第二章 (1) 財源はどこから


「まあ、百歩、千歩譲って、ベーシックインカムという、まあお金のバラ撒き政策みたいなのをやるとしてですね、いったいどのくらいの金が要るのか? そもそも1000兆円を超える国の借金を抱える今の日本で、そんな大金を国民にバラ撒くのが可能なのか、正しいのか? 考えるまでもなく、現実問題として不可能な絵空事だと、そう言い切れるわけですよ。そこのところは、どうお考えなのかお聞かせ願いたい」


 ベーシックインカム調査特別委員会の一番最初に、財務大臣から質問が上がった。

 生粋の財務省官僚だった大臣だ。

 それに対して、明見議員が手を挙げる。


明見「大臣のおっしゃるとおり、現実的にはそこがいちばんの懸念であり、難関だろうと思われます。仮に月に八万円の給付とすると、それを1億2600万人に毎月ずっと払い続けなければならないわけですから。その計算だと、年間119兆7000万、約120兆円が必要になります。今年度の一般会計予算が約97兆5000万円ですから、その全部を使ったとしてもまだ足りません。また、特別会計の純計額として201兆5000万円の予算が組まれております。つまり、純計ベースの国家予算の総額は約245兆円となるわけです。もちろん、その1/3に当たる額をベーシックインカムに使うとなると、当然のことに福祉や教育や公共事業や防衛費などの重要な予算が立ち行かなくなります。しかしながら、私たち有志で様々な検討をしたところ、なんとか可能なのではないかという試算が出来ました。そのご説明のために、経済学の専門家をお呼びしておりますので、お話しいただきたいと思います」


大迫「東京大学の大迫と申します。この度は、ベーシックインカム制度の財政面についてご説明させていただく機会をいただき、ありがとうございます。これからお話するのは私だけの見解ではなく、財務省の方や経済学の専門家など多くの方々と検討した内容であり、なるべく私見を省いた客観的なご説明をしたいと思っております。その点をまずご理解下さいますようお願い致します。では、まずこちらのグラフをご覧下さい」


 大型プロジェクターに予算配分の円グラフが映し出された。

 経済学者の東大教授が、そこに赤いポインターを当てる。


大迫「ここでお見せする資料は、すべて財務省のホームページに掲載されているデータに基づいております。えー、まずこの円グラフですが、今年度の一般会計と特別会計のそれぞれの歳入歳出となっています。これを見ますと、一般会計の全体の32%、33兆円が社会保障に割り当てられています。その内訳は、年金、医療、介護、子ども手当て等に分類されますが、医療、介護などは無くしてはならない分野なので据置とします。で、年金部分ですが、これが11.3兆円。生活扶助等社会福祉費いわゆる生活保護費が5兆円です。合計で16.3兆円。ベーシックインカムにより年金制度がなくなると、まずこの部分が転用できます。そして次に……」


 スライドが切り替わる。


大迫「こちらは今年の国債費の歳出予算です。一般・特別合わせた245兆円のうち約38%の92兆円が、国債の返還に当てられています。92兆円の元本と利息を返しながら、新たに97.6兆円の借入れをしているわけで、この貸借規模は年々増え続け、現在では累積負債額は1080兆円となっています。さて、この負債の債権者は誰かというと、日本銀行、民間の市中銀行、生命保険会社、損害保険会社、そして海外の投資家などです。このうち、日本銀行が40%を占めています。海外比率は10%です。日本銀行保有分の返還額を割り出すと、92兆円の40%ですから、36.8兆円となります。これを一時的に保留することにしますと、先ほどの年金分の16.3兆円と36.8兆円を合わせて、53.1兆円の財源が生まれます」


 また別の資料が映し出される。


大迫「ベーシックインカム制度の元では、年金と共に、雇用関係の保障も不要となります。労働保険特別会計の中の労災保険はそのままにしておくとして、雇用勘定の国庫負担分1,500億円が捻出されます。また雇用保険の積立金7.5兆円を他の用途に向けることが出来ます。さらに、特許、地震再保険、貿易再保険、自動車重量税・交通違反罰金・競馬の収益金、電波利用料、空港使用料などの特定財源についても、ひとつひとつ詳しく述べたい所ですが、時間も限られていますので、こちらの一覧表をご参照下さい。こうして、主に特別会計の歳出をなるべく均等にやり繰りすることで、かなりの財源が確保出来るかと考えます」


 反対派の議員たちは、半信半疑で眉を顰めていた。


大迫「最後に、特別会計の積立金一覧です。積立金というのは、金利や社会動向の変動、財源不足に陥った場合の資金としてストックされています。現在まったく動いていないお金ですね。これらの積立金を合計すると、約140兆円となります。このうちの15%をベーシックインカムに当てるとすると21兆円。お話してきた分を合計すると、約108兆円となります。八万円の全員給付とする場合に必要な112兆円には4兆円ほど足りませんが、制度導入に伴う事務経費や人件費の削減で賄えるかと考えております。詳しくは、お配りする資料をご検討願えれば幸かと存じます。なお、この資料は『BI調査研究会』のホームページからどなたでもダウンロードできるようになっています。では、私のご説明はここまでとさせていただきます。ありがとうございました」


 少し上気した顔で満足そうに微笑みながら、大迫教授は席に戻った。

 ぎっしりと人が入った議場が、しばしざわつく。

 そして、先ほどの財務大臣が質問に立った。


財務大臣「まあ、こうやってムリクリ数字を弄くれば、何でも可能になるように見えるでしょうけどねえ。これってつまり、今までの制度をひっくり返すことであって、あちこちに負担を背負わせる訳ですな。こんなこと、国民の皆さんが許すはずがない、納得してもらえる訳がない。日本全体がメチャクチャになるとは思いませんかね? 日本の産業構造を根底から破壊する亡国の理論じゃないですか。

 それにだ、こんな数字のマジックで本当に何年間も、これからずーっと国家が運営できるのか? 数年も経たずに破綻してしまうと思うが。そして、その数年の間に、経済面だけではなくあらゆる生活基盤が揺らいで、取り返しのつかないほど日本中が混乱し、混迷し、崩壊してしまい、国民が豊かになるどころか、国が滅亡してしまい

かねない。この国の財務を与る身としても、とてもじゃないが、こんな危ない橋を渡らせる訳にはいかんと、私はそう考えますが。

 こんなのは、国民の前に餌をぶら下げて人心を撹乱しているだけじゃないのか? 日本の国益と将来をしっかりと見据えれば、百害あって一利なし。数字のマジックに誤魔化されてはいけない。現実的には不可能でしかない。私はそう断言します」


 睨み付けるように反論した大臣に、明見議員が答える。


明見「財務大臣のご懸念は、至極もっともだと思います。もしベーシックインカム制度が導入されれば、大臣のおっしゃる通り、経済面だけでなくあらゆる分野に影響が出ることでしょう。メリットと同時にデメリットの負担も負わなければなりません。それを多くの皆さんに検討していただくために、この委員会があるのだと思っております。

 どうすれば現状抱えている数々の諸問題を解決できるのか。そのためにベーシックインカム制度は効果を上げることができるのか。メリットとデメリットは何か。日本社会にどんな影響を及ぼすのか。他の解決策はないのか。そうしたことを、ただの理想論としてではなく、イデオロギーや党利党論や私利私欲を超えて、現実に即した問題解決策として議論したい、していただきたいと思っています。

 大臣がおっしゃられた、日本の国益と将来を見据えて考える、というのは私も大賛成であり、志を同じくするものであります。だからこそ、このベーシックインカム制度が効力を発揮するのではないかと考えます。もしこの制度が導入されたなら、ご指摘の通り、始めは社会全体が混乱するでしょう。しかし、それを乗り越える力を私たちは持っているのではないか、日本人だからこそ、それが出来るのではないかと思います。混迷を乗り越えた先に、十年、二十年、三十年先に、より素晴らしい日本の姿を見ながら、そうした希望を持って新しい一歩を踏み出したいと考えています。

 今回は財政面がテーマですので、その話はまた別の機会に議論させていただくことにしたいと思います。

 さて、皆さんもご存知の通り、社会保障費や国債費が年々数兆円規模で増加し、その分、公共事業や文教・科学振興費や第一次産業のための予算が少なくなっており、誰しも憂慮するところです。いくら消費税を上げても、年金などの社会保障制度は先細りであり、ますます国公債に頼らざるを得なくなって行く一方です。どのみち膨らんで行かざるを得ないのなら、それを焼け石に水的な応急的な措置を延々と続けるよりも、もっと有効に使ってはどうだろうか、というのが財政的な考え方です。破綻が懸念されている年金制度を廃止してベーシックインカムを導入するということは、そういうことなのです。国の財政面を圧迫することは当然と言えるでしょう。しかしながら、大迫先生のご説明にあったように、年金以外の予算配分を大きく変えることなくベーシックインカムが実現できるとすれば、これは様々なメリットを産み出すのではないかと考える次第です。短期的にはもちろんのこと、この制度が定着していくほどに、中・長期的にも大きな効果をもたらすものと思います。ぜひそうした面も、議員の皆様だけでなく、いろいろな方々から、様々な立場からご検討・ご討論をお願いしたいと思っております」


 別の議員が手を挙げた。

 与党の重鎮と呼ばれる老議員だ。


久間「まあ、若い議員たちが意気込んで新しい改革をやろうという気持ちは評価するが、実際のところ勇み足というか、国の運営とか経済とか政治とかを分かっていないからそういうことが言えるんだな。結局のところ、こんなのはタダのバラ撒きでしかなく、何の解決にもなりはせんだろう。逆に、労働意欲を失わせて国力を下げるだけだ。働きもしないで遊んでいる人間を、なんで国が面倒みないといけんのか、さっぱり分からんね。

 それと、民主党政権時代にあった事業仕分けを忘れたんかね。あれもダメ、これもダメと、特別会計に大鉈を振るった末に、結局僅かな財源しか見つからなかったわけだ。それでロクな政策も行えなかった。子ども手当てでさえ断念せざるを得なかった。大改革と意気込んだのが社会構造をガタガタにしただけで終わった。その影響は今もあちこちに残っている。あの時の二の舞いを、性懲りもなくまたやろうとしか思えんですな。

 あの子ども手当てにしたって、15才までの子どもに月一万円とか一万五千円を支給するにしても、国では全部を賄いきれずに地方自治体に負担を強いることになったし、子育てや教育のために支給された金が、果たして本当にそのために使われていたのかさえ疑わしい。多くが貯蓄に回っただけで、全く何の結果も出ていない。出生率が上がったのでもない。本当にただのバラ撒きに終わってしまったわけだ。

 そしてもうひとつ、賛成派の人たちは重要なことを忘れておる。

 仮にその制度が実現したとしよう。例えば、四人家族なら30万円以上も不労所得もらえる訳だ。家族が増えるほどいっぱい貰える。そりゃ少子化は止まるだろう。どんどん子どもが産まれるだろう。子育てや教育の金を心配しなくて済むんだから。そうなると日本の人口は増える。人口が増えると給付額も増える。働かない人間、これはつまり所得を生み出さない大人のことだが、そういう人間がどんどん増えて税収は減る。なのに給付しなければならない金額はどんどん大きくなる。これで破綻しない訳がないじゃないか。至って簡単明瞭な結論だとは思わんかな? これが現実的に未来を見通すということだよ。

 あちこちでAIだBIだと、なにやらブームみたいに騒がれているが、いったん頭を冷やして考えてみることだな、諸君」


 これに答えたのは、ある経営研究所の所長であり、テレビなどにもよく出演している大場というエコノミストだった。


大場「まず、ただいまのご意見にありました、子ども手当てについてですが、これは現在も児童手当としてほとんど同じ内容で継続されており、決して行き詰まって終わったものではありません。また、その財源は国が四割、都道府県が一割、市町村が一割、残りは一般事業主からの拠出金という分担になっています。現在私たちが検討しているのは、その部分もベーシックインカムで担えないかということです。子育て世帯にとっては児童手当よりも給付額が大幅に上がり、自治体にとっても負担が減り、国にとってもそこに掛かっていた予算を公共的な子育て支援事業に回せるようになるかと思います。まあ、その分の皺寄せはすべて国庫に被さってくるわけですが。

