第2話 灼熱の地にて
3・バーラトの大地
ng歴304年1月4日、W.P.I.U派遣軍はI.O.T旧インド西方、現在でも最大規模の都市であるムンバイに到着する。かつてこの地域の懸案だったインド=パキスタンの緊張関係も「先進国以外は勝手に争って滅べ」と突き放された結果、両者が争って滅ぶのは愚かだろうとの結論に至り解消された。世界各地でこのような歴史的和解は多発しており、対立を煽っていた原因の一つが「先進国の後ろ盾である」ことを如実に示す一例として教科書に載ってから久しい。
「1月でも十分に暑いが、気候的にはまだ悪くない季節だな。夏だと40℃超えは当然という土地柄であり、あの時期だったら厳しいところだったろう。前回はそれで、ずいぶんとひどい目に逢ったものさ」
およそ3週ぶりの大地を踏みしめつつ、弥兵衛はここインド地方の気候について説明する。文化レベルも民衆の教育レベルも高いこの地域が先進国足り得なかった最大の理由はこの一年を通じて猛暑となる気候と、それに関連した水資源の問題があるからだろう。こう人が多くては、海水を淡水化したところでまさに焼け石に水なのだ。
「潜航艇の中も、あれはあれで閉塞感を感じたものですが……ここはここで、また随分と香り立つと言いましょうか。なんとなくスパイスな感じがそこかしこから」
海外からその国の玄関口に降り立った旅人は、大抵が異国の香りの洗礼を受ける。その多くは現地で多用される食材に由来するものが多く、例えばW.P.I.U日本地区なら大豆の発酵食品たる味噌や醤油の香りを感じる者も少なくないという。だが現地で暮らす者がその微かな香りを感じることはなく、口を揃えて「気のせいだろう」と言うのだ。そしてインド地区と言えばやはり、香辛料を多用した料理の香りとなる。
「カレーという食文化を生み、育んでくれた一点を見ても我々はこの地方に感謝しないといけないな。もっとも、現在では「本物」だとなかなか値の張るものになってしまっているようだが、合成食糧にすら香り付けを怠らないあたりはさすが本場としか言いようがない。彼らも、隣にC.C.Cがなければまた違ったろうに」
太古の昔より争ってきたインドと中華の両地区は、この時代になってもやはり価値観の共有には至らなかった。片方は二度と他国に統治されることを望まず、片方は統治するという形でしか領域を広げようとしない以上、それは当然である。だが先進連合傘下にすら入りたがらない頑なな姿勢により、インド洋連合ことI.O.Tは莫大な人口を満足に食べさせていくことすら困難になっており、今回の一件のような先進国連合同盟に何かしらの依頼を頼まれることは、援助を引き出す好機と捉えていた。
「ジャターユ!お久しぶりですな!あの戦いからかれこれ4年近くにもなりますがお元気なようで何より。今回の件につきまして、大筋は聞いておりますものの……詳細を伺わせていただきたいと思いまして、このように出向いた次第で」
「ラール将軍ではないですか!まさか将軍にお出迎えいただくとは恐縮です。将軍もご壮健そうで。ご要望につきましては……私の職権でお話しでき得ることはすべて明らかにしますが、それ以上についてはどうかご容赦いただきたく」
弥兵衛に声を掛けたのはI.O.T防衛軍・バーラト戦士団のラール=デサーイー将軍である。ng歴300年7月に戦端が開かれたI.O.TとC.C.Cの軍事衝突において、I.O.T軍を指揮し勝利に導いたI.O.T指折りの重鎮でもある壮年の男だ。
「なあ。いまアイツのこと変な名前で呼んでなかったか?花形でもなくルーファスでもなければ弥兵衛でもない何かでよ。それともあれがこっちの挨拶の言葉なのか。ハローではなく「ようジャタユ?」ってのがさ。変わってんな~」
ジャターユというのは神話に登場する鳥の名であり、挨拶の言葉ではない。かつての戦いで参戦が遅れたW.P.I.U軍は先行したI.O.TバーラトとG.B.Pザ・ロイヤルが予想外の大軍に包囲されたと聞き、雨天でレーザーによる迎撃が困難と予測し輸送機による戦場への突入を敢行する。敵陣のど真ん中に降下したW.P.I.Uコマンド・ウォーカー隊を指揮していたのはfurlong事件の英雄・花形=ルーファス=弥兵衛ということもあり部隊の士気は旺盛で、包囲を打ち破る活躍を見せる。そしてI.O.T同盟軍の逆転を呼び込む第一歩となった働きを讃え、ジャターユの愛称で呼ばれたのである。
