第3話最悪で最高の出会い

 「オランダ商館」は今から四百年前栄えていた日蘭貿易に関する資料館だった。

 長い年月を経ているだけに、オランダ語で書かれた書籍は黄ばんでいた。

 それを吟味する人は十人くらいいたが、私の興味を引いたのは、その資料のどれでもなかった。

 たった一枚の布きれだった。

 つぎはぎだらけの古い布には灰色の文字が川のように流れていた。

 時代から考えると、この灰色は墨で、文字を書く道具は筆だろう。

 万年筆であれば筆跡がしっかりと残っている。

 私は読み取った冒頭文が目に焼き付いた。

 決して「うるしや」で見かけたからではない。

 「平戸……こいしや、こいしや?」

 何かが引っかかる感じを拭うことができず、気付いたときには職員に尋ねていた。

 女性の職員は丁寧に答えてくれた。私が自分の口元を塞いだのはそのときだった。

 「こちらはじゃがたら娘、西洋人と日本人との間に生まれた混血児ですが、幕府の命令で平戸を離れなくてはならなくなったときに一人の娘さんが親族に送った手紙です。平戸が恋しくて恋しくてたまらない、という意味ですね」

 幕府から邪険にされていた混血児。なるほどと、私は勝手に解釈した。

 現代でも紙に金はかかるが、江戸時代当時はより多くの金をかけないと手紙をかくことができなかった。

 それで自分の着物の端切れに筆を落としたのだろう、と。

 真意を確かめることもせず、私はオランダ商館から去った。

 建物を背にした風景は、福岡市にはない風景だった。

 朱色の平戸大橋と平戸城が並んで見える。

 それに時速十四キロメートルの潮の勢いが海上に渦を描いている。

 私の後にオランダ商館を出た二組の夫婦がデジタルカメラのレンズやタブレットの画面に吸い寄せようとボタンを押している。

 確かに珍しいけれど、私には感動するほどではなかった。

 この二日間、私は福岡市、佐世保市にないものすべてに心を揺さぶられることはなかった。

 かつての私、別れたた男との旅行を楽しみにしていたころはいちいち大袈裟に声を上げていたかもしれない。

 けれどそのような私は二度と帰って来ない。

 私はこれからも腐ったままだ。

 そう思っていた。

 潮風を浴びて滞在先のホテルに向かおうとしたそのときだった。

 私はまたしても年上の女性と視線が合った。

 「……姉さん?」

 うるしやの奥さんとは違い、八十歳は超えているであろうその人は一歩ずつ曲がった腰で私に近付いてきた。

 針を刺したように鋭い視線に、私は距離を置くことができなかった。

 「さくら姉さん?」

 「は?」

 女性は私の頬に手を重ねた。

 その手はしみと皺で年齢を表し、私を呼ぶにはあまりにも高齢だ。

 「あの、私『さくら』っていう名前ではありません。人違いではないでしょうか?」

 さすがに不気味に思ったので、私は頬の上の手を引っ張るように引き剥がした。

 すると女性の後方、私の前方から男性の声がした。

 「ばあちゃーん! まだ呆けてもらっては困るばい!」

 硬直した女性の肩をそっと手前に引き、男性は頭を下げた。

 「すんません。うちのばあちゃんが変なことを言ったとじゃなかですか?」

 「あ、いや……」

 私が後ずさりすると、女性は叫んだ。高齢の体に障るのではないかというほどだった。

 「啓一郎(けいいちろう)! この人、姉さんばい! 私の双子の姉、さくら子姉さん! 分かるや?」

 無礼にも、私を指差した。

 「そんなわけなかろ。ばあちゃんと双子ならもっと年を取って……待てよ、確かに似ている。いんや、似てるっていうもんじゃなかばい。あんた、さくら子さんそっくりたい! もしかして、あんたのばあちゃんの名前、さくら子って言わんね?」

