第6話 圧倒的黙示録 ルルリカと黒服
高校生活二日目の朝は、信じられないほどの寝不足だった。昨日の出来事が、教室で行われた自己紹介の顛末が、すでに生涯に渡るトラウマとなって、俺の睡魔を奪い去った。
笑わしたんじゃ無い、明らかに、笑われていた。大失態を、犯した。滑り倒した。崖から落ちた先は、底なしの谷。昨日の夜、その事に気づいた。胸が内側が、体中が、後悔の業火に焼け焦げて、羞恥の猛吹雪に晒され凍てついた。
「僕の好きなアニメは……魔法少女、ルルカリルカです、ウヘヘヘヘ、ヘヘ、ゲヘヘ」
死にたい。軽く口にしてはいけない言葉だ。でも、死にたい。ダメだ、拭えない。ゲームアプリを開いても、漫画を読んでみても、脳裏に焼き付いて離れなかった。
逃げ出したい。中学の時みたいに。だけど、もう一人の俺が問い責める。
また、逃げ出すのか? また、閉じこもるのか? また、振り払うのか? 一生、そうしてろ、愚図。
行くよっ!! ちきしょうっ!! 俺は洗面所の鏡に写る隈取りに覆われた危ない目つきの金髪ヤンキーに水を浴びせて、逃げ出すように脱衣所を出た。
「おはよう」
優しい父親がリビングで朝食を食べている。
「おはよう」
優しい母親がシステムキッチンで俺の弁当を包んでいる。
俺は返事もせずに、自室へ入った。だって一人っ子だし、グレているし。昨日嫌な事があったし……悪かった。明日からはちゃんと言う。ごめん、お父さんお母さん。
自責の念ばかりを抱きながら、俺は制服に着替えて、リビングに向かった。
「母さん、弁当」
「はい、いってらっしゃい」
「頑張れよ」
「うん、いって……ぁす」
目は合わせられなかったが、なんとか挨拶だけは口にして、俺は家を出た。
マンションを出て、駅に向かう。電車に乗り、目的の駅で降りた。昨日となんら変わらない光景が広がる。深緑のブレザーが、列を成して同一の方向へ歩いている。それに俺も加わった。
不意に、商店街に設置された用途不明なオレンジポールが目に入り、昨日見させて頂いた光沢のある黄色いパンツが、鮮やかな色彩を纏って脳裏に蘇る。所謂、ラッキーなスケベ。今度は俺に覆い被さってこないかな、とか想像する。
そんな事を考えながら歩いていたら、昨日俺の恋を奪った黒ネクタイの黒髪サラッサラな白いお肌のイケメンが居ることに気づいた。そして少し離れた位置に、黒リボンの控えめなツインテールが似合わな過ぎる背の低い女が歩いている。続けて周囲を見渡した。光沢パンツでポニーテールの自転車女子は居ないようだ。まぁ、だから何だ、と俺は学校に向かった。
校門を通り、ガラス張りの玄関から校舎に入る。最初の曲がり角で、急に現れた人影とぶつかった。信じられないほど、軽い人影。向こうだけがヨロける。まるで全ては俺の不注意であるかのように。
「あっ、すみません」
俺は謝罪を口にして、その影に目線を向けた。
「ごめん、ごめんね」
ダボダボのポロシャツに、折り目がきっちりと入った黒のズボンを履いた、細身では無いがまるでタオルの様に薄い存在感の男が、目も合わせずにその場を離れていく。おそらく教師だろう。俺はその頼りない背中から目線を外して、別に何の感慨も抱かず、再び歩き始めた。
何階だっけ? と目を浮かせながらも迷わずに真っ直ぐと教室に到着した。ユキノブと大和の姿は無い。自分の席に腰を落ち着ける。不意に昨日の自己紹介を思い出して机に伏せたり、そんなんしょうがないやん、と下手くそな関西弁で開き直ったりと、恋する乙女の様な情緒不安定を繰り返しながら、時間が過ぎるのを待った。
しばらくして、大和が姿を現した。それなりそこそこの笑みを浮かべて、軽い挨拶を口にしながら席に座った。俺は身体を横に向ける。
「おっす」
「昨日見たぜ、ルルカリルカっ」
何とも楽しげに、大和は俺のトラウマを刺激する。脳裏に吹き荒ぶ烈火の猛吹雪を振りに振り払って、平静を装った。
「マジでっ!? 面白かっただろ?」
「クソアニメだろ、あれ。我慢して二話まで見たけど、つまんな過ぎて逆に面白かったわっ」
まさしくの感想と共に笑った大和に、俺も笑う。
「逆に面白かっただろ。二話までとか初心者だからな。三、四話から逆にもっと面白くなるから」
「あれより逆に面白くなんの? 逆に」
逆に逆にと大和が声を上げて笑い、釣られて俺も声を上げる。
「三話辺りから魔法が使えなくなるんだよ」
「逆にっ?」
三度、逆に、を口にして目を見開いた大和に、またしても笑わせられる。一笑いを終えた大和が続けた。
「魔法使えなくなるってタイトル詐欺だろ?」
「急に出てきた誰だこいつみたいな黒服に魔力吸い取られんだよ。それで地球が危ないみたいな」
「ザワザワって?」
「何黙示録だよっ」
「黒服の、圧倒的吸い上げっ」
「うるせぇっ」
同時に、下品な笑い声を上げる。そしてすぐさま同時に声を抑え、大和が繋いだ。
「そんなに勧めんならもう一回見てみるよ」
「いいよ見なくて。俺が全部教える」
「ネタバレ止めろや」
「それでな」
「だから止めろって。黒服呼ぶぞっ」
と、二人で笑い合いながらそんな話をしていると、ユキノブが教室に姿を現したが、すぐさまに始業の鐘が鳴り響き、続けて涼子先生が現れ、朝のホームルームが始まった。
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