第二章 (3) そして誰も働くなる


 翌日のベーシックインカム調査特別委員会では、まず明見議員が立った。


明見「本日は、ベーシックインカム社会における働き方の変化についての議論ということです。ここでちょっと皆さんのご協力をいただいて、簡単なアンケートを行いたいと思います。この放送をネットでご覧の皆さんもクリックで回答していただけますので、ぜひご協力下さい」


 画面に、以下のような質問事項が表示された。


 質問1:毎月八万円が給付されるようになった場合、あなたはどうしますか?

 1 今の仕事を続ける

 2 仕事を変える、または、仕事を減らす

 3 仕事をしない


 質問2:他の多くの人はどうすると思いますか?

 1 今の仕事を続ける

 2 仕事を変える、または、仕事を減らす

 3 仕事をしない


 質問3:賃金はどうなると思いますか?

 1 賃金が上がる

 2 賃金が下がる

 3 賃金は変わらない


 議会に参加している人すべて、議員や民間委員、大臣や官僚や補佐官、秘書や職員まで、議場にいる人すべてが参加した匿名アンケートが行われた。

 三箇所に置かれた回答用PCに、300人近くがぞろぞろと列を作ってボタンを押しに行く。

 落ち着くまでに十五分ほど掛かった。


明見「ご協力、たいへんありがとうございました。すぐに結果が出ると思いますので、少々お待ち下さい。

 さて、もしベーシックインカムの給付金が月八万円だとすると、三人家族で24万円、四人家族で32万円、五人家族で40万円です。そうなると、普通のサラリーマンの給料とそう変わらない金額になります。働く必要がなくなる家庭もあるでしょう。毎日家にいて、好きなことをして、家族にも不自由をさせない。そうなるわけです。もしお金を使い果たしてしまっても、次の月にはまたお金が入ってくるのですから心配はいらない。ある程度は貯金や保険に回して、いざという時の備えも出来ます。どんなふうに、みんなどんどん働かなくなって、世の中が動かなくなる。地域や社会にどうしても必要な仕事にも、働き手がいなくなる。働く意欲失われ、怠惰になって、企業も倒産し、所得税も法人税も減少して行く。そうなると、ベーシックインカムで給付するお金さえ払うことが出来ず、あっという間に制度が崩壊し、国が滅びてしまう。だから、ベーシックインカムなど単なる絵空事だと。

 なるほど、そんな危険なものなら、こうやって大勢で頭を突き合わせて議論する必要もありません。

 しかし、働かなくなった人は、ただ家でゴロゴロしているだけでしょうか? 遊びほうけているだけでしょうか?

 先ほどのアンケートは、それを問うものでした。さて、結果を見てみましょう」


 議場のあちこちに置かれた大型モニターに結果が映し出された。


 質問1:毎月八万円が給付されるようになった場合、あなたはどうしますか?

 1 今の仕事を続ける

    会場【78.8%】 ネット【30.5%】

 2 仕事を変える、または、仕事を減らす

    会場【17.4%】 ネット【51.8%】

 3 仕事をしない

    会場【3.8%】 ネット【17.7%】


 質問2:他の多くの人はどうすると思いますか?

 1 今の仕事を続ける

    会場【8.9%】 ネット回答【9.5%】

 2 仕事を変える、または、仕事を減らす

    会場【30.3%】 ネット【44.8%】

 3 仕事をしない

    会場【60.8%】 ネット【45.7%】


 質問3:賃金はどうなると思いますか?

 1 賃金が上がる

    会場【96.7%】 ネット【91.5%】

 2 賃金が下がる

    会場【3.2%】 ネット【6.7%】

 3 賃金は変わらない

    会場【0.1%】 ネット【1.8%】


 有効回答数 会場【288名】 ネット【114,293名】


明見「私どもも、いろいろな所で同様のアンケートを行ってきましたが、この結果とほぼ同じでした。

 これを見ると一目瞭然なのが、自分は仕事を辞めないけれど他の人は働かなくなるだろう、と思っているということです。この場にいる皆さんは、今の仕事を続けたい気持ちがだいぶん強いようなのは、やはり仕事に対する誇りと責任をお持ちだからではないかと察します。ただし、他の人は仕事をしなくなってしまうだろうと思っている人が、ネット回答よりもずいぶん多いのも見て取れるかと思います。

