第6話
「お前があの時の子供で、ヒロミの事をしってたとしても――」
彼女はそう言って、ハッとしたように口を噤み、年上の人間らしく次の言葉を繋げた。「ウエストゲートまで送る」と。それは、彼女の精一杯のその時彼女が出来る事だったのだろう。この
「多分、アマネさんは今僕と一緒に居たくないでしょう?」
だから、僕は彼女に逃げ道を作る。別に陸の孤島に置き去りにされる訳ではないし、ライトメトロに乗り、少し歩けば家までたどり着く事だって出来る。来週の約束だけ口にして、それにも来ないという選択肢も残して。
「あぁ、それじゃぁ」
彼女はその言葉を僕の顔を見ずに告げ、カツリとヒールを小さく鳴らしながら出口へと進んでいった。その背を抱きしめてしまいたいと何度も思うが、きっと今の僕にはその資格だってないのだ。痛くなるほど握りしめた拳を解くことは出来ず、自動ドアの向こうに消える彼女の背中をじっと見つめる事しか出来なかった。
*
「やぁ」
顔を見知った程度には知っている男性が仕事から上がった僕の前にそんな言葉と共に現れたのは、アマネさんの後ろ姿を見送った日から数日経った平日の夕方の事だった。片手をひらりと揺らし、友好的な笑みを浮かべて立つその男性は確かアマネ
さんの学生時代の同期であった男だ。名前は――「コウスケ、さん」確かめるように彼の名を呼べば、「あ、覚えててくれたんだ」と破顔する。
「キミが汐見の事で気落ちしてるって話を
そう告げた彼に頷くだけで肯定を示せば、彼は「よし来た」と口元を上げて悪戯をする子供のように笑って見せた。
「さて、と。此処なら汐見とも鉢合わないし、酒も飲めるし。どうした、借りてきた猫みたいに」
「いやあの、何でご自宅に招かれてるんですか僕は……」
コウスケさんが僕を連れてきたのは彼の自宅で。そして、この家はどう考えても彼一人で暮らしている家とは思えない他の人間の生活の気配があった。そういえば、酒瓶をいくつかとコップを二つ持ったこの家の住人でもあるらしい彼は僕の指導医であるフェルマー医師のパートナーだったか。となると、この家に彼とは違う生活の気配を残す人物は指導医ではないのかという結論に至る。それは縮こまって時間が過ぎるのを待つしかないだろう。しかし、先生は一体彼に僕の事をどのように話しているのだろうか。差し出されたコップとその中に注がれたアルコールを一気に呷り、腹を決める。もう、何が起こっても驚かないと。
「お、イイ飲みっぷりだな。若さかねぇ」
そんな事を言ってケラケラと笑いながら僕の座るソファの隣に置かれた一人掛けチェアに腰を沈めた彼もアルコールが注がれたコップに口を付ける。中身が空になれば瓶の中身を注ぎながら。
「……あの、それで今日はなぜ僕を……」
ニコニコしながら酒を飲み続ける彼に
「何も怒ろうとか説教しようとかそんなんじゃないし、汐見はやめとけと言うつもりもない」
そう前置きした彼は「あー、いや、無理と思ったら無理せず下りた方が良いけどな。汐見もあんな奴だし」と言葉を続ける。「何はともあれ、俺はというか俺と時嗣さんは全面的にハートヴィッヒ、キミの味方だ」そう言って笑って見せる彼に彼の真意を掴めず
「前置きが長かったな。今日この家に連れてきたのは他でもない。汐見とばったり会ってこんな話してるトコ見られたら俺がぶん殴られるからだ」
そう言ってコップの中のアルコールを
「高校時代の写真。見せておきたくてさ」
その手帳の中から出されたのは古びた一枚の写真。このデジタル全盛期にやけにアナログだな、とその古びた印画紙に手を伸ばす。そこに写っていたのは今よりもだいぶ若く、呆れたような、しかし楽しげにも見える表情を浮かべたコウスケさんに、会ったことの無い屈託のない笑顔を見せる金髪の少年。そして今よりもだいぶ長く伸ばされていた髪をポニーテールにして不敵に口元だけで笑うアマネさんの姿に、彼女の肩に手を乗せて優しく微笑む長身の男性という四人の姿だった。
「……僕、この人に会ったことが……」
僕はアマネさんの隣で微笑む男性を指し、呟く。そんな僕の小さな呟きを聞いてしまったのであろうコウスケさんは「マジかよ……」と溜息と共にかけている眼鏡を外しテーブルに投げたと思えばその手で彼自身の目を覆う。
「幼い頃住んでいたのが本部校の近くで、よくイベントに行ってたんです。その時に彼と話したことがあって」
彼にそれを話せば、「そうだったか。じゃぁ多分汐見ともその時会ってるだろうな。こいつらずっと同じ学校だったし、よく一緒に居たから」と溜息を吐くように背もたれに背中を沈めながら彼は呟く。「
「クガ、ヒロミさん……」
彼から聞かされた男性の名前を口の中でだけ呟けば、数日前の彼女の言葉が脳内にリフレインする。「ヒロミの事をしってたとしても、って。そういう事だったんだ……」僕が一人でその言葉の意味を確かめていれば、彼は「汐見は、アイツは空閑の事お前に言ったのか!?」とその上体をガバリとこちらへ引き起こし目を
「だから、キミに汐見を引きずり上げて欲しいんだ。あの海の底から」
そう告げた彼の言葉は、今までの彼の言葉とは全く違う重さと強さを持った、切実な祈りのような言葉だった。
*
それは、彼らと親友であったコウスケさんの知り得る彼らに関する物語であった。
