第23話 ストリートピアニスト くーにゃんの場合
俺の名は『くーにゃん』。
変な名前だと言わないでもらいたい。一応これでもユー○ューブではそれなりに名の知れた存在なのだから。
どういった存在か、って?
仕方ない。ユー○ューブを見たことのあるヤツなら知っているはずなんだが、まあ知りたいというのなら教えてやろう。
俺はピアノが趣味で、自宅にあるピアノで毎日のように好きな曲を弾いている。ピアノが自宅にあるなんてブルジョアのように思われるだろうけど、そんなことはない。
たまたま両親が音楽好きで、特に二人ともピアノが大好きであったという環境もあり、幼い頃からふざけ半分で遊んでいるうちにだんだんとハマっていったわけだ。
習い立ての頃はただ弾くだけで楽しいと感じていたが、周りから上手だと褒められると嬉しいし、せっかくだからみんなに聞かせたい、弾いているところを見て欲しいという欲望が芽生えてきて、それを友人に話したところ、動画サイトにアップしたら、とアドバイスを受けた。
それまでは動画なんてネットでは見るけど、自分でアップするなんて想像していなかった。
でも実際に検索してみると、俺と同じ考えを持っている人が少なからずいるようで、自室で弾いているところを撮影したり、最近はストリートピアノと言って、駅とか施設に置かれている誰でも演奏可能なピアノを弾く様子をアップしているのが分かった。
これなら俺でも出来そうだと思い、まず手始めに近くの駅に置かれたピアノで演奏することにした。もちろん自分で撮影できないから、友人にお願いしてユー○ューブにアップしたところ、思った以上に反応があった。
それに味を占めた俺は友人を連れ、いろいろな場所で演奏して撮影、サイトへのアップを繰り返していると、少しずつ人気というか、たくさんのコメントをもらうようになった。そうなると、もう楽しくて仕方なくなり、弾いては投稿を続けているといつの間にかフォロワーが30万人にもなっていた。
◆
そんなとき、つい最近ユー○ューブでアップした動画の反応を見ると、それまでとは違ったコメントが多く書き込まれていることに気付いた。それはピアノの感想ではなく、動画に映り込んでいる、ある人物に対するものだった。
『何コレ!? ピアノの横に天使が降臨?』
『演奏を聴いている姿がマジ美しすぎる件』
『もしや、くーにゃんの彼女?』
2日前にアップしたばかりというのに、閲覧回数は50万件超え、しかもコメント数はすでに一万件を超えていた。
正直な話、俺は自分の演奏しているときは周囲が目に入らないし、酷いときは演奏中に社会の窓が開いていて友人から指摘されるまで気付かないことがあったくらいだ。なので自分が演奏している動画もうまく弾けているかどうかに目が行ってしまい、聴いている人たちにはそれほど注視していなかった。
でも撮影していた友人ならもしかして気付いていたのかもしれない。そう思って連絡を取ることにした。
「もしもし。俺だけど」
「おう、クニか? 電話なんて珍しいな」
「そうか?」
「そうだな。いつもはメールかL○NEじゃないか」
ああ、そう言われればそんな気もする。どちらというと人前でしゃべるのは苦手だし。
「まあ、お前はピアノを弾いているときとそうでないときとはまるで別人だからな」
「……悪かったな」
くっくっく、と忍び笑いが聞こえてくる。まるで俺の心の声を聴かれているのかと思ったが、友人はいつもこうなのだ。俺ってそんなに分かり易いのか?
「まあいい。ところで要件って何だ?」
「ああ、今回の動画へのコメントで気になった点があるんだけど……」
「ほう。お前がコメントを気にするなんてな」
「お、俺だってコメントくらい見るさ……たまにはな」
どうやら友人は俺を自分にしか興味がないナルシストだと思い込んでいるらしい……失礼な話だ。
このままでは友人にからかわれることが目に見えているので話を本来に戻すことにする。
「そのコメントに『天使が降臨』だとか『美しすぎる』とかあるんだけど、これは何なんだ?」
「は? ……気付いてないのかよ」
「え?」
俺の返事に問題があったのか、スマホから、はあ~と大げさなため息が聞こえてきた。
「いいか、この前アップした動画をよく見てみろよ」
「いや何度も見たけど?」
「自分の演奏だけじゃなくて、周りも見るんだよ!」
「わ、判ったよ……」
何故か友人から怒られてしまった。
理不尽だと思いつつ、今一度動画を見返してみる。
撮影場所は近所の□□駅。ここには半年ほど前からストリートピアノが置かれていて、誰でも自由に弾くことが出来るので人気スポットとなっている。
ここで俺は3ヶ月前から演奏しているのだが、大学生ということもあって演奏する時間帯もバラバラ。それでも子供からお年寄りまで年齢層を問わず人が集まっている。
ピアノを弾くときはいつも何の曲を弾くのか、友人と相談するのが決まりになっている。
『今日は子供たちが多いからパプ○カにしようぜ』