 さて、先ほどの話に戻りますが、仕事をしなくなった人は、何をして日々を過ごすでしょう。毎日、ゴロゴロ、ブラブラしていて、その人は満足でしょうか? もちろん、そういう人もいるでしょう。でも、たいていの人はすぐに飽きてしまいます。趣味も余暇を見つけてやるのが楽しいのであって、日課になってしまうとそれはもう趣味とも言えなくなってしまうかも知れません。趣味が高じてその道の専門家になったとしたら、それはそれで素晴らしいですが、仕事とあまり変わらないでしょう。お金を貰わない仕事。つまり、ボランティア活動です。

 贅沢はできないけれど、お金には困らない。自分のための時間は充分にある。そうなった時、人はどうするでしょう? 何を思い、何を望み、何を見つけ、何を目指すのでしょう? 私は逆に、そこに期待したい。お金に縛られず、生活に苦しまず、自分の人生を取り戻した時に、一人一人の中から生まれてくる力こそ、これからの日本を推し進める原動力となる。と、私はそう信じています。私がベーシックインカム社会に期待するのは、何よりもそこなのです。

 少々、希望的な概念論になってしまいましたが、このアンケートで分かる通り、誰も働かなくなってしまうことはないのだと思います。特に日本人は、死ぬまで遊び呆けていられるような人たちではないと思います。誰かのため、世の中のため、そして自分のために、何かをしたくなります。それは、今までのようなお金を稼ぐための仕事とは違ってくるでしょう。仕事の意味、働くことの意味が変わってくることでしょう。意欲も変わってくるでしょう。労働の対価としての賃金のあり方も変わってくるでしょう。

 日本人にしかベーシックインカム社会は実現できない、という昨日のウィリアム・カーン氏の言葉を聞いて、なるほどと私も目から鱗が落ちる思いでした。日本人にしか出来ないかどうかは分かりませんが、今そういう社会に向かうためのいちばん近い地点にいるのは日本ではないかと、私も思います。そのタイミングを見計らうためにも、皆さんのさらなる議論を期待しております」


 明見の後に、東大名誉教授の憲法学者が反論に立った。


上野「憲法の第二十七条には、すべて国民は勤労の権利を有し義務を負う、と明記されている。働くことは国民の義務なのです。タダでお金を貰えるとしたら、全員とは言えないかも知れないが、働く人が減るのは間違いない。ベーシックインカムというのは、それを奨励するようなものだ。これはまさしく憲法に違反し、憲法をないがしろにすることです。

 なぜ、憲法に勤労の義務が謳われているのか。それは、国民の力で国を豊かにする為です。他の国に頼ることなく、自分たちの力で国を繁栄させる。そういう自立自存の精神が表明されているのです。

 働かずに国からお金を貰うという制度は、その自立自存の精神を衰退させることにほかならない。日本の国を衰弱させ、弱体化させるに等しい。

 戦後、必死の思いで日本を建て直し、成長を続けてきたのは、すべからく国民の力によるものです。それを、ここで停滞させるどころか、減衰させようなどというのは、これまでの国民の努力を水泡に帰し、否定することだ。

 より高い目標に向かわずして、これからの日本の未来などない。国民の人心を誑かし、国力を衰弱させるだけのベーシックインカム制度など、百害あって一利すらなく、これはもはや騒乱罪であり、日本転覆を目論むクーデター、内乱罪であると断罪するものである。

 どうか国民の皆さんには、決して甘い言葉に騙されることなく、日本の将来を深慮し、冷静で公正な判断を下されるよう、つとにお願いしたい。かつて、八紘一宇、討ちして止まん、進め一億火の玉だ、などと言って軍国主義に染まり、泥沼の戦争に陥って行った。そんな轍を二度と踏まぬよう、一時のブームに流されることなく、甘言や幻想に惑わされることなく、堅実で確実な未来を心に描いて明日の日本を共に創り上げて行こうではありませんか」


 口角泡を飛ばし、握りこぶしを叩きつけるように、憲法学者が熱弁を振るった。

 今度は、同じ東大名誉教授である国際経済学者が発言する。


宮代「上野先生のご意見は、ごもっともな点もございます。私も、ここ半年ほどの、この論議の異様な盛り上がりは非常に驚いております。まあ、一時のブームと言えばそうなのかもしれませんが、こうして多くの人を巻き込んでの論議は決して無駄ではないと思っております。日本だけではなく、他の様々な国でもベーシックインカムについて真剣に検討されております。それはつまり、今の資本主義経済がひとつの曲がり角に来ているということを示唆しているのではないかと思います。

