第5話
「俺たちも、あんな真っ直ぐな頃があったのかな」
「まぁ、俺らってパイロットコースの中でも異端児だったからねぇ」
「他の奴らと同じような人種だったらお前ともこんなに喋ってないだろ」
「そりゃぁそうだ」
隣に立つ男の名は
「それに、来場者の前ではちゃんとやってんだから良いだろ。ずっとあんなんやってるとか無理」
「ああやってればちゃんと可愛いのに」
「黙れ」
低い声で宙海へ声を投げれば「ごめんって」と両手を挙げて降参を表現する。ここでやめなければ私の拳が飛んでくることを彼は知っている。
「でも、折角だから今日渡しちゃおうかな」
そんな言葉を独り言のように呟いたと思えば、私の左手を掴み彼は自分のポケットから何かを取り出す。
「何の真似だ」
「見てわからない?」
宙海の一連の動作が終わる頃には、私の左手薬指には銀色のシンプルな指輪が嵌められていた。その真意を問えば笑顔と共にそんな言葉を返される。
「左手薬指に指輪を付けられた」
「事象だけしか見てないの?」
「事実そうだろう」
私の回答に笑いながら「予約だよ、予約」と彼は言葉を重ねる。
「天音は危なっかしいからね、三年後俺たちが卒業してライセンスを取れたら友達って関係から昇格させてほしいなって」
「予約が早すぎやしないか」
「何だかんだ言ってもやっぱりここも男所帯だからさ、日本校以外の奴らから狙われてるの知らなかった? 早めの予約は大事だよ」
「まぁ、三年経ってもお前の気持ちが変わってなかったら考えてやるよ」
「五年間変わってないんだから、あと三年で変わるわけないじゃん」
そう言って笑った
*
「待たせたか」
いつものカフェに足を向ければシェルツは既にその場所に居た。私の声にパッとこちらに視線を向けた次の瞬間、彼はその緑色の瞳を見開く。「アマネさん、その格好……」言葉に迷った彼の反応も仕方がないと思う。彼のその驚きに対し、「前回の記念公園。部下に見かけられてな。面白がってやられたんだ」と言い訳のような回答を。そう、いつもカジュアルなジーンズ姿しか見せていなかった私が今日は落ち着いたベージュのワンピースに少し短めのジージャンを羽織って立っているのだ。足元もヒールのあるパンプスで。更には部下の手により化粧もされてしまった状況で、寄ってたかって面白がる部下たちに囲まれながら自分でも誰だお前、と心の中で五度は言った。
「……申し訳ないが少し待っていて貰えれば着替えてくる」
無言のシェルツに居たたまれなくなった私がそう申し出れば「何でですか!?」と彼は声を上げる。「いや、固まってたから。さぞや奇妙に見えたのだろうと」私の回答に「奇妙なんてとんでもない! とても似合ってます!」と彼は腰を浮かせて殆ど叫ぶように声を上げる。周りの客が何事かとこちらに目を向ける。
「ああ、分かった。分かったからとりあえず出よう」
集まった視線にシェルツも気づいたらしい。こうして私たちは二人してそそくさと店を出る事になってしまった。
「今日はどうしましょう……あまり歩かないところの方が良いですよね?」
「ん? あぁ、ヒールは気にしなくても良いんだが……そうだな、あそこに行こうか」
店を出た後におずおずと問うシェルツに少しだけ思案を巡らせ、思いついた場所が一つ。都市の中を移動して行くには少し面倒な場所にあるそれは、一度この人工都市を出て入った方が楽な場所にあった。
「一度外に出るが……とりあえずローバー乗り場行くぞ」
この街にはいくつかのゲートがあり、この人工都市内の移動は都市の中を移動する方法と一度ゲートを出て外から他のゲートに向かう方法がある。今回私が選んだ方法は後者で。ゲートに
「本当に外なんですね! 月面の上を車で走ってるんですか!」
「まぁ、そういう事だな」
今回は移動のみだったから緊急時用の簡易服のみが積み込まれた車だが、車によっては気圧順化が不要の宇宙服が積み込まれているものもある。こんなに喜ばれるならそっちの車を選べば良かったか。流石に隣に座るこの男を簡易服着せて外に放り出したら
