映画館の神様

髙木ヒラク

 長い電車の揺れから解放され、誰一人いない駅のホームで大きく伸びをした。降りた電車はまばらな人影を乗せたまま、その数を増やすことなく発車した。ホームのベンチに座りながらその電車を見送る。


 曲がることなく真っすぐに伸びた線路の左右には、ぽつぽつとした民家と田んぼがあるだけでなんら視界を遮るものはない。


 電車はここからでは見えない次の駅へと向かって小さくなっていく。そして、徐々に消えていく車両の最後尾を見ながら、やっぱり地球は丸いんだなぁ、なんてことを思った。

改札には白髪頭の駅員さんが立っていて、

「長旅だったでしょう、お疲れさま」

と切符を受け取ってくれた。

駅前に出ると商店街になっていて、店の多くはシャッターが閉まっている。振り向くと木々が駅舎を覆うように葉を伸ばしている。

柔らかな太陽の光が降りそそいでいて、そよそよと風が吹くと、木々は心地よさそうにさざめいた。


 初めて来た場所のはずなのに、僕は『何か』を思い出しかけた。

そこに留まっているとその『何か』にずっと浸ってしまいそうなので、目的地に向かって歩き出した。



 ここはとある田舎町。

 僕は都会と言われるところから電車を乗り継ぎ、6時間かけてここへ来た。縁も所縁もないこの場所に来たのは卒業制作をするためだった。


 大学で映像関係を学んでいた僕は、四年生になり教授から卒業単位をとるための課題を出された。


 特に内容に縛りはなく、文章でも制作物でも「作品」として成り立っていれば良いとのことだった。

「君は何を作るんだ? 面白くなる自信があれば許可を出すが」

と顎をさする教授に僕は、

「面白いドキュメンタリーを撮ります」

と高らかに宣言した。


 テーマは『地方映画館の現状』。


 この内容に決めた理由は二つ。

 一つは、急速にデジタル化されていく世の中でDVDやインターネットの普及に伴い地方の映画館が寂れていっている、という話を聞いて、その実情を調べてみたいと思ったから。