 昨年はフィンランドで2000人の失業者に月600ドル、約6万8000円を給付するという実験が開始されました。まだ正式な結果報告は出ておりませんが、生活に対する恐怖が無くなり精神的に安定したという声も出ているようです。また逆に、スイスでは2016年の国民投票で反対77%で導入が否決されました。これは、大人が27万5000円、子どもはその1/4の6万8000円余りという高額な法案で、財源確保の困難、勤労意欲が失われる、経済競争力低下の懸念などが主な反対理由でした。他には、カナダのマニトバ州や、ブラジルのサンパウロ州、ナミビア、ナウル、イランなどでも小規模の限定的な現金給付制度の実験が行われたことがあります。カナダ、オーストリア、ドイツではかなり現実的な制度設計が検討されているようです。

 このベーシックインカムという経済システムのアイディアは、古くは1796年のトマス・ペインの『土地配分の正義』、1797年のトマス・スペンス『幼児の権利』、1933年にはC.H.グラハムの『社会信用論』、1944年にはウィリアム・ベヴァリッジがケインズ経済学に立脚した『ベヴァリッジ報告書』でケインズ=ベヴァリッジ型福祉国家を提唱し、ここからいわゆる「ゆりかごから墓場まで」といわれる戦後のイギリスの社会保障制度を生み現在に至っております。

 このように、ベーシックインカムという考え方は、現代経済学と共に始まったものであり、今もなおその有効性は失われておりません。いえ、資本主義経済のジレンマが浮き彫りになってきた今の時代こそ、その重要性をいや増すのは必然の経緯と言うべきでしょう。

 さて、先ほど上野先生から、憲法に定められている勤労は国民の義務ということに反するのではないか、国力を低下させるのではないかというご意見がございました。私は憲法学者ではありませんが、ひと言意見を述べさせていただきたいと思います。

 勤労は義務である、という時に、果たしてその勤労というものはいかなるものであるか。勤労とは、ただ金を稼ぐためだけの労働ではないと、私は考えます。例えば、農作業をして収穫物を得る。これは立派な勤労です。それを売ってお金に変えることも出来るし、家族の食卓に並べることも出来る。他の人と別の何かと交換することもできるし、無料で差し上げてもいい。そうしたからといって、勤労の価値は変わるものではありません。また、ある人が素晴らしい絵を描く。それもまた勤労です。その絵を欲しい人にお金で買ってもらうのもいいでしょうし、ただでみんなに見せてもいい。そこに喜びとか感動が生まれるとするなら、それは心の豊かさを生み出したと言えるでしょう。

 かように、勤労イコール金銭交換とは限らないのです。勤労は義務である、というのは、怠惰を貪り、自己の能力を放棄し、生きる意欲を持たないことを戒める、という意味なのだと私は考えます。憲法には、国民は勤労の権利と義務を有する、とあります。権利を有するということは、つまり、労働の対価を求めることも求めないことも出来るということではないでしょうか。ただ怠けてばかりいないで一生懸命に何かに取り組んで生きよ、と。それが国民の義務なのだと。頑張ってたくさん金を稼げとは、憲法のどこにも書いていないと考える次第であります。

 もちろん、誰しもがそうであるべきと言う訳ではありません。お金は労働の価値を計る重要な指標であることは間違いありません。上野先生のご懸念としては、労働から金融資産を生み出す率が低くなると、国全体としての生産性が下がり、国際的な競争力が衰えてしまうということではないかと推測します。政府の目標とするGDP600兆円を達成するどころか、逆にどんどん減っていくのではないかというご指摘でしょう。私も、その懸念はありますし、実際に国民総生産高は落ち込むと思います。貿易高も減り、対外的な経済力も低下するでしょう。しかし、それを克服することを考えるべきです。短期的には成長率は落ちても、そこから何が生まれてくるか、何を生み出さなければならないかが、いちばん重要だと思うのです。もう少し長期的な視点でマクロ経済を考える必要があると思うのです。

