数多義の花

髙木ヒラク

 冷たい雨が、地面を優しく叩いていた。

 寺の庭で作業をしていた私は、傘を取りに一度境内の中へ入った。傘を手にしてまた表に出ると、墓地の方へ歩いてゆく人影が見えた。

 50代くらいだろうか。足取り重く猫背で歩くその男は、右手に傘を持ち、傘の柄にコンビニ袋をぶら下げていた。そして、左手には綺麗な紫陽花の花束を抱えている。

 こんな天気に墓参りとはご苦労なことだとひとりごち、私はまた庭の作業へ戻っていった。



「住職さん、ご苦労様です」

 庭にある植木の手入れに夢中になっていた私に、後ろから声がかかる。振り向くと、先ほど墓地に向かった男が立っていた。今も変わらず右手に傘を持っていたが、左手に持っているものは空のコンビニ袋に変わっていた。

「あなたも、こんな雨の中、ご苦労様です」

 私がそういうと、男は口元のしわを寄せてはにかんだ。

 「こんな雨の日にこそ墓参りに行きたくなるんですよ」

 普通、雨の日の墓参りは線香の火が消えてしまうので敬遠される。物好きな人もいるものだ。

「とても綺麗な紫陽花をお持ちでしたね」

「ああ、あれは生前妻が好いてましてね……」

 男は寂しそうに笑った。

「それはそれは、奥様もお喜びになるでしょう。好きなものに囲まれて、こんな肌寒い日でも少しは暖かく眠られることではないでしょうか」

 私は男の妻への思いを感じ、手を合わせた。

 すると男は少し皮肉めいた口調で

「ねえ、住職さんは紫陽花の花言葉を知っていますか」

 と、問うてきた。

「いえ、恥ずかしながら……」

 面食らいながら、私は正直に答えた。

 雨粒が心なしか大きくなった気がする。男は訥々と話し始めた。

「紫陽花の花言葉は沢山あって、『高慢』だとか、『あなたは冷たい』とかいう意味があるんですよ。私の妻はまさにその通りの女でね。生きている間は毎日尻に敷かれ、こき使われてきました。でもね、時たま笑ってくれるんですよ。その笑顔が好きで……」

 そこで男は一旦言葉を切った。足元は徐々にぬかるんできている。

「すいません、女々しいですよね、私」

 私は首を振った。

「いえ、女々しくなどありません。それだけ、奥様のことが大切だったのでしょう」

 今度は男が首を振った。

「多分、お互いに依存していただけです。先に死なれて、私がずるずると引きずっているだけですよ。私らには子供はいませんでしたから、早く次の嫁さん貰えって周りに言われるんですよ」

 男は「わはは!」と肩を揺らした。しかし、その表情は吹っ切れているようには見えなかった。どう言葉を紡ごうか、言い淀んでいると雨が本降りになった。

 雨音の所為でほとんど聞き取れない別れの挨拶をして、男は足早に門をくぐっていった。



 テレビの予報によると、雨は二、三時間で止むようだった。私は書斎で辞典をひっ張り出して、紫陽花の花言葉を調べることにした。

 たしかに紫陽花にはたくさんの花言葉があり、男が言ったような意味も書いてあった。辞典の小さな文字を指でなぞる。すると、そこには一際私の目を引く一文が書いてあった。



 雨が上がると、私は男の妻の墓に行ってみることにした。墓前には缶ビールや菓子、そして雨水を滴らせ美しく夕日を受ける紫陽花が供えてあった。

 私は男の気持ちが少しでも届きますようにと深く手を合わせた。


 男はまた来る、これからもずっと。

 なぜなら、紫陽花の花言葉には、『辛抱強い愛情』という意味もあるのだから。


          「数多義の花」終

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数多義の花 髙木ヒラク @tkghiraku

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