『近くの女子校の生徒が帰りに立ち寄る時間帯だから、Jポップメドレーなんかいいかもよ』
俺が周りのことを気にしないことを知っている友人は、集まっている人を眺めながら毎度このような指示を出すのだ。
えーと、確かこのときは……
『そうだ! 今日は何となくボカロがいい気がする』
「なんだよ、気がするって……」
『いや何となくだよ』
そう言ってニヤリとしていたのを思い出す。まあ、こんなやりとりは動画には入っていないけど。
そして演奏開始。
自分でも結構レパートリーがある方だと思うけど、ボカロとなると有名どころ―――初○ミク―――くらいしか知らない。
『そうだな、みんなが知ってる曲と言えば、千○桜あたりだな』
「それなら大丈夫だ」
じゃあ始めるぞ、という合図を基に演奏を開始。何度も引いているので目を瞑っていても弾けるし、ミスをすることもない。
動画を見ている限り、聴いている人はみな真剣に、それでいて楽しそうな顔になっている。
ああ、喜んでくれてるんだ。ピアノが弾けて嬉しい瞬間だ。
動画は定位置である俺の左手にカメラを持った友人が立って映している。演奏が中盤にさしかかる頃だった。俺の背後に映る人だかりの中心部分が急に押し分けられるように、そうモーゼの滝のように分かれ始めたのに気付く。
どうやら前で見ていた人が後ろにいる女性に前へ出るように促しているらしい。
「……え?」
そこには銀色の髪を腰まで伸ばした女性が申し訳なさそうにしながら少しずつ前に出てくるシーンが映っている。
そして、ありがとうと言っているのか、周囲にぺこりとお辞儀をして視線を俺に向けた。とても穏やかな笑みを浮かべて。釣られて誘導した男性も顔を赤らめて微笑んでいる。
「うわ、マジか……」
偶然なのか、それともちょっとした悪戯なのか、銀色の髪はツインテールになっていて、着ている服もどことなく見覚えがある。
「これ、初○ミクじゃねーか……」
何度か初音◯クの動画を見ているが、たまに見かけるいかにもギャルっぽい着崩した制服姿だった。
……千○桜の演奏中にミクさん登場かよ。
よくよく見ればコスプレというほど完成度が高い訳ではなく、それっぽい服装であるというだけなのだが、存在そのものが非現実感溢れる姿。服装もだが、それ以上に彼女の魅力的な笑顔が見る者の心をくすぐるのだ。
当然のごとく、彼女の周りはピアノを聴きながらも、チラチラと彼女に視線を送っている。
すぐ横で起きているそんな状況に気が付くことなく、一心不乱に弾いている俺。
もし、もう一人の俺がその場にいれば、きっと彼女を指さして取り乱していただろう。
やがて演奏が佳境に入ってくると彼女はわずかながらも頭を振ってリズムを取っているのに気付く。動きは決して大きくないものの、それが却って微笑ましく感じてしまい、俺の目は完全に彼女に釘付けである。
いつの間にか観衆の数はこれまで見たこともないほど膨れあがっていた。
その観衆の目を一身に集めているはずの彼女だが、それに気が付いていないのか、ニコニコと可愛らしく微笑んでいて、俺の演奏が彼女をそうさせているのではと嬉しさが込み上げてくる。
そして演奏が終わり。聴衆から盛大な拍手がわき起こった。それはたぶん、俺の演奏が良かったから、だけではないだろう。
これまでの俺であれば、ただただ優越感に浸っていたのだが、あまりにも彼女の姿が印象的で何かもどかしさを感じていた。
周りの皆から何やら語りかけられながら拍手をする彼女。
その姿を見て、俺は思う。
もし―――できるのなら―――彼女のためだけにピアノを弾きたいなと。
◆
それから俺はストリートピアノを弾く前に必ず周りを見るようになった。
もしかしたら、また彼女に会えるかもという期待があったからだ。
別に親しくなりたいとか、あわよくば付き合いたいとか―――そんな気持ちがない訳ではないが、彼女の笑顔をみたい、話をしたいという想いが日に日に強くなっていることを自覚している。
そう思っていても、どこに住んでいるのか全く知らないし、いつ会えるかも分からない。ただ、少なくともピアノを聴くのが楽しそうだったという印象だけが頭に残っている。
「はあ……」
「おいおい、最近ため息ばかりだな」
「……そうか」
ピアノ演奏の順番待ちをしている俺の隣でニヤニヤ笑いを浮かべている友人。その笑顔に何となく俺の気持ちが見透かされているような気がして少しイラっとする。
「まあ、今日も来てないようだしな」
「……何のことだよ」
「いや、別に何でもないさ」
じろりと睨み付けてやると、友人は吹けもしない口笛をしつつ飄々と周りに視線を向けた。
多分こいつは気付いてるんだろうな……最近の俺のため息の原因に。
実際、動画で彼女の姿を見かけてからは一度も会うことがなかった。
動画での様子からピアノが好きなんだとは思うけど、あのときは偶々遭遇しただけなのかもしれない。そう考えれば自分の気持ちも少しは晴れるかなと思うけど、やっぱり寂しくなってしまう。