 その点につきましては、マクロ経済学の専門である若手の経済学者に話をバトンタッチしたいと思います。では、香坂先生、よろしくお願いします」


 物静かな語り口の老学者に変わって、テレビよりもネット番組などで活躍している気鋭の経済評論家が、早口で捲し立てるように話し始めた。


香坂「ご紹介に与りました香坂です。さて早速ですが、こちらのグラフをご覧下さい。

 これは、この38年間の名目GDPの推移です。2008〜2009年のリーマンショックによる金融恐慌の時期を除いて、ほぼ上昇傾向にあり、昨年度は544兆円と最高値となっています。次に、実質GDP高です。これも名目GDPと変わらない曲線を描いています。次にこちらは、ドル建ての名目GDP、つまりその年の為替レートに換算したグラフです。いわゆる国際経済力を表しています。これを見ると、1995年以降は乱高下しており、2011〜2012年をピークに、ここ数年は下降傾向にあるのがお分かりかと思います。私たちは前年よりもGDPが何パーセント上がったかばかりを気にしていますが、世界経済の中では割と上がり下がりをしているものなのです。まあ、それでもアメリカ、中国に続く世界第三位の生産高には間違いありませんが。

 また、こちらのグラフは、国民一人当たりの生産高です。要するに、総生産高を人口で割ったものですね。当然のこと、人口が多い国ほど一人当たりの生産高は小さくなります。一位がルクセンブルク、二位がスイス、三位がノルウェー、四位がマカオ。日本は22位で、フィンランド、カナダ、ドイツ、ベルギー、イギリスよりも低く、フランスやニュージーランドとほぼ同じという結果になります。まあ、日本の1億2,500万人で割ってしまう訳ですからムリからぬことかと思いますが、こちらの数字の方が、実際の我々の生活感覚に適った数字と言えるでしょう。このように、一人当たりの働きは、他の国よりも決して飛び抜けているわけではないと言うことがお分かりいただけると思います。とは言っても、悲観することはありません。何といっても、総額では560兆円の総生産ですから。

 次に、対外資産を見てみましょう。対外資産残高は、前年比5%増の997兆7,710億円。同時に、対外負債残高も6.2%増の648兆6,580億円。差し引き、349兆1,130円となり、大幅黒字の健全経営です。対して世界第一位の生産高を誇るアメリカは、資産2,793兆4,649億円、負債3,740兆6,723億円で、マイナス947兆2,074億円という目も当てられないような負債を抱えています。いったい、これからどうするつもりだろうと他人事ながら心配になりますが。ともあれ、純資産額では日本がダントツの一位、続いて中国が二位で210兆3,027億円、三位がドイツで209兆9,234億円。ただし、中国に抜かれるのは時間の問題だとも言われておりますが、中国のバブル崩壊とどちらが早いかという話であります。

 このように、日本はずっと頑張り続けて経済大国となり、今もGDP600兆円を目指して馬車馬のように走っているわけであります。こうした拡大経済の行き着く先は、どこなのでしょうか? 未来永劫、成長を続けなければならないのでしょうか? 石油を買い込み製品を作り、鉱石を買い込み金属を精製し、地球資源を使ってあふれるほど物を作り、消費し、金に替え、大量のゴミを生み出して行く。そうした先に何が待っているのでしょう。

 まあ、あと200年や300年は大丈夫、どうせ私たちは生きていないんだし、今悩んでもしょうがない。技術の進んだ未来の人たちが何とかしてくれる。100年前の人たちも、そう考えたかも知れません。しかし何か解決したでしょうか? さらに大きな問題、複雑な問題を抱え込んでいるだけではないでしょうか?

 まあ、それはさておき、経済を成長させて行くということは、たくさんお金を稼ぐことです。たくさんお金を稼ぐには、たくさんの投資をして、たくさんの物を作って、たくさんの人や国に売って、その利ざやを得ることです。それは、国でも企業でも商店でも同じことです。そのための方法は二つあります。安いものを大量に売るか、いいものを高く売るか。そこは需要と供給の関係で、その商品によってどういうニーズが多いかで商売の方針が変わります。日本は、国民性なのか、隙間を狙ったのか分かりませんが、いいものを安く売ることでのし上がって来ました。日本車がいい例ですね。電気製品もそう言えるかもしれません。みんな飛びついて買い、日本製品は品質が高い、壊れない、長持ちすると喜ばれました。手先の器用さ、マメさ、妥協を許さないこだわりで技術力を伸ばし、モノづくり大国を誇ってきました。しかしその反面、ジャパンバッシングが起きました。従来の産業界に雇用喪失を生み、低価格競争を導き、経済格差を助長してしまいました。そうするうちに、日本では経済が潤うにつれ人件費が上がり、安い労働力を求めて資本は海外に流れ、常に前年比を超える売上げを課し、大量生産の代わりに品質を低下させて行きました。昨年次々に発覚した製品検査データの不正事件を忘れることは出来ません。神戸製鋼、三菱マテリアル、日産、スバル、どれも日本の屋台骨を支える基幹産業です。今や量のみならず質さえも中国に凌駕されようとしています。日本は、このまま尻に鞭打って、この拡大生産経済を続けるのが得策なのでしょうか? 再び、かつてのような成長を望めるのでしょうか?

