第9話 花嫁の忠心
その日は晴れ渡る青空で、雲さえ邪魔せぬ朗らかな天候だった。
晃は眩しそうに空を見上げて、それから側に控えている
千景。
心の中で飛火の前の名を呼ぶ。いずこを探しても見つけられなかった魂は、こんな身近なところにいたのだ。男として、千景の精神は再び生きている。
そのことに、晃は神に感謝したいくらい嬉しいと思っている。千景は新しい人生を歩んでいる。これ以上にない幸せを掴んで欲しいと真に願う。
晃は遠くに目をやった。
郷の中でも一番見晴らしのいい丘で、彼らは花嫁が到着するのを待っている。
花嫁が野に降り立った。白無垢の純白な白さが眩しくて、晃は目を細めた。
羽織袴姿の晃は、何年か前の、この光景を思い起こしてクスッと笑った。
あの時はお互いまだ高校生だった。
妻を娶ることを聞いてもいなかったし、まさに青天のへきれきで、嫁入りを受け入れがたい事のように思えたものだ。
今は、自ら妻にと望んだ相手が、こうしてしずしずとやって来ているのを目にしている。何やら感慨にふけってしまう。
花嫁の付き人は大きな目を晃に向けて、たまらずに微笑んでいる。その様子がまた彼の気持ちを引き立てる。
花楓が自分の事のように喜んでくれているのが何よりも嬉しい。
晃は花嫁が一歩一歩確かめる様に進んでくるのをずっと見ていたいと思った。彼女は自分の意志でここに来る。誰に強制されたわけでもなく、慣習に従ったわけでもない。晃の妻問いに答えてくれた。
美しい妻の姿に、晃は訳もなく切なくなってしまった。
はるか昔に失くした最愛の人。苦しめてしまった愛しい人。愛せなかったけれど、大切なことに変わりはなかった美しい人。
様々な妻を得たことはあるが、これほどまでに心が切望している存在はなかった。妻を得ることが初めてのような心地に、彼は戸惑いつつも幸せを感じる。
妻の名は永里。
昔から彼の妻の名は永里だが、誰一人として同じ者はいない。
晃は愛おしそうに名を呼んだ。
まだそれが聞こえる距離にいないというのに、彼女は顔を上げ、その美しく赤い双眸に彼を映した。
大輪の花が開いたような笑顔が彼女を彩る。
彼らの新しい歩みはここから始まるのだ。
青空の下で結婚式を終え、屋敷で盛大な婚礼披露の宴を三日三晩催して、やっとひと心地ついた晃と永里は、同じ布団に入って、お互いを見つめた。
「なんだか久しぶりに晃さんを見る気がします」
永里が嬉しそうに言った。
宴のお陰で、あちこち引っ張り出され、お互いが誰を相手にしているのかもわからないようなどんちゃん騒ぎだった。
晃はそんな中でも、ちゃんと永里のことを見ていたのだが、それは秘密にしておいた。
「永里、お疲れ様」
彼女の髪を撫でながら、晃は言った。
結婚後は郷に住むことになる。この屋敷が彼らの家で、もう永里の荷物も運びこんである。彼女の荷物は少ないが、屋敷に彼女の物があるというだけで、とても心が落ち着く晃だった。そんな自分が少々恥ずかしい奴だと思わなくもないが、晃にとって永里は何物にも代えられない宝物だった。
永里がじっと晃を見つめているのに気が付いて、彼は「なに?」と彼女の頬に口づけてから尋ねる。
「あの、晃さんは花楓さんの事をどう思っていらっしゃるんですか」
真剣な様子で永里が言うので、晃はきょとん、と彼女を見た。
「花楓のこと?」
「はい。いつも仲良くいらして、正直言いますと…」
「うん?」
「嫉妬してしまいます」
永里が目を逸らして言った。
その様が健気でかわいいものだから、晃はぎゅっと彼女を抱きしめた。
「花楓とは幼馴染だから、そういう仲を疑われるとは思ってもみなかったていうか、永里がそう思っているのがわかって、ちょっと嬉しいな。嫉妬されるって、もっと面倒なものかと思ってたけど、全然嫌じゃない」
晃は永里に何度も口づけた。
「晃さん、その、私はただ、晃さんと花楓さんの中には入り込めないときがあるので、それが寂しいというか、そう思っただけで…」
恥ずかしくなって、永里の口調がしどろもどろになっている。普段の冷たい美貌しか知らない者にすれば、こんなギャップは想像できないだろう。
「素直に言ってくれればいい。これからも、何をどう感じて、僕にどうして欲しいか、ちゃんと言ってくれると嬉しい」
「はい、晃さん」
永里は頷いて、布団の中に潜っていった。気恥ずかしいらしい。
「ちなみに、花楓とは千年ほどの付き合いなんだ」
晃が何でもない事のように言った。
「はい?」
永里が顔を上げて聞き返す。
「知らなかった?花楓は今いる鬼の中で一番長寿なんじゃないかな」
「え、でも、花楓さんと私は従妹で、花楓さんのご両親は人間に溶け込むためにずっと人間の中で暮らしているとか。それに私の祖母よりも若く見えます」
永里が信じられない思いで言うと、晃が笑った。
「あいつ、見た目が変わらないからね。って言うか、怪しまれないように人間の寿命に合わせて容姿を変えているんだ。永里が花楓の両親だと思っている相手は孫とかひ孫じゃないかな。逆なんだよ。花楓は主に上月と連携して人間社会に馴染むよう鬼のサポートをしている」
初めて聞く事実に、永里が目を丸くしたまま固まっている。
「従妹と言うのは本当だと思うよ」
付け足すように言って、晃は笑った。
「幼馴染を何回やったかわからないけど、飽きないやつだよね」
のほほん、と言う晃に永里は彼らの仲に入り込めないわけを納得した。この二人では人生の尺が普通と違いすぎるのだ。
しかし。
「晃さんのこれからの人生は私がお供しますから」
強い口調で言い切る永里に、晃が目を細めた。
愛しい妻の宣言が単純に嬉しい。
花嫁の忠心を、彼は至福の中に受け取った。
これから先何が起こっても、永里とならば最強の夫婦でいられると晃は確信するのだった。
花嫁の忠心 七海 露万 @miyuking001
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