第7話

 疲れを取るための休日だったのに、妹のクラスメイトのおもちゃにされたせいで逆に疲労が倍増してしまった感のある土曜日の夜。


「ただいま~」

「あっ、帰ってきた」


 妹の遥がリビングから玄関に向かう。

 その様子を横目に見ながら、オレはすぐさま、のんびりとすすっていたお茶をテーブルに置いて居住まいを正す。


「おう、帰ったぞ~」

「お父さん、お帰りなさい」


 リビングに入ってきたのは、口元に髭を生やしたワイルドな中年男―――相葉清隆―――オレの父親だ。日頃、カメラマンとして海外を駆け回っているせいで、ほぼ真っ黒に日焼けしている。質実剛健を地でいく性格で、中途半端なことが大嫌いな頑固親父である。


 オレが男だった頃も、『男は軟弱では生きていけない』『ただ強いだけではダメだ。優しくなければ男ではない』などと、一昔前のフレーズをことあるごとに言い聞かされていて、正直苦手なのだ。


 そんな親父が今のオレの姿を見たら……。


 案の定、それまでニコニコと笑顔を浮かべていた親父が、オレの姿を捉えると途端に怪訝な表情に変わった。


「母さん、この女性ひとは誰だい?」


 問いかけられた母さんは、ああ、そういえば言い忘れてたわ、という感じで答える。


「薫よ」

「は?」

「だから、薫。自分の子供も分からないの?」

「なっ!?」


 絵に描いたような愕然とした表情を浮かべていて、へえ、親父ってこんな顔も出来るんだ、と思ってしまった。

 まるで、美味しい料理を平らげた後で『実は毒入りなのよ』と言われたぐらいの驚きの顔だった。


「薫……本当に薫なのか?」


 信じられないといった表情でオレを眺める。

 そしてゆっくりと近づいてくる様子は、まるで獲物に襲い掛かってくるように思えて、親父でなければとっくに逃げ出すくらい恐ろしく感じた。


「う、うん。オレだよ」

「ば、ばかな……」


 がっくりと膝をついてしまった親父。

 オレに責任がないとはいえ、申し訳なく思ってしまう。


 とりあえず、床に力なく座り込んでしまった親父をソファに移動させて、これまでの経緯を説明した。


「そうか、そんなことが……」

「親父……ごめん」

「いや、お前が悪いわけではないだろう。責めたりはしない」


 さすがに完全に冷静さを無くしたわけではなさそうで安心したのだが。


「ところで、薫は女なのに何故『オレ』って言うんだ?」

「へっ?」

「女の子なんだから『わたし』ではないのか?」

「ええっ、でも……」


 そうだった。男のときに『男らしく』と言ってたんだから、今の状況を考えればそういう風に言い出しかねないと気付くべきだった。

 でも、いつかは男に戻るんだから、と言い返すと。


「それは何時なんだ? すぐに戻れる保証はあるのか?」


 と責められてしまった。

 っていうか、親父の中ではもうオレは娘になっているんだなと少し悲しくなった。


 $ $ $


「ところでお父さんはいつまで家に居られるの?」


 久しぶりの家族水入らずで夕食を摂りながら、母さんが尋ねた。


「すまんが、明後日にはまた出かけなきゃならない。今度は2か月ほどかかりそうだ」


 カメラマンである親父は、1年のほとんどを海外で過ごしている。

 なので、ちょっとした時間があればこうやって家に帰ってきてくれるし、強面こわもてであるが、実際は家族思いの優しい父親なのだ。


「そういえば、遥は勉強の方は進んでいるのか?」

「うん、問題ないよ」

「そうか、お前も来年は高校生になるのか。月日の流れは早いもんだな」


 しみじみとしながら、母さんの注いだビールをゆっくりと空けていく。


「薫は彼女……いや、彼氏でも出来たか?」

「ブフォッ!?」


 いきなりのトンデモ発言に思わず飲んでいたお茶を盛大に吹いてしまった。


「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!?」

「薫っ、汚いわよ!」

「うっ、ご、ごめん」


 慌てて口の周りとテーブルをふき取る。

 でも、これってオレ悪くないじゃん。突然変なことを言い出す親父が悪いんだよ!


「な、何を言い出すんだ? 親父」

「親父じゃない。お父さん、だ」

「う……お、お父さん」


 何か問題がすり替わっている気がするが。


「お前だって年頃の娘だ。恋愛の一つや二つ、することもあるだろうが、決して軽はずみなことはするなよ」

「完全に娘扱い!?」


 年に数回しか会わないとはいえ、こんなに切り替えが早いなんてどうなってるんだ!?

 親父ってこんなだったっけ?

 遥と母さんは面白がって含み笑いをしているし、困っているのはオレだけのようだ。


「いやー、しかし薫もいい女になったなあ」

「単なる酔っぱらいじゃねーか!?」


 もはや我が家の女どもは、オレに遠慮することなく涙を浮かべながら大声で笑っていた。


 どうやら、息子が突然、娘になってしまった寂しさをお酒で誤魔化したのではないか、ということを母さんに言われて気付いたのは、親父が外国へ旅立った後のことだった。

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