第37話 アリス イン アワワワーランド


 つり気味ながらも丸みある目元。繊細で透き通る様な肌色。つんとした鼻先。シャープな輪郭。薄くとも淡い桜色の唇。そして似合いすぎな高飛車のツインテール。あれ? 激可愛いっ。可憐さで言えば、一番かもしれない。真っ直ぐと綺麗。混じりっけ無しの美人。


「私の魔法はね、少し皆と目標が違うの」


 ハードカバーの分厚い本を机の上に開き、若干俯いたアリス先輩の横顔に、艶やかで細長い髪の毛が数本、妖艶な陰を映すかの様に垂れ下がった。


 不意に細い腕が、しなやかな指先がその横顔に張り付き、まるで静まりかえる水面をかき分けるかのように、妖艶な細長い髪の毛を耳に撫でつける。ゾクゾクと鳥肌が立った。その仕草はあまりにも清廉で、木漏れ日が重なり合った様な光さえ放つ。


「私はね、光の魔法が使える様になるのが一番の目的じゃ無いの。一番の目的はね、光の魔法使いの様に、明るくて、天真爛漫で、無邪気で、向日葵みたいな、それこそ太陽みたいな、私はそんな存在になりたいって思ってるの。皆が明るくなれるような、そんな存在に憧れているの」


 つり気味の丸みある目が、笑みを形作ってこっちに向いた。俺の内側が、ある種の感動で熱を帯びる。まるで教会の壁画に描かれた女神が抜け出してきたかのような造形美を、ただただ見つめた。ただただ魅入った。アリス先輩は微かに首を傾げて、本に目線を戻した。


「例えばこのファンタジー小説に出てくる光の魔法使いがね、凄く私の目標に近いっていうか、凄く素敵な女性なの。何があっても揺るぎない前向きな心を持っていて、邪悪な魔法使いさえも光で包み込もうとするの。たくさんの悲しみを背負っているはずなのに、それでもずっと笑みを絶やさず、前に進み続ける。凄い女性なんだよ」


 いつのも明るげで楽しげな声すらも、吸い込まれそうな透明度を持つ。どうして今まで気づかなかったのか不思議でならないほど、あまりにも純粋に綺麗だった。まるで朝露に包まれる森の様に、ヒラヒラと風に揺れる一輪の花の様に、波一つ無い水面に広がる波紋の様に、だた純粋に、それは綺麗だった。


「シュウヤ君?」

「シュウヤ君ってばっ」

「もうシュウヤ君っ、止めてっ」


 淡い桜色に濡れた唇が俺の名を作り出している。それだけで、なんだか夢の中にいる気分だった。俺は返事も出来ずにただ見つめていた。ぼんやりとした月光に照らされているかのように、視界は淡くにじんで、アリス先輩の姿が遠ざかっていく。俺は見失うまいと、ただずっと、見つめていた。


 ボンッ、シューーゥ


 不意に何かが破裂したような音が耳に届き、我に返る。教室を見渡しても、誰かが音に気づいた気配はない。寿門先輩はノートにのめり込む様に絵を描いていて、堀田先輩と真穂さんは、教室前方の本棚辺りで雑談を交わしている。


 今の音はなんだったんだろう、と俺は目線を戻して、湯気でも上がりそうなほど顔を真っ赤っかに染め上げたアリス先輩に、自分の犯した過ちを見せつけられた。瞬時に体中が高熱を帯びる。骨が、全身の骨が溶けてしまう。お、俺は、なんて事をっ。


「ききき、気づいたみたいででで、っよよ、良かったあっ。アハッハハ」

 

 気丈な振りだと丸わかりの、慌てふためいたアリス先輩の小声が俺を責め立てる。おお、俺が、見続けてしまったばっかりに。おおお、俺は、なんて事をっ!! なんて恥ずかしい事をっ!! いやややっや、ヤバいっ。


「シュシュシュ、シュウヤ君がっが、なんかずっと、みみ、見つめるからね、ちょっと、はは、恥ずかしくなちゃてねっ。アハ、アハハ」


「すすす、すすみませんでした。そそ、その、あああ、アリス先輩が、その、綺麗でっ」


 ボボンッシュッシュー


「アワワワ、ななな、何言ってるのシュウヤ君っ。やや、やめてよっもうっ」


 あ、あ、アリス先輩がまさかのアワワと言い出した。アワワワワ、全部俺の所為だっ。アワワ、何言っちゃってんの俺っ!!


「すすすすみませんっ、違うんですっ。いや、綺麗なのが違うんじゃなっ、いや、それも違うんですけど、綺麗なのは綺麗で、いややや、アワワワッ」

 ついに俺もアワワと口に出してしまう。人って本当に慌てたとき、アワワと言ってしまうんだと、微かに残る冷静な俺が理解する。


「アワワワワ、もも、もう冗談はいいってばしゅしゅシュウヤ君っ。えっととと、どこまで話したっけなぁっ。そそっそ、そうだ、それでね、わ、私が魔法学で、や、やってるのはぁ」


「ははは、はい、ななななんでしょうか?」

 

「こここ、こんな感じで、小説、とかっ、アニメとかに出てくる、てって、天真爛漫で、明るい魔法使いの、くく、口調とか、格好とか真似てねっ、そそそ、その憧れに、ちょっとでも、ちち、近づけたら良いなって、おも、思ってるの」


「すすっ、凄くっ、良いですねっ」


「すすす、凄く良いでしょっ、ねっ」


「はは、はい、凄く良いですっ」


「ねっ、す、凄く良いんだよっ」


 互いに繰り返す凄く良いに、俺は慌てふためきながらも流れを変えなければと思った。お互いが全力で慌てると、会話が成り立たなくなってしまう。ここは一度、身を引こう。そう思った俺は鳴り止まぬ心臓の鼓動を抑えつけるかのように息を吹き出して、口を閉じた。


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


 プハァッ!! 窒息死するわっ!! 同時に黙っちゃったよっ!! 信じられないほど気まずい沈黙が生み出されちゃったよっ!! アワワワっ、なんか、なんかしゃべんなきゃっ。全部俺の所為なんだからっ。


「あ、あのっ」「あ、あのねっ」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


 窒息死するわっ!! なんで全て同時に起こるんだっ。俺からだ。俺から質問して何とか話を続けなければ。

「あの、どどど、どうしてアリス先輩は、ひひ、光の魔法を、使いたいというか、光の魔法使いに、なな、なりたいんですか?」


「ああ、え、えっとね、な、何から話せば良いかな。えっとね、わ、私、小さい頃から大好きな絵本があったの。な、流れ星に乗った魔法使い、って絵本なんだけど。か、簡単に言うとね、流れ星に乗って現れる魔法使いが、孤独な子供たちに幸せな魔法を教えるっていう物語の絵本なの」


 アリス先輩がしゃべり始めたことで、俺はひと先ずと息を付いた。落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる。そして話に集中しなければと、自分の過ちから目を背けて、聞き耳を存分に立てた。



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