第36話 桃色の殺意


 心身共に全てを吐き出しすっきりとした俺は、トイレを出て教室へと向かう。薄暗い廊下を歩きながら、今し方起こった出来事を一つ一つ思いだし、しっかりと受け入れていった。


 まずは堀田先輩とアリス先輩だ。二人は、眼鏡の付け外しで黒髪さらさらイケメン先輩と、控えめなツインテールの黒縁眼鏡不愉……黒縁眼鏡先輩に変身を遂げる。そしてそれは同一人物だ。うん、なんとも不可思議な現象ではあるが、俺が眼鏡過敏症なる特異な病をわずらっているという結論が出た。もう突っ込まない。受け入れよう。


 そして最も受け入れ難しは、魔法中年だ。なぜ姿形が変わるのか、未だその謎は解けない。だって眼鏡を掛けていない。しかし、最早それを深く掘り下げるきっかけは失った。最後のチャンスはトイレだった様に思う。それに、掘り下げたい欲求が俺に皆無だ。それならば、どれほどの疑問に苛まれようとも、受け入れる他に選択は無い。


 そんな考えに一人頷きながら、教室に入った。魔法中年はすでにいつもの恰幅かっぷくと暑苦しいまでの気配を取り戻し、教室の角で箒に跨がり飛び跳ねている。その姿に、もう俺の感情は揺れなかった。ああ、飛び跳ね続ければ良いさ。そんな感情が湧いた。何かを悟った様な気がした。そして教室の中央に目線を移す。


 先輩達や真穂さんは各々いつもの席に座り、休み時間特有の他愛も無い話で盛り上がっていた。そんな輪に近づいて堀田先輩の隣に腰を下ろしても、俺の思考はまだ止まらない。入学式の日が、頭を過ぎる。


 真穂さんの黄色いパンツも一応と思い出して感慨にふけり、黒髪イケメン先輩と、黒縁眼鏡先輩、つまり堀田先輩とアリス先輩に、俺は入学式の日に会っていたんだ、と黄色いパンツとはまた別の感慨にふける。そんな事を思い出していたら、不意にとある不確定な衝撃的事実に気づいた。


 それは入学式の朝に商店街で見た、恋する乙女の横顔。つまりポニーテールだった真穂さんの、頬を赤く染めた表情だ。それを向けられていたのは、金髪の俺では無く、黒髪さらさらイケメン先輩。つまり堀田先輩という事になる。


 そして魔法学の授業初日、真穂さんは言った。恋の魔法を使えるようになりたいと。そして俺は思った。そうか、黒髪イケメン先輩とお近づきになりたいんだなと。しかし黒髪イケメン先輩は、すでに魔法学に居た訳だ。だって堀田先輩な訳だから。ということはつまり、つまりだ。真穂さんは、堀田先輩が…………好き?


 はへっ? 嘘ウソうそウホっ!! ウホホホっ!! えっ? そういう事なの? へ? へ? へへへ? とそんな不確定な衝撃的事実に気づきソワソワしていると、始業の鐘が響き渡った。さて、と堀田先輩が、真穂さんが好きな堀田先輩が、いつもの様に取り仕切る。なにそれヤバい、ニヤニヤしちゃう。


「真穂君は約束通り、今度は僕の話で良いのかな?」

 

 堀田先輩の言葉に、吹き出しそうになった。真穂めっ、すでに二人きりでお話する約束を取り付けてやがる。


「よ、よろしくお願いしますっ」

 真穂さんは立ち上がり、可愛げな上目遣いを小さく上下に振っている。まるで恋でもしているかの様に。いや、しているのかっハッハー、と俺は一人はしゃいでいた。


「席は……どうしようか?」


「うう、うちは、ど、どこでも、良いですよ」


 堀田先輩と二人きりになれるのなら灼熱の砂漠でも極寒のアラスカでも、ってかっ!! ヒャッハーっ!! と俺の桃色に色づいた心境が真穂さんのいじらしさにポンポンと花を咲かせていく。そういう風に見てしまうと、もう全てがそういう風にしか見えなかった。やだもうっ、と一人ソワソワしながらも、俺は気を利かせて立ち上がる。


