第4話

「やりたいことがあって、それに向けて努力をすれば。きっと叶う」

「当初の目標とズレてても、最終的に満足出来れば、こっちの勝ちってね」

 その人たちは、僕の頭を撫でながらそう言って微笑んだ。二十年は昔の想い出だけれども、それは幼い頃の僕を勇気付けてくれたもので。僕がこの場所まで来ることが出来た原動力だったのだ。


「シェルツくん、今日はいつにもましてご機嫌だね」

 僕にそう声を掛けてきたのは、指導医であるフェルマー医師だ。

「ちょっと懐かしい事を思い出しちゃって……それに、明日はアマネさんとのデートですから!」

 僕の答えに彼は鷹揚おうように笑いながら、「それはご機嫌にもなるか」と納得してくれる。「そう言えば、前回は何処に行ってきたんだい?」楽し気に問う彼に「サンセットヒルです。アマネさんのよく行く場所に連れて行って欲しいって言ったら連れて行ってくれたんです」と告げる。

「サンセットヒル? アマネって案外ロマンチストなんだなぁ」

 指導医は意外そうな顔でひとり頷く。サンセットヒルはオーベルト市の西端せいたんに位置するバーチャルアミューズメント施設だ。アミューズメントと言ってもアクションを楽しむようなゲーム的なそれではなく、地球を離れ生活する人々の心を癒すかのように地球上のあらゆる場所をバーチャルリアリティーを駆使した上で僕たちに見せてくれるのだ。カプセル型の機体に入り基本的には個人個人が好きな風景を見に行く仕様らしいけれど、あの日はカプセルを連動させてリツカさんのいつも見ている景色を見せてもらった。

「確かにロマンチストなのかもしれないですねぇ。アマネさんがいつも見てるものを、ってお願いしたんですけど、そうしたら夕日が沈むどこかの海をクルージングだったんですよ、とても綺麗で――どうかしたんですか?」

 僕の言葉にフェルマー医師は一瞬だけハッとした表情をしたと思えばぎこちなく「そうなんだ」と笑みを浮かべるのだ。僕のどうかしたのか、という疑問には「いや、なんでもないよ」といつもの笑みを浮かべて「それなら明日が楽しみだね」とくるりときびすを返すのだ。フェルマー医師は僕の知らないアマネさんの何かを知っていて、サンセットヒルはその何かにまつわるものなのだろう。それだけ僕とアマネさんとの溝は深い。サンセットヒルに連れて行ってそれを見せた事に何か意味はあるのだろうか。それとも、僕が何も知らないから連れて行ったのだろうか。

「や、あの人は何も考えてないな」

 深く息を吐きながら、僕はそう結論付ける。あの人は何も考えず僕が「よく行く場所」と言ったから「よく行く場所」へ連れて行ったのだ。きっと、試しているわけでも、何かを伝えたいわけでもない。分かっているのだ。彼女が僕の事を何とも思っていない事など。だから僕は少しでも彼女の視界の中に、そして思考に、入りたいのだ。

「さてと。明日の為に、あと少し頑張ろうかな」



   *



「すみません、お待たせしてしまって」

「何言ってるんだ、二十分前だぞ?」

 リツカさんとのデートの約束の時間。早めに着いていようと思えば約束したカフェで既に彼女は文庫本片手にティーカップをその口元へと運んでいた。待ち合わせ場所は三度目になる記念公園近くにあるカフェで。彼女は最初に逢った時と変わらないタータンチェックのシャツを羽織り下はブイネック、ジーンズという最初に会った時と変わらないラフな服装でカフェのオープンテラスで文庫本のページをめくり、その文字列へ視線を落としている姿は四十代には見えなかった。更に言えば、僕の声に気付きこちらへ視線を向けて口端だけ上げる笑い方で僕に声を掛ける姿は女性と言うにはハンサム過ぎる。そんな所も好きなのだけれど。

「それにしても、早かったですね」

 僕が座りながら彼女にそう声を掛ければ、「この間は待たせたからな。野暮用も早く終わったし」と何でもない事のように返される。やっぱり律儀な人だなぁ。と心の中でだけそんな感想を抱きながら「僕がアマネさんをお待たせしたくなかっただけなのに」と告げれば「私も同じだ。出来るだけ人は待たせたくない」と開いていた文庫本をカバンにしまいながら答えられてしまう。その同じは厳密には同じではないんだろうけれど、僕はそれに気づかない振りをして「嬉しいです」と笑みを浮かべた。