 次に、人口の増加に伴う支給額の増大についてですが、ここに今後30年に渡る人口推移予測をご覧下さい。

 これは総務省のデータをグラフにしたものですが、2008年の1億2,800万人をピークに毎年1〜2%の割合で減少しており、2050年頃には1億人を下回ると予測されています。つまり死亡率より出生率が低く、高齢化率が上昇し、かつては70%近くあった生産年齢人口が50%近くに落ち込んでしまうということになります。

 さて、こちらが私共がベーシックインカムによって出生率が上向いて行った場合の予測グラフです。仮に2025年から人口増加率が0.2%ずつ上がって行くとすると、2043年に1億3000万人となり、2050年には1億3500万人を超えます。まあ、この辺りが日本の限度かと思われますが、この人口で月額八万円で計算すると、124兆8000万円の予算が必要となります。まあ、この時点で月八万円が生活の最低保障金額になるかどうかは不明ですが。

 いずれにせよ、20年から30年経つと生産年齢人口も増え始めるので、税収も増えて行きます。その間の20年をいかに乗り切るのか、そこのところが最大の問題となると思われます」


久間「そうだろう。そんなことは数字を並べてみなくても、すぐに分かることじゃないか。そんな危ない橋を、いったい誰が渡りたがるのかね?」


 老議員が薄笑いを浮かべて言う。


大場「おっと、これは失礼しました。すでに自明の理だと思っておりまして、こちらのグラフを説明するのを忘れていました。これは、年金特別会計の推移です。ここ数年間の増加率は前年比でおよそ5%となっています。この増加率のままだとすると、現在64兆円の歳出であるところが、2030年には126.7兆円、2040年には206.4兆円、30年後の2050年には336.3兆円となる見込みです。これは、今年度の総予算245兆円を、年金だけで上回ってしまいます。この増加分は、増税か国債の発行に頼るしか方法はないと思われます。黙っていても加速度的に膨れ上がるばかりの負債にこの先永遠に四苦八苦するよりも、この20年を持ちこたえて、その先にある新しい日本の姿に光を見出す。それが、ベーシックインカム社会の意義であり大義であると、私は考えます」


 驚くべき数字を提示されて、久間が憮然とした顔で言う。


久間「どっちの悪路を行くのか、と言うことじゃないか!」


「そうだ、そうだ」と野次が飛ぶ。

 明見がそれに答える。


明見「おっしゃる通りかも知れません。しかし、ずっと見通しの立たないまま負債を膨らませて行くよりも、20年後には確実に上向いてくるという保証の元に新しい一歩を踏み出すの方が得策だとは思いませんか? それに、その20年間を持ちこたえる努力をするのは、国民ではなく政府であり我々国会議員の役目です。国民は生活が底上げされ、不安が解消され、新しい未来に希望の火を灯すでしょう。経済的な基盤が出来るということは、生活だけでなく、心の持ち方も変えます。お金に余裕が出来れば、時間にも余裕ができる。そうすると心にも余裕が生まれてきます。日々を暮らすために稼ぐのではなく、自分の目的のために働く。お金に縛られない人生を歩む。つまり、労働の意味さえも変わってくるわけです。生活に追われるばかりの人生が、別の意味を持ってくる。幸せを追求する権利を取り戻す。そんな理想が現実になる。それがベーシックインカム社会の先にあるものだと、私はそう思うのです」


 ベーシックインカム調査特別委員会の第一回目は、そこで終了した。

 その模様はダイジェストにされ、各局のニュース番組で流された。

 有識者やコメンテーターや芸能人たちが、それぞれの意見を戦わせていた。

 賛成派、反対派、どちらも半信半疑の様子だったが、大勢としては実現不可能という否定的な意見が強かった。

 切り取られ編集された映像に満足できない人たちは、ネットにアップロードされた動画を見た。

 ツイッターが飛び交い、ライブ討論が始まり、動画が作られ、お祭り騒ぎになり、あるいは炎上した。

 元々、ネット上では賛成派の意見が多かったが、この国会討論で裏付けが取れたように、その勢いが加速した。

 テレビにしてもネットにしても新聞にしても、どこか無責任で現実味のないままだった。

 たとえ実現するにしても、まだまだ遠い未来のことだと誰もが思っていた。

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