3-10 月に思う -Their wish-

「く……くそぅ……」


 エトハールが顔を歪ませながらゆっくりと立ち上がる。膝が笑っていて、もはや歩くのもままならないといった様子だが。俺はレゼルの魔剣の柄に手を添えて、剣王に手振りで止められた。


「私が話す」


 そう言って、剣王は剣を床に刺して、エトハールに歩み寄った。


「貴様さえ……貴様さえ倒せば私は元の一人に……」


「でも、貴女という人格は消えてしまう。それを知っていたのか?」


「え!?」


 エトハールは唖然として、剣王をじっと見上げる。剣王は呆れたように息をついて、わけを話した。


「私は完全な花売りを知っている。この国の存亡を賭けた最終決戦で私は花売りを倒し、貴女とセイヴィアに分けた」


「何故?」


「花売りを愛したから。私にとっては生涯で唯一度の恋だった」


 剣王は空を見上げ、冷えた風に髪を揺らしながら語る。


「彼女は自らの生い立ちを恥じて、命を絶つ方法をずっと探していた。そして、やっと解決策を見つけて、後もう少しだったのに……彼女の中の黒い獣が覚醒してしまった」


「それでこの国が滅びた……?」


 剣王は頷いて、エトハールの前で跪いた。


「貴女にはその記憶が無いのでしょう?」


 そう尋ねる剣王にエトハールは視線を背けるだけで答えない。


「やはり……。彼女の魔術は完全に機能している。だからこそ、セイヴィアを封印し、貴女も封印するつもりだった」


 剣王の胸の内を聞いて、エトハールは茫然自失としてしまったらしい、うつむいたまま表情がぴくりとも動かない。


「せめて安らかに、と。だが、こうなってしまっては仕方ない。貴女は自由だ。何処に行こうが、セイヴィアと一つになろうが好きにすればいい。だが、花売りに戻ればきっとまた彼女は同じ事をする。私は二度彼女を失いたくない」


 駄目押しのように言われて、エトハールは肩を落としてすっかり意気消沈してしまったようだ。もう何の戦意も感じられない。


「シドウ殿……といったか?」


 剣王がこちらを向く。


「ああ。地球人だ……自称な」


「貴公は我等が作られた理由を知っているようだ。なればこそ私の頼みを聞いて欲しい」


「内容によって断るぜ?」


「出来ればエトハールを暗黒域の外に連れ出して欲しい。彼女にこの場所は酷だ」


 あ……。


「なるほどなるほど……そういう事か」


 暗黒域内の他二国から何かしらの政治的干渉……つまり暗殺や幽閉といった手を打たれる可能性があるって事ね。


「でも、セイヴィア姫はどうするんだ?」


「……私が責任を持つ」


 剣王がセイヴィア姫のそばに行く。セイヴィア姫は剣王と視線を合わせられず、眉を寄せてうつむいたままだ。


「済まない。貴女を封印したのは私だ。私には彼女の願いを叶える他に道が無かった。だが、貴女には関係の無い話だった。私のただのわがままだった」


 剣王は深く頭を下げた。今彼が何を思ってああしているのか、俺には理解出来ない。六百年、ずっとその事を想い続けていたのだろうか? 罰にしては酷く辛い話だ。


「……一つ聞いてもいいですか?」


 セイヴィア姫は剣王を見上げて、不安げな顔で問う。


「何故六百年もここに? 逃げようとは思わなかったのですか?」


 その質問……意味は無いのだが、セイヴィア姫は納得出来る材料を探したいのかも知れない。


「もう答えは出ていたんだ。私は彼女が救われただけで十分だった」


 一点の曇りも無い笑顔だった。剣王の本音だろう。


「……」


 セイヴィア姫は胸に手を当てて、涙を流した。救われた、という言葉で剣王が苦しんでいたかも知れないという疑念が晴れたのだろう。

 俺はそろそろ潮時だと感じた。あの二人の邪魔をしたら悪い。そそくさとエトハールのそばに行って、そっと囁いた。


「ずらかるぞ。傭兵どもがぞろぞろ来るからさ」


 エトハールはこくりと頷いて、俺に掴まった。


「シドウ殿……見事な剣技だった。今度はさしで勝負しよう」


 剣王が別れの言葉を贈ってくれた。俺は手を振って、笑い返した。


「館まで飛ぶ。瞬間移動だ」


 エトハールが何事か呟き、瞬時にジャングルの中に移動していた。エトハールの館の前だ。庭に並べられたセンリンの団員たちを数える。……十五、十六、後四つ……二十あるな。全員揃っている。エトハールが手を振って、光のシャワーが庭に降り注いだ。センリンの団員たちが徐々に動き始め、石化も闇の牢獄も寄生生物も融けて消えていく。


「あ……戻った……戻ってる!」


 センリンの団員たちが歓喜の声を上げる。これでセニーから請け負った仕事は完了した。後はエトハールを連れ出せば良いが、本当に良いのだろうか?


