第9話 G to B

18・閃光の記憶


 大型ロケットを撃墜した際、最後に聞いた言葉は「貴様も道連れだ」という意味のものだった。もともと危険は承知の上で、それでも後の世のために討たねばならないと覚悟を決めてここに来たのだ。ゆえにそれを聞いて思ったことは「言われなくてもそうなるさ」というものである。だが、同時に脳裏をかすめたのは……


「道連れにしてやると言われると、逃れてやろうという気になってしまうな!」


 そして、ガルーダはバイコヌール基地発射場から退避を始める。すでに周囲は火の雨が降り注ぎ、建物や各種の残骸は爆炎に巻かれる地獄の光景が広がっていた。コマンド・ウォーカーの正面モニターには人の視界と同じ前方180度ほどが映し出され、モニターの一角には任意で後方や側面などの部分を映せるようになっている。かつては全天周モニターも検討されたが、モニターが全天周でも乗る人間の視界は限りがあり、結局のところ前を見たまま後ろを見るような馬のごとき視界は持っていない。死角になる部分まで常時モニタリングするのにかけるコストがあるなら、別の方面に投入しようということになり今に至る。


(先人は賢明な判断をしてくれた。おかげで前の地形を見ながらサブモニターで後方から飛来する火球も回避できる。変に気取って全天周モニターなんかにされていたら前を見て後ろを見てと、操縦もままならなかったことだろう)


 まるで意思を持つかのように降り注ぐ火の塊を避けつつ、ガルーダは安全圏を目指しひたすら進んだ。これまでは推力全開で逃げてきたが、それには理由があった。周囲の灼熱地獄化により外気温度は上昇し、推進剤が詰まったブースターカートリッジは誘爆の危険性がある。使い切るか切り離すかしなければならないのだ。


「ブースター内に推力を最大充填後、カートリッジは切り離せ。これ以上は危ない」


 カートリッジを切り離せば最大推力は2回、小刻みの加速も5回ほどが限度。それだけでは安全圏への退避が難しいため、何かしらの手段で距離を稼ぐ必要があった。弥兵衛が選んだのは装備や装甲部分をパージし機体の軽量化を図る手段である。


「紆余曲折を経て、最初の姿に戻る時が来たというのは運命を感じるな。全装備、全装甲パージ後に最大推力でジャンプする!」


 手にしていた突撃銃も捨て、腕部や胴部、脚部などに追加された装甲もすべて外される。そうして姿を現したのは、サイパン基地でテストされたころのガルーダ。戦闘用装備が一切なく、ただ動くことだけを考えられて作られたこの機体の、真の在り様ともいえる状態だった。


「飛べガルーダ。これが最後の仕事だ!憎しみの炎を振り切り、人の世界へ……」


 余計な装備を外したこの状態なら、ブースター内の推力だけでも安全圏に到達可能である。しかし機体が加速を始め離陸直前という時に、異変が起こる。上空からの火球は避けたが、その火球により燃料車が誘爆したのだ。爆発の衝撃波でジャンプ中のガルーダは体勢が不安定になり、しかもそれを立て直す余剰推力もない。


(まさか最後の最後でこれかっ!……連中の怨念が上を行ったと?)


「耐衝撃、前傾着地姿勢!許容範囲を超えても体勢のまま。脚が折れても構わん!」


 もはや墜落は避けられず、再ジャンプすることもできない。ならば着地で脚が破壊されようとも、墜落から生き残ることが第一である。ガルーダはふらつきながらも着地に成功し、膝関節を前に曲げての着地姿勢で踏ん張り地面を滑るが、やがて勢いを抑えきれず右脚は折れ機体は連続で前転するかのように転がってしまう。もとは機動性能試験機だっただけにガルーダのコックピットブロックは衝撃吸収性に優れた特注モデルで、それが功を奏し弥兵衛は一命こそ取り留めたが、この「不時着時の衝撃を受けた」という時点で彼の記憶は途切れてしまっていた。



(そして今、白い?天井のある場所に寝ている。どうにも体に力が入らずこれっぽっちも動けないが、どうやら死んではいない……ようだ)