「すごかったです! 外から回ってって事をした事無かったというか、僕はローバーの免許持ってないんで出来ないんです」
「ローバーの免許はあると便利だぞ。定期便使わなくても他の市に行けるし。ローバー自体も自分で持つようなもんでもないし」
カードスロットから自身のパスを抜き出せば、重い金属音が車内に響きドアが開く。ローバーはレンタル方式でローバーの免許を持っている人間のパスで動くように出来ている。請求は後日で乗り捨て出来るのが有難い。車を降りる私に倣い彼も車から降り「ええと、何処に出たんですかコレ」と首を傾げる。
「イーストエリア。ステラリウムがあるんだ」
私が働く
「うわぁ……」
カウンターで二人分のチケットを買えば私を押しのけるように二人分の料金を払うシェルツに苦笑し、有り難くチケットの片方を受け取る。そして自動扉の向こうに足を踏み入れればシームレスのガラスドームの内部へと入る事となるのだ。ステラリウム。その名の通り、この都市の中で宇宙に瞬く星々と荒涼とした月の大地を宇宙服無しに見える施設。馬鹿デカいガラスドームを作ったのはいくつかある月面都市の中でもこのステラリウムだけで、記念公園に次ぐオーベウルト市自慢の観光地である。感嘆の声を上げるシェルツが小さな子供のようで何だか少しだけ微笑ましい気持ちになる。ガラスの近くに進むシェルツの後を追うようにゆっくりとガラスの近くに向かう。地球から見た月よりも四倍の大きさに見える地球も見える。はるか向こうの太陽に照らされて半分だけ明るく見える地球は半月のようだった。
「すごいですね、綺麗だ」
彼の少し後ろに立つ私に振り返りそう告げるシェルツに「そうだな」と口元だけで笑う。このガラスを隔てた向こうには荒涼とした砂の大地が広がる。
「どうかしましたか?」
砂の大地を見つめる私に彼は不思議そうに首を傾げる。「このガラスを隔てた先は、死の世界だと思ってな」宇宙服や此処みたいに与圧された空間に居なければすぐに死が訪れる世界なのだ。外を見なければ忘れてしまう程に、この街は私の日常ではある。しかし、忘れてはいけない。この大地は
「技術開発が進むとき、その技術が大きなものであればある程人は死ぬんだよな」
ポツリと零した私の言葉は、彼の元にも届いたらしい。「それでも、人は進んでいくんです。止まることは出来ない……アマネさん、何かあったんですか?」心配そうに眉を下げるシェルツから、私は思わず目を反らしてしまった。
「いや、何もないさ。お前に言う事は何も」
そう、これは私の問題だ。彼に言う事は何もないし、こうやって週に一度会いデートの真似事をしていたとしても、私は彼の好意を踏みにじる事しか出来ないのだ。視線を下げればふわりと揺れるスカートと、それに合わせたガラでもないパンプスが目に入り思わず心の中で舌打ちをする。部下に面白がられたというのは本当だが、本当に嫌なら部下たちから解放された後に家に戻って着替えればよかったのだ。こんな格好で、こんな場所に彼を連れて来るなんて。まるで彼に会えることに浮かれている女のようじゃないか。
「アマネさん、それって、僕には言えない何かはあったって事ですか?」
私の言葉にシェルツはそう重ねる。そんな彼に私は酷く苛ついた気分にさせられる。
「そう言えば、全部話すとでも思っているのか? お前があの時の子供で、宙海の事も知ってたとしても……いや、いい。今日は帰ろう。ウエストゲートまで送る」
自分を落ち着ける為にひとつ深く息を吐き出して、彼にそう提案する。
「多分、アマネさんは今僕と一緒に居たくないでしょう? 大丈夫です。僕はもう少しここで星を見てますから。また、来週。いつもの時間にいつものカフェで」
彼はそう言って笑って見せるのだ。「僕に会いたくないのなら、来なくてもいいです。その時はきっぱり諦めます」と私に対して逃げ道まで作って。そんな彼に「あぁ、それじゃぁ」とだけ声を掛け、私は彼へと背を向けた。その時、私の背後で彼がどんな顔をしていたかなど、私には知る権利などなかった。
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