「変わっているのはオオミヤ少尉の頭の中身の方ですね。ジャターユは神話の鳥の名で、中佐はI.O.T「でも」英雄的な扱いを受けてらっしゃるのです。そんな中佐の現在の乗機がガルーダという名であると知ったら、方々もきっと驚くでしょう」
マリア=ラダーは冷めた目と声でレックス=オオミヤをそう窘める。弥兵衛マニアとなった彼女にとってジャターユの話は常識であり、それを知らないことも自身が敬愛し階級も上の中佐をアイツ呼ばわりしたことも、何もかもが気に食わない。
「さすが、マリアさんは博識ですね!ジャターユって挨拶ではなく、そういう意味があったんですか~。あ、でも中佐がI.O.Tへの増援として派遣され活躍した際の交戦記録はすべて覚えていますから、私レックス君ほどおめでたくはないですよね?」
柊雪穂にとっての花形=ルーファス=弥兵衛という男は、理想の軍人にして指揮官という位置づけになる。彼女は弥兵衛が「英雄扱い」されることをひどく嫌っていることを知る機会があり、それ以降には弥兵衛の前で英雄という単語を使ったことがない。憧れや恋慕に近い感情を持つマリアとは、そこが大きく違っていた。
「まったく、この花形オタクどもは揃いも揃って何だってんだよ。オメ―らが近くにいるとこっちまで狂信者にされちまいそうだから、さっさとアイツに付いて行きやがれってんだ。指示された機体の搬出作業はこっちでやっておくさ。ただ、ここは中立地ではあってもW.P.I.U領じゃねぇことだけは忘れんなよ。どうもキナ臭ェ感じだ」
レックス=オオミヤの「勘」が鋭いことは、第一期教導員育成科の出身者であれば誰もが知っている。興味のないことに関しては極度のサボりたがりでもあるその彼が他人の仕事を受け持ってまで「中佐について行け」というのは、それだけで説得力は十分である。女子二人は顔を見合わせると頷き合い、すぐに弥兵衛の後を追う。
「へへへ……これで邪魔者はすべて消えたな。よし、残った派遣隊パイロットたちには現場最上位官の俺から各小隊が行う作業の指示を出すぞ!チームA・fertility小隊とチームC・ultramarine小隊は隊長が不在のため、まずは運搬されてきた装備品がデータと合致しているかの精査をしてもらいたい。その装備品は、俺のstarry skyが小隊長の指揮の下、責任をもって潜航艇から運び出す。よし、では配置につけ!」
レックス=オオミヤはコマンド・ウォーカーのコックピットに座り機体を動かしている時間がたまらなく好きで、その仕事を自分に割り振るため同格の少尉二人を追い払うべく弥兵衛の護衛に向かわせたのであった。彼が口にした「キナ臭い」という言葉も本格的に命の危険を感じたものではなく、初めて訪れる異国の地に足を踏み入れた緊張感によるものだったが、後に彼は自身の発言を調べられこう振り返る。
「あれは漠然とそう感じただけでして、キナ臭いというのも「カレー臭い」じゃ現地の人に悪いかと思ってそう言っただけであります。そのような理由だけで俺が……いや小官が内通を疑われるのは不本意と申しましょうか。そう、甚だ遺憾というやつであります。証拠もないのに犯人扱いはいかんですよね、遺憾だけに」
4・ムンバイ争乱
I.O.T軍の精鋭部隊に冠された「バーラト」とは、インドの古い名である。周辺国との対立も解消されつつあり、古代インドのような繁栄を手にするかと思われた矢先C.C.Cの奇襲を受けたのがng歴262年のことである。以降40年に渡りI.O.T軍とC.C.C軍は国境紛争を繰り返しており、かつての関係からI.O.TはG.B.PやW.P.I.Uと縁のある連合であった。しかしそれがいい面ばかりではなく、例えば装備品などはG.B.P製品とW.P.I.U製品が統一されまいまま混在し、不足と思えばN.A.UやN.E.U製品も購入するという混沌ぶりである。W.P.I.Uは新製品Venusモデルを売り込み、あわよくばI.O.Tのコマンド・ウォーカー部門を独占しようと考えていたのだ。
「そういうわけでして、後ほど我が連合のセールスマンたちが押しかけることとなります。彼らにすれば人類の危機すら商機だというのですから、まったくどうしようもないというか図太いというか。ああ、面倒なら適当に彼らを追い返して下さい」
「だがあなたもセールスチームの一員なのだろう。売れるよう客に取り入るのが仕事だと思うが、そのようなことを言って大丈夫なのですかな?」