 弥兵衛が次に意識を取り戻したのは5月になってから。あの2月11日から3か月以上も経過した5月18日のことである。看護婦と思われる女性の声と、呼ばれたらしいドクターの声などを聞きながら再び眠りにつき、次に目を覚ました時にはバーンズらしき男が見えたのだが、視界がモノクロで彩られているという異変があった。


「眠りから覚めたと聞いてな。急ぎ駆けつけたんだが、また眠っちまったようだから少し待たせてもらったんだ。俺や自分のことが分かるか?」


「バーンズ少佐……ですよね。自分はW.P.I.U派遣隊の花形=ルーファス=弥兵衛中佐……ただ眼がおかしいようで、風景がモノクロに映っています」


「俺もあの戦いで出世して、今じゃ中佐さ。眼のほうは……いずれ話す。お前さんは3か月も寝たきりだったんだ。とにかく起きられるようになってからな?」


 その日はバーンズ中佐も多くを語らず帰途に就いたが、2日後に目を覚ますと視界のモノクロは治り普通に見えるようになっている。自身の体調に不安を覚えた弥兵衛が詳細説明を求めると、バーンズ中佐は柄にもなく迷いながら口を開いた。


「俺たちが地面に転がっていたガルーダを発見したのは2月13日だ。体調を崩した隊員が出たと偽って現地から立ち去った理由はいくつかあるが、最大の問題は急がなければお前さんが助からない状態にあったからだ。俺は……お前さんに死んでほしくなかった。ゆえにお前さんが「サイボーグ化しての延命を希望しない」と身分証に書いてあったのを無視したんだ。恨んでくれていいぜ、その資格がお前さんにはある」


 ガルーダのコックピット内にいた弥兵衛は意識がなく、衝撃により損傷した腕や脚は壊死しており切断を余儀なくされた。砕けたヘルメットのシールド部分は両目を傷つけ、視力も失われたことは明白。幸い脳神経に異常は見られないことから、四肢切断などの延命措置を受けた後N.A.U本国に緊急搬送され、最先端のサイバネティクス手術を受け今に至る。


「それで、私のサイボーグ化率はいかほどに……?」


「52.8%だ。どうにか50%を超えないよう努力してもらったが叶わなかった。つまり今のお前さんは法的に見れば人じゃない。頭部の手術を行っておらず、義体の出力も一般的な人間レベルに抑えるなら我が連合やG.B.Pでは市民権を得られる可能性もあるが、W.P.I.Uの現行法にその規定はないな。だからW.P.I.Uには報告しなかった」


 サイボーグ化率が50%を超えれば、もう人と同じように扱われることはない。バーンズの言うようにN.A.UやG.B.Pには、公務またはそれに類する活動中に負った怪我によるサイボーグ化には救済法が用意されており、それらの連合でなら人と同じように生きていけるかもしれない。しかしW.P.I.Uではサイボーグ=労働力としか捉えられておらず、それは英雄扱いされる男でも変わらないだろう。むしろ変えることを問題視しそうな、厳格な人物がW.P.I.Uのトップにあるとなっては。


「それでもW.P.I.Uに帰るというならもちろん手伝うし、仮にこちらへ残るなら最大級の扱いを約束する。意思に反して勝手に手術されたことに抗議し、自害するならそれを止める資格は俺にはないが……できればその道は選んでほしくない。勝手なことをした挙句、勝手なことを言っているのは十分に承知しているがな」


「最先端のサイバネティクス……しばらく寝たきりで身体が細くなっているのに、結合部から先は太いままとは。しかも言われて初めて気づくという、ね。もう何が本当の私で、何が作り物の私なのか分からなくなってきました。しばらく考える時間をいただけないでしょうか?」


 答えを急がなくていいから熟考してくれ……と言い残し、バーンズ中佐は去っていった。彼としても、弥兵衛が新天連の計画を「人間を止めるようなものだ」と毛嫌いしていたのは知っており、データになったパイロットがDarkAngelとして自分たちに立ちはだかった時にも心底、本気で軽蔑していたのを知っている。人間であることに強くこだわっていた男を人間ではない存在にしてしまったことは悔やんでも悔やみきれないが、それでも死んでほしくない想いが上回ったのだ。


