第四章 ヴァルキリー覚醒

4-1 始動 -Waking-

 何時も通りの朝だと思っていた。でも、少し違う気がする。リストはやはり俺より早く起きて、既に朝食を用意していたが、今日に限って窓の外を眺めたままなかなか食卓に着こうとしない。どうかした? と声を掛けるのを少し躊躇ってしまう。何か普通ではない。こんな事は初めてだ。何かの予兆だと直感が告げている。きっと何かが始まる。


「すみません。少し気を取られてしまって……」


 何時も通りに謝られた。それがあまりにも普通過ぎて、逆に俺は少し怖くなる。


「いいさ。朝食、冷めるから食べない?」


 努めて冷静に、何時も通りを心掛けて……何かが始まるという事は何かが終わってしまうという事だ。それを目前に控えて取り乱した所をリストだけには見せたくない。

 リストが俺の前を通り過ぎる。その間際に横顔を見てしまう。冷然と前を見つめるその美貌に俺は背筋がぞくりと震えた。リストの顔じゃない……別人の顔だ。数秒呆気に取られて、椅子を引く音で俺は我に返る。努めて冷静に、これが最後かも知れないから。

 食堂に入って、リストの正面の椅子を引く。座って両手を合わせながらまだあの冷たい美貌のままかと窺ってみる。微笑が浮かんでいるのは何時ものリストと同じだが、妙に大人びた雰囲気が出ているというか、やはり以前と違うように思えた。


「あの……そんなに見つめないで……恥ずかしいです」


 リストは視線を横に逸らして、困ったように苦笑する。おかしい。こんなにたおやかな乙女だっただろうか? やや戸惑い、味噌汁もどきを啜りながら、眉をよせて顔をしかめる。


「すみません。自分でも変だと思うんです。でも、何かが変わった気がして」


 思いがけず、リストの方から話してくれた。俺は寄せていた眉を下げて、思い切ってリストに聞いてみた。


「それは何時から?」


「今朝方から」


 なるほど。原因があるとすれば早朝に何かがリストにあった。または外的要因があったという事か。あまり自分の推理力には自信が無いが(レイデスでのミスリードの件を苦くおもいつつ)。


「胸の奥底に何かが芽生えたような……強い力です。何かに惹かれている……何かに」


 非常に抽象的に言われて、俺もやや困惑したが、リストの事情を考えると不思議ではないとも思える。月の人造人間(?)について、俺はまったく知識が無いのだから。


「一応ガブリエルに聞いてみようか? 報告の義務もあるしな」


 俺の提案にリストはこくりと小さく頷いて、味噌汁もどきを啜った。


 ――お昼前、俺はリストを連れて騎士団長殿の執務室を訪ねた。ガブリエルは相変わらず多忙だったようで、書類に目を通すついでに俺に笑い掛けて、判を押したそれをグルーナスに渡した。二人で何の話をしていたんだか。まあ、いい。野暮な事は聞くまい。ここに来た目的がある。


「大体の事はメールで分かったが、その原因については私にも心当たりは無い。ただ気になる事が一つある」


 ガブリエルは組んだ両手を口元に添えて、じっとリストを見つめる。


「ドクター・メルルが貴女の鎧から妙な物を見つけた。いや、見つけたというか……目撃してしまったというべきかな」


「目撃? 妙な言い方をするね」


 俺は少しおかしくて、せせら笑ってしまう。


「目撃だ。鎧がいきなり消えて、これに集中してしまった」


 ガブリエルが引き出しから何かを出す。掌に乗るサイズの物体だ。赤い色だ。透明で……綺麗な正三角形。


「どう思う?」


 ガブリエルはそれをじっと見つめて、畏れ多いようにぞっとした顔をしている。


「どうって……三角形だろ?」


「そう、三角形だ。馬鹿な事を聞いたな、なんて思うなよ?」


 ガブリエルは愉快そうに微笑して、それを横目に見ながらやや眇める。


「それを……私に貸して下さい」


 リストが前に出る。俺はちらりと横顔を覗いて、あの冷たい美貌を見てしまった。リスト……じゃない。今朝から顔を見せている別人の方だ。


「リストさん、貴女はこれの事をご存知なのですか?」


 ガブリエルもリストの異変に気付いているようだ。表情が強張っている。


「はい。私が守ってきたものですから。それは炎のトライアングル。三つのトライアングルの一つです」


「何!?」


 これにはガブリエルも仰天したようで、大きく見開いた目が瞬きを忘れたように動かない。


「私は、リスト・ブレイズ。いえ、正しくはその本体と言うべきでしょうか。かつて翼の異形ヴァルキリーの一人として神と共に戦った戦士でした」


「貴女が……ヴァルキリー? いや、地球の伝説にも同じ名の半神が出てくるが……こちらの伝説と似ている部分があって……少し待ってくれ。考えがまとまらない」


 ガブリエルは俯いて、手で目を覆う。


「恐らく魔術師が封印を解いてしまったのでしょう。それを守るのが私の役目。どうか返して頂きたい」


「それは勿論。しかし、驚いた。リネウスにトライアングルがあるという情報はガセではなかったのですね」


「その事は執政者たちですら知りません。知るのは私一人。だから逃げる必要がありました」


 追っ手が掛かる可能性がかなり低いと見ての事だろう。頷ける話だ。


「よく話してくれました。これはお返しします」


 ガブリエルは自分の手に余ると判断したのだろう。躊躇いもせずにリストに炎のトライアングルを渡した。リストの瞼がやや下がる。憂い顔で微笑するリストに俺は見惚れてしまった。その……あまりにも美しかった。

 リストの身が突如炎に包まれ、吹き上がる赤い光の中で外装がその形状を構築し始める。装着は一瞬だったが、鮮烈な瞬間だった。輝く赤の地金に瀟洒な金の装飾が走り、彩りの鮮やかさに胸がときめいてしまう。

 あれがヴァルキリー。あれがリスト・ブレイズ。


「シドウ君、私と契約して欲しい。何時か来る戦いを君と共に迎えたい」


 鎧に包まれた手を差し伸べられた。この手を取ったらきっと終わりの無い戦いの道を行く事になるだろう。それでも、俺は――。

 静かにその手を取った。日常が終わりを迎え、神話が目の前に開いていく。俺はヴァルキリーの騎士になった。

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