「高校は一緒だったし、汐見とも空閑とも部活は同じだったけど、コースは違うし大学は二人とも航宙士学院だからな。俺の知り得る事だけを話すよ」そう前置きした彼の話は、彼女が今まで一人で生きてきた理由に関する物語であった。
アマネさんは日本校パイロットコース初の女子生徒で、クガさんは同じパイロットコースに所属するクラスメイトだったという。他の生徒たちはエリート意識が高く、アマネさんもクガさんも『成績のいい変わり者』としてクラスの中で浮いていた同士で意気投合をしていたらしい。二人が所属した剣道部にはコウスケさんも居て、コウスケさんと元々仲の良かった彼のクラスメイト――写真に写っていた金髪の少年がその人らしい――その四人で行動することが多かったという話だ。高校時代を過ごした四人は卒業と同時に道が分かれた。アマネさんとクガさんは
「全員揃う事が無くても、俺らのどっちかとあいつらのどっちかが会うとか、そういう近況報告はしてたんだよ。そうしたらあいつらは基本的にどっちが来ても残る一方の話ばっかりになってたんだ。あいつらがくっ付くのも時間の問題だなってよくヴィンと話してた」
そう言って昔を懐かしむように遠くに視線を投げ、目を細めるコウスケさんは話を続ける。それは、ある日コウスケさんがアマネさんに会った日の話であった。その日コウスケさんはアマネさんの左手にあるものが光っている事に気付いたという。それはシンプルな銀色の指輪で。その指輪に気付いた彼がアマネさんを揶揄うと「ヒロミに無理やりつけられた。予約だってよ」とぶっきら棒に答えたという。
「アレは傑作だったよ。仕方ないから付けてるって態度なのに、満更でもなさそうでな。結婚式には呼べよって言ったら真っ赤になって「予定なんてない」って返すんだぜ」
そう言って笑うコウスケさんはふ、とその笑みを消し「まぁ、その『予約』は本当に予約でおわっちまったんだけどな」と告げる。
「空閑は結局航宙士学院を卒業する事も、
吐き出すように、呟いた言葉は部屋の空気を停滞させる。アマネさん自身が認めたとは言えないものの状況としては応じる筈だった交際の約束を果たす前に、幼かった僕に優しく笑いかけてくれたクガさんは亡くなったのだと。
「当時はニュースにもなったんだけどな。まぁ、キミは小さかったから覚えていないだろうけれど、軌道ステーションでハイジャック事件が起こったんだ。あいつら二人して正義感だけは強かったから、それを止めようとしてさ」
結果は知っての通りだ。とやるせないように口元だけを歪めるように笑みの形を作ったコウスケさんは言葉を続ける。「空閑はその時に受けた傷が元で亡くなった。俺たちがそれを知ったのは空閑が亡くなった後だったから、その時汐見と空閑がどんな会話をしたのかは知らない。だけど、その後の汐見は見てられなかった。それは事実だ」と。
クガさんの遺骨は彼の遺言に従い海に撒かれたという。そして、彼女の指に光っていたその指輪も、彼女は海へと投げたのだと。その言葉に、サンセットヒルで見たあの海を思い出す。きっと、彼女がサンセットヒルで見たその海は彼の眠る海だったのだろうと。
「そうして、軌道警察局に入った汐見は俺の知る限り誰とも交際はしていないし、しようという素振りも無かった。そこに君があの熱烈な告白をかましたって訳だよ」
長い溜息と共に、彼らの物語を語り切ったコウスケさんはコップの中身を一気に喉へと流し込む。「アイツは、汐見は。きっとまだあの海で空閑を離せずに居る。俺の勝手な想像だけどな」ポツリと誰に言うでもなく彼は呟く「もう二十年だぜ」と。
「死人に口なし。故人が今どう思ってるかなんて俺たちは想像するしかない。でも、汐見は生きていて、空閑はもう居ないんだ。遺された側が出来る事なんて前を向いて進む位のものだろう? そうじゃなきゃ、死んだ空閑が浮かばれない。アイツは死んでからも汐見を束縛したいなんて思うような奴じゃなかった」
苦しげに、取り込んでしまった毒を吐き出すように告げたコウスケさんに、僕はなにも言葉を返せなかった。「此処からは俺の、俺たちの勝手な願いだ。アイツを諦めないでやってほしい」そう言って深々と頭を下げる彼に僕は慌てて「そんな、頭を下げられるような事は僕は何も」と声を上げる。
「今の話をきいて、合点がいきました。ありがとうございます」
彼にそう告げて、僕は言葉を重ねる。「今の話をきいて、僕は更にアマネさんを諦める事ができなくなりました」と。
*
明日の出勤が遅いからと、自分に言い訳をして僕はコウスケさんの家を出た後にサンセットヒルへと足を踏み入れた。入場料を支払い、地球上の見たい景色を端末へと入力する。カプセル型の機械へ入り、顔全体を覆うヘルメットを被れば目の前にノイズが走り僕はある場所に立っていた。それは僕の実家の近くにある
「アマネさん。僕は、あなたのこれからの人生の中で隣に立つ事を許されたいんです」
誰にも届かないその願いが、彼女に届けばいいと、僕は祈った。
現実に戻る直前に、「きっと叶うさ」と誰かの声が聞こえた気がした。
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