正義の対峙

 廃社に来てから、一夜が明けた。

 柱にもたれかかっ寝ていた剣聖はすでに目を覚ましており、身体の凝りをほぐし終えると、まだ眠ったままの晶に目を向けた。

 時刻は、壁の板の間のこぼれ日から、とっくに朝だと分かる時間だ。


「起きろ、白藤。もう朝だ」


 なかなか起きなさそうな様子の晶に、剣聖が声をかける。

 その声にも、晶は返事を寄越さない。


『晶、起きなさい。襲われても知りませんよ?』


 少し目に苛立ちを見せる剣聖を察して、スヴァンが声をかける。

 その声に、晶はようやく重い瞼を開けた。


「ふわぁ……なぁに、ママ? まだ眠たいよぉ……」

「………………」


 眠り眼で、晶はそう言って身じろぎしてから身悶えする。

 その様は無邪気で無防備であり、見ていて恥ずかしくなる反応だった。

 寝ぼけているのは間違いないが、同年代の少女のそんな姿を見せつけられて、少年の心がざわつかぬはずがなかった。

 ただ、自制心が強く冷徹なおかげか、剣聖は頬を引き攣らせた後、辟易と溜息をつく程度の反応に留まった。例えの槍玉にあげるのは申し訳ないが、燎太などの健全な少年ならば、悪戯心や気の迷いを大いに刺激していたはずだ。

 顔を背け、剣聖が覚醒を待っていると、晶は身を起こす。


「今、何時ぃ? まだ眠っていたい――」


 目をこすり、髪型を少し乱しながら上体を持ち上げた晶は、そこで視界の中に剣聖の姿を映しこんだ。

 それから、彼女は硬直して、沈黙。

 反応は、その数秒後に起きた、悲鳴であった。


   *


「ごめんなさいごめんなさい! わ、悪気は少しとてなかったの」

「いいから顔を洗え」


 ただひたすらに謝る晶へ、剣聖は有無を言わさぬ剣幕で言った。

 悲鳴をあげた後、目を覚ました晶は、自分が剣聖に寝こみを襲われかけていると勘違いし、軽く暴れながら抗議や罵倒の声を放ったのだ。

 それに対し、剣聖があくまで冷静な反応を返し続けた結果、彼女はようやく自分の勘違いに気づき、昨日の出来事を思い出したようで、赤面しながら剣聖に謝り続けることになっていたのだった。

 静かに、怒りを噛み殺す剣聖に、晶は恥ずかしさで赤面しつつも戦慄する中、剣聖の案内を受け、境内の片隅にある井戸へ案内されていた。

 剣聖が蓋を取って井戸から水を汲むように指示すると、晶は震える。


「え? ここに身を投げろと?」

「違う。井戸の水を汲んで、顔を洗えと言っている。まだ寝ぼけているのか、この勘違いポンコツ女が」


 変態だの破廉恥だのと言って罵倒されたことをやや根に持っているのか、剣聖はぎろりと目を向けながら言う。

 それに対し、晶はビクッと涙目になって身を震わせた。

 昨晩は妙に優しかったのに、今日はすっかりいつもの鬼の彼だ。

 そんな彼へ、晶は言う。


「えっと。井戸の水ってどうやって汲むの?」

「……チッ」


 あからさまな舌打ちをしてから、剣聖はそこで晶の前で水をくみ始める。

 そして、水の入った桶を渡す。


「今見た通りだ。あまり綺麗な水じゃないから飲むなよ。飲んだら腹痛に――」


 言いかけ、剣聖は口を噤んで振り返る。

 その目には、やや緊張の色が浮かんでいた。

 彼のその反応に、晶は不審がりかけ、すぐに気付く。境内の入口、廃社の門の向こう側から、複数の気配が忍び寄るのを感じ取った。

 晶が急いで顔を洗う中、剣聖は境内の中央へ移動する。

 そんな彼の前へ、門の向こう側から、複数の影が現れた。


「んっんー。ここにいましたか。いやぁ、探しましたよぉ」


 対面するなり、相手はそう口を開いた。

 その独特な口調にシルクハットとステッキ、正体は確実だ。


「昨日は警察たちの包囲を見事に掻い潜ったようですねぇ。まさか、ここまで逃げられるとは思っていませんでした」

「御託はいい。とっとと本題へ入れ」


 腰元に愛刀・頼重を具現化しながら、剣聖は言う。

 それは、用件をさっさと告げろという催促と共に、それに対する答えは決まっているという意思表示でもあった。

 剣聖のその態度を察してか、野良烏斎は苦笑する。


「んっんー。話さずとも分かっているのでしょう? ならば、おとなしく、投降してもらえませんかねぇ? ベタな言い方ですが、貴方がたはすでに完全に包囲されているのですよぉ?」

「投降、ね。お前たちの狙いはなんだ?」


 背後に晶が近づいて来ること、また斎の背後から玉響が進み出ようとするのを視界に収めながら、剣聖は訊ねる。


「俺たちをそんな急いで捕まえたがる理由は? お前たちにも何か思惑や、そうせざるを得ない事情があるんだろう?」

「んっんー。さて、どうでしょうかね。それは、数日間警察の世話になって貰えばおのずと分かることですよ。とにかく、武器をしまいなさいな」


 前へ出ようとする玉響を片手で制しながら、斎は勧告する。

 それに対し、剣聖は鼻で笑う。


「信用できないな。本当に投降してもらいたいなら、理由ぐらい易く――」

「えぇい、うるさいぞ! いいから捕まりなさい!」


 剣聖の挑発めいた言葉を、斎ではなく、背後にいた警官が声を張って遮る。

 そして、彼らは問答無用と言うかのように、斎の両側面から前へ進み出た。


「子供は大人しくこちらの言うことを聞けばよい! 黙って捕まりなさい!」


 そう言って、警察たちは剣聖の前へ、拳銃を手に囲むよう進み出ようとする。

 晶が身構える中で、剣聖が一歩前へ出る。

 そして抜刀し、いきなり地面を切りつけた。

 この動きにぎょっと警官たちは足を止める。


「……これ以上、中には踏み込むな」

「な、なにぃ?」


 静かに、剣聖が言い放った言葉に、警官たちは裏声で応じる。声が裏返ったのは、ひとえに剣聖の言葉と目から漂う鬼気と圧が、凄まじいものであったからだ。


「この線の内は、俺の領域だ。命の保証はできない。死にたいならば構わないが、五体満足で生きていたいならば、近寄るな。平たく言えば、死ぬぞ?」


 冷淡に剣聖が告げると、その言葉に相手は唾を呑む。

 冗談では、なかった。

 実際、剣聖はもし中へ踏み込んでくるようなら相手を切り殺すことも厭わぬつもりだった。自分たちを意味も知らずに捕まえようとするならば、その理不尽には徹底的に抗うという意思表示である。

 その態度に、警官たちも容易には動けなくなる。

 斎も、前へ進みたがる玉響の首根っこを掴んだまま、動けない。

 剣聖たちと、斎や警官たちの間で緊張が走り、膠着状態が生じる。

 そんな中、であった。

 突然、高らかな哄笑が響き渡った。

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