「……はあ」
今日数え切れないほどついたため息が無意識にこぼれ出てしまい、友人がやれやれというポーズを取ったのが目に入った。
「おつかれさん。ちょっと喉が渇いたしお茶でも飲もうぜ」
「……そうだな」
演奏を終えるといつの間にかペットボトルを抱えた友人が話しかけてきた。別に疲れてはいないし、普段であればこのまま帰途につくところなので、この誘いを少し不思議に思った。
せっかくの誘いだし、時間がない訳でもないので言われるまま、ピアノの近くにあるテラスに移動する。ここのテラスはどのテーブルに座ってもピアノを弾いている様子が見えるよう配置されていて、いつも多くの人で賑わっている。
適当な席に座り、渡されたお茶を一口飲む。
そう言えば、この場所からピアノを眺めるのは初めてで新鮮な気がする。今までは演奏する側だったので気付かなかったけど、ゆったりと演奏を聴きたいのであれば結構いい場所かもしれない。まあ、距離は少し離れるので迫力という点では物足りないかもしれないが。
再びペットボトルを口に含みながら、ちらりと横に座る友人に視線を向けると。
「ぶふうっ!」
「うわっ! 何だ!? どうした!?」
慌てて席を立つ友人。急にお茶を吹き出した俺に怪訝な表情を向けている。
「げへ、ごほっ……い、いや何でも……ない」
ポケットから取り出したティッシュで口元を拭いつつ言い訳するが、俺の視線は友人の背後の一点に集中していた。まるで推しアイドルを目の前にした童◯丸出しのファンみたいに、知らず知らずに身体が緊張しているのが分かる……って何言ってんだ俺!?
「……いた」
「は?」
「……やっと、会えた」
「え?」
戸惑う友人が視界の端に入っているが、今はそれどころではなかった。
彼女はあのときのように穏やかな笑顔を浮かべながらピアノを聴いていた。動画ではツインテールだったが今は銀髪をまっすぐにおろしていて、差し込む陽光が反射してキラキラと光っている。
ときおり大きな目をぱちぱちと瞬きしながら、口角を上げて聴き入っている姿はもはや女神のレベルに達している。
見惚れてしまった俺は、ついさっきまでついていたため息とは違った意味のため息をつく。
動画でもその可憐さが十分に伝わっていたが、やはり実物はレベルが違う。
ペットボトルを手にしたまま固まっている、いかにも不審な俺の様子を窺っていた友人が、俺の視線を伝ってその方向に顔を向けると、途端にいやらしい表情を浮かべた。
「ほうほう」
「……何だよ」
「いやいや、青春だねえ」
「意味分からん」
どうやら俺の態度の意味に気付いたようで冷やかすような生暖かい視線を向けてくる。
「ようやく春が来たか」
「だから意味が分からん」
「まあまあ」
バシバシと肩を叩いてくるので、乱暴に手を払いのける。少しキツかったかなと思ったが、友人は慌てた様子で立ち上がった。
「おっと、ちょっとトイレに行ってくるわ」
「うん? ああ分かった」
「じゃあ、ごゆっくり~」
「は? 何言ってんだよ」
弾かれたように席を離れていく友人の背中を見送っていると。
「あの……」
「はい?」
すぐ横から声が聞こえたので振り向くと、そこに彼女がいた。いつの間に……。
「『くーにゃん』さん、ですよね?」
「え? あ、はい」
「いきなり話しかけてすみません。わたし、いつも動画を拝見させていただいてます」
「え、そうなんですか」
「はい」
にこにこと可愛い笑顔を浮かべる彼女。その可憐な姿に見惚れていると、ここいいですか? と目の前の椅子を指さしていた。
「ど、どうぞ」
「ありがとうございます」
女の子らしく優雅に席に着く彼女は照れているのか少し頬を染めている。
「実は何度かくーにゃんさんのピアノの演奏を聴いたことがあるんです。いつも楽しく聴いてます」
「あ、ありがとう」
「ピアノはいつから弾いているんですか?」
「えーと、幼稚園の頃からかな」
「すごいですね」
「いや、まあ」
今までで一番緊張していることを自覚しながらも、彼女との会話が楽しくて時間を忘れそうになる。最初はピアノの話から、いつの間にかお互いの趣味とか好きなものとか、とにかくいろんな話をしたことを覚えている。名前は相葉さんで近くの高校に通っていること、妹がいること、友達は少なくて変わり者が多いけど毎日が楽しいということが分かった。見た目は絶世の美少女だけど、話してみるとごく普通の女の子なんだなと感じた。
どれくらい時間が経っただろうか。お姉ちゃん遅いよ、という声が聞こえ、あ、ごめん、と返事を返して立ち上がった彼女―――相葉薫さんと連絡先を交換。
「じゃあ、また」
「はい」
仲が良さそうな姉妹を見送り、彼女のことを考えながら俺もテラスを離れた。
友人の存在などすっかり忘れて、明日から何を弾こうかとそればかり考えていた。
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