ラール将軍はI.O.Tのさらなる防衛力強化のためにも、Venusモデルにはもちろん興味がある。現状では旧式となった疾風型は前線から姿を消しつつあり、主力機となっているのはG.B.Pのナイト・オブ・ナイトメア(の輸出用ダウングレードモデル)だが、大盾を構えての正面突撃を主眼に置かれたこの機体はそれなりのパイロットでなければ真価を引き出せない。I.O.Tは「G.B.Pの精鋭、かのザ・ロイヤルも採用している」という売り文句でつい多くの機体を導入してしまったが、裏を返せば「精鋭が使ってこそ」ということまでには思い至らなかったのである。
「私には販売ノルマがありませんから、その心配はご無用ですよ。ところで、後ほどお目にかけるであろうVenusモデルは確かに珠玉の出来と言えますが、何しろまだ実戦稼働はしていないのです。ただ飾っておくならオススメしますが、命を預ける機体としてはまだ評価を下せないというのが……扱う側の正直なところですね」
さすがに疑惑の段階で「コックピットに何か仕込まれていそう」だとは言えず、弥兵衛としては「手放しで褒めるには不確定要素がある」というニュアンスに留めることしかできなかった。もっとも、ラール将軍がW.P.I.U内の問題を知る由もなく、その言葉は額面通りに受け取られた。
「まあ、こちらに流れてくるとしても当分は廉価版のような機体でしょうからな。今回は新型そのものではなく、使われる技術や発揮される性能を見定めさせてもらいますか。そのための視察団同行を条件にI.O.TもW.P.I.Uの新天連討伐を協力すると約束しておりますゆえ、補給や輸送に関してはご心配なく」
W.P.I.U上層部も金儲けに繋がりそうな事象に関することだけはやたらと身軽なものだ……と思わずにはいられないが、そのようなことでも動きが鈍いよりはマシというものだ。今回も現場のためではなく新商品のプロモーション活動を万全に行ってもらいたいがために、補給線の確保と部隊の通行許可などは完璧に整えられていた。
「それでラール将軍、I.O.Tでは新天連についてどこまで調べがついていますか。恥ずかしながらW.P.I.Uはこの地域から遠く、あまり強い関心は抱いておりませんでした。そのため彼らの目的が「月への到達であろうと推測される」という情報は先進国連合同盟から得ていますが、細部については深く知らないというのが実情です」
ラール将軍から聞けたのは、I.O.Tの遥か北西に位置するアンゲルスに新天連の本部があるということと、アンゲルスの西方にあるバイコヌールにはかつて宇宙基地が存在したため、月へ向かうならそこからではないか……ということだった。
「しかし解せませんね。アンゲルス近郊は信者たちが地下都市を建設し十万単位で暮らしているとのことですが、いくらなんでもそれだけの数を月に送り込めるはずがない。かといって、同じ信者でも月に行ける者とそうでない者という区別があっては求心力を保てるとも思えません。行くからには全員が行ける、少なくともそう思えるだけの何かがなければ脱落者のラッシュで情報収集も楽だったでしょうに」
だが実際は新天連の結束は固く、そのためにG.B.PやN.E.Uの諜報活動は困難を極めた。裏切らなければ必ず報われると信じられなければ、数十万もの人がいれば離反者や買収に応じる者の数人は出そうなものだが、ついに内部の協力者は得られずスパイの強行脱出という形で諜報戦は終結を見た。それ以降は警戒が厳しくなり、新たな情報は持ち帰られていない。
「我らとしては、もし例の新型ウィルスとやらが本物であったら……という点がどうしても気になりますな。ロケットから散布されれば当然それは世界規模の問題となるのですが、地上にある施設を破壊した時点で近隣地域に悪影響が出ないのか。ここから離れた先進国連合同盟にさえ悪影響がなければ手段は選ばぬ……というのではこちらとしても黙ってはいられませんでな。そこのところはご配慮いただきたい」
「ラール将軍の心配はごもっとも。W.P.I.Uとしても、まずは貯蔵施設なり製造工場を占拠し、ウィルス兵器のサンプル入手を第一作戦目標と定めております。即座に鑑定作業を行うため内外から選抜された科学技術班も同行しており、成分分析後の結果公表は速やかに行われるでしょう。また、現状で考え得る範囲内での生成物であればすぐに対抗用のワクチンを生成できる設備も、潜航艇内に用意してあります」