「この席使って下さい。俺はアリス先輩の話を聞きたいので」


「そうだね、じゃあ真穂君とシュウヤ君は席を交換しようか」


「よろしくねシュウヤ君っ」

 アリス先輩が高飛車なツインテールを揺らして小首を傾げた。


「よろしくっす」

 と俺はニヤニヤをどうにか抑えつけながら、言葉を返した。そして席を離れる。と同時に、堀田先輩が俺に目線を向けて、不意に口を開いた。


「どうしたんだいシュウヤ君。やけに嬉しそうだね」


「いや、真穂さんの恋が叶うと良いなって――」

 思わずも素っ頓狂な台詞を口にして、はっと我に返る。ヤバい、浮き足立ち、過ぎた。今の流れでその台詞は、聞き様によってはまるで真穂さんが堀田先輩を好きだとバラしているようなモノだ。ヤバいと気づき、どうにか繋がる言葉を吐き出していく。

「――魔法が、真穂さんの恋の魔法が叶うと良いなって、お、同じ一年生として思っただけですっ!! ああ早く俺も空飛べる様になりたいなって思っただけですっ!! それだけです。本当にそれだけなんです」


 あからさまな言い逃れを吐き出し終えた直後、不意にある視線が突き刺さる気配を感じた。ただそれだけで背筋が凍り付く。俺は恐る恐る、その視線に目を向けた。


 ヒィィィィーーーっ!! こここ、殺されるっ!! 足掻らう術も無く恐怖のどん底にに落とされた。真穂さんが居るはずの席に、人間は居なかった。廃病院を思わせる暗闇を纏った大きな目玉が二つ、ただ真っ直ぐと、俺を睨みつけている。すぐさまに目を逸らした。のののの、呪い殺されるっ。と腰砕けに立ち尽くす俺に手を差し伸べるかのように、堀田先輩の優しげな声が耳に届く。


「そうだね、真穂君が恋の魔法を使えるようになって、シュウヤ君が空を飛べるようになれば、僕も嬉しい。全力で協力させて貰うよ」

 堀田先輩は俺の言葉の意図に気づかず、ただ真っ直ぐとその意味を捉えてくれた様だった。勇気を振り絞って再び真穂さんの方を見れば、微かな安堵に肩を下げている。


 ああっ、良かった、殺されなくて済みそうだ、と俺は至上の安堵に肩を下げた。それでも再び真穂さんと目が合えば、睨み付けられる。でもその眼差しは、いい加減にしないと殺す、ぐらいの心地が良いモノだった。だってさっきは死を覚悟したから。それぐらいの眼差しなら耐えられる。ああ、良かった。


 俺は息を吐き出し、移動を始めた真穂さんと席を交代する。隣には美しいアリス先輩が居て、真向かいにはふんわりと可愛すぎる紫乃先輩が座っていた。何ここ天国? と先ほどの絶大な恐怖から解放された俺の心境は二人の天使に囲まれ癒される。


 不意に紫乃先輩と目が合えば、笑みを携えた口元だけで、もう、バカ、なんて俺に伝えてきた。その光沢を放ちながら柔らかく動く唇に沸き上がるエッチな衝動を、ふんぬっ、心の中で抑えつけ、俺は冷静を装った。


 すみません、と小さく首を振って答える。そして紫乃先輩は知ってたんだと気づき、という事はやっぱり真穂さんは、と俺は再び湧いた桃色の心境にソワソワとしたが、もうその桃色たる二人に目を向ける勇気は無かった。だっていい加減にしないと殺されるから。


「じゃあ紫乃はあの子達のお部屋掃除してくるね」


 そういって紫乃先輩は立ち上がった。おそらく菜園の雑草取りだろうな、と俺は癒し系魔法使いの言葉を難なく読みとる。じゃあね、と紫乃先輩は両手振って(おっぱいを揺らして)外に出て行った。俺はアリス先輩と仮初めの二人きりとなる。


「よしっ、じゃあシュウヤ君に、私の魔法を教えて上げるっ」


 その明るげで無邪気な声に釣られてアリス先輩の顔を見た瞬間、俺は微かな衝撃を受けた。知っていたつもりだったが、改めて見るその横顔は、あまりにも綺麗だった。


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