第八話【日中首脳・電話会談(その1)】
近頃中華人民共和国指導部のお歴々は機嫌がよい。
それもそのはず。日本とアメリカ合衆国の間に核兵器を巡る微妙なすきま風が吹いているのをハッキリと感じているからだ。
中華人民共和国首相・葉強宝もむろんそのご機嫌なうちの一人だった。
(このすきま風をもっともっと〝びゅーびゅー〟に吹かせてアメリカ軍をアジアから撤退せざるを得なくなるよう追い込んでしまえば、戦わずして中華人民共和国はアジアに君臨できる)
(アメリカ人はとても工作に掛かりやすく、例えば『慰安婦問題』で煽ればカリフォルニア州にはいくらでも日本人を痛めつけるための慰安婦像は建てられるのだ。おまけにアメリカ人は韓国人米軍慰安婦の方は無いことにしてくれる。私は中国人だがこの場合、日本人がアメリカ合衆国を憎んでも当然のことではないか)
(中国系アメリカ人は本当に国家に貢献してくれる。もちろん中華人民共和国に。彼らは『チベット人像』や『ウイグル人像』は決してアメリカ国内に建てようとはしない。素晴らしい愛国者だ。こうした愛国者がもっともっとアメリカ合衆国の中に増えれば良い。この件で我々が日本人に何かを言われても『アメリカ国籍を持ったアメリカ人がやったこと』と、捨て駒のように扱えばいいのだ。なにしろ全くの事実なのだからな。アメリカに全て罪を着せて中日友好が実現できる。これで益々中華人民共和国がアジアの盟主となる日が近づくというものだ)
彼にとっては『トーキョーの人々が核虐殺されたら、ペキンの人々、を核虐殺してくれるのでしょうね』という砂藤首相の発言など些細な問題であった。それどころかむしろこの発言こそアメリカ軍軍人にさえ動揺を与えた効果的な一撃と考えていた。
ふふふ……
思わず笑いがこみ上げてきてしまう。
そんな中、日本国・砂藤首相は、中華人民共和国首相・葉首相と電話会談をしている。
葉首相は近頃は砂藤首相のことを『砂藤先生』などと呼んでいる。しょうがないので砂藤首相の方も『葉先生』と呼ぶことにしている。
この二人、実に奇妙な関係である。
「葉先生、今日は北朝鮮核開発問題の最終的解決をするための重要な提案があります」砂藤首相はまずはそう切り出した。
〝砂藤先生、『最終的』とは穏やかじゃありませんね〟
互いに『先生』などと呼び合っていても互いの警戒心と猜疑心が消えることは無い。
「そうです。穏やかじゃありませんね」砂藤首相は言った。
〝まさか、日本が北朝鮮に対する武力行使に『関与する』と言い出すのではないでしょうな?〟
「いいえ、武力を用いて関与するのは貴国(中国)です」
〝は?〟
葉首相はそう声を上げたのみ。その間隙を衝いて砂藤首相が結論を言い切る。
「中国軍がロシア軍と共に北朝鮮国境を越え、速やかに北朝鮮全域に部隊を進駐させることを希望する。これで北朝鮮核開発問題は一気に解決します」
さすがの葉首相も言葉が途切れる。頭の中が混乱する。
中華人民共和国指導部の人間は誰しも、『北朝鮮という国家』について概ね以下のように考えていた。
即ち、北朝鮮という国家は中華人民共和国にとって、とてもとても役に立つ駒であると。
『駒』とはもちろん盤ゲームの駒のことである。中国ができないことをこの駒の国はやってくれる。それは即ち核兵器を使った第三国に対する脅迫。これが実に役に立つ。
中華人民共和国指導部は『我が国とアメリカ合衆国との力の差はどこにあるか。どうすれば追いつけ、そして凌げるか』について実に真面目に考えていた。そして一つの答えに行き着いた。
それは『アメリカ合衆国が持っているのに中国が持てていないものが未だある。このせいだ』というもの。このままの状態が続く限りアメリカと中国の差は永遠に埋まることはない。
持てていないもの、それは核兵器でも空母でもステルス戦闘機でもない。それは『同盟国』という存在。これが答えだった。
アメリカ合衆国には軍事行動を共にする同盟国がある。中華人民共和国にはそのような同盟国は無い。
同盟国とは便利な存在だ。自国の軍隊ではないから維持にカネがかかっていない。そのカネのかからない軍隊を自国の利益のために動かすことが可能となる。
今さら中国に軍事行動を共にする便利な同盟国などできるわけがない。ここのところは諦めるしかない。
ならばできることはただひとつ。
アメリカの持っている同盟関係を消してしまえばいい。特に日本や韓国などアメリカの持つアジア諸国との同盟関係は消さなければならない。
そうしてアメリカVS中国という一国対一国の構図に持ち込めれば勝機が出てくる。
アメリカ合衆国における『慰安婦排日工作』、『南京大虐殺排日工作』もその遠大な計画の一環なのだ。
そもそもなぜアメリカは同盟国をそこまで繋ぎ止められるのか?
