第二章 (2) みんなに八万円


 翌日の委員会では、給付制度の策定が議題となった。

 まず、総務大臣を二期務めている上原という男が質問に立つ。


上原「まだ実現性も分からない仮想的なこの問題で、いきなり誰にいくらというような話をするような段階でもないとは思いますが、まあ、なるべく具体的な議論をしたいという皆様のご要望に応じて質問させていただきます。

 ここに提案されている試案によりますと、日本国籍を持ち、なおかつ日本国内に在住している国民全員に同額を支給するということですが、この案にどのような妥当性があるのかをお伺い願えますか? 生まれたての赤ん坊からお年寄りまで平等に、というその高尚な気持ちは理解しますが、果たしてそれは本当の平等と言えるのでしょうか? 幼児や小中学生に何万円も渡して、それをどう使うのでしょう。つまりは親の財布に入って、親の判断ひとつで使い道が決まる。ちゃんとその子の子育てや教育に使われるかも知れないし、家族旅行に使われるかも知れないし、親の遊興費に浪費されるかも知れない。それならば、世帯単位とした方がまだ実情に即したものになるのではないでしょうか?

 また、貧困者にも年収何億というようなお金持ちにも同じ金額を給付するというのは、逆に不平等なのではないでしょうか? 貧しい人にとっての八万円と金持ちにとっての八万円は、まったく価値が異なります。裕福な人は月に八万円貰ってもありがたくもなんともないでしょうし、それで消費が活性化するとも思えません。それなら貧困家庭や失業者などへもっと手厚い保護をした方が有意義なのではないかと思いますが、いかがでしょう?

 それに加えて、真っ当な社会生活を送っている人にも、殺人を犯した凶悪犯罪者にも、オウムのようなテロを目論むカルト集団にも、ヤクザにも、同じように支給されるわけですよね? それはもう盲目的な平等主義というか博愛主義というか無差別主義であって、理念としてはご立派ですが、本質的な平等とか公平などとはかけ離れていると言わざるを得ません。

 さらには、現在年金を貰って暮らしている人は、その代わりに全員同じ額を支給されることになるわけですが、現役時代にせっせと積み立てていたお金がムダになってしまうんじゃないですか? 現役世代にとっても、今まで払っていたお金は何だったのかということですよね? 何も払っていない未就労者も、5年払っていた人も、30年間払ってきた人も、みんな同じ額しか貰えないというのは、まさに不公平、不平等でしかないでしょう。

 そして最後に、国民全員に月八万円という数字は、どういった根拠でご提案されているのか。なぜ五万円でもなく、十万円でもなく、八万円なのか。その根拠をお尋ね致します」


 その質問に対して、新聞や雑誌やテレビでも有名な論客、東大の社会科学研究所の尾崎教授が手を挙げる。


尾崎「ではまず、毎月の給付金を子どもにまで与える必要があるのか、それは確実に子どものために使われるのか、世帯単位の方がいいのではないか、というご意見について。

 最初に私が言っておきたいのは、ベーシックインカムで給付される金は、国からの恩情でも、国民を扶助するためのものでもない、ということです。もちろん、生活保障とか人権保障といった側面もありあすが、それよりも重要なのは、個人の自由と自立と自覚を促すものである、ということなのです。

 この資本主義経済の社会で暮らす時、お金は大きな意味を持ちます。たいていのことはお金で価値が決まります。そして、暮らしはもちろん、生き方自体がお金で換算されるようになってきます。よく、幸せはお金では計れない、自由はお金でなど買えない、と言います。なるほど、そうかも知れません。しかし、そうでないとも言えます。

 お金をたくさん儲ければ、その人は幸せでしょうか? たいていの人は、そんなことはないと言うでしょう。でも誰もが、お金がないと悲惨だということも知っています。お金がないと住みたい所にも住めない、食べたいものも食べられない、行きたい所にも行けない、したいことも出来ない、明日はどうしよう、来年は大丈夫かと不安が募る。だから、少しでも多くお金を手に入れるために働きます。では、そういうことに困らないだけのお金が稼げれば満足でしょうか? 幸せを満喫できるでしょうか? なかなかそうはなりません。もっともっとと欲望は限りなく、もっともっとお金を得ようとします。そうしてお金に縛られたまま一生を過ごすハメになるわけです。

