第2話

 私が住むオーベルト市は人類が初めて地球を離れ足を踏み入れた星の、更にその最初の一歩をしるした場所に位置している。元々パイロットを志し実際に航宙士こうちゅうし――宇宙機パイロットの資格も持っている私にとっては感慨深い場所である。学生時代から今まで、取れる資格は大体取って来たものだから資格について数えるのはやめにしよう。そんな私が今まで取った資格を一から数えようと思い至ったのには訳がある。至極しょうもない理由ではあるが。


「アマネさん! 僕と交際を前提にデートをしましょう!」

 告白というものをするのは日本人くらいなものだと誰かが言っていた筈だが、目の前のドイツ人らしい青年が私に対し行っているのは告白なのだろうか。人類が初めて月に到達したその場所に整備された記念公園の隣にあるカフェのテーブルを挟んで向かい合わせに座る私と青年。そしてそれぞれの隣には高校時代の同期とそのパートナーである医師がにこにこと笑みを浮かべている。こいつらはかったな。元々今日は隣に座る同期と、この都市に住む他の同期達と同窓会の予定であったのだ。そう言えば他のメンツからは連絡が無かった。と思い至り同窓会自体が私を引っ張り出す嘘であった事に思い至る。

「これはどういう状況なんだろうな? 浩介」

 目の前の顔面偏差値が高い年若い青年に真剣な視線を注がれ続ける事に耐えられなくなった私は隣に座り満面の笑みを浮かべる同期である篠原浩介ささはらこうすけを睨む。「元々目つき悪いんだからもっと楽しそうにしなよ」と彼は的外れな事を口にしながら笑って見せるのだ。

「フェルマー先生!」

 浩介は話にならん。仕方がないので斜め向かいで保護者の如く柔和な笑みを浮かべている医師へと声を投げれば「トキで良いよ」といつもの調子で微笑みを崩さない。ダメだこっちも話にならん。

「あぁ、そうか。紹介からだよね」

 大事なことを思い出したとでも言いたげに表情を変えた医師は「知ってると思うけど、彼はハートヴィッヒ・シェルツ。うちの病院の研修医で、俺が指導医をしてるんだ。で、シェルツがアマネに助けられた時にその格好良さに一目惚れしたらしくて。この間見舞いでうちの病院来てただろ? そこで俺と話してたアマネを目敏く見つけた彼が仲を取り持ってくれって言うから」と今日に至る経緯を語り、彼の向かいに座る浩介へ「ね?」と楽しそうに微笑む「そういう事」と浩介も満面の笑みで私へとそう答え、私は結局頭を抱えるしかなくなってしまうのだ。


「ご迷惑でしたか? っていうかご迷惑ですよね、でもどうしてももう一度お会いしたくて……」

 しゅん、と眉尻まゆじりを下げ寂しげな表情を見せる青年に良心の呵責かしゃくを感じてしまう。そんなシェルツを見たフェルマー医師と浩介のバカップルは私を責めるような視線を投げてくるのだ。お前ら絶対面白がっているだろう。

「迷惑という訳ではないが……交際を前提と突然言われてもだな……」

 私よりもタッパのある男を捕まえて仔犬というのも何だが、しかしそれでも捨てられそうな仔犬を連想してしまい、しどろもどろにシェルツに向けて言葉を返す。ダメだ、目を合わせたら連れ帰らざるを得なくなるやつだ。脳内では凄まじい勢いで警報が鳴り響く。しかし何だって、四十を超えた女を捕まえて交際前提でデートをしようなどと口にできたのか。東洋人は若く見られるとよく言うが、そのクチなのだろうか。ていうかそもそも私はこんな顔面偏差値の高い男に選ばれるような顔面をしていない筈だろう、と。ツッコミ待ちだろと茶化すにしても目の前にいるシェルツの視線は真剣そのもので。数多の修羅場を潜ってきたと自認している私がガラにもなく内心動揺しているのを付き合いの長い隣の男は察知したのだろう。「でも、面白いのが青年クン、最初汐見の事を男だと思ってたって事だよな。どうせ口悪く悪党ノしてたんだろ?」とケラケラ笑いながらそんな事を暴露すればシェルツは大きな図体を小さく縮め、フェルマー医師はバツが悪そうに苦笑する。

