第14話 異なる部屋の住人・熱圧

「で、このボールが即席の『リングフィールド』を作るんですか?」


 にわかに信じがたい様子の夕日は、先を走る鎌田重郎の背中にうさんくさい視線を送った。大護、ししね、夕日は走りながら街中を抜けていく。夕暮れの買い物客が繁華街を歩いて行く様子を視界の端にいれ、裏路地へと駆け込んでいった。


「ああ。だが空間と使用時間が決められてる。まだ試作品段階でね。しかし時間と効果がなくなる前に相手を倒せばいいだけの話だろう」


 鎌田はスマートフォンと入り組んだ路地を目で確認しながら、オフィス街の奥へ進んでいく。大護たちはそれに従うのみだった。理由は一つ。

 『自立デヴォイド』の出現。知ってしまった故に、関わったが故に、見て見ぬふりはできなかった。

 大護は心配そうにする滝宮に笑顔で「大丈夫だよ。それに今なら咎原先輩も高野さんもいるんだし」と自らにも言い聞かせるよう話して学校を後にしていた。


「具体的にはどれぐらいの『リング』が作れるの?」


 大護と併走するししねは息も乱さぬまま、淡々と言った。


「直径15メートル、リングが発生していられる時間は20分だ。その中にいる限り、こちらも『スティグマカバー』の力を使う事ができる」

「相手が逃げたら?」

「逃がさないようにするんだな。もし逃した奴がいれば、それは単にそいつが間抜けだっただけだぜ」


 鎌田の『腕時計型デヴォイド』がアラーム音が鳴り響いた。突如発生した音は、人通りもないこの閑散たる殺風景な世界に吸い込まれて反響を与える、あまりにも大きすぎる音だった。


「な、何!?」


 大護が周囲を見回すが、アラーム音のスイッチを鎌田が切った。そして手にボール状の『リング発生器』を握り、視線だけで周囲を縫うように鋭く居抜き、無人のテナントビルの一角へ走り出した。


 無言で場を離れた鎌田を慌てて追い、どうしたかと声をかける前に映像が思考を追い抜いた。かろうじて動けたのは夕日だけだった。しかし、「ひどい……」とつぶやくのがやっとな程度でしかなかった。


 地下に駐車場を持つビルの端に、一人の青年が倒れていた。側にはすでに鎌田が駆け寄っており、ぐったりとした身を起こそうとしていた。


「無理だ、倒れてろ。すぐに救急車を呼ぶ」

「……すまん。足手まといにしか……なれず」


 虫の鳴く声で言葉をほころばせていたのは、大護たちよりも一回り屈強な筋肉を持った青年だった。鎌田の知り合い、なのだろか。鎌田が彼を呼んだとき「滝田」とつぶやいたのが耳に入った。

 

 彼、滝田の体躯は大きく、鍛えられた筋肉を纏っている。それがここまで痛めつけられるとは、攻撃できる人間がいるということになる。下手をすれば死んでしまってもおかしくない。

 

 傷は鬱血する打撲痕と刃物で切られたかのような裂傷痕が目立つ。どれも深い傷で、急がないと死ぬかもしれないし助かったとしても障害が残る可能性がある。


(……ん?)


 ふと、身じろぎした瞬間に滝田の背中が見えた。その背は赤黒く晴れ上がり、上着は焦げてぼろぼろになっていた。


 その傷が何なのかと問う前に、滝田は顔をこわばらせ、震える腕を持ち上げ差し指で大護たちの背後を指した。

 切り立った緩やかなカーブを描く道路に、一人の少年が立っていた。長く伸びた茶髪に一つのピアスが特徴的だった。


「あんだぁ? そのおっさんの仲間かよ」

「てめえか。こっちのもんが世話になったな」


 歩きだそうとする鎌田の背に、滝田が必死になって手を伸ばし引き留めようとするが、のどに言葉が詰まり、激しく咳き込んだ。目の前に暴行された相手を見て、思わず取り乱してしまったのか。今は夕日が側に尽きなだめるように深呼吸を促していた。


「そいつ……滝田を任せていいか。救急車を呼んである。その間だけでいい」


 視線だけをこちらに向け、「じゃあ私が」と夕日が大きくうなずいた。


「そっちは決まったかぁ? 俺はさっさとヤりたくてうずいてるんだ」


 と、手にはいつの間に取りだしたのか、木製の手斧、と思える武器が収まっていた。この少年の『スティグマカバー』だ。ここはリング内でもない。通常の空間であるこの場所で発現することは不可能である。『ソロプレイヤー』以外では。