 そしてもう一つは、映画館という空間に僕自身思い入れがあったからである。

僕はいわゆる転勤族で、あまり一つの町に長居したことがなかった。

流通系の仕事をしていた父に連れられて、母と家族三人、東西南北様々な地に足を踏み入れ、そして去ってきた。


 長くても3年、短くて1年足らずで転勤してきたので小学校から中学までの9年間に4回、5回と転校を繰り返した。


 僕の父は仕事に誇りを持っていた。

「新しい土地へ行くのはそれだけ新しい出会いがあるものだ」

と、転勤が苦ではなかったようで、母もそれに同調していた。


 僕自身知らない土地に行くのに楽しみもあったし、父や母に大きな不満もなく、転校はしょうがないことだと思っていた。


 しかし、せっかく友達ができてもすぐに別れてしまうという環境には、それなりの寂しさを感じていた。


 その寂しさを紛らわすため、僕はよく映画館へ向かった。

映画を見るという行為は一人でもできる。そして一人で行っても、違和感がない。

さらに、映画の中で作られた世界観は、上映が終わっても僕へ影響を与え続けてくれる。


 面白いものでも、つまらないものでも、様々な登場人物、出来事や感情達が、寂しさとは無縁の想像世界へ連れて行ってくれた。

僕は引っ越し先の土地へ来ると、まず近場の映画館がどこにあるのか調べた。

たとえ一番近くて片道一時間の場所にあろうとも、週に二回は映画館に通い続けた。


 高校へ進学する頃、父が昇進して転勤がなくなるまで、僕の一番の友達は間違いなく映画館だった。



 駅前から歩いて10分ほど、寂れた商店街の終わりに目的の映画館『浪漫座』はあった。


 見上げてみると、立派な建物ではあったが、所々塗装がはげ落ち、たくさん貼ってあるポスターも白く変色していて、どことなく哀愁が漂っている。


 正面扉の横にあるブザーを押す。

すると、タタタ、と小気味よい足音が聞こえ、大きな扉の隙間から小学校低学年くらいの女の子が顔を出した。


 面食らっていると、女の子は、

「おじいちゃーん」

と叫んで引っ込んでしまった。


 すると今度は、ドタドタ、と少し重い足音が聞こえ、人の良さそうなお爺さんが顔を出した。

「いやはや、遠いところまでご苦労様でしたな」


 僕を奥へ案内しながら、そのお爺さん―浪漫座の館長、宮藤さんはにこやかに言った。

「さっきの子は孫娘の映子です。客が来ないもんだから、あの子の遊び場になってしまいましてね」

と、宮藤さんは顔のしわを深くした。


 映画館の子だから映子。

 シンプルながらぴったりな名前だと思った。


 館内は丁寧に掃除されており、空気が澄んでいた。

100席ほどのゆったりと座れそうな座席が並び、都会のものと比べて半分程の大きさのスクリーンと向き合っている。


 年季も相まって、映画館独特の雰囲気を深く醸し出しているが、やはり、どこか寂しさが漂っていた。



 僕はまず、映像の素材とするため館内の様子をカメラに収めることにした。

宮藤さんは僕が撮っているものや場所にまつわるエピソードを、懐かしむように、一つ一つ話してくれた。


「このど真ん中の席には常連がいましてね。毎回、この席じゃなきゃ映画を見ないって駄々をこねるような困ったおじいさんでね。うちによく来てた人達はだいたいそのことを知ってて開けてくれてたんだけど、ときどき知らずに座っちゃう人がいてなあ。毎回喧嘩を止めるのに大変でした。上映開始も遅れちゃったりねえ」


「そこの壁、ちょっとへこんでるでしょ。酒瓶持ち込んで、酔っ払いながら映画を見るおじさんがいてねえ。自分の気に入らない展開になったら怒って壁に瓶を投げるんですよ。観客の皆さんビックリでしてね」


「サプライズでプロポーズしたいなんて若い兄ちゃんもいましてね。スクリーンの裏側からこっちに出られるようになってまして。恋愛映画を流した後、スクリーンの後ろから彼が出てきて、最前列に座ってた彼女にプロポーズ! 結局彼女はOKして、拍手喝采でねえ。いやあ、あれはその時上映してた映画より感動しましたよ」


「うちはポップコーンとか飲み物を売るようなことはしておりませんで、基本的に持ち込みしてもいいよってしていたんですが、中にはとんでもないものを持ち込む輩もいましてな。納豆だとか、餃子だとか、なんで映画館でそんなもの食べるんだって」


 宮藤さんの思い出は尽きない。

 この町と深く繋がり、長い年月を過ごしてきた浪漫座ならではの、いい話、迷惑な話、にわかには信じられないものまで古今東西の話が出てくる。

僕はその一つ一つの話を聞くたび、その時代、時間にタイムスリップしたような感覚になった。



 一通り撮り終えると、今度は宮藤さんへのインタビューへ移った。

 少々シビアな質問を用意していて、聞くのにためらいがあったが、

宮藤さんは全ての質問にしっかりと答えてくれた。


「……今の客入りはいかがですか」


「今は、一日20人いったらいいくらいですかねえ。空席の方が多くなって久しいですが、慣れてきちゃったなあ」


「……その、商売というか、金銭面では」


「実はね、町がお金を出してくれてるんですよ。でも、その補助金も年々少なく

なっててね。正直に言うと、ほとんど赤字ですなあ」


「……この町の状態については」


「まあ、せんないことだと思いますよ。田舎の町なんてどこも同じだと思いますが、若者は都会に仕事を求めますからね。帰ってきたい子が帰ってきたらいい。……寂しいですがね」


「……DVDなど、映像のデジタル化については」


「便利になることは悪いことではないでしょう。私も携帯電話を使うようになったしねえ。でも、アナログ……ちゅうんですかね? そういうものもできたら忘れないでほしいですな」


 あまり品の良いとは言えない質問にも宮藤さんは笑顔を崩さず、自分の思いをきちんと話してくれた。


 最期の質問は言うか言うまいか迷ったが、思い切って、聞いてみることにした。


「未来への希望は、ありますか」


 宮藤さんは少し困ったような顔をして、


「希望とかなんとか、そういうものはあまり考えてなくてね。こんな寂れた映画館に少しでも来てくれるお客がいる。その人たちがいる限り、ここを閉めることなんてできんのですよ」

 と、遠い目をして言った。


 僕はそれを聞いて、宮藤さんが持つ浪漫座への気持ちの重みを感じ、なにも言えなくなってしまった。


 すると、宮藤さんは続けて


「でもね、嬉しかったよ、君が来てくれて。それだけでも、ここを閉めずにやってきてよかったと思います」

と、優しい目に変わって、言ってくれた。

 