 おっと、つい熱が籠ってしまいました。何が言いたいのかというと、簡単に言えば、産業・経済の転換期に今いるのだということです。物を大量に作っても、もう国は豊かにならない。アメリカや中国と似たり寄ったりのものを作っても、もう需要は限られている、ということです。ならば、日本はどうすればいいのか? 答えはひとつです。日本ならではの物を作って、新しいニーズを生み出す。量より、質。そしてオリジナリティ。物質的な豊かさから、心の豊かさを生むモノづくり。ここにしか、もう活路はないのではないでしょうか。

 世界の国々から見れば、日本は奇妙な国です。世界の端っこに浮かぶ小さな島国で、よく分からない精神構造を持ち、独特の文化を持ち、そのくせお金を持っていて生活水準が高い。高層ビルが建ち並ぶ中に、古い歴史が残っている。最先端技術と伝統文化が共存している。知れば知るほど、奇妙で面白いオリエンタルな国。そんな日本を好きになってくれる人も増えています。その、奇妙で面白い、興味深いという点にこそ、私たちの可能性が残されているのです。

 行き詰まった経済サイクルを転換させるために、ベーシックインカムという制度はまさにうってつけの方法だと、私は思います。もちろん、それだけでガラッと方向が変わって好転に向かうわけではありません。それどころか、様々な弊害や問題が生じてくるでしょう。経済構造だけでなく、社会や組織や生活や教育や、あらゆる面に影響を及ぼすでしょう。対外貿易、国際社会でのポジション、諸外国との外交に至るまで、変革を余儀なくされるでしょう。だからこそ、あらゆる現行制度を見直し、新しい政策を打ち出し、短期・長期的な見通しを立て、継続位して実行して行く国の姿勢が必要です。国民にメリットもデメリットも明らかにして、その是非を問い、意思を汲み、希望を叶えるための力が必要です。

 そのためにも、ベーシックインカム制度の制度設計と共に、それに伴う具体的な政策案も提示しなければなりません。メリットは何か、デメリットは何か、そのデメリットを克服するためにどういう政策を実施するのか。ただ、お金が貰えるから賛成、今の年金よりも額が減りそうだから反対、うちの旦那が働かなくなりそうだから反対、物価が高くなりそうだから反対というだけではなく、自分の人生にとって有益かどうか、子どもたちの将来にとってどうなのか、日本がどういう国であって欲しいか、そういう観点からもひとりひとりよく考えてもらいたいなと、そう思うのであります。

 複雑怪奇になってしまった現代の資本主義経済ですが、その原理は至って簡単です。お金が動けばいい。ただそれだけです。お金を支払って恩恵を受ける。お金を受け取った人も、それを使って別の恩恵を受ける。仕事で恩恵を与えればお金が入る。そうやってお金が回ると、誰もが恩恵を受け、豊かな暮らしができ、世の中は活性化するのです。今は、世の中でお金が動いていません。どこか一部にストックされていて循環していません。お金が回ってこないと、将来のため、もしものためと、みんなが蓄えに回してしまいます。すると消費が減少し、ますますお金が回らなくなる。だから、使えるお金を増やせばいいのです。来月の心配をしなくてもいいとなれば、安心してお金が使えるようになります。ベーシックインカムとは、つまりそういうことなのです。決して資本主義経済を否定するものでもなく、世界の流れに逆行するものでもないのです。いい暮らしをしたければ、働きましょう。そして、楽しいことや、素晴らしいものや、自分の生き甲斐のために、幸せのために、どんどんお金を使いましょう。国も日銀も、どんどんお金を回しましょう。お金とは、そのためにあるのですから」


 そう言い切って、香坂という経済評論家が席に戻った。


明見「私からも、少しだけ話をさせて下さい。

 先ほどのような私たちが行ったアンケートの中に、こういう質問があります。

 あなたは、自由ですか?