その答えは『核の傘』へと行き着く。
『アメリカの核兵器は同盟国をも守る』、これが核の傘。
ここで誰でも思いついてしまうひとつの疑問が出てくる。
アメリカ本体は核攻撃されていない。だがアメリカの同盟国が核攻撃された場合だ。
この時アメリカ合衆国という国家は報復核攻撃を覚悟してまで他国のために核兵器を撃てるのか? という疑問だ。
撃てるはずがない、というのが中華人民共和国指導部の共通認識だった。
アメリカ合衆国ほど利己的な国はない。一方的な『正義の価値観』の押しつけ。自分たちの利益が損ねられれば自分たちが勝てるようルールの方を変えることを他国に強要する。自己犠牲の精神などどこにも無い欲得の亡者。そんな国が他国のために核兵器を撃てるわけがない。
核の傘など幻想だ。
『核の傘』とは核兵器を他国に持たせたくないという自己都合が先にあって、後からひねり出されたものに過ぎない。
これは虚構である。
だがなぜかアメリカ合衆国の同盟国達はこの虚構に取りすがっている。それは虚構が虚構であると誰も証明できないからだ。
だから長い間『アメリカ合衆国は他国のために核は撃てない』は、根拠の無い希望的推論でしかなかった。
中華人民共和国指導部が『撃てないに違いない』と思っていても、自分たちの核でアメリカ合衆国の反応を確かめるわけにはいかない。
だが北朝鮮が代わりにやってくれたのだ。核兵器を使って脅すことのできる国、それが北朝鮮。彼らが中国の代わりに緊張を高めてくれる。
その結果なにが起こったか?
アメリカ大統領による核使用が現実に語られ始めるやアメリカ国内で動揺が目に見えるようになった。アメリカ大統領が核攻撃命令を出してもアメリカ軍軍人はそれを拒否できる。アメリカ軍軍人がそう喋ってしまった。
これではアメリカ大統領がいくら『核の傘』について熱弁しても説得力は無い。核を使うか使わぬか最終決定権者は軍人だからだ。必然的にアメリカ大統領はどれほど緊張感が増そうとも『核の傘』について曖昧で頼りないことを言うしかなくなる。
多弾頭核ミサイルに対しミサイル防衛側の百発百中はあり得ず、撃ち漏らした一発の核で一つの都市は壊滅する。こんなものを『核の傘』だとしてすり替えるのには無理がある。
これではアメリカの同盟国は核兵器から自国の安全が護られるのかと猜疑心を抱くしかない。
アメリカが提供しているということになっている『核の傘』に対する疑義を高め続けてくれる国、それが北朝鮮。
この国が今後も核兵器を使った脅迫を続ければ続けるほどアメリカ人がその緊張に耐えられなくなり、いよいよ「他国のために核を撃てるか」という本音を今以上に語りだし「核攻撃命令に従わない」とまたぞろ軍人達が喋りだす。『核の傘』がまやかしであることが益々はっきりとしてくる。
かくしてアメリカ合衆国の同盟関係は揺らぎ始める。北朝鮮の核脅迫が執拗に続けば続くほどアメリカの『核の傘』に対する疑念がさらに高まる。アメリカが頼みとする同盟は形骸化する。それは中華人民共和国の利益となる。
根拠のない希望的推論は、根拠のある考察へと昇格した。
核恫喝を続ける北朝鮮はまだまだ役に立つ。
中華人民共和国指導部はそういう認識だった。
——にも関わらず日本の首相は、
「中国軍がロシア軍と共に北朝鮮国境を越え、速やかに北朝鮮全域に部隊を進駐させることを希望する。これで北朝鮮核開発問題は一気に解決します」などと言い出し、その役に立つ北朝鮮を潰す提案をしてきたのだ。
葉首相は混乱の最中にある。
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