第19話 科学者・五十嵐さんは語る

目にしていた書類から顔を上げ、研究室の壁に貼ってあるカレンダーに視線を移す。

 『15』の日付のところにマジックに赤丸が書かれている。


 ―――もうすぐ2ヶ月になるのか。


 昨日の夜遅く、研究所の施設整備班からの報告書が届いた。

 再びその報告書に目を通しながら、淹れ立てのコーヒーを口に運ぶ。

 普段よりもさらに味が苦く感じるのは気のせいだろうか。


『KJ-002の故障原因については、現在も調査継続中』


 この『KJ-002』というのは、この研究所で開発された男女入れ替え装置のことである。

この装置の故障について書かれた、むやみに長ったらしい文章に辟易へきえきしながらページをめくっていると、ようやく最後のページにその一文が書かれていた。

 この画期的な装置が原因不明で故障してから既に1ヶ月近く経過しており、20ページを超えるこの報告書に書かれている内容も結局のところ、この最後の文章だけで事足りているのだった。

 まったく……体裁だけ整えやがって。

 どうも他の連中が作る書類というのには未だに慣れることが出来ない。

 端的に最後の一文だけを、しかも口頭で伝えてくれれば時間の無駄が省けるものを。

 私は大きくため息をついて、手にしていた報告書を机の上に放り投げた。


 現在、我が国で大きな課題となっている人口減少を食い止めるための画期的な試みと位置付けられた男女入れ替え装置であるが、試験運用を始めてすでに約半年が経過していた。

 この間、約500人もの学生を対象にテストを繰り替えしてきたが、その反応はおおむね好評といえた。


『男の子になって大変さに気付いた』

『女の子って本当に力が弱くて守ってあげなきゃと思った』


 こんな意見を聞く度にこのプロジェクトに関わってよかったと思うし、自分自身も何度か実際にテストしたことでも納得できるものだった。


 ただ、気がかりな問題がないわけではない。


 これまでの実験で新たに発生した問題。

 それは装置の故障により、男女が入れ替わったままとなってしまった―――二人のこと。

 特に、1ヶ月前に行った実験で女の子になってしまった相葉くんのケースはかなり特殊である。


 これまでこの装置の故障は2度発生しており、彼の場合は2回目の装置の故障が原因であるのだが、最初の故障の時とは違い、今回の報告書にもクドクドと書かれていたとおり実際に直る見込みがほとんどない状況にある。

 1回目の故障のときは調査してから2ヶ月ほどで原因が明らかになり、何とか修理することが出来た。

当然、そのときの被験者であるに元に戻れることを伝えたのだが、は我々にこう言い放った。


『私……いや、僕はこのままでいいです』


 彼女、いや彼がその返事をしたときに我々に見せたのは純粋な笑顔だった。

 本来であれば、こんな事態―――男女が入れ替わったままにしておくこと―――は許されるはずがない。

 万が一にもこの装置が悪用される可能性がないともいえないからであるが、彼女の場合はある特別な理由があったため、特例として認められたのだ。


 今、彼女がどこにいるかは定かではない。もう半年近く前のことなので、もはや顔もはっきり覚えていないが、おそらくは男子高校生として生きているのだろう。

あれから何事もなく生活していてほしいものだ。


 報告書の表紙を眺めながら、冷めかけたコーヒーを口に運ぶ。


 それにしても、この装置が故障をする度に信じられないような現象が起こっているのは気のせいだろうか。

 1回目のときの、そして今回の相葉くん……いや正確にいえば現在は相葉さん、か―――二人は我々の予想を超えた変化を遂げていた。


 見た目が恐ろしいほどの美貌となったことに加え、知能や身体能力もかなり上昇したという報告を聞いている。

 それと別な報告によれば、その性格や行動、話し方やふとした仕草も入れ替え後の姿にふさわしいものになりつつあると記されていた。

 ようするに、彼女は男となったことで男性的に、相葉くんは女性らしくなっているらしい……そもそも、何をもって男らしいとか、女らしいとか判断するのかは難しいところだが。

 実際にそういった変化を遂げた本人たちはどう思っているのだろうか。


 施設整備班が故障の原因の究明と装置の修理に掛かりきりになっている一方で、私はその間に二人の変化について調査を行っている。

 その調査には何人かの内部協力者も関わっていて、ほぼ定期的に情報が入ってくるのだが、中には理解しがたい内容もあり、正直なところ頭が痛い。

 例えば……


『被験者ナンバー497:○月○日

 本日、被験者が学校からの帰宅途中に不審な男に絡まれているのを目撃。我々は直ちに第2非常態勢を取り、いつでも対応できるように状況の把握に努めていると、近くの公園にいたと思われる同校の女子生徒とその場に駆けつけた男子生徒に救出される。

 あくまでも個人的見解ではあるが、まだそれほど遅い時間ではなかったとはいえ、これほどの美貌を備えた女性を一人で外を歩かせるのはかなりの危険が伴うのではないのだろうか。今回の件を踏まえ、今後のことを考慮すると、もし班長の指示がいただけるのであれば、当方が常時監視を行うことはやぶさかではないと考える。』


 『被験者ナンバー497』とは相葉さんのことなのだが……どうしてこんなことになっているんだ?

 通常、第2非常態勢を取るのは被験者が最重要人物であったり、危険にさらされているケースに限定されるはずだが、今回の調査員たちは一体どのような気持ちで業務に当たっているのだろうか。


 続いての報告書に目を通す。


『被験者ナンバー497:○月○日』

 本日、被験者が所属するクラスで席替えが行われたが、被験者がどこに座るのかという点においてクラスメイトから熱い視線を注がれる。私の予想どおり、相葉さんの席が決まるやいなやクラスの雰囲気が張り詰めたものになっていた。最近は相葉さんを通じてクラスに活気が溢れてきており、いろいろな場面においてふんわりとした雰囲気が醸し出されている。彼女を除け者にしたり、苛めが始まったりといった最悪の事態は起きていないので私としてはホッとしている。ただ、私は教師という立場なので、同じクラスメイトのように近くからその美しくも可憐な姿を眺めていることが出来ないことが非常に残念である。彼女の順調な学校生活が送れるよう、これからはもっと彼女に寄り添っていかなければならない。』


 これは内部協力者であるK教諭からの報告である。

 これを読んでいると、もはや報告ではなく軽いストーカーの実態を忠実に記したもののように錯覚してしまう。

 報告は端的に、余計な説明はしなくて良いとは指示したものの、これではアイドルのファンクラブの活動報告みたいではないか。いや、私自身そういうことに詳しい訳ではないが。


 ふう。善意の協力者とはいえ、こんな軟弱な報告内容では私の調査に支障が出るのではと疑念を抱いてしまう。

 まあ、とにかくしばらくは様子を見るしかないのだが。


 今日何杯目かのコーヒーを注ぎながら、机の上に立てかけた写真立てに目をやる。

 その写真は協力者の一人―――小杉先生から送られてきた、相葉薫が映っている。


 そこには儚げな笑顔を浮かべている天使の姿があった。


 被験者に心惹かれるなんて、科学者として焼きが回ったかな。

 無意識に口元が緩んでしまい、慌てて顔を引き締めるのであった。

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