「で、今日は何処に行くっていうのは決めてきたのか?」

 彼女にそう問われれば「記念公園、行ったことないので折角だから行きたいなぁ、なんて」と答える。そんな僕の回答に「そう言えば盲点だったな」と彼女も頷く。この公園に隣接するカフェであればもう三度目になる癖に、僕らはまだそのメインとなる公園に足を踏み入れてはいなかった。もっと詳しく言えば、僕はこのオーベルト市に来てからまだ一度も公園内に入ったことが無い。

「アマネさんはもう来たことあるんでしょうけど、一度見てみたかったんですよね。あの足跡」

「私ももう何年も来てなかったからな。初心に戻るとするよ」

 彼女はそう言ってカップの中を空にし席を立つ。そんな彼女の後を追うように僕も慌てて彼女を追うのだ。向かう先はすぐそこにあるアポロ記念公園である。


「これですよ。ずっと見たかったんです」

 ある程度広い区画を公園として整備された中に、広場として設けられたその場所は、かつて人類が初めてこの星に足跡を刻んだ場所である。基本的に鉄板で遮られて見る事が出来ない月面の地面も、この場所だけはガラス張りとなっているのだ。ガラスを通して見る月面は、本当に月に居るんだという感慨と、こうやって都市が出来るもっと昔に人間が本当にこの場所に来ていたのだという感動を僕に与える。

「シェルツお前、赴任する前に旅行とかでも来た事無かったのか?」

 割と良いトコの坊ちゃん風なのに。と彼女は首を傾げて問う。「月には何度か両親に連れて来て貰ったこともあるんですけど、ここは特別だったから」と答える。そんな僕の答えに彼女は意味が分からないというような顔をした。

「ちょっとした願掛けですよ。月で働けるようになった時に、これを見るって」

「殊勝なこったな」

 そう言って彼女もまたこの星の大地を見つめるのだ。

「僕、実家が本部校の近くなんですよ」

 国際航空宇宙学院International Aerospace Academy航宙士資格パイロットライセンスを持つ彼女であれば本部校という言葉だけで解るだろうとそう告げれば、「航宙士学院Space Pilot Academyには入ってたな」と本部校に隣接する世界で唯一卒業と同時にその資格が取れる航宙士養成学校の名を上げる。「それでよく本部校でイベントがある度に遊びに行ってたんですよね。まだ小さかったんですけど、学生さんたちは僕に良くしてくれていて」そんな思い出話を始めれば「あぁ、まぁ、イベントの度に印象良くしろって教員からも言われてたからなぁ。特に未来の学生に対して」と彼女も懐かしむように目を細めて口元に笑みを浮かべる。

「そんな学生さん達を見て、僕は宇宙を目指したくなったんです。学生さんだったと思うんですけど、綺麗なお姉さんとハンサムなお兄さんが居て、パイロットになりたいって言ったら「努力すればきっと叶う」「満足出来ればこっちの勝ち」って言ってくれて、この公園の話をしてくれたんです」

 そんな幼い頃の思い出を彼女に話せば、彼女は何かを考えるように眉根を寄せながら「それがこの間話してた、ってヤツか」と呟く。

「僕の言ってた事覚えてたんですね! 嬉しいです」

「そらぁ、あんな言い方されりゃ誰だって気にするだろ……そういや、シェルツ。お前幾つになるんだ?」

 アマネさんは煩わしげにそう答えたあと、今思い出したとでも言うように唐突に僕へと年齢を問う。「年齢ですか? 二十七になります」そう答えれば「そうか」と何かを押し殺すように小さく低い声で呟く。

「で、次はどうする? 何もないなら解散になるが」

 無理矢理にその顔に笑みをうかべたような表情で、彼女は分かりやすい空元気を見せるのだ。「えっ、そんな解散は勘弁して下さいよ! 今考えますからちょっと待って!」そんな彼女に気付かない振りをして僕は少しだけ大げさに慌ててみせる。頭の中でアマネさんと行きたい場所をピックアップさせながら、僕はどうしてもさっき見てしまった彼女の何かを押し込めるような少しだけ悲しそうな顔を頭から追いやることが出来なかった。

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