番外編

月着陸の日に

「一人の人間にとって小さな一歩であったが、今私たち人類の偉大なる飛躍に繋がっている」


 数ある月都市の中で一番の古株であるこの市の頂点に君臨する男の演説が私の被るヘルメットに備え付けられたスピーカー越しに私の耳へと流れてくる。今日は百年以上も前のこの日にこの地へと初めて到達した人類を、ひいてはこれからの発展を祝う年に一度の祝祭の日だった。

「誰も長ったらしい演説なんて聞いてないだろうに、よくやりますよねぇ」

 私の隣に立つ部下であるジュール・グェーリィンヌはプライベート通信に切り替えた音声を私へと流す。「そういう式典込みでの記念日だろう。それに、お偉方の演説は長いもんだと相場が決まってる」部下の軽口にそれだけを返せば「小隊長は相変わらずスね。俺は演説よりさっさと花火を観たいんですけどねぇ」と彼は悪びれもせずにそんな言葉を返してくるのだ。

「仕事中だぞ、気を抜くなよ」

 私達が居るのは、一般観客が入る事を禁じられた立ち入り禁止エリアのひと区画で。この先の平地部分にはいくつもの花火が打上げの瞬間を待っていた。宇宙開発反対派のテロ行為が起きる事態を懸念し、毎年厳重な監視体制で行われるこの式典の警備が以前の捕物で入院の憂き目に遭った私の現場復帰任務であった。

「でも、良かったんスか? この間の青年くんとデートしなくて」

 揶揄うような口調で私へと問いかける男に思わず大きな溜息が溢れ出る。「元々決まっていた仕事だろう」呆れの色が消しきれなかった声で私は彼へと言葉を紡ぐ。そして、彼の言葉を待たずに言葉を繋いだ。

「それにな、花火は特等席で観たいだろう?」

 そう言って小さく笑えば、彼は「小隊長だって花火楽しみにしてるんじゃないスか」と笑いながら言葉を返すのだ。

 

   ☆

 

 その日、僕は恋人の部屋のベッドの上で一人、天窓に映る星空を見つめていた。僕の持ち込んだラジオからは市長の演説が流れて居たが、それをしっかりと聴いている人はこの月面の上にどれ程居るのだろうか。僕も含め、この祭典を楽しみにしているに人間は挨拶よりも年に一度打ち上げられる花火を心待ちにしていた。それは、地球で打ち上げられるものとは異なり、真空空間でも綺麗にその火花が咲くよう作られた特別製で年に一度行われる百年以上前の月着陸を祝う祭典でのみお目にかかれる代物だった。デートを重ね、やっと想いの通じ合った恋人と見ようと誘ったものの、彼女には「その日は警備だ」と少し困ったように断られた。その代わりにと教えられたのがこの場所であった。「ステラリウムは異常なくらい混むからな。打ち上げの場所からも遠くないし、はっきり見える筈だ」そう言って自身の部屋のカードキーを渡した彼女は何を考えてそれを渡したのだろうか、と今更になって思う。合鍵を渡してくれる位には、関係が深くなったのだろうかと一人納得した。テレビすらないこの部屋は、デスクと棚、小さなダイニングテーブルがあるのみで、彼女はこの部屋で二十年も暮らして居たのだろうかと何とも言えない気持ちになる。ダイニングテーブルの上には半分程の容量に減って居るレアブリードの瓶と一輪挿しの花瓶が置かれ、その花瓶に無造作に挿された古びたイフェイオンの造花が彼女がここで暮らしている事を証明するものであった。そういえば、彼女が入院していた病室にも飾られていたな、と思わず首を傾げた僕は、好きなんだろうな。と結論付けて再び視線を頭上へと向ける。そうすれば、大輪の花のような火花が四角い窓いっぱいに広がった。

「わ、すごい……」

 思わず漏れた声は誰にも届かなかったが、たしかにその花火は美しかった。真空空間の為、音がなることはなく、火花だけが静かに広がるその光景はまるでコンピュータグラフィックスのようであったが、現実に打ち上げられていたものである。

 

「来年は一緒に見ましょうね、アマネさん」

 僕は一人、彼女の暮らす部屋の中でそれだけを呟き、何処かで同じ花火を見ているのだろう彼女へメールを送るべく端末を手に取った。

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