第23話 儚げな闇の魔法使いは笑みを隠す


 危うく駆け寄って抱き上げるところだった。スキップを奏でようする両足を必死に押さえつける。堀田先輩がもし女性だったなら、おそらく俺はローマで繰り広げられる休日の様に、片腕を失った演技を恥ずかしげも無く全力でやりきれるだろう。本当に危なかった。

「よろしくお願いします」


「うん、よろしく」


 小首を傾げて教室に戻る堀田先輩に続いて、俺も教室に足を踏み入れる。真っ先に目を奪われたのは、やはり実在していた教室の角で箒に跨がり飛び跳ねる異物だった。慣れない。慣れる事なんてあるのだろうか。聞き届く鼻息に威圧され、俺は目を背けた。教室の中心に視線を移す。


 席に着いた堀田先輩も含めて、四人の先輩方が俺に目線を向けている。そのどれもに、嫌悪は無かった。凄く嬉しくて、飛び跳ねてしまいそうだった。


 それなのに、真穂めっ。何を先輩達の目を盗んで睨んでやがる。言っとくけど俺はこの先輩方に全力で取り入るつもりだからな。ハンっ、とそのクソ生意気な小型犬(よく吠えるチワワ)から目を背けて、席に着いた。同時に始業の鐘が鳴り響き、鳴り止んだ。


「真穂君にもさっき伝えたんだけど、この間は、ごめんね」


 堀田先輩の理由不明な謝罪から、授業は始まった。閑静な室内に蔓延る暑苦しい鼻息は吹き止まない。あぁ、あいつ教師という肩書きを拒否するつもりなんだと理解して、それなら気にする意味も無いと決意して、俺は口を開いた。

「何がですか?」


「本当に気にしてないなら嬉しいんだけど、ほら、この間の真穂君とシュウヤ君が来てくれたとき、僕ばっかりベラベラしゃべっちゃったでしょ。凄く申し訳ないと思っちゃって」


「ずっと気にしてたんだよ、堀田先輩」

 綿毛の様な口調で、紫乃先輩が紡ぐ。なんだか声だけで癒されるな。


「全然気にしないでください。なんか、えぇっと、堀田先輩の話は、嬉しかったぐらいですから」


「真穂ちゃんと同じ事言ってる」

 とアリス先輩が言葉を重ねた。高飛車なツインテールを揺らし輝かしい笑みを浮かべる。光の魔法使いそのモノだ。


 不意に寿門先輩へ目を向ければ、俯いてはいるがその長すぎる前髪から覗く片目は、穏やかに揺れていた。


 正直、残酷な闇の魔法使いは無理そうな気がした。おそらく寿門先輩はこの三人にほだされて、勇者パーティーの一向に加入した闇の魔法使いなのだろう。うん、我ながら凄くしっくり。そしていつしか一番優しいという立ち位置になり、全員の窮地を身を挺して救うのだろう。あかん、すでに泣いてしまいそうだ。


「真穂君もシュウヤ君も優しいなぁ。ありがとう」


 いやお前だよっ!! というありきたりな突っ込みは控える。


「それでね、懲りもせず今日も少しだけ説明をさせて欲しいんだ。本当に少しだけ」

 俺と真穂さんを交互に見つめて、不安げに堀田先輩が告げた。小さく頷くだけの真穂さんの返事に被せて、俺はこれ見よがしの「お願いします」を口にする。後輩好感度一歩リード。


「すぐ終わるから。えっと、後ろの本棚に、真穂君とシュウヤ君が読みそうかなって思った本を、集めておいたんだ。上の段に本が左右に分かれている場所があるでしょ。見ればすぐに分かると思うけど、左側がシュウヤ君で、右側が真穂君。専用の本棚として使って良いから」


「ありがとうございます」

 俺は綺麗に区分けされた本棚から目線を堀田先輩に移して、すかさずに礼を口にする。二歩リード。


「い、いつ、やってくれたんですか?」

 真穂さんが予想外の質問を口にする。すぐさまに俺は気付いた。こいつ……こいつ。


「いや、別に良いんだ」

 質問の意図に気付いたのか、堀田先輩が少し照れた様な表情で目線を下げる。


「も、もしかして、前の、ウチらが来れなかった時にやってくれたんですか?」

 堀田先輩の気遣いに怯まず、真穂さんは続けた。俺の胸中を、悔しさが支配する。安易に点を取りにいきすぎた。完璧なカウンター戦略だ。ちきしょう。


「別に、ほんとに。それに、皆でやったから、そんなに時間も掛かってないから、全然気にしないでよ」


 堀田先輩の言葉に、真穂さんは慌てて立ち上がった。その姿に、悔しさが膨れ上がる。俺も立ち上がりたかったが、それは明らかにオカシい。それに、真穂さんに便乗するのは、絶対に嫌だった。だがしかし、悔しい。


「ああ、あの、うちの為に、一年の為に、あ、ありがとうございます。うち、頑張ります」


 深々と、可愛げに、慌ただしく、真穂さんは頭を下げた。それは先輩方に対する、誠心誠意を込めた、大げさすぎる程の、感謝と労い。


 俺が先輩なら、やって良かったと思うだろう。気恥ずかしさを感じながらも、朗らかな気持ちになるだろう。凄く、凄く、凄く悔しい。俺は、あまりにも浅はかだ。一歩二歩と足下を確かめている内に、奴はジェット機で雲を越えていた。 


「うん、こちらこそ、来てくれてありがとう」

 照れた笑み浮かべる堀田先輩の目線は、真穂さんだけに注がれていた。

「大げさっ」

 と笑ったアリス先輩の顔は、嬉しそうだった。

「座って座って」

 紫乃先輩が両手を振って(おっぱいを揺らして)真穂さんに着席を促す。

 寿門先輩はといえば、込み上がる笑みに陰を被せるかのように、右手で鼻を擦っていた。


 腰を下ろしても小刻みに首を振り続ける真穂さんに倣って、俺は歯を食いしばりながらも、どうもどうもと首を振り続けた。誰との目も合わなかったが、それでも、振り続けた。


 それは明らかな敗戦、完敗。俺の浅はかな「ありがとうございます」など、誰の心にも刻まれていないだろう。悔しすぎる。叫びたかった。俺の方が先輩達の事好きだって。ちきしょう。


 いや、まだ前半戦が終わっただけだと、自分に言い聞かせた。俺は、サッカー強豪校の不動のエースだったんだ。諦めるという概念は、教わっていない。


 よし、真穂よ。こうなれば合戦だ。持てる全ての力を発揮して、先輩達に取り入ってやる。俺は胸中には、猛々しい後輩熱が、轟々と燃えたぎっていた。 


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