5-5 聖都ヴィレンカント -Holy city-
予め座標を設定しておいたお蔭でメモ教授と一緒に塔に入った俺とリストはヴィレンカントの広場に移動していた。
「ここが……ヴィレンカント」
驚いた。荘厳だと予感していた俺の予想の斜め上をいっている。ここは中央広場か? 周囲をぐるりと見渡したが、円形の広場を囲む建物は全て宗教施設らしく、白一色の堅牢な柱が等間隔で並んで、そのどれもが緻密な造形を施されている。聖人らしきものや、天の使いのようなもの、剣や槍を持った戦士、ホーリーシンボルらしき噛み合ったV字のヘッドの杖を持った人物像が建物の屋根の上に立っているが、皆大人の姿をしている。
「ここはネラ教の聖地なんだ。ネラ教の歴史は古く、人がまだ寿命をまっとうしていた時代からあったとされる。死を恐れる、という事は信じる神を必要としたという事だ。安心するために縋ったりするのが人間の習性だと私たちは知っているだろ? 地球では皆そうだった」
「はい。俺にとっての神はピカレスク小説でしたが、一度も裏切られた事はありませんでしたよ」
「はははっ」
愉快そうにメモ教授に笑われた。俺も自嘲的な笑みを浮かべる。
「日本人は宗教観が薄いものな。だが、ここではそんな素振りを見せてはいかんぞ? あくまで物の価値が分からない観光客という振りをしろ。鼻白まれて気分が悪い」
「ええ。肝に銘じておきます」
「そう願いたいものだ。さて、まずこれが投函された場所から当たろうか」
「何処なんです?」
「聞いて驚け。トイレだ」
「は?」
今何て?
「トイレだ。トイレ内に設けられたポストからだよ。信じられんが、エトハールはトイレで追い詰められたらしい。まったく因果なものだな」
いまいち笑い所の分からない話だった。悪い冗談だ。あの魔術師は何処までもトイレのイメージが付いて回るらしい。
「行こう。歴史博物館だ」
メモ教授がずんずんと歩き出す。俺はリストの手を引いて、後を追った。広場を横切って、通りに入ったら古い建物が左右に並んでいる。カフェや花屋、雑貨屋に文房具店、写真館もあって、文明の香りを色濃く感じる。ここは観光地としても人気のスポットなのだろう。すれ違う人々も実に多種多様で、ココラ星人がいたかと思えば、タコ頭の少年を見つけてしまう。一瞬ユシミールの幻影を見てしまって、俺は沈鬱に表情を曇らせた。不老不死になっても人は死を求められる生き物なのだとあの一件で思い知ったから、この人の死の香りを感じられる都には特別な何かがあると予感してしまうのだ。俺の予感は割と当たる。
「ここだ。中に入ってみよう。入館料はロアでも支払える。経費で落とすから君たちの分は私が払う」
とメモ教授が言ってくれた。正直助かるが、この仕事自体がロハである事を考えるとそれも当然かと思う。経費で落とせるのか謎ではあるが。シュレイ夫人がどんな顔をする事やら。
そこは考えない事にして、目の前の建物を見上げた。歴史博物館との事だが、宗教施設の色が強いように感じる。壁に接して、舞い降りる天使とそれを崇める人々の彫像や、悪魔のようなものを踏み付けにする天使の彫像、その他数々の天使の像が所狭しと並べられて、一面が立体の絵画のように壮観だ。更に視線を上に。かなり上の方に三人の翼の乙女の彫像を見つけるが、その内の一人が外装を纏ったリストによく似ていた。視線を前に戻す。歴史博物館の入口は大きく、左右に鉄の胸当てを着けた兵士が立っている。手にしているのは鉄の斧槍でよく使い込まれているように見える。ここの兵士たちは実戦経験がある。すぐに分かった。戦争……ではない。訓練をしているんだ。本当に訓練で殺し合っている。それを日常として死を恐れぬ強靭な精神を手に入れた。そんな所か。
兵士たちの前を素通りする。レゼルの魔剣はリストが持つ黄色の玉に仕舞って貰っている。アイテム倉庫の玉の事だ。剣一本仕舞うのは余裕だ。
中に入ると広々としたエントランスになっていて、高い天井を見上げると絵画が見えた。天地の間で天使たちが聖人らしき男性に手を差し伸べる構図になっている。
エントランスの中央にはオベリスクがあり、解読不可の文字がびっしりと刻まれているのが見えた。他に展示されているのは天使たちが見た事も無いような魔物と戦うシーンの彫像や、聖人たちが何かの集いを行っているシーンの彫像、小さな壺から悪霊のようなものが湧き出すシーンの彫像、悪霊たちが迫り来るシーンの彫像、天使の威光で悪霊が消えゆく刹那をイメージした彫像。どうも神話の道順を描いたシリーズ物の彫像らしい。ここはネラ教の歴史、神話を人々に説くために存在を許されているのだろう。元は宗教施設で時代と共に用途が変わっていったのかも知れない。
「こっちだ。一階のトイレ」
メモ教授がまっすぐフロアの隅に向かう。俺はまだ彫像を見たかったが、後ろ髪を引かれる思いでメモ教授についていく。フロアの左奥に表示される男性と女性のマークが見えると、俺はある疑問を浮かべた。エトハールは女性だが、投函に使ったポストは女性用トイレの中にあったのではないか? ああ、それでリストを連れてきたのか。
「リスト君、君の出番だ。女性トイレの中を調べてきて欲しい」
やはり思った通りメモ教授が指名してきた。リストは目礼して、女性用トイレに入っていく。俺はメモ教授と二人で世間話の振りを始め、周囲の目を誤魔化す。そんなに長くは持たせられないが、ことのほかあっさりとリストが仕事を終えて報告に来た。
「少しだけ血の香りがしました。刃物によるドアの破損。壁のひび割れ。争った形跡があります。それと……これを見つけました」
リストがメモ教授に小さな物を渡す。カフスボタン?
「この紋章は……! レナン騎士団のものだ! やはりエトハールはレナンの不死鳥に絡んだ事件に巻き込まれたな」
メモ教授は口元を押さえて、視線をちらりと向こうに向けた。
「二人共、これから全速力で走るが、もしもの時はサポートを頼む。護衛の仕事だ」
一体何の話かと思えば、こちらを囲むように動く不審な集団がいる事に気付いた? 何者かがこちらを襲撃しようとしている。俺はリストに視線を送って、右手を構えた。
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