「バーンズ中佐が善意でなさってくれたことは理解できる。生きていたくても死なねばならなかった者たちもいるのだから、生き残ったことに絶望して死を選ぶなんて真似はできないさ。でも私は……これからどうすればいい?何を目標に、何のために生きていけばいいんだ!分からない。まるっきり、目星もつかない……」


 双方ともに義眼となった眼から涙がこぼれるはずもなく、ただ超小型レンズが赤い眼光を放つのみ。それ以降の弥兵衛は口数こそ減ったが、リハビリには真摯に取り組んだ。冗談めかして「何をする(自害する)にも自分でしっかり動けないとね」と言うのは、実のところ本心であった可能性もある。だが、そんな弥兵衛のリハビリ生活にも一大転機が訪れた。6月末、W.P.I.U代表使節団がN.A.Uを訪れたのである。


「父さん……そうか、W.P.I.Uの代表に就任していたんだっけ。ずいぶん期待されての代表就任だろうし、ご愁傷さまと言うしかないね。まあ好きでやってるんだから同情はしないですけど」


「ああ、代表選挙じゃなんせ得票率99%だったからな。えらいこったとN.A.Uでも特集番組が組まれたもんだぜ。その理由の多分に「世界を救った英雄の父親」って要素が含まれてたから、当時は寝てた誰かさんにも責任の一端はありそうだがなあ」


 リハビリとして病院内を歩き回りつつロビーでバーンズと立ち話をしていた際、立体ホログラムのニュースに映し出されていた「W.P.I.U新代表H.J.花形氏ニュー・デトロイトシティに到着」という報を目にした弥兵衛はそう呟き、すかさずツッコミを入れられてしまったのだ。そのように和やかな雰囲気での談笑も、続くニュースに切り替わった瞬間に終わりを迎える。


「あれは、楠木アビオニクスの役員だった男?名は覚えていませんが、Venusの開発中に何度か見かけた記憶が。しかしなぜ!?あの企業は潰れたんじゃ……」


 明らかに顔色が変化した弥兵衛を見て、バーンズもただ事ではないと理由を問いただす。一言「N.A.Uで言うスペース・トラクターですよ」と返されたが、それだけで顔色を変えるには十分な話だった。


「新天連に繋がっていたような奴らが、今もW.P.I.Uの代表団にいるってのか!それじゃまさか、一企業どころか連合体そのもので新天連に与していたと?いや、しかしW.P.I.Uは討伐連合軍にも兵を出し、だから今こうなって……ああっ、クソっ!」


 W.P.I.U自体が新天連とグルだったなら、W.P.I.U派遣隊で戦死した者や人生を狂わされた者は道化もいいところである。バーンズが最後まで言葉を続けなかったのはそのためだが、弥兵衛とて思うところは同じである。


「そう思いたくはありませんけど、状況証拠的にはそう言われても仕方ないでしょうね。N.A.UもG.B.Pも清算は終わり、N.E.Uでも裁判が行われています。そのような状況下でW.P.I.Uだけ手付かず、どころか連合の代表に同行……だとォ?」


「とりあえずこの話を上にしてもいいか?本当に楠木アビオニクスの関係者が代表に同行したのか、そもそも企業自体がまだ存続しているのか、連合政府と繋がっているかなどを査察部に調べてもらおうかと思う。場合によっちゃ、こちらの代表からお父上にどうなってるか聞いてもらってもいいだろうしな」


 弥兵衛の言葉に明らかな怒りが込められているのを悟り、バーンズは問題を預かると提言する。ここで病院を抜け出して直談判にでも行かれたら連合間の問題になることは必至で、現状それだけは避けねばならなかったからだ。


「……ご心配は無用です。私も今の自分が置かれた立場は分かっていますし、もしかしたら私の記憶違いという可能性だってあります。そちらに調査をお任せするほうがいいでしょうから、結果が出るのを大人しく待たせていただきますとも」


 やはりこの男は、問題を他人に任せきりにするつもりはないか。バーンズの取り成しは「この場を収める」ことには成功したが、事態の解決には繋がらなかった。査察部の調査はすぐに完了し、W.P.I.Uでは楠木グループ全体が新天連討伐連合軍の発足前と変わることなく存在していることが明らかになったからである。


(そんなバカな話があっていいのか。ムンバイで起きた新田技師の件も、その後に出てきた新天連の機体resistorの技術の出所もすべて報告にまとめてから出撃した。新天連の討伐も目前で、もうスパイに情報が洩れようと気にする必要はない。ならば死人となる前にすべてを詳らかにしようと考え実行したんだ。そして、それを基に先進国連合は自国の危険分子を清算あるいは清算中なのに、よりにもよって所属していたW.P.I.Uだけが私の報告を無視するという……!)


 許すことはできない。あの戦いで散った者たちにも顔向けができないし、生き残った者にも肉体的精神的を問わず傷を負った者もいるはずだ。そういった者たちの悲哀を無視し、好き勝手に争乱を起こした側が今も変わらずのほほんと生きているなど断じて認められない。弥兵衛は自分の心が怒りで満たされていくことを自覚するが、これが花形=ルーファス=弥兵衛という男のものなのか、それとも人ではなくサイボーグとなってしまった存在のものなのかは分からなかったが、1つだけ確かなのはこのまま黙って見ているわけにはいかないと強く思ったことである。


「父さん……あなたの言う政治の力がもたらした結果がこれなんですか。理想を叶えたいなら軍人なんかやめて政治の道に入れと言ったあなたが、結局なにもできずにこんな事を!……認めない。絶対に!政治が、法が巨悪を裁かぬ裁けぬというなら、俺は実力と無法でそれを裁いてやる!それこそ、あの閃光の中で生き残った意味だ!」


 こうして、生きる目的を失っていた男はそれを取り戻す。皮肉にも、かつて所属し愛してもいた故国に再び裏切られ、復讐心を燃やしたことがその理由であった。



20 N.A.Uの怨霊「Bakok」


「バーンズ中佐。こちらで有名な霊的存在って何かあります?ghost以外で」


 弥兵衛の突然すぎる問いに不意を突かれたが、旧合衆国時代から数えても比較的文明が発展してからの土地である。ヨーロッパやアジアに比べると「その類」の話は豊富とは言えなかったものの、皆無というわけでもない。バーンズは記憶にある一つの名前を口にした。


「こっちだとやはり「Bakok(ベイコク)」だろう。先住民たちの霊でな、夜になると骨だけ光って見える霊的存在らしい。ロマンのない話をすると、白骨した遺体のリンが光ってただけっていう学者もいるが……」


 その名が特におかしいということはなかったが、共通語としての英語以外にネイティブとして日本語も話せる弥兵衛としては、やはり無意識のうちに考えてしまうことがある。突如として含み笑いを始めた自分に対して、訝しげな視線を向けられていることに気付き弁解を始めた。


「いや、この地は日本語だとかつて「米国」と呼ばれていた時期がありましてね。その米国で最も有名な霊的存在が「Bakok」ってのは出来上がってるかなと。気に入りました、その名を拝借するとしましょう」


 拝借?何のことだ……と聞き直したバーンズに、弥兵衛は特に気負うでもなくさらりと重大事を口にする。剛胆な中佐も驚くほどのことを。


「私はテロリストとして、W.P.I.Uに凱旋帰国を果たそうと考えていまして。さすがにghostだとすぐに割れそうですし、本名はもってのほかでしょう?ですからしばらくは謎の存在Bakokが楠木グループにだけ破壊活動を仕掛け、連中は襲われるだけのことをしたのだと啓発運動をしようかと……」


「……相変わらず考えがぶっ飛んでるな、お前さんは。分かった、その覚悟があるなら俺から一つ相談がある。N.A.UとG.B.PはW.P.I.Uが楠木グループを野放しにしているのは、新天連と同じような野望を持っているからだと疑い始めた。C.C.CあるいはR.S.Tと組んで、新たな枠組みを作るべく新天連の技術を取り込もうとしているとの仮説を立てている奴もいるらしい」


