第17話 すでに大破・閑話

 届こうと、追いつこうとするならば。手を伸ばすならば。


「そう、『コールプレイヤー』の……分かりました、じゃあこちらで正規試験の申し込みはしておくわ」


 今は、部活という大きな……部員と呼んでくれる人たちがいる。


「試験は定期的に行われてるの。今からだと……1週間後かしら。最初は誰でも「正規のDランク」試験からだから、しっかり準備しておけば大丈夫よ」


 だというのに。

 何故僕は……頼れる……頼ってもいいと言ってくれる人たちがいるのに。



「……ぶう」


 どさり、と大護は物理学の問題集の上で突っ伏した。


「お。いた。おーい大護-、試験勉強どうだ?」

「……滝宮くん……」


 放課後、図書館の一角で大護はゆらりと上体を起こし、


「……一生のお願い。助けて……」


 涙と鼻水を盛大に出しながら、真っ白なままのノートと問題集に白旗をあげていた。


「一生って……そんなに難しい問題が出されるのか? 例の『コールプレイヤー』試験ってのは」


 滝宮は隣に座り、若干涙でしめった問題集を手に取り、きょとんと目を丸くする。


「なんだ、中学校で習う範囲じゃないか。……お前、それまさか……」

「ま、前の中学校じゃ物理はな、なかっだもん」

「……他に試験で出る科目は?」

「え、英語と数学……」

「それらの問題集は?」

「……この通りで」

「真っ白のままだなあおい!」


 図書館だというのに滝宮はツッコミを入れずにはいられなかった。どれもこれも高校生ならすでに習っている、もしくは応用の利く学習範囲だった。


「ち、違うんです!(敬語)ぼ、僕は今まで理数系は避けて生きてきた男でして!」

「……雰囲気からじゃあ勉強できそうな奴だと思ってたんだがな……」


 はあ、とため息を落とす滝宮に、大護はまだ鼻水を垂らしながら拳を握った。


「おとなしいとか見かけで勉学ができるだなんて決めつけらえるのは偏見だよ! 僕みたいな成績クズもいるんだもん! もっとクズの人権を認めてよ!」


 クズの人権とは。


「じゃあお前、得意科目は国語とか、文系なのか? 英語もだめみたいだが」

「日本人なら米を食え」

「だめか……」


 今度は滝宮ががくりと首を折った。


「おい、そこで漫才やってる連中、ここは図書館だ。静かにしてくれよ」

「あ、すみませ……」


 すぐ側の本棚から声がかかり、大護は振り返って席を立ったが、体がぴたりと止まる。


「永本……先輩」

「……」


 大護の表情は若干のこわばりを残していたが、昨日の二人のやりとりを間近で見ていた滝宮はわたわたと二人を交互に見て困惑する。どうフォローするかと突発的に考えていた中、


「聞いたぜ。お前、試験受けるんだってな」

「……」


 大護は今のところ沈黙を決め込んでいる。その間永本は本を棚から取り出し、ぱらぱらとめくっては元に戻し、を繰り返していた。動かないでいる大護に関心は薄い。そんな雰囲気だった。


「筆記で詰まってるようだけど、実技もあるからな。Dランクだからって舐めてかかると痛い目を見るぞ」

「え……」


 まるでこちらにアドバイスを送るような言葉に、大護はどう返答しようかと戸惑った。


「お前、野良で慣らしてたみたいだがそれが逆に不利になる場面も必ず出てくる。もう氷室ジムには行ったんだろ? そこでも練習しておけ」

「は、はい……」


 ずいぶんと印象が違う。永本は淡々としており、話ながら本棚とのやりとりを続けていた。それに永本の言葉で今まで発想がなかった氷室ジムの存在を思い出す。あそこは選手育成の場だ、当然検定試験の訓練もあるだろう。

