第8話

 今日は日曜日。

 昨日は女の子になって、初めての休日である土曜日だったけど、妹の友達にとり囲まれていろいろと質問攻めにうし、親父には娘認定されるという疲れる展開だった。


 ということで、今日こそは家でゆっくりのんびりと過ごそうかと思っていたのだけど。


「薫! ちょっと買い物をお願い!」


 遅めの朝食を摂ってから、ゆったりとソファで寛いでいたところにお母さんの命令……いや、お願いごとを言い渡されてしまった。


「えー、オレ疲れてるんだけど……」

「オレ?」

「い、いえ、わたし……です」


 『オレ』と言う言葉は、もはやこの家に居る限り使用することは許されない。それは外国へ旅立った親父……いや、お父さんの厳命である。


『薫。お前も立派なレディなのだから、間違っても『オレ』という言葉は使うなよ』


 しかも、もし使ったらお小遣いを減らしてもいいぞ、とお母さんに言い渡したらしく、お母さんはオレの言葉を注意深く聞くようになってしまった。

 それは面白そうね、と妹の遥までもが敵にまわってしまい、もうこの家でかつてのようにのんびりすることがかなわない状況である。


「あらあら、危なかったわね。お願いごとを聞いてくれれば、今のはノーカンにしてあげるわ」


 ニヤリと意地の悪い顔でオレを見下ろすお母さん。


「うう……分かりました……」


 今まで生きてきて、こんな酷い仕打ちを受けたことなんか……えーと、結構あったかもしれない。とにかくお小遣いが人質ひとじちにとられている以上、反抗するだけ損だ。


「あの……買い物って?」

「あ、そうそう。夕食の材料が足りないのよ。イ◯ンで買い物してきて欲しいの」

「うん。分かった」

「じゃあ、これは買ってきてほしいものリストよ。お願いね」

「はーい」


 身体が疲れていることもあるけど、本当のところ、この姿であまり外出したくないのだ。


 学校で友達に会うのは仕方がないけど、休みの日にまで注目されたくない。

 昨日だって、遥と買い物に行った先で遥の友達に囲まれて居たたまれなかったのだ。


 しかし、ここで逆らってもろくなことがないので、決心して買い物に出掛けることにした。


 今日は妹の遥が部活でいないし、とりあえず昨日のような惨劇は起きないと思うが、なんせこのナリだと自然と注目されてしまうのだ。


 それを避けるためにはせめて目立たないような服装にしようと思いつつ部屋に入ると、何故かベッドの上に女物の服が並べられていた。

 しかも、その服というのが。

 ピンクのキャミソールに白いカーディガン、黒いミニスカートにこれまた黒いニーソという派手な組合せである。

 こんなものを着たら目立って仕方ない、と思い、気付かないフリとしたが、机の上に手書きで書かれた紙が置かれていた。


『今日はこの服で出掛けなさい。これは命令よ! 母より』


「……」


 オレは絶望を感じつつ、用意された服を着て、いつでも変装に使えるようにお母さんに持たされたバッグにサングラスとマスクを忍ばせてイオ◯に向かった。


$ $ $


 男のときであれば自転車で行くのだけど、さすがに女の子歴が短いオレにとってミニスカート装備での自転車はいろいろと厳しいので徒歩で行くことにした。


「……じゃあ、行ってきます」

「はーい、気を付けてね」


 オレが言いつけどおりの服を着ていることに満足したお母さんは笑顔で送り出してくれた。

 でも女の子になったばかりのオレにとって、この服装は恥ずかしくて死にそうである。


 家から◯オンまでは徒歩で15分くらいの距離。

 もうすぐ夏ということもあって少し暑く感じるけど、身体を動かしていると多少は悩みを忘れることが出来て気分がいい。

 でも、ミニスカートってこんなに頼りないとは思わなかった。

 ちょっとの風でもふわっとまくれてしまいそうで気が気でない。

 なるべく人通りの少ない道を選んで歩いているつもりだけど、それでもすれ違う人からはジロジロと見られてしまう。


「うわっ、スゲエ」

「めっちゃ美人だぜ」

「きゃー、可愛いわー」


 なるべく気にしないようにしているけど、やたらと視線を感じるし、話している言葉が耳に入ってきて思わず顔が赤くなる。

 おかげでイ◯ンに着いたときには既にヘトヘトの状態だった。


 店内に入り、早速食料品コーナーへ移動。

 ここには、ファッションやら日用品やらの専門店も数多くあるけど、今日は食材を買うために来ているので余計な寄り道をしない。それに食料品コーナーは比較的オバちゃんが多いので注目されることも少ないし多少は気が楽だ。


 お母さんに渡されたメモを見ながら、目的の品をカゴに入れていると目の前にベビーカーを押している女の人が困ったように立ち往生していた。

 どうやら、赤ちゃんがぐずって泣き止まないようで、抱っこしてあやしても収まらないみたいだ。


 うーん。何とかしてあげたいけどオレじゃあなあ。

 他人事とは言え申し訳なく思っていると、ふと赤ちゃんとオレの目が合ってしまった。

 その途端、赤ちゃんは泣くのを止めてじーっとこっちを見つめてきた。


 あれ? 何でオレをそんなに凝視するの?


 やがてオレの方に手を伸ばしてきゃっきゃっと笑い声を上げる赤ちゃん。そんな様子に気付いた若いお母さんはにっこりと笑顔を浮かべ、赤ちゃんを抱いたままオレの方にやってきた。


「あらー、たっくん、このお姉ちゃんが気に入ったの?」


 オレの方をチラチラと見てそう言いながら、何故か抱いていた赤ちゃんをオレに渡そうとする。


「えっ? えっ?」


 混乱したまま、思わず赤ちゃんを受け取って抱っこしてしまった。

 オレの腕の中で嬉しそうに笑い声を上げる赤ちゃん。ほのかに香るミルクの匂いに何故か胸を奥がきゅんとなってしまい、自分でも驚いた。


「この子、他人には懐かないはずなのに、あなたの顔を見た途端、すごく嬉しそうな顔になったわ」

「あ、あの……」

「あ、ごめんなさい。いきなり抱っこなんかさせて」

「い、いえ」

「この子がこんなに喜んでいるのを見ると、私まで嬉しくなって……」


 赤ちゃんを抱いているオレをニコニコと満面の笑みを浮かべて眺めている若いお母さんは本当に嬉しそうな顔をしていた。そして『せっかくだから記念に』と抱っこしているところを写真に撮っていた。

 最初は戸惑っていたオレだけど、赤ちゃんの顔を眺めているうちに段々と暖かい感情が湧いてくるのが分かった。

 もしかしてこれが母性と言うヤツなのか。


 でも、オレは肉体的には女だけど、精神的には男のはず。

 一体どういうことだ? オレの心が徐々に女になっていくのか?


 結局、赤ちゃんが眠りにつくまでの間、抱っこしながら若いお母さんと何気ない立ち話をしてすっかり打ち解けてしまっていた。


 女の子になって初めての休日は、これまで縁がないと思っていた妹の遥の友達と仲良くなったり、見ず知らずの赤ちゃんに気に入られたりと何となく女の子っぽい時間を過ごしたのだった。

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