 啓一郎と呼ばれた男性までもが私を指差した。

 悪いこともしていないはずなのに、無礼な言動に腹が立った。

 自然と声が低くなった。

 「確かに祖母の名前は『さくら子』と言います。ですがあなた方とどういう風に関係があるというのですか?」

 西洋風の街灯がある道路に向かって走り出すと、高齢の女性と若い男性は揃って私を呼び止めた。

 「のり代さん! 佐藤のり代さん!」

 「どうして、私の名前を?」

 恥ずかしくも、私はダッシュする姿勢で振り返った。

 写真を撮っていた夫婦が二組ともすでにいなくなっていたのが幸いだった。

 「あなたのばあちゃん、こん人と双子なんよ。そんで、さくら子さんからあんたに手紙ば預かっとると」

 「啓……一郎さん、でしたっけ? それはどういうことでしょうか。私には話が見えません」

 コンパスで円を描くように、五センチずつつま先を後方にずらしてみた。

 三人とも向かい合って立つと、啓一郎は後頭部を掻きながら言った。

 「とにかくうちに入ってください。ほら、そこの家なんで。万(まん)田屋(だや)っていう表札、書いてあるやろ?」

 どうやら啓一郎の苗字は万田屋というらしい。

 セキュリティロックもなさそうな木造建てに引き戸という条件があったからだろう。

 「五分だけならば……」

 私は万田屋さん二人に導かれた。

 玄関から居間まで案内してくれた中年の女性は啓一郎の母親だった。

 居間には遺影が二枚あった。

 私の後ろについていた啓一郎によると、自分の祖父は三年前、父親は十年前に他界したとのことだ。

 啓一郎は二十九歳らしいので、高校卒業間もなく母親が未亡人になったということだ。

 その息子は地元の電力会社に勤めている。

 初対面の無礼な言動からは想像もできない。

 「ばあちゃん、ほら。のり代さんに渡すとやろ?」

 ガラス製品を扱うように慎重に祖母の背中を押す手も、印象からかけ離れていた。

 やはり血は争えないのか、後にうめ子と名乗った啓一郎の祖母も、仏壇に対しては敬意を表している。

 着物ではなく洋服を着ている。それなのに袖を抑えて、仏壇に向けて腕を震わせながら懸命に伸ばしている。

 私には到底真似できない。

 祖父母は私が子どものころに亡くなった。

 当時の私があまりにも幼かったことに理由があるのかもしれない。仏壇に対する敬意とやらを持ち合わせていないからだ。

 「さあ、のり代さん。開いてみんね」

 うめ子さんが私に差し出したのは、紙の入った封筒ではなかった。一枚の布だった。

 「これは?」

 「あんたのばあちゃん、さくら子姉さんが私に送ってきたと。いつか孫が平戸に来たら渡して欲しいって」

 つまり、この布きれは遺書ということになる。

 もしうめ子さんが本当に私の大叔母であれば、祖母はなぜ私の母親ではなくこの人に託したのだろうか。

 私自身が福岡市に住むことを予測していなかったように、私が平戸に来る保証など何一つなかったはずだ。

 私はいまだにうめ子さんの言葉を信じていない。

 祖母という言葉に惹かれたわけでもない。

 それでも私はこの布を拡げようと思った。

 仮にこのまま万田屋家を後にしても、ホテルで寝るだけだと思ったからだ。

 四つ折りにされた布を、二つ折りに戻してみた。

 すると一枚の写真が布の間から滑り落ちた。

 私は驚いた。モノクロ写真を撮ったこともなければ、幼いころに遊んだ着せ替え人形用にデザインされたワンピースを着たこともない。

 けれど、確かに写真には私がいる。

 「これがさくら子姉さん。あんたにそっくりやろが」

 私はうめ子と啓一郎の言動に納得した。

 たとえ相手に事情を知られていないとしても、私が彼女たちの立場であれば同じ言動に走っていたかもしれない。

 私はこの一枚の写真で、万田屋家の言い分を信じ切ってしまった。

 もしも布を広げなければ後悔するとさえ思い込んでしまった。

 こうなっては、私の手は迷うことなどない。

 わずか二秒で布を完全に広げてしまった。

 驚いた。

 布は刺繍により手紙と化し、一枚の手紙になっている。

 それも、冒頭文にはオランダ商館に展示されていた「平戸こいしやこいしや」と記さていた。

 もっとも「こいしやこいしや」の平仮名はカタカナに変換されていたが。

 なぜ祖母がじゃがたら娘の真似を? うめ子さんの顔立ちからして、祖母は生粋の日本人であるはずなのに。

 私自身も典型的な日本人であるのに。

 「平戸コイシヤコイシヤ」に魅入られ、私は次行に目を移すことができなかった。

 そこで、うめ子さんが視界を強制的にずらしてくれた。

 両手で頬を挟み、左にずらした。

 「早よ、読まんね」


 平戸コイシヤコイシヤ。

 十五デ佐世保ニ出稼ギ船二乗ル。

