第7話

「予約だけして、キャンセルになっちゃったなぁ」

 彼は、病院のベッドの上で力なく私へとそう言って微笑んだ。心音をモニターするその機械の音も、心なしか弱く聞こえた。私たちが軌道ステーションに行く道で巻き込まれた事件は、重傷者一名を出したものの機体は無事、犯人は確保となり幕を閉じた。地球よりもステーションに近い距離に居たこの宇宙船は予定通りステーションにドッキングし、唯一の負傷者である彼はステーション内の医療センターへと運ばれたのだ。

「ばか、予約したならちゃんと受け取れよ」

 こんな時まで素直になる事は出来なかった私の憎まれ口に少しだけ笑みを浮かべ、彼はそろりとこちらへ手を伸ばす。「天音は危なっかしいから、側にいてやりたかったんだけど」彼は出来るだけ体力を使わない様になのか、小さく悔しげな表情を見せる。私は思わず伸ばされた手を掴み、ぎゅ、と握りしめたのだ。

「危なっかしいのはどっちだ。子供助けようとして死にかけてるなんて、お前らしいよ。ヒロミ」

「天音、お願いだから。ちゃんと自分の為に生きてくれよな」

 そう言って私の返事も聞かずに瞼を下ろした彼が、再びその紺青こんじょうの瞳を細め、私に笑いかけてくることは無かった。途切れず流れ続ける電子音と、周りの医療関係者であろう人々の足音が慌ただしく鳴り響いてた事が、妙に印象に残っていた。



   *



「大丈夫スか」

 その声で私は現実に引き戻される。「あぁ」短く返答すれば、「最近調子悪そうスね。何か変なモンでも食ったんスか?」と部下は重ねる。

「言うに事欠いて相変わらず失礼な奴だな。そんなんじゃねぇよ」

「ま、平気ならいいンですけど。こんな大捕り物で小隊長が調子悪いとなっちゃァ俺たちも困るンですよ」

 固有の通信網を使いこちらへと流れて来る部下の軽口を聞き流し、私は手に持つブラスターを抱え直す。此処はオーベルト市の外殻部で、私と部下は警察局OPSから支給されている宇宙服を身に纏い壁際から事の成り行きを見守る。

「お、ゲート開きましたね」

 ゲートの開閉システムを監視していた彼は私にそう告げる。私が頷けば他の位置に張り付いている他の隊員にも通信機を用いて声を飛ばしていた。隣に立つ三十代半ばである年下の部下は、冗談をよく言い上司である私を「あんた」と呼び揶揄からかうという悪癖あくへきはあるが、仕事は出来るし何より私に付いてこれる。この男が私の下について数年、私は彼を右腕として重宝していた。

「あいつらか」

 非常用に作られたゲートから出てきた宇宙服姿の人影が三人分。それが今日のターゲットである。「あー、やってますね。音拾ってみます」大した事でもないと言うように告げる部下に「拾えるのか」と訊ねれば「あの宇宙服、インダス社のでしょ。ちょっとコツが要るんですけど、出来ますよ、っと」と軽い言葉で告げてくる。そして本当に私の被るヘルメットの中にも複数人の声が届いてくるのだ。

「流石。無事に片付いたらランチ位なら奢ってやる」

「ゴチでーす」

 そんな軽口を交わしながら男たちの会話を盗み聞く。それは麻薬の密売の話であった。いつの時代でも犯罪組織の資金源は麻薬ってか。と舌打ちをしてしまえば「相変わらず品が無いスね」と部下が笑う。そんな彼に「黙れ」と凄めば「はいはい」といなされる。

「よし、そろそろ行くぞ」

「リョーカイ」

 ひらり、と片手を上げた彼は他の隊員にも繋がる通信網を開き、「始めるぞ」と一言投げかける。私も彼らと繋がる通信網を使い「ゴー!」と声を上げる。

軌道警察局Orbital Police Stationだ!」

 宇宙服にはどの型であっても共有で通信が行えるチャンネルが用意されている。そのチャンネルに合わせ密談を交わしていた男たちに名乗りを上げればブラスターを構える。男たちも応戦するように彼らが持っていた武器でこちらへと光線を飛ばす。私は砂が広がる地面を蹴り上げ、飛び上がる。

「ちょ、あんたまた……!」

 ヘルメットの中に木霊する部下の叫びを無視し、地球上では出来ないような高さまでジャンプした私はターゲットの一人の上へ飛び乗るように着地する。手錠の代わりに片手へコの字型の固定具を地面に打ち付けその手に持つ武器を手から放すように蹴り上げる。その武器は恐らく他の隊員が回収するだろう。残りは二人。一人をブラスターのグリップで殴り飛ばす。その拍子に男の手からは武器が飛んだのを視界の端で捕らえる。思わず口角が上がるが、宇宙服の中の私の表情はこの場に居る誰にも見えない。そして、最後の男――三人目に対峙たいじする。

「多勢に無勢だろう、大人しく投降しろ」

 ブラスターを構えたまま、対峙した男へ告げれば、男の答えはその手のうちにある武器の引鉄を引く事であった。舌打ちをし、こちらも同じように手の内にあるブラスターの引鉄を引けば幾つか射出された光線のひとつが相手の宇宙服の肩を貫く。宇宙服に穴が開いたからと言ってすぐには死なない。衝撃で倒れた男の元へ駆け寄り、手錠を嵌め「連行するぞ!」と部下へ声を掛ける。

「――俺が、俺たちが。お前たちに捕まる事を良しとするとでも?」

 低く呻くような通信がヘルメットの中に響く。その声を聴いた瞬間に男の指が動くのを捉える「被疑者に近寄るな!」せめて部下だけは。叫んだ瞬間、私は衝撃波を受け宙を舞った。


 ヘルメットの中に響く警報音が煩い。耳が馬鹿になっているのか、何か部下が叫んでいるようにも聞こえたが。彼が何と言っているのかは分からなかった。生命維持装置のいくつかが故障しているという表示が眼前に点滅し、私はターゲットが全員自爆をし、更にはその爆発で吹き飛ばされて地面に叩きつけられた事を認識する。

――あぁ、次の待ち合わせには間に合いそうにない。

「誰か、携帯貸してくれ」

 思わず零れたその言葉を最後に、私の意識は途絶えた。



   *



 それは、一瞬の出来事であった。悲鳴のような小隊長の「近寄るな」という声が響いたかと思えば、音もなく三つの宇宙服が爆発する。最後に小隊長が捕縛した宇宙服が爆発するのと同時に、彼女はその衝撃波に吹き飛ばされる。その光景は花びらが上昇気流に巻き上げられて浮き上がる姿によく似ていた。スローモーションのように彼女は宙を舞い、そしてこの星の重力に引き寄せられて砂地に叩きつけられる。砂煙を上げながら打ち付けられたその宇宙服はボロボロで。俺は他の隊員に叫ぶ「小隊長が負傷! 早く戻らないと――」俺と同様に舞い上げられた彼女を呆然と見ていた隊員達も金縛りが解けたかのように慌ただしく動き出す。

「あんた何やってんスか! アンタが強いのは知ってますけど、何でこんな」

 様々な機械が故障を主張するその宇宙服に必死に呼び掛ける俺に、彼女は弱々しい声で「誰か、携帯貸してくれ」と呟くのだ。

「ローバーに入れます。隊長には報告してあるのですぐ総合病院に」

 後輩が彼女の足を持ち、俺は上体を引き上げる。二人がかりで意識の無い彼女をローバーへと積み込み、俺は宇宙服もそのままにアクセルを一気に踏みつける。この都市で一番設備が揃っているのはオーベルト総合病院だ。あそこは外から直接入れるゲートがある。車を飛ばして数分もすれば目的地の隔壁が開いているのが見える。きっと、ウチから病院には既に話が行っているのだ。その隔壁の中に車を滑り込ませれば、エアロックが閉まり、派手に巻き上げた砂をエアーが落とす。開いた内部隔壁の前には既にストレッチャーと看護師達が控えていて、後部ハッチを開けて俺も宇宙服をそのままに飛び降りる。

「すぐに処置を行います。貴方がたは宇宙服を脱いでから」

 そう言い残した看護師達は俺と後輩を残し、ストレッチャーには宇宙服を着たままの小隊長を乗せ慌ただしく去っていく。専門家に彼女を任せた俺たちはのろのろと宇宙服を脱ぎ、院内にある救命センターへと足を向ける。

「それじゃぁ俺は戻りますんで。先輩は小隊長の状況確認してから戻るって言っておきますね」

 よく出来た後輩だな。と心の中でだけ呟き、彼に右手を上げ了承の意を伝える。センター前にある長椅子でぼんやりと時間が過ぎるのを待っていれば、知った顔の救命医が「あの小隊長、無茶するなぁ」と皮肉交じりの笑みを浮かべて俺へと言葉を投げかける。その表情を見、恐らく大事には至っていないと判断した俺は「で、容態はどうなんですか」と彼へと問う。

「あの人めちゃくちゃ悪運強いだろ。窒息しかけてたけど、循環器系問題なし、全身強く打ってるけど一番ひどいのが尾骨と右足の骨折。全治二か月ってトコ。まぁ、最低でも一ヶ月は無理せず安静に。ついでに言えば二週間は入院」

 自爆に巻き込まれてそんだけピンピンしてるってのは奇跡だな。と医師は笑う。「今は麻酔効いて寝てるけど、会ってくか?」と問われ、俺は頷く。医師に案内された病室には安らかな寝息を立てて眠る上司の姿があり、彼女が間違いなく生きている事に安堵する。そして思い出すのが彼女が意識を失う直前に告げていた「携帯貸してくれ」という言葉。誰かに何か連絡を取らなければいけない用事などあっただろうか。と首を傾げる。そんな俺の様子を不思議そうに見てた医師は「それじゃぁ、俺はもう戻るから。後はお好きに」と俺に背を向ける。そして思い出すのが少し前に見かけた小隊長と青年のデート現場で。そういえば、数日前にデートをする直前の小隊長を引っ掴まえて着飾らせた時に毎週会っていると言ってたか。彼もこの病院の医師だと言っていたし、フェルマー医師の下に居るというのも分かっている。そして、俺はフェルマー医師の事も知っている。


 俺は彼女の容態を報告する為本部に戻る前にひとつの伝言を伝える為、フェルマー医師の所属する宇宙生活病棟へと足を向けたのだ。

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