 では、お金から解放された時、人は幸せになるのでしょうか? いえ、そうではありません。そこはまだ幸せの入り口なのです。そこから、自分にとっての幸せとは何か、どんな人生を送りたいのかを考え始めることになるのです。お金を稼ぐために生きるのではなく、自分の生き方をするためにお金を使う。それこそが、本来のお金の役割なのではないでしょうか。

 一生懸命働いて、充分な蓄えも出来て、さてこれからは……と思っても、時間も残り少なく、体力も衰え、頭や感受性も鈍ってきていては、出来ることも限られてきます。のんびりと旅行を楽しむのもいいかも知れませんが、果たしてそのために生きてきたのでしょうか? 仕事で培ってきたものは、もう何の意味もなくなってしまうのでしょうか? それは幸せなのでしょうか?

 とは言っても、完全にお金から解き放たれることは出来ません。ベーシックインカムでお金が貰えたとしても、それで望みが叶うわけではありません。でも、がんじがらめになったお金の束縛を多少は弛めることができます。家族を食べさせるためにすれ違いの毎日を送ることもなくなるでしょう。仕事を選ぶ自由も増すでしょう。余暇時間も増え、有意義な休日を過ごせるようになるでしょう。今まで関心がなかったことにも目が向くようになるでしょう。子どもをいい会社に入れるために尻を叩かなくてもよくなるでしょう。歌手になりたい、絵描きになりたい、陶芸家になりたい、という子どもの夢を頭ごなしに否定することもなくなるかも知れません。

 明日の心配をしなくていいということは、心に余裕を生みます。時間に余裕を生みます。人に対して寛容になれます。ベーシックインカムで目指すべき世界は、そういう世界なのです。

 おっと、前置きが長くなってしまいました。

 親の保護下にある子どもに毎月八万円なりを与える。しかし、子どもの監督権というか扶養義務は、その親にあります。ですから、子どもに与えられたお金であっても、親が適切に使わなければなりません。しかし、その用途は限定されていません。もちろん教育のために使われるのが望ましいでしょうが、外食費に充てたり、遊園地で遊ぶのに充てたり、親がパチンコ代に充てたりするのも自由です。しかし、名義上は子どものお金ですから、親が身勝手な使い方をすれば抗議をすることも出来ます。自分のお金がどう使われているかを知る権利があります。そういう制度の在り方と自分の権利については、家庭や学校できちんと教えなければならないでしょう。使途が明確でない場合には、不服を申し立てて調査をしてくれる制度も必要かも知れません。

 子どもにとっても、自分のお金がどう使われているかをきちんと知ることは大切です。親の金で扶養されているのではなく、子どもにもちゃんと自分の意志でしたいことが出来るのだと知ることが大切なのです。お金の儲け方ではなく、お金の使い方を身に付けること。それは、子どもに限らず、大人にも言えることです。それこそが、お金に縛られない生き方の第一歩なのです。

 小さい頃は、お菓子とかおもちゃとかゲームとか、目の前にある楽しみに使いたいと思うでしょう。しかし、お金ですぐに手に入るものはそんなに大事なものじゃない。本当に自分の欲しいものはなんだろう。どうすればそれが手に入るだろう。だんだんとそういうことが分かってきます。そういう価値の本質を教えるのも、大人の役目です。そうした価値観が自然に身に付いて行った時、その人はお金に縛られない人生を歩み始めることができるのです。

 子どもにどんどんお金を渡すのは危険だ、というのは、お金の使い方を知らない大人の、お金でしか価値を計れない大人の危惧であり、お金に執着し、お金に捕らわれ、お金に縛られている大人の要らぬおせっかいなのです。お金は、自分の自由を得るための一つの道具であり、価値を計るための一つの尺度に過ぎない。そういうふうに、お金の持つ意味自体が変わって行くことでしょう。