そういう細々としたことはW.P.I.Uに任せてしまおう、というのが先進国連合同盟におけるW.P.I.Uの立ち位置でもある。そしてW.P.I.U側としても、別の連合に任せて尻拭いをするくらいなら最初から担当したほうが手間もかからないため、その立場に甘んじることを是としていた。
「ただ、非常に可能性は低いということですが……仮に既存の常識が通じない新たな生成物であった場合、戦術規模の熱核兵器で焼き払うくらいしか手立てがないという結論に至ることはあり得るそうです。そんなものを、劣悪な環境で生み出せるはずはないだろうというのが上の見立てですが、世界の混乱を好機と考える輩が裏で手を貸していたら話は別なので」
独自路線をひた走るR.S.Tや、自分たちこそが世界の指導的地位を担うべしと自負するC.C.Cにとって、先進国連合同盟の存在はどうしても邪魔者である。しかし戦争で勝つことは不可能でないにしても戦争被害は甚大で、生き抜くために欲しい技術は失われるため勝っても旨味がなく仕掛けるに仕掛けられないという、動かしようのない膠着状態に陥っている。ここから抜け出すには自分たちで技術を得るまで時を稼ぐしかないのだが、同じ時を与えられれば相手はさらに先を行く。それを防ぐために合法非合法を問わず、R.S.TやC.C.Cは先進国連合同盟に敵対する組織や国家、連合に対し無条件で資金や技術の供与を行っているとの噂が途絶えたことはない。
「新天連がR.S.TやC.C.Cと繋がっておれば、それも可能というわけですか。しかし仮にウィルスをバラ撒かれでもしたら彼らとて無事では済まぬし、そのような下手を打つとも思えませんがなあ。もちろん飼い犬に手を噛まれることはあり得るでしょうが、そこは歴史的に見ても多くの犬を飼ってきた経験もある彼らですから」
新天連の恨みの主な矛先は旧ヨーロッパ圏のG.B.PやN.E.Uに向いているのだが、内偵情報の通り「ロケット発射阻止を防ぐため人体にのみ有害な新型ウィルスを満載して打ち上げる」のだとすれば、R.S.TやC.C.Cにも致命的な被害が出る恐れは十分にある。両連合が新天連討伐連合軍に表向きは反対しなかったのも、予想外の成長を見せてしまった「狂犬」の始末を任せてしまおうと考えたのかも知れなかった。
「新天連が両連合と繋がっていれば、戦闘車両やコマンド・ウォーカーなども保有している可能性はありますね。うちの商人たちもそれを願っているのでしょうが、個人的にはそういう面倒は起きてほしくな……ん、何でしょうか?」
弥兵衛が会話の途中で言葉を濁したのは、奥からI.O.Tの士官が早足で近づいてきたからである。ラール将軍の側近と柊・ラダー両少尉は弥兵衛とラール将軍の密談を邪魔しないように少し離れた場所にいたが、それには目もくれず将軍の下に向かってくるあたり、ただならぬ事態が発生したとの予感を抱かせるには十分である。
「お話のところ申し訳ありません、将軍閣下!只今ムンバイ管轄軍より緊急連絡が入りまして、南部郊外にて演習中だったコマンド・ウォーカー小隊3機が突如「正気を失った」とのこと。通信は繋がっておりますが意味不明の発言を繰り返し、取り付くシマもないそうです。現場の責任者はムンバイ市に入る前に取り押さえようと試みましたが失敗し、被害が広がる前に撃破許可をいただきたいと申しております!」
緊急事態を告げる報告であるからにはもちろん驚きを伴うが、問題は中身である。離反でも個人関係のもつれでもなく、ただ「正気を失った」ことだけが想定できるとはどういうことなのか。ラール将軍もその点を確かめると、報告に来た士官はなんとも神妙な面持ちでこう述べた。
「それが、どうやら精神に異常を来たしたと申しますか……脈絡のない話題で一人会話を始め、一人で結論に至るなど理解を越えた行動を取っておるようです。それと理由は不明ですが、小隊長によれば暴走機は「普段より動きがよい」らしく、取り押さえることができなかったと。いかがいたしましょう?」
その報告を聞いてラール将軍もさすがに面食らったらしく、しばし考慮の時間が必要となった。とはいえ市内で暴れられたら市民に犠牲者が出る可能性もあり、何より軍の権威が失墜する。それだけは避けるべくすぐに攻撃許可の命令を下すが、そもそもムンバイはI.O.Tの安全区に存在することもあり、防衛部隊は市の南北に置かれている程度である。暴走機が所属する南側の隊だけでは抑えきれなかったためにこのような事態に陥いることとなった以上、北の部隊も増援で送らねばならなかった。
