第15話 片言牙を剥く・双頭

「ここいらでいいんじゃね?」


 良介は無人ビルが建ち並ぶ視界の悪い場所で立ち止まった。全方向に低いビルが並び、土地勘がなければ迷路にもなるかもしれない、どこを見ても同じような風景だった。


「っけ。いざとなったらビルの間に逃げようってか。お前イジメとかやって悦には入るタイプか? 小さいもんだ」


 鎌田の安い挑発に、良介は比較的整ったパーツ、といえる顔に怒りが差し込み唇が突き出され目はまぶたを押し込むほど鎌田をにらみつける。


「んだとオラ! ざけてっとぶっ殺すぞ!」

「やれよ。できねえくせに、口だけは一丁前ってのは見苦しいもんだ」


 良介が怒号を罵詈雑言にして手斧を振りかぶる。そのままの勢いで鎌田の頭をかち割るつもりだ。だが、鎌田は相手の接近を許す間もなく、手に握った黒いボールを地面に打ち付けた。

 ボールがたわむよりも早く、地面が空色に浸食される。天と地との境目をなくすほどの青い光が舞い上がり、ドーム状の円を描いて閑散としたビル街に空を作り出した。


「これは『特設リング』だ。お前らだけ『スティグマカバー』使えるとか、真剣に相手するのもばからしいからな」

「何、を……」


 と、良介は青の向こうの風景に手を伸ばす。だが、目の前に揺れて流れる壁は分厚く、まるで水族館にいるような錯覚を目に見る。


「出れねえよ。タイムリミットがくるか、どっちかが負けた場合しか脱出できない『リング可動範囲内』だ」

「て、てめえ……」

「おおかたビルに隠れながらやりきる、程度しか考えてなかっだろうよ。お前弱そうんだもんな」


 その言葉が良介の導火線に火をつけた。手斧を構え突進してくる。その距離はおおよそ10メートルある。鎌田が特殊警棒型の『デヴォイド』を取り出し、ビリヤードのキューを打つ予備動作に入った後。


「てめえは死んどけえええ!!」


 目をむいて躍りかかった良介の眉間に風が埋め込まれた。良介は膝から崩れ落ち、腕を垂らして無言のまま地面に倒れた。今までの猛々しい気配は一切なく、乾いた風が一つ横切った。

 もし声を発することができても、助走をつけて突撃した反動をもらっただけで意識は切り取られているだろう。冷静に自分の『スティグマカバー』の尺度を体感で覚え、何ができるのか、何が不利なのかをわきまえる。

 自覚と自負。鎌田重郎とは、本来その二つを使いこなせる選手であった。


 青いドームは消え去り、消滅した。ボールの形態には戻らず、使い捨てであるとも後で聞いたものだった。

 しかし。


「……」


 白目をむいて倒れた良介に近寄らず、三人は無言のままだった。


「ね、ねえ。鎌田くん……」


 わずかに緊張の糸を引っ張ったのは大護だった。


「分かってる。こんな安い奴に滝田がやられるわけがねえ。あいつのランクはBクラスだ。こんな三下にやられるわけがねえ」

「でも、現にあそこまでの傷を受けていたわ。あれはもう、力任せのリンチ同然の傷だったわ」


 そうだ、思い返せばあの滝田という青年はとても目も当てられないほどの深い手傷を負っていた。あの場所にいたのも、彼から逃れてきたからか。


「……いや」


 「いいんだよ。俺にはパトロンがいるんでね」


 思考がスムーズに回らない。大護は眉をしかめ口を一文字にうなる。

 戦闘開始前、ここに来る間に彼が口にしていた言葉が、妙に引っかかった。

 引っかかっているものは何だろか。一つ一つ説いていこくことにする。


「鎌田くん……『自立デヴォイド』対策って、元々こんな風に取り憑かれた……というか、プレイヤーがどうのじゃなくて、独りでに『デヴォイド』だけが動き回る場合、というのは想定されてたの?」


 大護の言葉に鎌田はふと眉をひそめる。


「ああ。そうなった場合ってのは、もう所持していた人間は助からん。人格も根こそぎ奪われ、独りでに動く『デヴォイド』がさまよう絵面ができるだけだ」

「……」

「当然そうなったら、『自立デヴォイド』となり『デヴォイド』そのものにインストールされている『スティグマカバー』の出力を遠慮なく使える。人間の負担にならないよう火力を調整する必要もないしな。それが一番厄介な状態だ。人格のベースは元の持ち主に由来する形になることがほとんどだな」