 十年後、二十年後の子供たちが、どういう生き方をするのか、私は楽しみでなりません」


 尾崎教授は、滔々と熱く語り、そして晴れやかな顔で席に戻った。

 次に、佐久間という刑法学者がマイクの前に立った。


佐久間「私は、犯罪者にも給付を行うのか、という点についてお答えしたいと思います。2015年の法務省の統計によると、刑務所等に収監されている受刑者の人数は62,37人で、そこに掛かる費用は2,334億円となっています。受刑者数は年々僅かずつ減少していますが、必要な費用は横ばい状態です。2,334億円の内の66%が人件費、つまり刑務官等の給料です。

 昨年の犯罪白書によりますと、受刑者一人に掛かる費用は一日1,803円となっています。食費は三食で533.17円です。月額では54,090円となります。

 ベーシックインカムの給付金を受刑者自身の生活に充てるとすると、待遇を改善できる上、施設内での医療や福祉や人件費や運営費用などに徴収することが出来ます。つまり、犯罪者を国税で養うのではなく、自分のお金で生活を賄い、経費も負担しながら、受刑・矯正訓練を行うということです。

 また、受刑者の社会復帰後にも毎月給付金が与えられるので、すぐ生活に困って犯罪を犯して逆戻りというようなことも無くなります。約60%とも言われる再犯率を減らすためにも、大きな効果をもたらすと考えます。

 暴力団やテロ活動を行うような反社会的な人にも給付をするのか、という点についでですが、犯罪を犯さない限り、一市民としての権利を有しています。犯罪を犯した時点で、今言ったように各自の給付金を管理下に置いての話だと考えます。

 どのような制度の元でも、犯罪者や反社会的な行為を行う人は一定数いるでしょう。しかし、生活苦のために、僅かばかりのお金のために犯罪に手を染めてしまう人は、かなり減るのではないかと予想されます。

 以上のように、ベーシックインカム制度は博愛主義でも平等主義でもなく、まさに現実を直視した効果的で合理的な方策であるということを強調しておきたいと思います」


 先ほどの社会学者とは対照的に、簡潔に、淡々と要旨を述べた刑法学者に代わって、また別の男が立った。

 元厚生労働省の官僚で、見事な白髪をきれいに撫で付けた初老の男だった。


石尾「私は、厚労省の内局でありますところの年金局、ここは厚生年金保険、国民年金、企業年金などの積立金を管理・運用する部署でありますが、そこで年金数理官として勤め上げ、四年前に定年退職した者でございます。え〜、実は私がいました頃、その十年前ほどから、世間で年金制度の存続が危ぶまれるようになる前から、局内では危機感が募り始めておりました。しかしながら、立場上、年金制度が破綻しそうだとは口が裂けても言えることではなく、毎年綱渡りのように予算を組み立て、給付計画を実行して参りました。まあ、それこそが自分たちの仕事であった訳ですから、誇りを持ってやっておりました。今も年金局の後輩達は、冷や汗を流しながら、毎晩遅くまで数字と格闘していることであろうと思います。

 さて、私も以前よりベーシックインカムという制度については聞き及んでおりましたが、働いていた時分には、やはり実現性のない絵空事のように感じておりました。ですが、現在の年金制度がどんどん立ち行かなくなることも実感しておりました。しかし、ここまで進んできた社会保障の要となる年金制度を今さら変える訳にも行かないだろう。そんな先のことよりも今をどうするかで頭がいっぱいだった、というのが正直なところであります。

 仕事を離れて、改めて世間を見てみると、やはりどこか元気がないように感じます。特に、若い人たちに覇気がない。まあ、これは年寄りの僻み目なのかも知れませんが。そうこうするうちに、ベーシックインカムというものが真剣に語られるようになってきて、私もあちこちに出掛けては、講演を聞いたり、講義を受けたり、いろいろな方と話をするうちに、これしかないのではないかと思うようになってまいりました。ただ、年金を積み立てている人や現在一定額以上の年金を受給している人はどうなるのか。それが反故にされるなら、絶対に賛同はされないだろうと思います。

