方国務省が毎年非難するような国家にアメリカ自体がなってしまっている。これでどうしてアメリカが『自由と民主主義のリーダー』などと言えるのですか?」
国務長官は黙り込む。
「さらにこの『合法な核使用』と『違法な核使用』があるとする二分法がアメリカを窮地に追い込む。いったいアメリカの軍人さんはどの法律に照らし合わせて『合法な核使用』が成り立つと言っているのか? 核兵器の使用はもちろん単純所持でさえ禁止しようという条約が発効するご時世に『合法な核使用』などを認める法的根拠など何処にも無い」
国務長官は黙ったまま。
「軍人さんはポリティカル・コレクトネスにあまりに無頓着だ。私は『核使用に合法も違法もない。大統領の命令があれば使用するまで』と言うのが政治的正しさだと考える。大統領が核兵器の使用に言及した途端ろくにものを考えず一時の激情で暴走するとは」
〝アメリカ国民が核戦争の恐怖に脅えているのだ。軍人だろうとなんだろうと核兵器の使用に歯止めを掛ける発言は歓迎されるのだ〟
「いいえ、その考え方は間違っている。軍人さんが表に出て『大統領の命令に従わない』などと公言するのは間違っている。大統領が核兵器を使用を考え始めた場合、その時点で国務長官や国防長官といった政府の中の人間がどうにかすべきだ」
〝理想論だ〟
「強大な武器を直接取り扱う人間に最重要事項の決定権があるなどあり得ない。彼らは選挙で選ばれてもいない」
〝たとえ選挙で選ばれていなくても正しい判断をする人間はいる!〟
「それはたまたま今は『正しく見える』だけです。大統領の核使用命令にブレーキをかければ一見良心的に見える。しかし軍人さんは核兵器の使用そのものに歯止めを掛けているわけではない。使うか使わないか軍人さん自身が決めると言っているだけだ」
〝そんなに大統領に核兵器を使用して欲しいのか⁉〟
「その手の道徳的恫喝はもはや無意味です。あなたの国の軍人さんが『違法な核攻撃』があると言ったんです。当然『合法な核攻撃』が無ければ『違法な核攻撃』は成り立ちませんから『合法な核攻撃』はあることになるんです。しかしどういうケースで核攻撃が合法になるか軍人さん達は説明していません」
国務長官は返答に詰まる。
「どういうことでしょうか? 『先制核攻撃』は違法だが、『報復核攻撃』は合法ということなのでしょうか?」
なおも国務長官は返答に詰まったまま。
「こんなろくでもない憶測もあります。『イスラエルのための核攻撃』は合法だが『日本のための核攻撃』は違法である、と」
〝バカな! そんな憶測に根拠は無い。それはあなたの心の内そのものではないのか⁉〟
「首相官邸の投稿フォームを経由して実際にそういうメールが来たんだ! アメリカの軍人さん達はそういう質問に答えなければならない立場になってしまったんですよ。核攻撃を違法と合法に二分するから困ったことになる。『核攻撃は核攻撃である』と言い切っていたらこんなことにはならなかった」
〝我々アメリカは困ってはいない!〟
「では、広島・長崎に対する核攻撃は合法ですか? それとも違法ですか?」
————うめき声が聞こえた。
「どっちの答えを選択しても、アメリカの前に地獄が口を開けて待っていると考えませんか?」
返事は来ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます