最終話

「――で、俺を呼び出した訳か」

 呆れきった声色でわざとらしく肩を竦めて溜息を吐く学生時代の同期を睨みつけながら、「お前しかいなかった」とだけ返す。正直こいつを呼び出して相談するのも癪であるが、仕方がない。そんな私の言葉にベッドサイドに置かれた椅子に座る男――篠原浩介ささはらこうすけは「お前友達すっくねーもんな」とケラケラと笑うのだ。

「三十八万キロメートル分ゆずっても、恨みこそすれ感謝はしないぞ」

「その前に自分から零してたんだろ。それに、スッキリした顔してるじゃん」

 お前のそんな顔見るの、二十年振りだな。と、浩介は言葉を重ねる。その表情は穏やかなもので。この二十年、私は何も見ようとはしなかったのだろう、と気付く。

「目からウロコってヤツだな」

 ポツリと呟いたその言葉に「天からの光ならぬ、愛の力かね」と浩介は笑った。


「で、退院までに返事をしろって言われてるんだろ? ハイかイエスで答えてやれよ」

 他人事だからか、浩介は笑ってそんな事を言う。「否定がどっか行ったぞ」と突っ込めば「お前にそんな好意を真っすぐ伝えてくれる奴なんて滅多に居ねぇんだからちゃんと捕まえとけよな。お前がアイツを嫌いだって言うんなら別だけどよ」と小さい子供をさとすようにポン、と頭に手を乗せられる「そりゃ、嫌いじゃぁないが」ひどく小さな声でしか言えなかったその言葉に「じゃぁ良いじゃんな、さっさとくっ付いちまえよ」と笑いながら私の頭の上にあるその手をガシガシと強い力で撫でてくる。

「シェルツが好きだ、なんて。宙海にも言えなかった事を今更素直に言えれば苦労はしねぇよ」

「ホントお前素直じゃないな。という事で、呼んである」

 悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた浩介はよいしょ、と声を出しながら腰を下ろしていた椅子から立ち上がりドアに向かいその扉を開ける。その扉の向こうには真っ赤な顔をしたシェルツの姿が居た。彼は室内に入り、耳元に手をやったと思えば小さな機械を外し、申し訳なさそうに手のひらの上に置かれた機械を私へと見せる。思わず零れる舌打ちに「品が無いぞ」とシレッと窘める浩介に「誰のせいだ」と突っ込めば、「誰だろうなァ」とニヤニヤ笑いながら胸ポケットから取り出した小さな機械を私の眼前に見せるのだ。こいつらは今回も結託していたようだ。浩介と私が話していた会話は浩介が持っている集音機からシェルツの持つ受信機に送られて全部筒抜けだった訳だ。「後はごゆっくりぃ」と笑いながら私の肩を一度だけ叩いて病室を出て行く。部屋の中に残されたのは、私とシェルツの二人だけであった。


「まぁ、何だ。座れよ」

 沈黙が支配した病室の中で、沈黙を破ったのは私だった。声を掛けられたシェルツはおずおずと先ほどまで浩介が座っていた椅子に腰を下ろす。「聞いてたんだろ、さっきの」そう告げれば、彼は小さく頷くのだ。

「でも、盗み聞きじゃなくてちゃんとアマネさんの言葉で聞きたいんです」

 真っ赤になったまま、俯き気味で小さく告げたシェルツは頭を上げ、反らせない位に強い視線を私へと向けて口を開く。「ねぇ、アマネさんは僕と付き合いたいですか?」彼は首を傾げ、私へと問う。こんな時でも私の意思を尊重するような言い方で訊ねる彼に文化の違いを感じながらも、その意思を声に乗せる事は遂に出来ず、頬が熱くなるのを感じながらもその問いに肯定の意思を込めて小さく頷き、彼はとろけるように甘く微笑みながら、私の手の甲へと唇を落とした。



   *



 あの病室でアマネさんの答えを受け取って、気付けば一年が過ぎていた。ずっと行ってみたいと思っていた場所で、僕は彼女の隣に立っている。

「此処だ」

 レンタルボートの操舵そうだ席に立つ彼女はそう告げる。僕を乗せて岸を離れた時に免許を持っているのかと聞けば「大体の動くモノは操縦出来る」と何でもない事のように答えられた。

「ここなんですね、ヒロミさんが散骨された所」

 そう、ずっと行きたかった場所。それは、サンセットヒルでみた海だった。互いに地球おかへ降りれる程の時間が取れず、一年も経ってしまった。けれど僕はこの場所で彼女に伝えたかったのだ。きっともうこの場所には居ない、ヒロミさんにも聞いてほしかったのだ。

「あぁ。この場所にちゃんと来るのは久々だが」

「サンセットヒルで済ませてましたもんね」

 彼女の言葉に笑ってみせれば「そもそも地球おかに降りるのが年単位で久々なんだ。身体が重いわ物は引っ張られるし」と愚痴っぽく口端だけ上げて彼女は笑う。そんな、なんでもない会話が心地いい。彼女の隣に立つ事を許されている事が、幸せなのだ。


「アマネさん、これ、貰ってくれませんか」

 だから、僕はこの場所でこの箱を彼女に渡す事にしたのだ。ポン、と彼女の手の中に置いたベルベットの小箱を開けばシンプルなデザインの指輪が入っている。指輪のサイズは彼女が寝ている間にはかったから間違いない。右手の薬指にピッタリ入るものが出来ている筈だ。僕はそっとその箱の中に収められているリングを取り、彼女の右手を取れば有無を言わせずにその薬指に嵌める。思った通りピッタリだ。

「何のマネだよ」

 満更まんざらでもなさそうに、しかし表面上だけはぶっきら棒に振る舞おうとしている彼女は僕へそう問う。「言っときますけど、僕のコレは予約じゃないですから」と笑ってみせる。

「僕の国では結婚指輪は右手なんですよ、左手の薬指はヒロミさんにあげます。だから、右手の薬指は僕にください」


 彼女に一息にその言葉を告げれば、彼女は指輪が付けられたままの右手で僕の頭をわしゃりと撫でてにっこりと楽しそうに笑うのだ。「とりあえず、戻ったら親類に報告でもするか」と言いながら。

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