 それは疑われても仕方がないところだろう。情報の出所に最も近く直接的な被害も出た組織が、事もあろうに加害者を野放しにしているのだから裏があると思われて当然だ。


「近々、両連合の工作部隊がW.P.I.Uに送り込まれる。まずは内偵を行い、W.P.I.Uが不穏な動きを見せるとあれば破壊活動も辞さんらしい。W.P.I.Uの内情に明るく、場合によってはコマンド・ウォーカーによる戦闘も行え、そして最悪の場合は民衆に訴える知名度もある人材……そう、俺はお前さんを勧誘してくれないかと頼まれていたんだ。俺の判断で先方には進展なしとしていたがな。だって、そうだろう……」


 生きる目的を失い、自身のことくらいは完璧にこなせなければ自害という選択肢もないからリハビリを繰り返す。そのような男に「かつての故郷への潜入破壊工作を手伝ってほしい」と言えるほど、バーンズは無神経ではない。だが、当人がそれと似たようなことを望むというなら話は別だ。


「そうですね、いいですよ。一人でやるより組織の力を借りたほうが目的も成就しやすいでしょうから。ただ条件というか、いくつかお願い事はありますけど」


 弥兵衛の頼みは「N.A.U軍で短期訓練を受ける」「正体発覚を避けるための変声機能付きのフルフェイスヘルメットの支給」「コマンド・ウォーカーを持ち込むならプロパガンダ用の機体を用意してほしい」というものだった。最初の2つは用意も簡単だが、3番目の要求については真意を問われることとなる。


「もしW.P.I.U本国で破壊活動を行った機体が、彼らの祭り上げた英雄とやらが乗っていた行方不明機に似ていたら騒ぎになると思いませんか?ああ、いっそ外見的にはボロい壊れかけで、各部位にあの戦いで撃破された各勢力の機体のパーツを使って強引に補修した感じだと、怨霊Bakokが戦場より蘇ったって感じでいいですねぇ」


 そのオーダーをN.A.U兵器廠に持ち込むと、技師たちはハロウィンパーティーに向けて準備をするかの如く「ゾンビ・バード」の制作に取り掛かる。ベースとなったのは、残骸となったガルーダを解析して技術検証を行うために製造された「サンダー・バード」である。それを基に他の機体の意匠なども取り入れられた機体は、どことなくガルーダを思わせるラウンド・ブースター状の胴部を持ちつつ、足回り腰回りに両腕は別の機体のもの(のように見えるよう制作されたカスタム品)が装備された異様な機体となる。その完成は、まさしくハロウィンに差し掛からんという時期だった。


「あれから3か月、訓練は無事に終え機体もこうして完成した。ヘルメットもBakokの伝承にある通り、原住民が頭につける羽根飾りを拵えた特別製のを用意しているからいずれ届くだろうさ。ただ、その前にこれをだな……」


 バーンズが弥兵衛に手渡したのは色付きのコンタクトレンズである。両方とも義眼となったその眼は角度によって非常に鋭い光を放つため、夜間活動の際に障害とならぬよう光を抑制するレンズを付けたほうがよいというのだ。


「実はな、いま人気のコミックで「赤目操士クリムゾン=アイ」とかいう悪役が出てきたらしい。ヒーローに一度は倒され、死んだと思われていた奴がサイボーグになって復讐に来るんだとよ。立ち位置はともかく、なんだかどこかで聞いた話にそっくりだろう。で、これを付けた後に新キャラクター・ヘイズル=アイなんかが出てきたら近くから情報が洩れてると推察される……らしい。査察部も真面目に働けっての!」


 コンタクトを入れた弥兵衛の眼は明るい茶色、つまりヘイズルである。これで少なくとも赤目の悪役に例えられることはないが、サイボーグ化して復讐に来るというストーリーはなかなか興味がある。暇なときにでも目を通してみるか……などと考えていると、今日の本題を切り出された。


「さて、次が最後の試験……になるのかな。お偉いさんがお呼びだぜ。N.A.U市民権を有しちゃいるが、稀有な経緯でそうなったのは事実だから上も直に会っておきたいらしい」


