第16話 先輩・水原啓の元カレ 吉原修司の場合
「ごめんなさい」
目の前で深々と頭を下げられて、何も言えなくなってしまう。
「私、好きな人がいるので、これ以上付き合うことは出来ません」
再び顔を上げた彼女は、何故かにっこりと笑顔を浮かべていた。
予想外だった。
これまで何度か一緒に出かけて、映画を観たり、食事を摂ったりと自分では順調だったと思っていたのに。
「あのさ……
「え? さっき言ったよね?」
「えーと、好きな人がいるってこと?」
「うん」
予想された辛そうとか、申し訳なさそうな表情は窺えず、彼女の物言いには何の
「私も人のこと言えないけど、やっぱり付き合うんなら真剣な気持ちのある人じゃないとね」
元々、俺が彼女持ちだってことを黙ったまま付き合い始めた点については確かに俺が悪いだろう。
でも、いつかの時点で目の前の彼女はそのことに気付いていた気がするし、これまではそんな素振りを一切見せなかったから。
順調だ、と思ったのだが。
「でも、いろいろと楽しかったわよ」
俺の思惑などお構いなしに放たれた彼女の言葉は、これまでの付き合いはまるで期間限定だったと言わんばかりの言葉だった。
「要するに、遊びだった、ってことかよ」
「うーん。まあ、そんな感じかな」
心の奥底では悔しさと情けなさにのたうち回りそうになりながらも、努めて表に出さないように言うと、彼女は俺の言葉に得心がいった感じで頷く。
「最初はさ、今の彼とうまくいかなくてムシャクシャしていて、つい流れに身を任せたんだけど。やっぱりこういうのはよくないかなって思ったから」
「……」
そう言って俺を見つめる彼女の目はまるで他人を見るような視線。
もはや俺には何も言うべき言葉が見つからなかった。
それじゃ、と言葉を言い残して去って行く彼女……いや既に元カノか……を呆然としたまま見送り、ふらふらと当てもなく歩き続け、気が付いたら家の近くの河川敷に立っていた。
視界に入るのは、学校の行き帰りに見慣れた川の流れ。
水面は波に揺られる黄金色の光で溢れている。
さっき彼女が言った『好きな人がいるので、付き合うことは出来ない』という言葉は、つい最近、こっちから振った彼女―――水原啓―――に向けた言葉と全く同じだった。
言われて初めて気付く―――相手にどれほど酷くて、悲しくさせる言葉なのかを。
二股をかけたあげく、彼女をフり、そして一人に絞った途端にフラれるなんて、もしかしたらバチが当たったのかもな。
別に啓に不満があったわけじゃない。
ただ、アイツの本気が俺には辛かった。何というか、彼女の後がない、みたいな態度が息苦しかったのだ。
楽しければいい。
そんな気持ちでこれまで本気に恋をしたことがなかったし、啓もそうだと思っていたが、啓の方はそうじゃなかったようだ。
だから、俺と同じような考えを持つ女の子を見つけて付き合いだしたのだ。
まあ、結局はフラれたのだけど。
◇
どれくらい時間が経っただろうか。
寄りかかっていた橋の欄干から離れようとしたときに、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ねえねえ、今度一緒に何処かに出掛けない?」
「……えっ? あ、はい。いいですけど……」
「本当? よかったー」
声のする方を見ると、そこにいたのは元カノと見知らぬ女の子の二人組だった。
こんなところで会うのはマズいと慌てて身を隠そうと思ったが、横に居る女の子に向けている彼女の表情を見た瞬間、身体が動かなくなってしまった。
……アイツ、あんな顔出来るんだ。
潤んだ目、そして
思い返せば、啓の俺に向ける視線はいつも不安そうな色に染まっていて、今女の子に向けている優しげな目を向けたことはただの一度もなかった。
二人は放心している俺の方に向かってゆっくりと歩いている。
既にお互いの顔も認識できる距離であったのだが、啓は俺に気付くことなく、横を歩く女の子にしきりと話し掛けるのに夢中で、どうやら俺を無視しているわけではなさそうだ。
ホッとしたような、寂しいような気持ちで視線を元カノから隣の女の子に移す。
横で恥ずかしそうにしながらも笑顔で返す女の子―――サラサラと音が聞こえるくらい綺麗な銀色の髪をなびかせ、啓の言葉に微笑んだり、顔を赤らめたりとくるくると変わる表情を見せている―――は、目を見張るような美少女だった。
そのとき、俺は何か得体の知れない感情に突き動かされていた。いや、きっと自分でも分かっている。
これは……嫉妬なんだと。
「啓!」
「えっ?」
突然の俺の言葉に元カノは驚き、辺りを見回して俺の存在に気付いたようだ。
「……修司?」
コイツと別れたのは数日前のことで、まだまだお互いを忘れられるほど時間は経っていないはずだが。
「どうしたの? こんなところで」
「え、ああ、ちょっとな……」
「ふうん」
「……」
「それじゃあ。行こっか、薫ちゃん」
その言葉を告げたときの啓の表情が。
「……ああ、またな」
もはや俺の存在など眼中になくて。
「じゃあ、今度の土曜日なんてどうかな?」
「あ、はい」
「やったー」
俺に背を向けて楽しそうに談笑しながら去って行く彼女との接点など、すでにどこにも存在していないことが分かった。
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