1-7 筆記者ベルドリッジ -Lord Beldridge-

 五番区の最奥に大きな屋敷がある。


 家主の顔は誰も知らないが、途方もない財と権力を持っているらしい。そんな噂を聞いた事がある。門のアーチの中心には五つの花弁の紋が施されているが、俺がリストに渡した花によく似ていた。


 門が奥に開いていく。ゆっくりと厳かに、金属の軋む音を立てながら。


「わざと趣のある音にしているんですよ」


 ビラーノがご親切に教えてくれた。


 つまりは趣味の人だという事なのだろう。筆記者なんて変わった仕事をしている人だ。腑に落ちる話ではある。しかし、大いに不安だ。変人に対する免疫の話だ。果たして、リストは平気だろうか? 気掛かりなのはその事だ。


 しかし、リストは平然としている。持って生まれた気品のためか、こういった趣に見事にマッチングしてしまう。彼女の私生活がどんな風だったか、それとなく察する事が出来る。館住まいの深窓の令嬢。そんなイメージがぴったりだ。


 綺麗に手入れされた庭を進みながら噴水や見事な彫像が当然のように設置されている事に気付く。


 ここであんなものを拝めるとは意外性に溢れている。そして、彫像が地球人の姿をしていた事から筆記者ベルドリッジも同郷の人だという確信が湧いてきた。一体どんな人物なのだろう?


 想像は膨らみ、ただただ興味しか湧いてこない。しかし、見事な庭だ。ベルドリッジも筆を持たない時は束の間ここで骨休めをするのだろうか? ちょうどあの椅子に座って……。


「どうぞ」


 ビラーノが扉を開いて待っている。俺は後ろ髪を引かれる思いだったが、未練に目を瞑って館に入った。


「……随分と……豪勢ですね」


 リストが呆れ顔で評価する。まったく、と俺も思った。


 赤絨毯は何処から取り寄せたのか、奥の階段まで続き、床には大理石のような物が全面使用されている。左右のフロアに裸の男の像が設置されているが、片方の頭は砕けていて、その口元だけがかつての面影を残している。


「こちらです」


 ビラーノが赤絨毯を進む。俺は用心しながら後を追い、階段を上る途中でも気を抜かずに意識を尖らせている。


「シドウ様、どうか気を静めて頂きたい。我が主は繊細な方故気を揉んでしまいます」


 ビラーノに咎められた。俺はやや気勢を殺がれたが、それで気を許す程馬鹿でもない。でも、確かに無礼でもある。マナーに無縁な無粋な餓鬼には辛い場所だが、ドレスコードに気を遣わない分は態度で補おう。


「結構」


 気を察したようにビラーノに感謝された。この人も大分修羅場を潜っているようだ。さぞかし腕の立つ戦士なのだろう。寝技も強い。耳のあの独特の潰れ方。柔道経験者に多かった気がする。


「この扉の先が執務室となります。我が主は非情に繊細な方です。くれぐれもご注意を。では」


 ビラーノが扉を開けた。


「お連れしました」


 中に一声掛けて、ビラーノが横に退く。


 俺は先に入って、首を左右に振った。本が見える。平積みだ。まるでジェンガみたいに非常に危ういバランスで天井まで届きそうなくらい堆く積み上がっている。


 本の背表紙が見える。『村記録集第1098732』。


 それだけ見て、俺は他の本の背表紙を確認するのを諦めた。驚いた事にベルドリッジなる人物はこの手の仕事で真正の部類に属するらしい。つまりは想定通りの変人という事だ。


「やあ、よく来たね」


 奥から子供の声がする。幼い男の子の声だ。俺はぎょっとして奥を凝視した。奥には大きな机があって、一脚の椅子の上ににこにこ笑う小さい男の子が座っている。


「こっちにおいでよ。僕は近視でね。君たちの姿を見たいんだ」


 まるで五歳くらいの子供の陽気だ。確かに大きな眼鏡を掛けて、かなりの近眼のように見える。俺はビラーノの忠告を守り、ほぼ無警戒のまま机の前まで進んだ。


「どうぞ、椅子に掛けて下さい」


 ベルドリッジが勧めてくれる。俺は帯を外して、レゼルの魔剣を背もたれに掛け、椅子に座った。リストも隣の椅子に腰を下ろした。


「驚いたでしょう? 僕のこの姿」


 ベルドリッジは愉快そうに俺たちに聞くが、笑えないと思うだけで答えられない。


「ここに辿り着いた子供たちは永遠に歳を取らない。僕はこの年でここに来た。随分と昔の事です」


「初めまして。今日はお招き頂いて、ありがとうございます」


 リストは目礼して、花を机に置いた。


「初めまして。僕は貴女の話を聞いた時に胸が躍ったんです。ついに遠い月からの来訪者がここに辿り着いた。是非お話を聞かせて頂きたい」


 ベルドリッジは脇に置いてあった本を引っ張って、最初のページを開いた。白紙のページに羽根ペンが降りる。


「私は赤の月のリネウスという小国で騎士をしていました。つい三か月前の事です。当時メガリス帝国に侵攻されて、王都陥落をこの目で見ましたが、私は数十人の国民と共に月を脱出しました。


 惑星に下りられる塔の伝説に縋って、階段を下りて、扉を潜って……やがて食糧が尽き始めた頃にいさかいが起きました。奪い合いです。


 私は何人かの同士と共に一団から離脱して、先を目指す事にしました。でも、追ってきた仲間に襲われて……皆、何処かに逃げてしまいました。


 それから魔物の肉を食べたり、雨露を啜ったり、生きるために出来る事は全てやって……力尽きそうになって、伝道所の影で座り込んでいた所に彼が現れました。


 私には天使に等しい人です。だから彼の事をもっと知りたいと思って」

 

 リストはうつむいて、膝をもじもじ動かしている。


「のろけ話ですか……まあ、それは置いておいて。月の情勢について詳しい話を聞かせて貰いましょう」


「あの……私の知る限りの話で良いのですよね?」


「勿論です」


 ベルドリッジは羽根ペンにインクを足して、ページを捲る。


「月は今大変な事になっています」


 リストは沈鬱な面持ちで月面の戦況を語り出した。

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