 弥兵衛は頷くと、バーンズの後ろについてN.A.U軍総本部に足を踏み入れる。もう後戻りのできない、故国との決別と戦いが待ち受けているのだ。その果てにあるものが何なのか、今はまだ分からない。



21・Agent[B]


「ようこそ、ルーファス=花形……元准将。W.P.I.Uの最年少将校到達記録を塗り替えた英雄殿とお会いできて光栄だ。この度は、我らの計画に協力してもらえることにまず感謝したい」


 通された部屋には右側に軍服を着た多くの将校と、左側にはスーツを着た政権関係と思われる人々が並んでいる。現在では所属も定まらない身だが、W.P.I.Uに対しての諜報および破壊活動には協力することになった。政治的にも解決しなければならない問題もあるため、このような面子が揃えられたのだ。


「N.A.U政権としては、世界の恩人たる彼に市民権を発行するのは構わない。先の戦いで受けた傷も公傷として認めるのもよい。だが彼を「N.A.U軍人として故郷を攻撃させるためW.P.I.Uに送り込んだ」と発覚するのは、国内的にも対外的にも甚だまずいことは理解してもらいたい」


 そんなことになれば「N.A.Uは目的のために手段を選ばぬ悪党」と、世界中から誹謗中傷の総攻撃を受ける恐れもある。それを認めたと喧伝されれば、政権のイメージは悪化してもよくなることはない。


「私を受け入れて下さるのは今回の仕事を終えてからで結構です。まず生き残るか分かりませんし、生き残ったとすればW.P.I.Uに居場所もないので。その時は、次の生き方が見つかるまでお世話になろうかと思います」


 それならば、もし弥兵衛が逮捕なり死亡なりしてもN.A.Uは関係ない。元W.P.I.Uの男が、私怨を晴らすために「非合法的な手段で装備を入手」し暴れたという話で済むのだ。政治的にはそれで解決するが、しかし軍部としてはそれだと困る。所属不明の存在をどう指揮系統に組み込むというのか。しかもただの男ではないような者を。


「現地人をスパイに仕立てる時、国籍は与えないが宣誓はしてもらうだろう。スパイに関しては裏切れば親戚縁者が死ぬという鎖もあるが、今回に関してはその親戚縁者が敵になるという構図だからな。鎖はないが、我々は君の宣誓と善意を信じることにしよう。お集りの方々もそれでいいか?」


 異議は出ず、そして弥兵衛はN.A.Uへの帰属を宣誓する。ng歴305年11月3日、この日を以って花形=ルーファス=弥兵衛は29年の時を過ごしたW.P.I.Uを捨て、新天地をN.A.Uに定めた。


「では、君をN.A.Uの新たなエージェントとして認めよう。今日、この時から正式に市民権を発行されるまで……申請を受諾し君はBakok、Agent[B]だ!」



「しかし祖父が中心になって設立し、父親が代表を務める連合を裏切るとはな。場合によっては我がN.A.Uも裏切られてしまう可能性はあるか。バーンズ中佐、推薦人としてそのあたりはどうなのだ?」


 弥兵衛が退席した後、残されたバーンズに質問が投げかけられる。友人を悪く言われ不愉快な思いはあるが、真実を知らないなら止む無しと考え説明の行った。


「命懸けで任務を遂行し、半身を失ってもなお故国のことを考えた男です。彼は自分が愛した国を裏切ってはおらず、国のほうが彼を裏切りました。ですからいまこのようなことになっているのですが、とにかく我々が彼を裏切らない限り、彼から裏切ることはないと断言できます」


 弥兵衛がW.P.I.Uを裏切ったことはなく、命懸けで入手した報告を握り潰して何かを企んでいるW.P.I.Uが弥兵衛を裏切った。もし自分が同じ目に逢えば、家族を逃がす算段を付けた後に同じく国を捨てるだろう。行政サービスが悪いなどの軽い理由で国の対応が悪いと文句を言う者もいるが、実際に命を賭けた職務で裏切られたのではたまったものではない。