 二十デアメリカ人ノ子ヲ身ゴモリ男児生ム。

 二十五デ日本人トケッコン、二十六デ女児生ム。

 辛クトモ辛クトモ、ヒタスラ生キル。

 平戸二帰ルコト叶ワズトモ、セメテ田平ヨリシオカゼ浴ビヨウ。

 我ガマゴ、ノリヨ二オクル。


 私が五歳のころだった。

 これまで祖母の表情といえば笑顔しか知らなかった。

 それがあるとき、祖母、さくら子は何かを見張るように真剣で、涙を堪えていた。

 「ばあちゃん、なんしよると?」

 幼い私は迷わず尋ねた。

 すると祖母は私が知る笑顔に戻った。

 「ばあちゃんね、未来ののり代にプレゼントば作っとると。今ののり代にはまだ早かばい」

 「なしてー?」

 私が何度も繰り返したが、祖母はもったいぶる理由を教えてくれなかった。

 その日以降、晴れても雨が降っても休むことなく針を持った。

 そして完成したのが、この布手紙だった。

 二十五年後、祖母の願い通り私の手に渡った。

 それにしては一つ疑問がある。

 「なぜ、佐世保市に住む実の娘、私の母に預けなかったのでしょうか? 私が平戸市に来る保証など、どこにもなかったはずです。私ならば、これほど回りくどいことはしないと思います」

 「そうねぇ」

 うめ子さんは頷いた。それでも返事は上の空だ。

 私の意見になど同意していない。

 自分の言い分を口にしたくて仕方がないようだ。

 「姉さん、長女だから自分が稼がんとでけんと言うてこの土地ば離れたと。まあ、戦後はどこの家も貧しかったけん、しょんなかったと。でも、ふるさとに帰れんかった。分かるやろ? 佐世保市の事情はようと分からんばってか、この平戸市で混血の息子と純血の娘、顔立ちの違う二人の子どもを連れて帰ると、ご近所さんが黙っとらん。かつて貿易港として栄えたとはいえ、こればかりは田舎の性。どがんすることもでけんと」

 私はうめ子さんの言い分に納得した。

 確かに、貿易港であったことは過去の話。

 江戸時代の二百年以上鎖国であった事実は、日本人の保守的な考えを生んだ。

 ましてや地元民にとっての娯楽のないこの町では、興味が他人の噂に傾いてしまう。

 私は伯父のことを思った。

 三年前に渡米した伯父、母の兄は幼いころから妹と違う顔立ちに悩んでいた。

 あくまで母から聞いた話に過ぎないが、タイムスリップして事実を確認する必要はない。

 佐世保市での生活は、この私が十分過ぎるほど知っているからだ。

 今でこそ日本中で混血のモデルがもてはやされているが、私が子どものころはそうではなかった。

 同級生に混血児が三人いた。一人は白肌のアメリカ、一人は黒肌のアメリカ、そしてもう一人は褐色肌のカンボジアの親を持つ。

 白肌の子は男の子、後の二人は女の子だったが、肌の色を問わず、三人はずいぶんと差別を受けた。

 中でも鮮明に記憶に残っていることはクレヨンだった。

 日本で販売されている「肌色」は黄色人種のみを指していた。

 三人に合う「肌色」がこの時代に存在せず、また外見が異なるということだけで純血の同級生にからかわれていた。

 今でこそペールオレンジとかいう洒落た名前の色があるけれど、当時は誰もが「肌色」に疑問すら抱かなかった。

 私もその一人だった。

 同級生と違い直接からかうことはしなかった。それでも傍観者であった私も同罪だ。

 あまりにも幼い私が、渡米までする伯父の心など理解できるはずもなかった。

 今考えると、伯父は窮屈な日本に嫌気をさしていたのかもしれない。また、祖父母と母への気遣いに限界を感じていたはずだ。

 伯父は私が知っている誰よりも多彩な感情を表す人だからだ。

 もし私に混血の同級生がいなければ、家族の誰もが推しても、伯父の渡米に反対したかもしれない。伯父は私の初恋相手だからだ。

 過去の不倫相手が奥さんの元に戻ったように、私がいる日本から離れてほしくなかった。

 独占したい気持ちがあった。年上の男性との不倫を始めたのも、ちょうどこのころだった。

 別の男に抱かれながら伯父のことを思ったことも何度もあった。

 それだけ、私は初恋、キスもしたことのない相手に未練を抱いていた。

 祖母はどうだったのだろうか。日本人の祖父と結婚して、かつてのアメリカ人恋人を思うことがあったのだろうか。

 伯父を育てる以上、彫りの深い顔から離れることが叶わない状況で。

 「それでも平戸にこの布手紙を送ったのは」

 平戸コイシヤコイシヤの文字を、なぞるように見つめた。

 「そうたい。どんな田舎でも、こん平戸は姉さんの好いとる場所たい。いつかのり代さんに見せたかったと思うとさ。自分の歴史を家族に知ってもらいたいのが人ってもんやけん。だから、あんたが平戸に来たのも、姉さんの導きだったと。あたしゃそう思う」