「あぁぁ……先生どこまで話してるんですかぁ……」

 声を震わせながら身を縮める彼を見て流石に可哀そうになってきた私は「男に間違われるのは慣れてる。高校時代からパイロット専攻だったし、男所帯が長いからな」と笑ってやれば彼は「パイロットなんですか!?」と目を輝かせ腰を浮かせる。そんなシェルツに浩介が「見えないだろ」と笑う。

「最初にお会いした時に軌道警察局OPSと言っていたので……」

 赤くなったり青くなったりコロコロと変わる彼の表情を見て面白くなって思わず吹き出してしまう。そんなに大きな音を立ててしまっただろうか、三人の男の視線が私へと集まり、思わず「悪い」と言葉を重ねてしまう。そんな私にシェルツは「やっと笑ってくれましたね」と、とろけるような笑みを浮かべるのだ。普段他人の顔面など気にしてない私でも顔の良い青年が幸せそうに微笑むのは、それ以上にその笑みが向けられている相手が私であるという事が、死ぬほど恥ずかしく心拍数が跳ね上がってしまう。「お、満更でも無さそうだな?」顔の良い青年の微笑みに心臓がおかしな音を立てていた私に楽しそうな笑みを浮かべて声を掛けてくる見慣れた顔のおっさんは心が落ち着く。

「俺を睨むな」

「睨んでねぇよ、心臓を落ち着かせてるんだ」

 誰か私を一度喫煙所に連れて行ってくれ、思わずポケットに忍ばせている電子タバコに手を伸ばしかけてしまい、隣に座る浩介に「禁煙」と目敏く注意を受ける。同期相手の気安さでそんなやり取りをしていれば、「アマネと浩介くんの方がお似合いっていう感じでちょっと胃が……」と何故かフェルマー医師が自信喪失してしまい、フェルマー医師に呼応するようにシェルツも一緒に落ち込むのだ。

「待て、何でそこの指導医研修医コンビが落ち込んでんだよ! ていうかフェルマー先生は知ってるだろ、私と浩介が高校時代の部活の同期っていうかアンタの弟とも仲いいよな私!?」

 耐えきれなくなった私は思わず席から腰を浮かして声を上げる。「そうですよ! 何で俺が汐見と……よりにもよって汐見と!」隣に座る浩介も同意するかのように声を上げ最終的にはテーブルに伏せて頭を抱えるのだ。それはそれで酷いが、ここでは何も言わない事にする。

「で、汐見はどうするんだよ。お前もいい年なんだし、渡りに船ってヤツだろ」

 コーヒーを飲みながら私に問いかける浩介に「いや、しかしだな」と食い下がれば「俺らもう四十二だぞ? 別に身を固めろっていう時代でもないけどさ」と浩介は私を窘めるようにそう告げる。

「それに別にデートって言ったってすぐに夜明けのコーヒーを楽しむわけじゃないだろうし、なぁ?」

 言葉を重ね、シェルツにそう話を振る浩介に「選ぶフレーズがオッサンだな、別にそれは良いんだけどさ」と返せば「良かったな夜明けのコーヒーはオッケーだと!」と彼に向けて笑みを投げる。そんな浩介の言葉にシェルツは相変わらず青くなったり赤くなったり忙しそうだ。

「そもそも私相手にヤれんのかって話があるだろう」

 至極真面目に浮かんだ疑問の筈が、バカップルからは何を言っているんだという顔をされ、向いの青年は真っ赤になって顔を覆う。「ストレートだっていうシェルツがお前が男であっても惚れたっていうんだからそこはヤれるだろ。なぁ?」浩介がシェルツへそう問えば顔を覆ったまま首を縦に振り彼の問いに肯定の意を返す。その行動を見た浩介は私に向けて満足そうに「ほらな?」と返す。

「今この場で断らなくても良いんじゃないかな? デートしたからって付き合うわけでもないんだし」

 この場で一番大人なのは最年長のフェルマー医師であるらしい。やわらかい口調でにっこりと微笑む彼に対して異は唱えがたい。観念した私は「まずは一か月、一か月だ。それでお互いに無理だったらそこで終わり。良いな」と告げれば何故か隣から「もう一声!」と声が掛かるのだ。正面を見ればシェルツも祖父母におもちゃを強請る孫のような顔でこちらを見つめている。「……じゃぁ二か月で」ため息と共に吐き出したその言葉にシェルツはそれこそ花が開くような笑みを見せ、私の手を両手で握りしめるのだ。

「アマネさん、これからよろしくお願いします!」


 懐いた仔犬のような彼を見て、胸がチクリと痛んだ事に、私は気づかなかった振りをした。

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