「ng歴308年……W.P.I.U設立100周年まであと実質3年ですか。それまでにはW.P.I.Uを覆う闇を喰らい尽くして、新たな門出を迎えてもらいたいものです」


 闇を「払う」ではなく「喰らう」のあたり、自身も非合法手段の闇に手を染めることも辞さず……という覚悟が伺える。しかしそれが成功しても、弥兵衛は人として設立100周年記念を祝うことはできず、記念祭に参加もできないだろう。


「今回の仕事が終わったら、次は俺の現役パイロット引退試合の相手をしてもらうぜ。俺も次で35。まだ若いのに負けるとは思わないが、今回の一件で現場のことを理解している奴が上にいないのは危険だと痛感したからな。本格的に将校を目指すための勉強を始めようと思う。だから死ぬなよ、俺の引退試合の相手をしたら一連の貸しはチャラにしてやるからさ!」


「バーンズ中佐には、もう一生をかけても返せないほどの借りを作りました。引退試合の相手をするだけですべて返せるとも思いませんが、ご要望に添えられるよう善処します。しばらくお会いできないでしょうけど、お元気で!」


 サイボーグ化した義手と握手したがらない人も多いので、手を差し出すか迷っていたところ、バーンズのほうから手を掴んで強引に別れの握手を始めた。


「グッドラック、ルーファス=花形!……ではなくAgent[B]!充電は2日に1時間だぞ、不便だろうが忘れるなよ!それから、何かあったっけか?」


 めったに見ることのない隊長の体たらくに、見送りに同行したバーンズ隊の面々も笑っている。N.A.U首都ニュー・デトロイトシティにほど近い大都市のシカゴ空港より、Agent[B]となった花形=ルーファス=弥兵衛の新たな旅が始まる。時にng歴304年11月8日。ghostはその身を捧げても変わることのない世界への怒りと憎しみを一身に集めて怨霊Bakokとなり、かつての故国へと向かうのだった。



ng歴306年1月2日01:12 東関東工業区 楠木アビオニクス支社ビル


『俺の名はBakok、死者の怨念が形を成すものだ!この機体「リビングデッド」と共に俺が現れ、破壊の限りを尽くす理由は楠木グループやW.P.I.U軍部になら分かるだろう。俺の要求はグループの解散と、癒着していた者らの処罰である。具体的行動が見られない場合、第二第三の破壊が行われるものと知れぃ!』


 一年に渡るN.A.UとG.B.Pの調査により、W.P.I.U軍部と楠木グループが結託して軍事クーデターを起こし、設立100周年に合わせ軍事政権の樹立を目論んでいることが発覚する。W.P.I.U政権とは無言の連携を取れると判断したN.A.U潜入工作部隊は実力行使を決定し、輸入品に紛れ込ませて細々と持ち込んだ部品を組み上げ、余計な犠牲を出さぬよう新年早々の真夜中に破壊活動を開始した。


[ずいぶんとノリノリですね、Agent[B]。まるで生まれながらの悪人です]


[そうか?Agent[K]。コミックの悪役・赤目操士クリムゾン=アイとかいうのを参考にしてみたんだが、悪くなさそうだな。いや悪い奴なんだが、それが悪くない]


 口ぐせの「悪くない」も飛び出し、気分は上々である。ついに決起の日が来た。この一年、見ていて殴りたくなるようなことはたくさんあった。去年の派遣隊で戦死した、本当は死んでない自分も含めて英霊のように扱われているのも実に不愉快だったし、何が嬉しいのか記念日まで制定して軍部の人気稼ぎに利用している。そして、行き着く先が軍部と企業の癒着による政権強奪。本当に何から何まで気に食わない。


『心せよ!要求が通らぬ限り、この俺Bakokは何処にでも……何度でも現れる!』


 後に「Bakokの乱」や、Bakokを米国にかけて「ng歴の米騒動」などと呼ばれた、W.P.I.U設立100周年を目前にした内乱はこうして幕を開ける。しかしその原点に新天連討伐の連合軍結成と、それに伴うW.P.I.U派遣隊の経緯が関与していたことを知る者は、この時点では少なかったのである。


新天連討伐篇 完

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