 ただ、あの熱血教師な氷室から勉学を学ぶという絵面には、冷や汗が背中を襲う。


 しかし何故今日はこんなにも……とげもない、アドバイスともとれる話をするのか。そんな疑問が顔に出ていたのだろう、永本は大護に視線を向け、口の端をかすかにあげた。


「今日の俺はおとなしいって? はは、めでたい奴だな」


 やっと目的の内容が入った本が見つかったようで、一冊の参考書を手に取り大護たちに顔を向けた。


「俺も、試験に向けて勉強中、だからだ。それ以外ないだろ」

「え、永本先輩も試験って……」


 そこで初めて永本の顔色がツンとしたものに変わる。尖った視線で大護を射貫き、手のひらで参考書をくるくると器用に回す。


「俺がいつまでもBランクで……と、いきがりたいところだけどね」


 そういえば、今現在知っている『オケリプ部』の面々は、ししね以外Aランクはいない。

 だが、言う永本の顔には辟易とした表情になっていた


「まあ今からDランクの奴脅かしてもしかたないけどな……Aだけは別次元だ」

「別次元……とは?」


 オウム返しになった大護は、永本が重く長いため息を落とした後まで返答を待った。


「言葉通りだ。実態も知らない分からない」

「……? 実態、とは?」

「まずどんな試験か……これは非公開だ。受けた人間にも機密保持の任が課せられる。もし破ったら永久追放」


 最後の言葉に滝宮は思わず「うえ……」と声をもらしていた。

 しかし。大護にはその「すごさ」の質を肌で感じていたこともあり、ただ固唾を飲むだけだった。


 単独で限られた時間と地面を特設リングへと変えるスキル。それも機密にあたるのだろう。使いようはいくらでもある。その場合全てが「違法行為」となってしまうが。

 鎌田たちはそれができず……仲間にAランクの人間がいないからこそ、ボール型のリングフィールド装置で対策を立たざるを得なかった、ともいえる。

 もしそれが広まってしまえばもう、この競技自体の存在が危ぶまれる。そういう意味では『ソロプレイヤ-』の存在がどれほど重罪か明確に分かるだろう。


「思い当たる節があるようだな。そう、Aランクはプレイヤーそのものが劇薬なんだよ。相応の立場と力量への責任を果たせないようじゃ、まず無理だ」


 しん……と図書館特有の静けさは、しっとりとした絹のような空気を肌に与えてくれる。紙とインクのにおいがかすかに混じる沈黙は、大護と滝宮たちと永本の間に不自然ではない静寂をもたらせていた。


 互いに出せる手はない。つまり、永本も今挑んでいる真っ最中でさらに手探りの模索暗中にいる「受験生」に違いはなかった。


「……永本先輩も、氷室ジムへ行ったりするんですか?」


 試験勉強の場を教えてもらったこともあり、しかし永本があの氷室とどんな話をするのか、全く想像がつかなかった。

 大護の想像は見事当たっていたようで、永本は皮肉げに口を歪ませ笑う。


「おいおいおい、俺まであんな脳みそ筋肉にさせる気かよ。俺には無縁の場所だよ」

「ですよね……」

「だが、だ」


 表情から笑みを消し、真正面から大護と向き合う永本の目は、混ざり気のないものになる。


「悩めることがあるなら今のうちに悩んでろ。俺みたいに要領だけで試験だけを駆け上がったんじゃ、そんな余裕もなくなる。メンツもな」


 それだけ言って、永本はきびすを返して図書館から出た。その間、大護たちは一言も発せず去って行く永本の背中を見送っていた。

 出て行って数分たった後でも、互いに顔をつきあわせても、大護と滝宮は首を横に振るだけだった。


「まさか……アドバイス?」

「アドバイス……なんじゃないか?」


 初対面でのリングのやりとりからは、別人のように思えた永本の心情は分からなかった。彼なりにも、試験に思うことがあるのか。そんな憶測をするだけで精一杯だった。


「で、どうする大護。ジムってのに行くのか」

「う、うん……一度行ってみる。今日にでも」


 なんとも調子を狂わされたものだった。結局のところ、永本の真意は分からないままだ。


「試験そのものも、捉え方を考えるべき、かな……」


 ただの資格習得や習い事の昇級試験程度にしか考えてなかった大護に、永本の言葉は体にしみこんでくるような、今までにない領域を感じさせた。

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