「何か大事なものがあれば手荷物程度に取ってくれば?」


 あの館全部を持っていくのは流石に無理だろうしな。そう思っていたら、エトハールは手を振って、光の粒子を放っていた。館が端の方から折り畳まれて、段々と小さくなっていく。どうなっているのか、小さくなった館はエトハールの手の中に転がり込んで、サイコロみたいな大きさになっていた。


「これで全部。シドウの世界に行くよ」


 エトハールは心を決めたようだ。剣王の頼みを聞こう。


「あのー、セニー団長は撤収を決めたみたいなんで、全員で本部に戻りましょう。本部へのジャンプに同行させて下さい」


 俺が声を掛けると団員たちは互いに顔を見合わせ、笑顔で手招きしてくれた。エトハールの手を引いて、センリンの団員たちのそばへ。団員の一人が唱えた。


「ジャンプ」


 行く先を指定したジャンプ。瞬時にセンリンの地下本部に着地していた。


「団長、全員帰還! 撤収任務完了しました!」


 リーダーらしき少年がセニーに敬礼している。セニーは敬礼を返して、リンネイに目配せした。リンネイが腕時計を操作する。

 ピピッ。俺の腕時計の通知音が鳴った。確認するとお金が送金されたという通知だった。額は……百億。百億ロアだ。


「撤収! ここは放棄して、拠点を移す!」


 セニーが命じると団員たちは即座に片づけを始めた。俺は後ろに隠れるエトハールに笑い掛け、近付くセニーとリンネイに視線を移す。


「まさかこんなに早く遂行してくれるなんて……やっぱり貴方は他の人と違うようね」


 セニーは嬉しげに微笑して、俺の手を取った。握手してくれた。


「感謝します。次は対等な立場で仕事をしましょう」


 俺は笑い返して、ウインクした。


「何時でもどうぞ」


 雇われ剣士の時は暇だからな。


「ところでそちらの少女は? 現地の人?」


 セニーが俺の肩越しにエトハールを覗く。


「あ、そうだ。余ってる腕時計ってないかな?」


「あ、わけありね。騎士団で申請の通っている闇のがちょうど一つあるわ」


 セニーは指図して、ハロウィンの仮装みたいな格好の少女に腕時計を持ってこさせた。


「使って。お代は結構」


 エトハールは腕時計を受け取って、左手首にそっと嵌めた。


「さ、これで今回のお話はお仕舞。傭兵たちが戻ってくる前にここから消えて頂戴」


 セニーはそう言うとさっと行ってしまい、撤収の指揮を執り始めた。俺はエトハールを連れて階段を上り、外に出て、月を見上げた。もう夜になっていた。


「今夜の宿はある?」


 俺はエトハールを自宅に誘おうかと思ったが、首を横に振って返された。


「そうか……じゃあ、お金を少し振り込むよ」


 俺は腕時計を操作して、エトハールの口座に三億ロア送金して上げた。


「ここには割と仕事はある。魔術師なら引く手数多だし、えっと……学校もあったと思う」


 確かあったはずだ。ずっと剣術ばかりやっていたからあまり詳しくはないが。


「学校……ありがとう」


 そう言うとエトハールは一人で夜の闇に消えていった。


「さってと……どうするかな、このお金……」


 いきなり百億ロアとか言われてもな……ああ、でも、一つ使い道があるかも、だ。俺は腕時計を操作して、電話を掛けた。コール音二回、すぐに繋がった。


「あ、ガブリエル? シドウだけど」


『夜分にどうした? 職探しならちょうどいいのが』


「いや、そうじゃなくてさ。まとまったお金が入ったから、少し慈善活動でもしようかと思って……村の子供たちにさ、食べ物と仕事を世話するのに使ってくれよ」


『額によるが……どのくらいだ?』


「九十七億」


『……』


 少し沈黙があって、騎士団長殿の笑い声が聞こえた。俺も笑ってしまった。


『分かった。話は明日執務室で聞こう』


「じゃ、明日」


『ああ』


 電話を切った。俺は月を見上げて、ぼんやりと思った。


 ユシミール……あんたの願い、現実になるといいな。


 でも、リストには呆れられるのだろうな、と思う。それだけはどうにもならないな、と俺はまた笑ってしまった。

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