 かく言う私も、厚生年金から月に26万円ほどの受給を受ける身であります。それが妻と二人で16万円になるわけですから、差し引き10万円少なくなる。切り詰めれば暮らして行けないわけではないでしょうが、余裕のある生活は難しくなる。悠々自適の老後とは言えないでしょう。しかしながら、持ち家もあり、蓄えもあり、退職金もいただいたし、幸いなことに足腰もまだ丈夫で働こうと思えば働けます。そんなに心配はないですが、やはり今までコツコツと積み立ててきた年金が全額戻ってこないというのは納得が行かない気持ちもあります。

 しかし、世の中には、年金を受けられないお年寄りも存外多いものであります。規定の資格を満たしていない等の場合です。特に自営業者の4割ほども国民年金が未納となっています。そういう人には生活保護制度があるのですが、生活保護の受給者の半数近くは65才以上の高齢者となっています。つまり何か商売をやっていたけれど経営難で廃業し、年金で生活しようと思っても保険料の滞納があり年金額が少ない。子どもにも頼れない。そういう高齢者が増えているということです。シャッターが閉まったままのお店や商店街が各地で増えているわけですね。しかしながら、生活保護を受ける条件は様々で、心情的にも敷居が高いものです。そうした人に限らずも、6万円前後の国民年金だけで暮らしている一人暮らしのお年寄りにとっても、ベーシックインカムで無条件で8万円を支給されるのは大変嬉しいことでしょう。

 今回の法案には、当初十年間はベーシックインカムの給付金か、今まで通りの年金を受けとるかを、各自が選択できるようになっています。これだと「逃げ切り世代」などと呼ばれる今の年金受給者にとっても、そう不満はないと思われます。ただし、今も年金積立金を支払っている人のストック分をどうするかが問題となります。考えられるのは、今まで支払った金額を10年間に分割して、ベーシックインカムの給付金に上乗せする方法です。これがどのくらいの額になるのか分かりませんが、財源案にはそこが盛り込まれていませんので再考しなければならないかと思います。まあ、年金局の人たちにちょっと頑張って貰えば、それを割り出すのはそう大変なことではないかと。

 かように、まだ具体的に詰めなければならない点もありますが、長い目で見ると、年金制度からベーシックインカム制度へ変わるというのは、世の必然と言いますか、いつかは行わなければならない改革であろうかと。そして、なるべくなら早いうちに手を打つべきと、私はそう考える次第であります。

 なかなか上手く動かない制度も、官僚の手腕でなんとかなるものと、私は思っております。巷では官僚が仕事や利権を失うから抵抗するだろうとか言われておりますが、私は、そうなればそうなったで、やってやろうじゃないかと手ぐすねを引いている人たちの方が多いのではないかなと、かつての同僚の顔を頼もしく思い浮かべます。

 蛇足ながら、私自身はベーシックインカムになったら、現在の年金給付金よりもそちらを選ぼうかと。それが、長年に渡って年金業務を行ってきたささやかな自負心と、これからの世代のために思うことであります。では、どうも失礼いたしました」


 お堅い官僚のイメージとは正反対のおっとりと柔らかな口調で、心情を交えながらの語り口は実直な人柄を偲ばせ、誰もが聞き入っていた。

 次に、裕木可南子という女性ジャーナリストが話し始めた。

 元民放テレビ局のアナウンサーで、庶民の気持ちの代弁者としてお茶の間でも人気の高いフリージャーナリストだ。

 年を重ねても、清々しくソフトな声と表情は変わっていない。


裕木「では私から、給付額を一人当たり月八万円とした理由をご説明したいと思います。

 総務省の家計調査報告によりますと、一昨年の全世帯の平均収入は月額443,973円、そのうちの消費支出、いわゆる生活費は46%に当たる203,366円、それを平均世帯人数2.33人で割ると、一人当たりの消費支出は約87,300円となります。