「北の部隊が到着するまでの時間稼ぎが必要だ。住民の避難を終えた地区であれば火器の使用も許可するゆえ、なんとしても動きを止めよと伝えるのだ。急げ!」
(突然の奇怪な行動、意味不明の言動、そして正常ではないのになぜか操縦技術は上がったと。I.O.Tで実戦配備されるのは廉価版ナイト・オブ・ナイトメアだろうから暁星の件とは無関係なのだとは思うが……我々が到着したその日に事件が起こるというのもな。単に破壊が目的ならこんな日でなくともいいのだし、一つ調べてみるか)
「将軍!我々の部隊も潜航艇からの搬出を終えている頃です。西側のムンバイ港からなら北部の部隊より早く市の南部に到着できるでしょうし、暴走機の鎮圧に協力させていただきたく存じます。予定より早いお披露目となりますが、新型の性能をその目でお確かめいただければと」
弥兵衛の申し出にラール将軍は即答しかねた。I.O.T軍部の失態をW.P.I.Uに尻拭いさせるのは気が引けたからで、普段ならすぐに辞退を伝えただろう。しかし南部の隊だけでは抑えられるか不明であり援軍は確かにありがたく、それと同時に新型機のより実戦的な挙動を自身の目で確認できるのは大きな魅力だったからである。
「……では、お言葉に甘えましょうか。ムンバイ港からは高架の環状リニアが南部まで通っておりますから、一時運航を取りやめ移動経路として使えるよう手配するとしましょう。ただ、市民の避難状況によっては重火器の使用を禁じていただきたく」
「その点はご心配なく。当方は暴徒鎮圧用の機能障害装備のみ用います。駆動系を始め内部に大きな影響を与えますので修理に時間はかかりますが、ブロークンやブレイクアウトさせるよりはパイロットも機体もまだ安全とは思います。何しろ原因究明という大仕事が残っていますから……ここで派手に壊すわけにもいかんでしょう?」
暴走機も演習中のため肩部速射砲には模擬弾が、主武装のロケット・ランサーも弾頭部分には炸薬が詰められておらず、射撃は不可能ということであった。唯一の武装はロケット・ランサーの槍部分で、市民が溢れる市中で暴れられようものなら惨たらしい被害が出ることは間違いない。
「柊少尉!至急レックスを呼び出してくれ。諸君らとVenusの初陣は暴走機の鎮圧であると伝えてもらいたい。武装はライトニング・パイクとグレイヴ・バンド、射撃装備で許可できるのはワイヤーシューターのみということも添えてな」
機体内部に高圧電流を流し動作不能に至らせるライトニング・パイクは全世界で多用される鎮圧装備で、長大な車のワイパーのように見える薙刀のようなグレイヴ・バンドは、バンド部分が命中すると柄から分離し敵機に巻き付き動きを阻害するW.P.I.U独自の鎮圧装備だった。これに超硬ワイヤーを発射するワイヤーシューターを駆使し、暴走機を鎮圧せよというのが暁星の記念すべき初陣ということになる。
(さて。この争乱を仕組んだ者がいるなら必ず大捕物を見物に来るはずだ。残念ながら特等席はラール将軍と私でソールドアウトとなるが、果たしてどこからのぞき見をしようとするやら。どこにいるかで、黒幕予想の材料とさせてもらおう!)
「私はラール将軍と一緒に現場へ行くから、もう護衛の必要はないだろう。それより柊少尉とラダー少尉には別の任務を頼みたい。非常に重要な任務だが、いけるか?」
そして弥兵衛は、暴走機とstarry sky小隊が交戦する場所に目を向けているすべての人間、機械を映像に収めるよう二人に指示を下す。黒幕がいるなら必ず何かしらのリアクションがあるはずだ……という意図を汲み取ったあたり、出動するならレックスが適任者であることも含め、ここに来たのが彼女たちでよかったと思うのだった。
「では行動開始だ。starry sky小隊は装備確認が完了し次第、ムンバイ環状リニアの高架部分を使い市の南部に向かえ。車両が飛んできたりはしないから安心して構わない。ターゲット情報は入手次第、こちらから随時連絡を入れる。柊少尉とラダー少尉は港に帰還後、各自の判断で装備を選び任務を遂行してもらおう。よし、かかれ!」
ng歴304年1月4日、多くの人々にとって忘れ得ぬ波乱の年となる一年はこうして派手な大捕物から始まった。すべてを知り得た後に振り返ってみれば、悲劇を避け得る情報が散りばめられていたのにと悔悟の念がよぎるムンバイ争乱の幕が開く。
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