退魔の剣士と正義のヒロイン④

 先ほどと比べても遜色ない速さで一気に距離を詰めると、力強く踏み込んで横に引いていた刀を振り払わんとする。それに対し、人狼は素早く横へ身を捌く。剣聖が刀を引いた逆側へと回りこんだ人狼は、その位置から腕を振り下ろす。盛大な膂力を含んだ爪の剛腕が、剣聖の頭頂へと襲い掛かる。

 その一撃が、空を切って地面に突き刺さった。

 攻撃を事前に躱されたのを見た剣聖は、踏み込んだ足を軸にして旋回し、人狼の横手へ躍り出たのである。軌道としては斜めに折れて進んだ彼は、人狼の剛腕を掻い潜ると、刀を持ち上げて身体を斜めにし、人狼に密着する。

 それに人狼が気づくが、遅い。

 零距離一閃。

 肩から振り下ろされた一撃に、人狼は血飛沫をあげながら後退する。

 胸を斜めに切られたそいつは顔を歪めながら、しかし目は爛と輝かせた。

 そして、攻撃を受けた直後でありながら、剣聖に向けて肉迫する。

 渾身の攻撃を繰り出したすぐ後であって、未だ体勢を整え切れていない剣聖は、その動きに今度はこちらが虚を衝かれる。すぐさま姿勢を持ち直すことで、彼は人狼との距離を置こうとする。

 だが、遅い。

 素のスピードは人狼の方が上だ。

 後退した剣聖に、人狼は瞬く間に距離を縮める。

 そして撃ち込まれる拳を、剣聖は腹で受け止めた。

 咄嗟に力を込めるものの、拳は激しい音を立ててぶち当たり、かつ爪を立てたそれに、剣聖の腹の肉が抉られる。剣聖はくぐもった唸り声と共に、後方へ弾き飛ばされて回転。錐揉みとまではいかないまでも後転した後に、地面を叩いて膝立ちになって止まると、口の刃から血の雫を垂れ流す。

 そんな彼へ、人狼は攻撃を緩めない。

 人狼は咆哮と共に剣聖へ迫り、追撃の一撃を繰り出そうと拳を上げる。

 身構える剣聖――その瞳の端に、白い影が横切った。

 人狼が気配に気づき振り向くが、その瞬間すでに彼女・晶は間合いに入っていた。くるりと舞うように身を捩った彼女は、白い光を纏った健脚を振るう。


「てやぁっ!」


 裂帛の気勢と共に放たれた踵は、人狼の側頭部に吸い込まれ、空振り。

 沈むように身を屈めた人狼は、不意の横からの攻撃にも素早く対応し、回避をすると反撃の攻撃に移ろうとする。目を怒りで漲らせたそいつは、宙に身を躍らせて無防備な彼女へ反撃に出ようとした。

 その額を、踵が突き刺さった。

 一撃目の蹴りを躱された晶だったが、空中の不安定な体勢で身を捩り、強引に逆足の踵を落としたのだ。その身のこなしは人狼の想定を完全に超えたもので、結果攻撃は見事に人狼へ直撃した。踵の一撃は、人狼の脳を振盪させ、その視界をぶらせて意識を飛ばす。

 見事な一撃――だが、会心の笑みを浮かべかけた彼女の足首が圧迫される。

 掴んだのは、人狼の手だ。

 意識を飛ばされかけた人狼であるが、それにもかかわらず、そいつは本能で晶の足を掴み取ったのである。

 そして、目を見開く彼女を尻目に、その華奢な身体を背中から地面に叩き付けた。地面が震えるほどの重い衝撃は、彼女の肉と骨を軋ませ、肺から強制的に呼気を吐き出させる。辛うじて骨にひびは入らないものの、凄まじい衝撃に晶は思わず涙を浮かべそうになるほどの痛覚を感じる。

 そんな彼女の足首を掴んだまま、人狼は無防備な彼女の腹めがけて拳を叩きこもうとする。彼は怒りのまま、彼女の臓器を破裂させようとした。

 そこへ切り込む、一陣の黒い風。

 相手が知覚するより早く踏み込んだ剣聖は、横薙ぎを振るって人狼の振り上げた腕を狙う。斬撃は見事突き刺さり、人狼の左手首を両断、宙へ舞わす。

手首が吹き飛び、人狼は空になった拳を晶へ振るう。

 それが何の衝撃も与えなかったところで、人狼はようやく手が斬り飛ばされたことに気づく。同時に、そいつはそこで剣聖の姿を視認し、彼が刀を振り上げるのを瞳に移す。

 唐竹割りの斬撃が、直後時空を裂く。

 攻撃に気づいた人狼は、晶から手を離して後方へ飛ぶが、回避は完全には間に合わず、その鼻先が切り飛ばされる。鼻頭を裂かれ、人狼は顔を押さえながら後方へ跳躍し、ややあって押し寄せた右手の灼熱感に咆哮を挙げた。

 それを視界の隅に、剣聖は足下に目を下ろす。

 そこでは、晶が苦痛の呻きを漏らしていた。

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