第二十一話【最強の捨て台詞『アメリカが黙ってないぞ!』】
「——拉致問題に対する強い思い、そして戦争をしたくないという強い思いを、総理が持っていることは解りました」加堂官房長官は言った。
「ん?」砂藤首相はいぶかしげな声を上げる。その表情で瞬間的に解ってしまったからだ。
「あなたも拉致問題に対する思い、戦争を避けたいという思いを持っているはずだが」砂藤首相はそう返した。
「確かに憂慮すべき問題です」と加堂官房長官は言う。
「憂いているだけではダメだ。問題があると認識したら解決法を模索するのが真っ当な人間というものだろう」
「しかしです」
「しかし?」
「ロシアや中国と勝手な交渉をして、アメリカ政府が黙っていると思っているんですか⁉」無情にも加堂官房長官はそう言った。
(やっぱり『アメリカが黙っていないぞ!』と言うのか。何かを独自にやろうとしたり何かを主張したりすると必ずこういう輩が出てくる)
(あれだけ熱弁を奮ってもこの男には解らないのだ——)
(人が人を説得するというのはしょせん無理なことなのだろうか——)
加堂官房長官が堰を切ったように喋りだす。
「もしもです、もしもロシア軍や中国軍が北朝鮮を占領してしまった場合、軍事バランスが変わってしまうんですよ。日清日露戦争だって清や帝政ロシアが軍事力を行使し朝鮮半島に影響力を及ぼし支配しようとしたところから始まっているんです」
「幸いなことにその歴史観は日本では一般的ではない。その手の非難に曝される危険は微少だが」砂藤首相が答えた。
「今の日本の歴史教科書の歴史観がどうであれ日清日露戦争は朝鮮半島における日本と大陸国との軍事バランスに原因があるのは間違いない!」と、加堂官房長官。
「加堂さん、あなたの歴史観はそういう歴史観だったかな?」
「皮肉など聞きません。いいですか、中ロ両軍が韓国国境にまで迫れば韓国が、いっそうロシア寄り中国寄りになるかもしれない。ゆえに朝鮮半島の北半分がロシアや中国の直接の影響下に置かれることをアメリカは許さない。黙っていない」
「さっきはロシア軍や中国軍が北朝鮮を占領などするわけない、と言っていたじゃないか」
「だから『もしも』と言っているんです。そうなったらアメリカは黙っているんですか?」
「黙ってはいないだろうな。だから私が説明する」
「はあっ⁉」
「『はあっ』じゃない。そもそもなぜ私がロシア軍と中国軍に『北朝鮮を共同管理しろ』と言ったか解ってないようじゃないか。私はその『もしも』の場合も想定しているからこその〝共同管理〟なのだ」
「なにを言わんとしているのか解りかねますが。この私を説得できますか?」加堂官房長官が挑発的に訊いた。
「ロシアはクリミア併合、中国は南シナ海の岩礁埋め立て、これらの事実から両国とも飽くなき自国領の拡張を指向していると言える。ここまではいいか?」
「確かにそうですね」
「そんな二国の軍が同じ土地にいたらどうなる?」
「まさか、そんなことを……」
「そう。『北朝鮮という名前の土地』を巡り中ロ対立が始まる。特に『港』をどちらが獲るかで揉めるだろう。日本が『朝鮮半島を支配しようとする大陸国家』とまた戦争する歴史なんて、繰り返しはしない」
「しかし彼らにだって知恵がある。上手く折り合いをつけるかもしれない」
「ならつけないようにすればいいだけだ」
「なんですと⁉」
「ロシアと中国、人種も民族も信じる宗教も何もかも違う。案外簡単に対立を起こせるんじゃないか」
「それが政治家の言うことか!」
「政治家とは善人には勤まらないのかもしれない」
「対立など起こらない!」
「ロシア人には不安を、中国人には歴史を吹き込めば対立は顕在化する」
「抽象的なことを言っても説得力は無い」
「そうまで言うなら具体的に言おう。ロシア連邦という国家は国土の東半分の人口が極めて希薄だ。そこに大量の中国人が流れ込んだらどうなる? というか現実に流れ込みつつある。『北朝鮮という名前の土地』だって中国人、おそらく朝鮮系中国人ということになろうが彼らが流れ込んだらロシアの利権など簡単に吹き飛ばせる。ロシア人は中国人に不安を抱くしかない」
「な……」
「一方中国の方は歴史問題だ。満州という地域を侵略したのはまず帝政ロシアだ。南満州鉄道という鉄道は日露戦争の結果、日本が帝政ロシアから獲得した。元々はロシアが造った鉄道なのだ。こうした過去の中ロ関係の歴史問題を公然と指摘してやれば中国人は『今の中国の国力ならロシア人に仕返しできる』と思い始める。そして『北朝鮮は歴史的に全部俺たちのものだ』と思い始める。中国政府はあまりに歴史をオモチャのように扱いすぎた。その『歴史』を使えば中国人はわりと簡単に爆発する」
「あなたのような人間は政治家をやってはいけない!」
「別に外国の政治家だって我々日本人にとって聖人君子ではないがね」
「責任は、総理、全てあなたにあります!」加堂官房長官が言い放った。まだ言い足りなかったのかさらに続けて言った。
「アメリカは絶対に黙っていません!」同じことを繰り返した。
「加堂さん」
「なんですか?」
「もし私が未来を見てきて、その凄惨な結果を回避するために動いているとしたら、どうだろうか?」
「は?」
「冗談だ。冗談」
しかし砂藤首相のその表情は茫洋としていて加堂官房長官には本気なのかそれとも冗談なのか判読できなかった。
——そして遂に————
『アメリカが黙っていないぞ!』がその通りになった。
なぜか国際電話がワシントンから掛かってきたのだ。国務長官からだった。
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