 もはや涙で文字が歪んでいた。

 祖母は恋人を失っても、たくましく生きてきた。父親の異なる二人の子どもを育て上げたことが何よりの証拠だ。

 しかもただ生きたわけではない。

 伯父に対し、母に対し、そして私に対しわけ隔てなく接した。

 姿かたちのことなど、一度も口にしたことはなかった。

 落ち込むことなんて、いくらでもあったはずなのに。

 それに比べて、私はどうだ。

 自暴自棄になり仕事まで辞め、こうしてふらふらと祖母の聖地を彷徨っている。

 私に接してきた「さとや」の主人にも「うるしや」夫妻にも感謝の言葉一つ出せずにいた。

 しまいには血縁者であるうめ子と啓一郎に親近感を抱くどころか、警戒心を剥き出しにしていた。

 これほど悲しい時間を過ごしたことはない。

 それでも、私は虚しい私を卒業したかった。

 ようやく気付いた。祖母のおかげで。

 私は一人ではない。祖母が天国で見守ってくれている。母が生きている。もちろん、父も。そして海の向こうには伯父がいる。

 遠く離れていても、私たちは結ばれている。名前も形もない絆で。昔の男のことなど、どうでもよい。

 「……ありがとうございます。うめ子さん」

 布手紙を抱きしめると、うめ子さんは拳が入りそうなほど口を開けた。部分入れ歯が丸見えだ。

 「あんた、笑った顔まで姉さんにそっくりばい」

 「へえ、のり代さん、かなりのべっぴんばいね」

 黙ってうめ子さんの後ろに控えていた啓一郎さんまで、話からずれたことを言った。

 その日の夕方、万田屋家にて私の歓迎会を開いてくれた。

 ご近所からのいただいた鯵(あじ)の刺身、鯛(たい)の荒炊き、鱛(えそ)のすり身揚げ、飛魚(あご)出汁の吸い物が食卓に並んだ。

 うめ子さんとお嫁さんの手料理だ。啓一郎さんは町の酒屋に地酒を買いに行ってくれた。

 かぴたんというらしい。私はこれまで焼酎を飲んだことがないので、薄めの水割りを啓一郎さんに作ってもらった。口内にスムーズに染み込み、焼酎に対する苦手意識が和らいだ。

 いつか万田屋家の人たちを福岡市に招待したい。そのために福岡市の地酒もしっかり学んでおこうと思った。

 平戸市の名産を使った料理はどれもが味を主張していた。それでも瞬く間に校内で溶けるので、他の味を邪魔しない。むしろ次に食する風味を引き立てている。

 焼酎にも同じことが言える。とくに鯵の刺身と鯛の荒炊きを口が「もっと」とせがむ。

 夕食の席は祖母の話題で持ちきりだった。

 大人になる前から苦労を重ねてきたはずの祖母は、私だけでなくうめ子さんの記憶でも明るかった。

 頑固なのが玉に瑕(きず)と言ったうめ子さんも、開花した梅花のように華やかで眩しかった。

 夕食後、万田屋家のお嫁さんが車でホテルまで送ってくれた。

 「今日は突然お邪魔した上にご馳走までいただいて、ありがとうございました」

 「いいえ、こちらこそ。私もね、久しぶりにばあちゃんの笑顔ば見られて嬉しかとよ。それにね……」

 お嫁さんはわざとらしく口元に手を当てて小声で言った。

 「実は私も佐世保市出身なの。今度は佐世保市のお話もしましょうね。そのときは私の名前も呼んでちょうだい。絢子(あやこ)っていうの」

 「はい、絢子さん」

 翌日の夕方までホテルの部屋で眠り、私はまたしても万田屋家にお邪魔した。

 うめ子さん、絢子さん、そして啓一郎さんの三人はまたしてもご馳走と地酒で歓迎してくれた。

 「昨日はご馳走ばかりだったからねぇ」

 絢子さんはそう言いながらも、刺身を造ってくれた。

 鯛、ヒラス、鰤(ぶり)の刺身はどれも絶品だった。

 啓一郎さんはまたしても酒屋さんまで走ってくれた。

 この日の地酒は日本酒「飛鶯(ひらん)」だった。甘口寄りの中辛で、こちらもまた刺身と調和していた。

 話題は絢子さんと私の故郷、佐世保市で持ちきりだった。

 絢子さんは私の実家がある区域出身だったのだ。偶然に驚き話題が逸れることがなかったのも、無理はない。

 そして唯一酒を呑まない絢子さんがホテルまで車で送ってくれた。

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