 その数字はいったん置いて、私どものグループはここ数年に渡り、講演会や討論会や街頭アンケートなどで調査を行ってまいりました。子どもから学生、主婦、サラリーマン、自営業者、中小企業の経営者、高齢者やフリーターまで、様々な年齢、職業の方々3,641人に、もしベーシックインカムで貰えるとしたら、月額いくらぐらいが適当と思いますか? と聞いた所、その平均は74,500円でした。上は30万円から下は1万円まで答えはそれぞれでしたが、皆さんどなたも真剣に考えて答えていただき、とても実直で現実的な数字になっているのではないかと思います。

 そして、先ほどの一人当たりの消費支出87,300円と、アンケートの平均額74,500円の中間値が、80,900円です。そこから、ひとまず切りのよい金額として80,000円という金額を設定したわけであります。

 もちろんこの数字は仮のものであり、実際に制度設計を行う場合には他にも様々な統計から導き出す必要があろうかと思います。しかし、何より重視しなければならないのは、やはり国民ひとりひとりの暮らしの中の経済感覚であろうかと思います。

 厚労省の生活意識調査を見ますと、生活が大変苦しい・やや苦しいという割合が56.5%、普通が38.4%、ややゆとりがある・大変ゆとりがあるが5.6%という結果が出ております。生活が苦しいと感じている人が半数以上というこの現状をどうすればいいのでしょうか? それは自己責任だ、もっと働け、もっと稼げとお尻を叩くのがいいのでしょうか? 脇目も振らずに、他の何かを犠牲にしながら生活費を稼ぐために頑張って、やっと普通の生活ができるようになる。それが幸せなのでしょうか? そういう社会でいいのでしょうか?

 少しでも余裕を感じられる暮らしを送るためには、やはりある程度使いでのある金額が必要だと思います。額が少ないと不安は解消されず、どうしても貯えに回してしまうでしょう。消費を活性化させ、人とお金がもっと動くようにならなければ、経済効果が上がりません。そのためにも八万円というのはたいへん妥当な額なのではないかと考え、ご提案を申し上げるところであります」

 

 今度は、リベラルと呼ばれている野党議員から質問が上がった。


戸坂「私たちの党も、大枠においてはベーシックインカムには賛成の立場を取ってきました。しかしながら、実現には様々な高いハードルがあることも分かっています。それをクリアするには、政府と政権政党の大英断と、今の社会をひっくり返す覚悟と確実な展望がなければなりません。自分たちの都合のいいような政策ばかりをやっている今の政府与党に、果たしてその覚悟があるのか。将来への展望があるのか。それを明確にしてもらわなければ、こんな議論は何の意味もないのではないか。まずは、その点をはっきりと答えてもらいたい」


 それに対して、杉官房長官が答える。


安斎「政府の代表として、また与党の党首としてお答えします。私どもは、常に危機感を持ってこの国を運営して参りました。今の日本が抱える様々な問題に取り組み、数々の政策を打ち出し、実行して参りました。徐々に経済は上向き、その効果は確実に上がっていると思っております。しかしながら、それが隅々まで行き渡り、国民の皆様に実感となるまでには至っていないということも、偽らざる現状だと認識しております。そんな中で、今このベーシックインカム制度というものが真剣に問われるようになってきたのは、ひとつの必然でもあろうかと感じております。私どもは、ベーシックインカムというものについては否定的な立場を取ってきました。しかし、与党議員の中でも、様々な省庁の中でも、肯定的な意見が上がり始めております。そんな中、この度、党派を超えて衆参80名以上の議員より正式に法案が提出され、この委員会が設置された訳でありますから、真剣に、慎重に討議を重ねなければなりません。

 いざ大英断の覚悟があるのかとお尋ねですが、政府といたしましては、本国会の議論と決議に基づいて方針を固め、実行して行くのみであります。

 そのためにも、国益・国民生活を第一に考えて、実行可能な現実に即した様々な角度からの議論をお願いしたい。結果がどうあろうと、その議論は決してムダではなく、これからの日本にとって大きな意味を持つものだと考えております」