「てめえ、『ソロ』か?」

「いいや、もっと良いもんだよ」


 手にした手斧を空にかざす。すると肩からうでにかけ、少年の体からぼんやりと浮かび上がってくる人影が生まれた。

 その影は次第に輪郭を確固たるものにし、ふくれあがる筋肉と、牛の頭を持つ顔がいななきを上げ大量な唾液をはき出しながら荒ぶる。


「あれは……『スティグマ』そのもの……!?」


 言葉を途切れさせても、かろうじて言葉にまとめることができたのは、ししねだけであった。残りの大護や鎌田は、少年に取り憑いたようにうごめく立体映像のようなものから、とんでもない濃度の圧力を感じていた。


 今にも暴れ出しそうな牛の頭を持った大男は吸い込まれるように少年の腕から手に持つ手斧に流れ込み、少年は愉悦に感極まった表情で、こぼれるよだれも気にせず叫んだ。


「見たかよ俺の『スティグマカバ-』! いや、もうカバーは取り払った、俺の力なんだ、俺が強いんだ!」


 体をくねらせ笑う少年の解析を求めるかのように、ししねが大護に目を向けた。大護は自分も取り乱したいほどであったが、ここで自分までパニックになってしまっては浮き足立つだけだ。


「あ、あれはもう『ソロプレイ』の領域を超えています! 本来なら『スティグマ』は製造され厳密に加工された封印の……『スティグマ』が封印となって、力の源でもある『スティグマ』の力をわずかに抽出させ『インデコ』にてその出力の管理を行うのが一般的ですが……」


 それでも、わずかに取り出すだけの力は絶大なものだ。ししねと鎌田の試合のような超常的な戦いは、元来『デヴォイド』で管理される『スティグマカバー』の力の一粒。制御しなければパワーが人間に逆流する。廃人になる、程度なら運がいい方である。

 身につけた『スティグマ』の100%の力を使うことはできない。カバーという安全装置に『インデコ』での管理、それらは選手の体と精神を守るための防壁なのだ。


「ふん、アラームにあった『自立デヴォイド』の反応はこいつか……まさに『自立』だぜ。自分が『デヴォイド』をいじったあげくに使うはずの力、『スティグマ』そのものに取り憑かれてる。この場合は『自立スティグマ』とでも言えるか」


 かすかに小さな息を吐いた鎌田は「上等だ」と口の端をつり上げ笑う。


「今ここでやってもいいが、身内が危ないんでな。救急車も呼んだしさぞかしうっとうしいことになる。場所を変えるぜ」


 鎌田がそういうと、少年はあごで裏路地からビル街へ通じる道路をさした。それに鎌田は不敵な笑みで、道路から切り立つ2メートルはあるであろう壁を、あっさりとよじ登った。動きはクライミングに近い。大護、ししねは少し先にある階段を使って上ろうとしていた。


 二人になった鎌田と少年は、一見他愛ない会話をしているが、目を一瞬でもそらせば何が降ってくるか分からない……そんな気迫をぶつけ合っていた。


「さっさとヤろうぜー。三人相手とかマジ震える感覚じゃん」

「てめえの都合は知らんが、名前はなんだ? それぐらい言えるだろう」

「は? 俺の名前聞いてどうすんの? まあいいけど。俺は良介。手持ちの『スティグマカバー』は先ほど見せた通り……」

「牛の頭……『ミノタロウス』、とかか? 神話関連の『スティグマカバー』は学生にとっちゃ金額的に苦難だけどな」

「いいんだよ。にはパトロンがいるんでね」

「ふん、強キャラ持ってるだけで簡単に『オケリプ』制覇できるかよ。


 全員が道路に上がり、良介と名乗った少年の後に続き歩いて行く。

 その間も、滝田は脂汗が流れる体を動かそうと、地面から背中をはぎ取った。


「その傷で動かないでください! もうすぐ救急車が来ます、その間だけでもおとなしく……」

「だ、だめだ……このままだと、鎌田たちも俺の二の舞になる」


 声を上げるのも一苦労という様子で、息を切らせながら痛む頭を抱え、眉間にしわを刻んで苦しげに言った。


「伝えなければ……相手の武器は、『スティグマカバー』なんかじゃないんだ……!」


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