 取材が終わり、帰り支度をしていると映子ちゃんがひょっこり顔出した。

どうやら映写室に行っていたようで、フィルムケースを持っている。


「こらこら、勝手に持ち出すなと言ってるだろう」


「おじいちゃん! これ私が回すの!」


「はいはい、また今度教えてやるから、それ返しなさい」


 捕まえようとする宮藤さんから逃れながら、映子ちゃんは縦横無尽に館内を走りまわっている。


 ここで僕は映子ちゃんにもインタビューをしようと思いつき、しまったカメラを取り出した。

 フィルムケースを取り上げられ、少しムスッとした表情をした映子ちゃんにカメラを向ける。


「映画館は好き?」


 足をプラプラと揺らしながら、映子ちゃんはカメラに少し緊張した面持ちだった。


「うん、好き」


「それは、どうしてかな」


「うーんと、ね、神様がいるから」


「神様?」


「うん!」

 と、映子ちゃんはいろんな所を指さし始めた。


「ここにも、あそこにも、床にも天井にも! 建物いっぱいに神様が住んでてね、でも今はどこかに隠れているの!」


「へえ、どんな神様なのかな」


「人を楽しませてくれる神様! 人を笑顔にしたり、泣かせたり、とーっても素敵な神様がいるの! でもね、今はその神様はお休みしてて、私が見つけて起こしてあげるの。もっといっぱいお客さん呼べーって!」


 映子ちゃんは、とびっきりの笑顔に表情を変えてそう答えた。 

 僕は、映子ちゃんの笑顔に微笑み返すことはできなかった。


 神様。

 僕は神様に対して、いてもいなくてもいいと思っている。


 父の転勤で引っ越しを繰り返している時期、信心深い母は新しい土地へ行くたび、必ず近くの神社へ僕を連れて行った。


「これからこの土地にお世話になります。よろしくお願いします」と、律儀に二礼二拍一礼する母に僕も習っていたが、昔から、神様そのものの存在には確証を持てていなかった。


 土地によって祭る神様は違っていて、しきたりや行事もまったく同じものはない。そこから複数の神様が存在するのだという解釈を持ってもいいはずだが、僕が神様に対して曖昧な態度を取っているのは、多分映画のせいだと思う。

映画の登場人物達は、みんな信じるものが違っていて、中には「信じるものは自分だけ」なんてキャラクターもいた。

 

 ある映画では肯定された存在も、ある映画では否定されている。

テーマもバラバラ、思いもバラバラ、100本の映画があれば、100通りのエンディングがある。


 僕は多種多様な映画に触れるうちに、


「人が信じるものはなんだっていいんだ」


「逆に、まったく信じない人もいたっていいだろう」

と、思うようになった。


 だから『神様』はそれぞれ誰かの中にあってもいいのだけれど、僕自身は否定肯定もしない、というスタンスになった。


 けれど、映子ちゃんが『映画館の神様』のことを言ったとき、少し捻くれたような、ぐにゃりとした気持ちになった。

 それは、神様という存在に対して、初めて持った否定の感情だったのかもしれない。



 映写室にフィルムを返しに行った宮藤さんが帰ってきた。

 カメラから解放された映子ちゃんは楽しそうに座席を乗り越え走りまわっている。


「『私が大きくなったらお客さんをいっぱいにするの』なんてことを最近あの子が言うんですよ。私としては、嬉しいんですけどね。でも、浪漫座は私の代まで、でしょうね」


映子ちゃんを見つめながらそう言った宮藤さんの横顔は、とても寂しそうだった。



 浪漫座からの帰り道、駅まで宮藤さんと映子ちゃんが見送りに来てくれた。

 外は少し肌寒くなっていたが、心地よさは変わらなかった。


 まばらにすれ違う人達が、宮藤さんと挨拶を交わし、映子ちゃんの頭をなでる。

 歩く速度が僕の住む都会のものより半分くらいになっていて、過ぎる時間ものんびりと感じる。


 閉まったシャッター、茜色の雲、どこかで吠えている犬。


 ノスタルジックな風景が、電車を降りた時に感じた澄んだ心地よさへ、消えゆくものへの虚しさをゆっくりと加えていく。

 駅舎に付き、後ろ髪を引かれる思いで改札に入る。

 改札を挟んで二人と向き合う。


「これからまた長旅でしょうが、気を付けてくださいな」


「また来てねー!」

 宮藤さんと映子ちゃんに手を振り返す。


 電車がホームに入ってきた。


 扉が開き、席へ座って二人に背を向けた。

 背中越しに、映子ちゃんがまだ手を振っているのがわかる。

 宮藤さんが、優しい笑顔をしているのがわかる。 

 

それでも僕は、振り向けなかった。



 僕の住む都会へ近づいてきた。

 田舎町の名残は消え失せ、高層ビルが過ぎていく。


 僕はずいぶん前に立ち上げたパソコンに向かって、手が進まないでいた。


 もしも、映子ちゃんの言う神様が本当にいるのなら。


 あの町は、あの映画館は、どうして寂れてしまったのだろう。

 宮藤さんに、どうしてあんな顔をさせてしまうのだろう。


 そして多分、映子ちゃんの信じるその神様は、僕の住む『都会』へ引っ越してしまったのではないのだろうか。


 僕のカメラに、今日撮った映像のどこかに、『映画館の神様』が写ってくれていたら、どんなに救われることだろう。


 そんなことをずっと、考えていた。




『映画館の神様』 終

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