戸坂「今言われた、政府、並びに政権与党の姿勢は、我々も評価するものであります。

 さて、そこでもうひとつ問いたいのは、もしその制度を導入するとしたら日本に住んでいる外国人はどうなるのかということです。法案では、日本国籍を有し、かつ日本国内に在住する全ての個人へ給付する、とありますが、現在300万人にも上る在留外国人は該当しないことになります。こうした人も、所得税や法人税や住民税や消費税を払っています。つまり国内経済に貢献しているわけですが、ベーシックインカムの給付から除外されることになります。

 また、長年日本に定住している在日韓国人・朝鮮人・台湾人、つまり33万人以上の特定永住者もまた除外対象になってしまいます。これは、大変に憂慮すべきことだと思いますが、お答え願えますか?」


 明見が席に立った。


明見「もちろん、そこは大いに議論すべき点です。例えば、マイナンバーに基づいて給付を行うことにすると、日本に住民票がある人ならば、外国人でも給付を受けられることになります。その場合、国籍で限定するよりも4,320億円ほど予算が増えることになります。それを補充できたとして、今度は給付金狙いで日本に移住してくる外国人が増えることが予想されます。それは雪だるま式に増え続け、人数は予想が立ちません。もし何かいいアイデアがあれば、ぜひご提案いただきたいと思っています。

 ここで、長年日本に住まわれている外国人である、国際政治学者のウィリアム・カーン氏にご意見を伺おうと思います」


カーン「よろしくお願いします。私は22年間、日本に住んでいます。日本が大好きで、日本人も大好きです。私は、もう半分日本人だと思っています。でも、国籍は今もイングランドのままです。これからも日本に住みたいと思っていますが、永住許可を取るつもりはありません。それはなぜかと言うと、やはり母国を捨てる気持ちにはならないからです。日本が大好きですが、いちばん愛しているのはどこかと尋ねられると、やはり祖国イングランドと答えます。一年以上国に帰らないと、すごく悲しく寂しい気持ちになります。帰るとホッとします。生まれ育った町を歩くと、ここが自分の国なんだなと改めて感じます。そしてまた日本に戻ってくると、やっぱりホッとして、もっともっと日本が好きになります。

 私は自分の意志で国籍を変えないし、もしそのためにベーシックインカムのお金が貰えないとしても文句は言いません。日本の国が決めたことなら、それに従うだけです。嫌なら日本を去ればいいだけです。

 日本の国が日本人を優先するのは、とても当たり前のことです。日本にいる外国人のことを考えていないとか、不平等だとか言うのは、お門違いだと思います。保護や保障を受けたいのなら、自分の国に頼むべきです。

 在留外国人のことまで考えるのは、日本人の優しさというか、親切というか、気配りで、私はそれが嫌いではありません。でも、他の国から見るとそれはすごく奇妙に感じます。たいていは、臆病とか優柔不断というふうに受け取られます。だから、もっと堂々と自信を持って自分たちの意志を貫くべきです。それをしないと、ますます日本は国際社会の中でのけ者になってしまうと思います。

 私は、ベーシックインカムは素晴らしい制度だと思います。そして、それをうまく取り入れることができるのは、日本しかないのではないかと思っています。他の多民族国家や宗教国家や個人主義の社会では、きっとうまく行かないでしょう。すごく危険が大きいです。でも、日本なら、日本人なら、上手にそれを使って、今まで見たことのない素晴らしい国にしていけるだろうと思います。そのためには、とても勇気が必要です。自信と意志と勇気が必要ですね。

 日本の人たちが、今の日本をどうするのか、とても興味深く楽しみです。私だけでなく、世界中が注目しています。どう決断するにしても、臆病ではなく、自信と勇気と強い意志を持って欲しいと思います。それが、私の考えです」


 第二回のベーシックインカム調査特別委員会は、カーン氏の意見で締めくくられた。

 その夜のテレビやネット、家の食卓や町の居酒屋でも、誰もが喧々諤々と意見を戦わせた。

 日を追う毎にベーシックインカム論議は熱さを増し、理論やイデオロギーを超え、誰の生活にも直結する現実的で具体的な問題が問われた。

 話せば話すほど、それはリアリティを持って来た。

 そうなった場合の弊害をいかにして解決して行くか。

 今や、それが議論の中心になりつつあった。

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