第13話 先輩・水原啓の場合

「啓、俺……好きな子が出来たんだ」

「えっ?」

「自分勝手で悪いけど……俺と別れてくれ」

「なっ……嘘でしょ?」


 耳に届くのはいつものように低く、心に染み込んでくるような彼氏の声。

 でも彼の言っていることは、聞き惚れてしまう声音とは対極の……最低な内容だった。

 今までであれば是が非でも理由を聞き出そうと追いすがっているところだけど、心の奥底では何となくこうなる予感はしていた。


 こんな気持ちになるのはこれが初めてではない。

 周囲から地味子と呼ばれて過ごした中学時代を黒歴史として封印し、新しい自分になるために髪を染め、制服を着崩して高校デビュー。

 まずは同じような境遇の子を捕まえて、その仲間でノリのいい男子グループに近づき、かつては見下していたような遊びに明け暮れているといつの間にかクラスの中心グループに入っていた。


 幸運なことに私は元々顔立ちが良かったらしく、若干の化粧で見違えるような見栄えになることもあって当然のように男子たちから注目を浴びていた。

 そして、何度か告白を受けるようになった。

 その中でグループからイケメン認定された男子と付き合い始めると、それまで感じることのなかった優越感に浸る毎日となった。


 しかし、告白してきた男子との関係は長くは続かなかった。

 そもそも中学時代にはほとんど男子との付き合いがなかった上に、相手も私の見た目がいいというだけの理由で始まったのだから、それは当然といえた。


 『俺は束縛されたくない』と言って私以外に複数の彼女をつくっていた人もいたし、少しでも他の男子と話をしただけで『浮気者』とののしられたこともあった。


 そんなことが数回繰り返されるといい加減自分は何をしたいのか、どうなりたいのかが分からなくなり、男性恐怖症に近い状態になってしまった。

 そして。

 たった今、これまでを振り返って自分なりに努力して付き合ってきた相手から無情にも別れを切り出されたのだ。


 ◇


 気が付くと誰もいない公園で一人寂しくベンチに座っていた。


 時刻はもうすぐ午後6時になろうかという頃だった。

 しばらく自分の足下だけをぼんやりと眺めていた私の耳に男女の会話らしき音が聞こえてきた。


「何だよ、どうせ暇なんだろ。俺と付き合えよ」

「……すみません。私、早く帰らないと……」


 顔を上げると公園の前を歩く銀髪の女の子に一人の男がまとわりついているのが見えた。

 それほど距離が離れていないので会話の内容が聞こえるけど、どうやら二人と私の間にある街路樹でせいで、向こうからはこっちに人がいることが分からないらしい。


 様子を窺うと絡まれている女の子はかなりの美形であることが分かった。

 女である私でも惚れ惚れするようなスタイルで、特に胸の部分は場合によっては凶器になりかねないほどの存在感がある。

 それに対して男の方は、どう考えてもまともに相手してもらえないことが自分でも気付いているのか、精一杯オシャレして誤魔化しているようだが、女の子を見る目がヤバい。

 そんな目をしてればどんな子だって嫌がるだろう。


「あの、本当に急いでいるんです」

「まあまあ、ちょっと付き合ってくれればいいんだよ」


 微笑みを浮かべればどんな男でも確実に墜ちるだろう美貌を恐怖に歪めている女の子の様子に、それまで落ち込んでいた私はいたたまれない気持ちになっていた。

 ……この子を汚してはいけない。


 使命感にも似た感情がわき上がってきて、気が付くと女の子の元へ駆け出していた。


「ちょっとアンタ、いい加減にしなよ」


 男の元から逃げだそうとして掴まれた腕を振り払うように、私は二人の間に身体を滑り込ませる。


「ああ? 何だお前!?」


 さっきまでは一応笑顔らしき表情だった男が一瞬で醜悪な本性を現していた。

 マズい。

 勢いで止めに来たのはいいが、危険な状況は変わっていない。


「この子、こんなにおびえているじゃない! さっさとここから立ち去りなさいよ!」


 威勢良く言葉を発しながらも、頭の中ではどうやってこの子を連れてこの場から逃げ出すかを必死で考えていた。

 しかし目の前の男はブサイクのくせにガッチリとしたガタイをしていて、乱暴に掴まれたらひとたまりもなさそうだ。

 くっ……どうする?


 そんなときだった。


「わ、私のことは……自分で何とかしますから……あなたはここから離れてください」

「……えっ?」


 背後から聞こえた声に、私は思わず後ろを振り返った。

 大きな綺麗な目に涙を溜めていながらも、私のことを心配している女の子。


「……あなたを巻き込むわけにはいきません」


 私以上に怖い思いをしているだろうに、気丈に振る舞おうとするその姿に。

 私は心の奥底で熱い感情が沸き上がってくるのを感じていた。


「ほら、その子もそう言ってるんだから邪魔者は消えな」


 女の子の言葉に口元をさらに歪めた男が近づいてくる。

 ……ダメだ。この子は放ってはおけない。


「いいからここから消え、うげぇっ!?」


 まさに私の腕を掴もうとする男。次の瞬間に感じるだろう痛みに対する恐怖で目をつぶってしまった私が、しばらくして目を開けるとうつぶせで地面に倒れている男が視界に飛び込んできた。


「な、何なの?」


 事態が飲み込めず困惑している私の視界に一人の男が近づいてきた。


「大丈夫かい?」


 その声は今までの緊張感にそぐわないくらい明るいものだった。その顔はどこかで見かけたような気もするが、何よりも超絶的なイケメンだった。


「あれ……沢登くん?」


 背後にいた女の子がびっくりした顔でイケメンに声を掛けた。

 えっ、この二人知り合いなの?


「ああ。ちょうど通りかかったところだよ。それより怪我はない?」

「うん……助けてくれてありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」


 二人は見つめ合ったまま笑みをこぼしている。

 超絶美少女と超絶イケメンが微笑み合っているのを見てると、何となくこっちも気恥ずかしくなる。けど、もしかして私……邪魔者?


「でも、本当に助けてくれたのは彼女だよ」


 私が若干落ち込んでいるところへイケメンくんがこちらを向いて呟く。


「えっ?」

「ごめん。本当はすぐにでも駆けつけたかったんだけど、キミの行動があまりにも勇敢だったんでね。つい見惚れてしまって、助けるのが遅れてしまったんだ」

「そんな……」

「キミのとった行動は尊敬に値するよ。そこら辺の男にだって咄嗟とっさにああは出来ないもんだ」


 イケメンに過剰に褒められて気持ちが盛り上がってしまうけど、本当に勇敢なのは私じゃない。


『わ、私のことは……自分で何とかしますから……あなたはここから離れてください』

『……あなたを巻き込むわけにはいきません』


 そうだ。この子の方が私の何倍も強く優しい心を持っている。

 だから。


 この子を守ってあげたい。

 さっきこの子に感じた熱い感情は……もしかしたら恋、かもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る