 はい、と答えた人が78%、いいえが11%、どちらとも言えないが11%でした。

 たいていの人は、自由だと感じています。そんな人と話をしてみると、少し妙なことに気がつきます。

 では自由な時間には、何をしますか?

 答えは人それぞれです。映画を観たい、釣りに行きたい、旅行に行きたい、もっと本を読みたい、美術展に行きたい、バンドをやりたい、撮りためたアニメを見たい、懐かしい人に会いたい、ゆっくり話をしたい、などなど。

 では、それを充分出来ていますか? と聞くと、ほとんど全員が、なかなか出来ないと答えます。その理由はと尋ねると、お金がない、時間がない、仲間がいない、です。なのに、自分は自由だと感じている。やりたいことを満足に出来ないのに自由と感じている。実に不思議です。

 別に、それを否定しているわけではありません。

 考えるに、自由は権利として保障されているけれど、それを実現するお金や時間の余裕がない。自分の好きなことをする前に、もっと大事なことがある。それは仕事であり、勉強であり、家事や育児であり、それが優先だということではないでしょうか。

 もちろん、仕事や勉強や家事や育児を嫌々やっているというわけでもないでしょう。仕事が生き甲斐であり、希望を叶えるために勉強に励み、家事をいかに工夫しようか、子どもに愛情を注ぐのが自分の幸せ、という人の方が多いと思います。

 ではなぜ、お金がないから、時間がないから、と答えるのでしょう?

 つまりそれは、単純に物理的な問題なのです。

 時間を仕事や学校や家のことに費やせば、自由に過ごせる時間もなくなる。

 生活にお金を使えば、好きなことに使えるお金もなくなる。

 ならば、時間とお金を増やせばいいだけのことです。

 それが、ベーシックインカムの最大の効果だと、私は考えています。

 毎月一定のお金が入ってくれば、その分、仕事に割く時間が少なくて済みます。週五日の労働が週三日になれば、家事の分担も楽になるでしょう。バイトに費やしていた時間を勉強に充てたり趣味に充てたりも出来るでしょう。地域の活動にも参加しやすくなるでしょう。ボランティア活動にも取り組めるでしょう。遠い所まで旅行に行けるでしょう。人の交流も増えるでしょう。仕事のことばかりではなく、自分のこと、家族のことを考える時間も増えるでしょう。出来ることが増え、新しくチャレンジしたいことも生まれてくるでしょう。それが本来の自由ということなのではないでしょうか。

 もう少しだけ、お金と時間が出来れば、将来の不安が減れば、気持ちに大きな余裕が生まれます。余裕が生まれれば、優しくなれます。人の価値をお金のあるなしで決めるような社会ではなくなります。給料のいい安定した職に就ければ勝ち組だとか、何の保障もない仕事は負け組だとか、そんなこともなくなります。失敗したって、何度でも挑戦したり、別の道を探したりすることもできるようになります。成功した人は、たまたま運がよかっただけじゃなく、その人の努力や才能として正当に評価されるようになります。成功した人を闇雲に羨んだり嫉妬したりすることもなくなります。失敗した人を笑ったり蔑んだりすることもなくなります。人の価値はお金だけでは計れないということが常識の世界になります。

 ただのキレイ事に聞こえるかも知れません。もしかすると、イデオロギーだとか宗教じみているように聞こえるかも知れません。しかし、それは至極当たり前のことではないでしょうか。ともすれば、日々の現実の中で忘れそうになっている、とても大事なことなのではないでしょうか。

 実現不可能なことなら、夢物語と一笑に付して下さっても結構です。でも、そうではないなら、その夢物語を実現させてみたいとは思いませんか?

 もちろん、ベーシックインカムの導入はとても大きな改革です。大多数のコンセンサスと多大な苦労を伴うことになるでしょう。私は、今の日本社会を頭から否定しているわけではありません。いい所もあれば悪い所もある。しかし、ただ将来が見えない。希望が持てない。人々の中に生き生きとした活力が生まれるにはどうしたらいいか。その一点のみが、私がベーシックインカム社会をご提案する理由です。

 まだまだ議論は尽きないかと思いますので、また日を置いてさらに議論を深めていただけますよう、最後にこの委員会の延長動議を提出したいと思います。ご静聴ありがとうございました」


 三日間の日程で開催されたベーシックインカム調査特別委員会は、二週間後にさらに三日間の開催を決定して幕を閉じた。

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