「じゃあ、立て続いてもう一つお願い。こうしてノックアウトした相手はどうするの? 警察に連絡する?」


 大護は視線をずっと倒れた良介……というより、彼のデバイスであろうリストバンド型の『デヴォイド』に視線を送ったまま切り出した。


「俺らだって法律ぎりぎりのことをやってる。とりあえず『デヴォイド』を破壊してあとは終わりだ。欲張ってやるもんでもないしな」

「……これが最後の質問。矢継ぎ早にごめん」


 ごめんと口にする大護だったが、その横顔は真剣に物事へ取り込む熱をこもらせていた。いつもの弱気な「ごめん」とは性質そのものが違う。

 それを鎌田も感じたのだろう。うんざりする様子もなくただ「なんだ」と言葉は淡泊ながらも関心は大護の言葉に向けていた。


「こうやって倒していく『自立デヴォイド』は……どこから来たのかな……」

「……」


 大護の問いに、鎌田はあごをさすりながら腕を組む。とんとんと、つま先を数度タップしたあと、かすかに息を漏らした。


「それは、俺らも完全に把握できたわけじゃねえ。いつどこでってのはな……だがこんなのが噂話に流れ始めたのは最近だ。だが準備期間があったかもしれねえし突発的なものかもしれねえし……」


 鎌田はうなりを上げ言葉を詰まらせた。大護もまた、深くうつむいて考え出す。

 それが互いに「隙だ」と判断させる、わずかな瞬間だった。


「目を離したなぁ、おい!!」


 とっさに反応できたのは奇跡的な偶然ともいえた。

 今度は手斧ではなく反り返った鎌……いや、身の丈サイズに伸びた「デスサイズ死神の一撃」と呼ぶにふさわしい凶器だった。

 この一撃は『ソロプレイヤー』の大護でしか対応できなかったであろう。ここはリングの上でもなければボールを使った特殊リングでもない。平常空間で『スティグマカバー』を展開可能にする。それが『ソロプレイヤー』であり立派な犯罪行為である。


「武器の種類が変わるなんて……!?」


 気を抜けばスラリと光る刃には、こわばった自分の顔が写っている。磨き抜かれた、刃こぼれ一つもない美術品でも通るだろう、禍々しさを持っている『スティグマカバー』だった。

 その斬撃はなんとか鉄の鎖で対応し、横に開くことで受けきった。

目と鼻の先。見とれるほどの刃が赤い露に濡れればどうなるか。官能的な艶やかさをもっている。


「っへ! やるもんだなあ、あんた。名前聞いておこうか!」


 大きく飛び退き、先ほどまでダウンしていたはずの「良介」と名乗った少年は、今までにない活発さを見せていた。

 どこか陰鬱な、乱暴に踏み込んでくる先ほどまでの気合いとは違うものにしか感じられなかった。


「ダメージが一切残ってない……獲物も違う。お前、一体……」


 一手、鎌田は出遅れた。つい目の前にいる相手に視界を奪われ、振り向く頃には脇腹に太く短い手斧が突き刺さっていた。

 今。目の前にいる少年と、まったく同じ顔をした少年に。

 しかし眉間には大きな傷跡を残し、怒り狂った声で何かを怒鳴り立てていた。しかしその言葉の内容を、聞き取れるほど鎌田の余力はなかった。


「て、てめえ……ら」


 どさりと倒れる姿はやけに遅く見えた。鎌田へ一撃を放った少年は、明らかに「良介」であった。


「悪いね、俺らこの通り、双子の兄弟なわけだ」


 同じような服装に同じ顔立ち。初見でも見分けがつかない。区別できるとすれば手に持つ『スティグマカバー』だけだが、性格も違うようだった。


「わりぃなにーちゃん、飛び出すタイミング遅れてさ」

「いいんだよ俺はよぉ! とりあえずこの鎌田って奴をボコらねえと気がすまねえ!」


 横倒しになり、蹴り続けられる鎌田は身動きがとれないでいた。

 助けないと。飛び出しかけた大護の腕をししねが強引につかんで引き留めた。


「咎原先輩!?」

「あなたには、あなたしかできないことをやってもらうわ」


 ししねの手には黒いボールが握られており、顔は試合で鍛え抜いたタフな横顔になっていた。

 ぐいっと大護の腕を引っ張った反動でししねは前に飛び出した。鎌田をいたぶる二人の「良介」の元へと駆けだしていった。


 ししねがボールを地面に打ち付け、瞬時の青いドームが作られる。


「僕にしかできないって……」


 焦燥が身を内側からをあぶる。あの二人が体勢を立て直せば負ける相手じゃないと確信できる。では自分は何をすればいいのか。


「くそ、相手が両方獲物もちじゃ……」


 滝田と呼ばれた青年の傷が思い出される。あそこまで痛打を受けた人間を見るのははじめてだった。黒く、赤く腫れあがった肌を見せるほどの火力も……。

 そこでふと、思考が強引に回された。逆回転する。


「……まさか」


 気がついた時にはすでに走り出していた。最初から事の流れを浮かび上がらせていく。そうすると。


「一人、!?」

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